英雄が遺したもの
英雄は、腸の掃除なんてしない。
それが、栄養ドリンクの缶に顔写真が載るほどのマナに覚醒しなかった人間が学ぶ、最初のルールだ。マーケティング屋が好んで呼ぶところの「ハンター」たちは、颯爽と現れ、レーザービームをぶっ放し、配信ドローンに向かってポーズを決め、そしてレイド後の打ち上げパーティーへと消えていく。
あとに残された残骸こそが、俺の問題だ。
「食道括約筋に気をつけろ!」
軍用ガスマスク越しにくぐもった声で、俺は怒鳴った。
「そいつが破裂してみろ、胃酸でアスファルトが溶けるぞ! ついでに組合からのボーナスも消し飛ぶからな!」
衛生清掃課(DSL)の班員たちが、青い血と泥にまみれた黄色い長靴を引きずりながら後ずさる。俺たちの目の前には、パウリスタ大通りを完全に封鎖するようにして、《コバルト・ワイバーン》の燻る死骸が横たわっていた。ランクBだ。
《黄金の槍》ギルドによって討伐されてから二時間が経過している。だが、亀裂の魔物は往生際が悪い。死してなお、その細胞は人間を殺そうと活動を続けている。
俺は保護ゴーグルの側面にあるボタンを押した。AR(拡張現実)インターフェースが点滅し、肉と鱗の山の上に解剖図を重ねて表示する。
「主任、臭いがフィルターを貫通してきます!」
インカムから甲高い悲鳴が響いた。
見下ろすと、ルナがワイバーンの巨大な鉤爪の近くにしゃがみ込んでいた。片手でホログラムタブレットを持ち、もう片方の手で(マスクの上から)鼻を押さえている。制服がツーサイズほど大きいため、まるで父親の作業着を着た子供のように見えた。
「口で呼吸するな、ルナ。空気の『味』がするぞ」
俺はルーン防護が施されたラテックス手袋を調整しながら答えた。
「それと、その化け物の『幽霊』を見るのはやめろ。そいつはもう逝ったんだ」
ルナがびくりと震えた。
「逝ってませんよ。魂が肋骨の上に座って泣いてるんです。お母さんに会いたいって。……憂鬱になりますよ、ドクター」
俺は無視した。この娘はアストラル界が見えてしまうという特有のネジの緩みがあるが、俺のアシスタントを一週間以上続けられた唯一の人間だ。
俺は怪物の脇腹へと歩み寄った。とどめを刺したハンター――たぶん、あの目立ちたがり屋の《サニー・ナイト》だろう――が、過剰な火力魔法を使いやがったせいで、皮膚が焼灼されている。これでは素材としての剥ぎ取りが難しい。なんて無駄だ。
古く馴染みのある憂鬱さが胸をよぎる。三十年前、初めて亀裂が開いたとき、魔物はみな恐怖と謎の対象だった。だが今はどうだ? ただの家畜だ。高級バッグやエネルギー核のための原材料に過ぎない。魔法は神秘性を失い、ただの商品に成り下がった。そして俺は、この魔法資本主義におけるゴミ処理係というわけだ。
「ミスリルのメス。4番だ」
俺が手を出すと、ルナが道具を渡してくれた。オレンジの皮をむくような手慣れた動作で、俺は第三浮遊肋骨の直下を切開した。
オゾンとアンモニアの悪臭が爆発的に噴き出した。二十メートル離れて見ていた清掃班の新入りたちが咽るのがわかったが、俺は瞬き一つしなかった。皮下脂肪の層を押しのけ、目的の臓器を露出させる。《マナ嚢》だ。
それは紫色に脈打ち、スイカほどの大きさであるはずだった。
だが、目に入ってきた光景に俺の手が止まった。
マナ嚢は灰色に変色し、萎縮していた。さらに、その表面は微小な白い結節――まるでカビのようなものに覆われている。
「興味深いな」
俺の中で分析モードが主導権を握った。
「ルナ、記録しろ。マナ濾過システムにおける早期壊死」
「うげっ。病気ですか?」
嫌悪感よりも好奇心が勝ったのか、ルナが近づいてくる。
「いや、病気なら自然現象だ。だがこれは……」
手袋をはめた指で、臓器から滲み出る白い膿を拭う。粘度があるが、手袋を溶かすような酸性ではない。
「これは『設計』されたものだ」
俺は周囲を見回した。警察が張った規制線は遠すぎて、こちらの詳細までは見えないだろう。ドローンのカメラも、とっくに英雄たちを追いかけて去っていった。俺たちは完全に「二人きり」だ。
「俺の背中を隠せ、ルナ。《品質管理テスト》を行う」
「ああっ、ダメですよアーサーさん! ダメッ!」
ルナが恐怖に顔を引きつらせて後ずさった。
「さっきお昼食べたばっかりじゃないですか!」
俺はガスマスクを外した。サンパウロの大気はただでさえ最悪だが、魔物の死臭と混ざれば猛毒だ。だが、直接接触する必要があった。
素早い動作で、人差し指についた白い物質を口へと運ぶ。
味は最悪だった。古い乾電池と、パクチーと……そして「絶望」を混ぜたような味。
俺はそれを飲み込んだ。
即座に、視界の端が黒く染まった。雨音が消え失せる。背骨の基部から何かが鎌首をもたげ、氷の蛇のように脳へと這い上がってくる感覚。
【 共生:起動 】
俺の声ではない、喉の奥から響くような声が頭蓋骨の中で反響した。誰にも見えない真紅の文字が、俺の網膜に浮かび上がる。
【 有機体サンプルを解析中…… 】
【 ソース:コバルト・ワイバーン(改造体) 】
【 検出:合成アルカロイド。ヒト型マナ『タイプ・ベータ』の痕跡あり 】
俺は目を見開いた。
人間のマナだと?
亀裂の魔物は人間のマナを持たない。生物学的に適合しないからだ。誰かが無理やりねじ込まない限りは。あるいは、誰かがこれを……「培養」していない限りは。
「ドクター?」
ルナの声が遠くに聞こえた。
「目がまた真っ黒になってますよ。ワイバーンの幽霊が泣き止んで、怯えた顔であなたを見てます」
俺の中の寄生体が興奮に震えた。もっと寄越せと叫んでいる。この死骸を骨まで喰らい尽くしたいのだ。俺は重いため息とともにその本能を抑え込み、胃が毒素を消化して微量のアドレナリンに変換するのを感じた。
「ルナ」
俺はガスマスクを装着し直した。手はまだわずかに震えていたが、体は正常に戻りつつある。
「報告書の分類を変更しろ」
「えっ? 『バイオハザード』ですか?」
「違う」
俺はメスをズボンで拭った。ギルドたちが勝利を祝っているであろう、輝く摩天楼を見上げる。
「『犯罪証拠物件』に分類しろ」
このワイバーンは、亀裂から出てきたんじゃない。
誰かがこの街のど真ん中に、こいつを「植え付けた」んだ。そして舌に残る化学反応から察するに、こいつを殺すはずだった毒は、英雄の火の玉なんかじゃない。この怪物は戦う前から死にかけていた。生物学的な時限爆弾だ。
そして、その爆弾の解体方法を知っている馬鹿は、俺たちだけだ。
「骨切りノコギリを持ってこい、ルナ」
俺は魔物の頭蓋骨に向かって歩き出した。
「頭を開くぞ。俺の予想が正しければ、脳みそから『苦いアーモンド』の味がするはずだ」
「この仕事、ほんと嫌い」
ルナは愚痴をこぼしたが、すでにノコギリのスイッチを入れていた。
モーターが唸りを上げ、遠くのサイレンの音をかき消した。
今日もまた掃除の一日が始まる。英雄たちが散らかしていったゴミを片付ける日々だ。
だが今日のゴミは――陰謀の味がした。




