一譚 傭われ兵の戦場
煤と共に赤く燃え盛った夜空が、地獄送りになった罪人を見送るように満遍なく広がる。
“この日、世界の『何か』が酷く揺さぶられた”
戦場に佇むたった一人の青年、彼の運命が大きく舵を切るように曲がった“戦い”であった...
——ドーン。
瞬時、青年の全身に極度の興奮が走り込む。
思わず耳を塞ぎたくなるような轟音と共に、周囲から一斉に掛け声が響き渡る。
「此度...我々は悪しきシュメイルを陥落させ、エインウィル地方における覇権を握る事になるだろう!!」
「さて、続けぇー!!」
戦場の全ての者が知ることとなった。
もう誰も、生きて帰る事は出来ないと...
——オルムンド大陸南部のエインウィル地方。
この地方では各国家の戦乱が巻き起こっていた。
エオリア民族によるエオリア国家と、シュメイル民族によるシュメイル帝国が対立している。
両国の激突は、他国の平穏をも奪い去った。
「砲撃用意!!てぇーー!!」
——ドーン。
再び轟音が響き渡り、大勢の正規軍が砦に襲撃を仕掛ける。
その渦中に佇んでいる男、それは“傭兵”だった。
『メーレル・トラウグストゥス』
故郷のベルシアから派遣され、戦乱に身を投じることとなった若き青年であった。
「義勇兵!貴様らには名誉の死が与えられる!全員にそのチャンスが回ってきた!今、死すべき時!」
内心、彼も分かっていた。
自分はこの世に見捨てられ、生きることさえ期待されず、名誉という名ばかりの死を遂げる末路...
そんな彼に“名誉”は理解出来なかった。
——彼は所詮...“傭兵”なのだから....
「義勇兵用意!!突撃!!」
掛け声と共に戦いの火蓋が切られた!
メーレルは正規軍より先に砦へ向かって前進する。
「うおーーーー!!...」
彼も皆も声が震えていた。
この広大なエインウィルの大地でエオリアという名も知らぬ国のために戦死を遂げるのだろう...と。
——ドーン。
激しい砲撃が辺りを掠めるかと思えば、次の瞬間右手の味方が木っ端微塵になった。
味方の砲撃で、味方が死んでいくのだ...
「うああぁぁ!!...」
向ける先もない悲痛と絶望の叫び、その地獄絵図の中にメーレルはまだ生きていた。
彼は戦いたく無かった...ただ生きていたい...
「義勇兵!梯子をかけろ!」
掛け声で気がつくと目の前には既に砦があった。
携帯用の梯子をかけ、砦の城壁を次々に登っていくが、上に待ち構える衛兵に蹴落とされる。
「目を覚ませ!ここを守り通せ!」
「敵兵の侵攻を許すなぁ!!」
両軍が城壁を挟んで歪み合う光景は残酷という言葉に他ならなかった。
気がつくと.....彼の周りの味方は殆ど居なくなっていた。
「う...うぇぇ...えぇ...」
彼は壊れていた。
もう戦いたくない、逃げてしまいたい。
「誰か...助けて...くれ...」
——初めて、彼の口から言葉が出た。
義勇兵の一段は壊滅状態になり、後に正規軍が遠方から突撃してくる。
メーレルは、ただ死体になりすましていた。
——ドーン。
砲撃で砦の城壁が崩れ落ちると、砦内の兵士達はいよいよと砦の外に出て迎撃体制を取った。
死体になりすましているメーレルは、血生臭い匂いと、火薬の匂いを嗅ぎながら嗚咽をする。
「神よ...いるならどうか助けて...」
青年の悲痛な叫びも、戦場の激しい轟音に掻き消されるように消えた。
それに彼はただ耐え続けた...暫くして正規軍が突撃してくるかと思えば、“突如撤退を始めたのだ”。
「見捨てるのか...俺達を...」
彼は死に物狂いで屍の山を抜け出し、砦近くの灰となった村に飛び込んだ。
彼は、何もかもが過ぎ去るのを待つしか無かった。
「奴らが撤退したぞ!砦を守り通した!」
「撤退だー!!我々が防衛した!!」
そこは、敵国の兵士達が歓喜をする声が聞こえる静寂に変わった。
この青年は、ただ頭を両手で抱えて蹲った。
「うるさい...うるさい、うるさい...」
露程にも満たない小声で、ただ限界を迎えた心を必死に抑え込むように呟いた。
彼の神経は恐怖へと移り変わっていた。
「ヒィィィン!」
「将校がきた!通せ!」
大門を通り、砦の中から騎乗して現れたのは敵国の将校であった。
「警戒体制をとれ、これは作戦の一環に過ぎない」
「警戒体制に入れ!迎撃準備を取れ!」
静寂が掻き消され、辺りは再び厳格を帯び始めた。
「将校!敵兵は完全に野営地から撤退しました!」
「皆の者、よくぞ打ち破った。この勝利がシュメイルの帝国軍を大きく躍進させるぞ!続け!」
やがて、大きな歓声が上がった。
ただ村に潜むこの青年だけは違った.....頭を抱え、目を見開き、声を出して狂ったように笑い出した。
「死んだ...全員死んだ...あいつらが、あいつらが全部奪ったんだ...」
もう死ぬしか道がないと悟った青年は、見えない未来に酷く絶望した。
彼には、これ以上の心は無かった。
「助けて...誰か...ああ...」
——物音がした。
顔を上に向け、見開いた目でそれを見つめる。
誰かが立っている、敵兵かどうかは彼にとってはもうどうでも良かった。
彼はその生きた人間を見た途端に気を失った。
「———」
◇◇◇
——気付いたら、日当たりの良い部屋で横になっていた。
その瞬間、戦場の地獄絵図がフラッシュバックしたが、すぐに目前の現実を捉える事になった。
メーレルは、この数日間眠っていたようだ。
「ここ!!」
呟いたらまた頭を抱え、目を見開いた。
疲れも感じたが、壊れた心はその身を癒すことも許さなかった。
暫くして、彼は周囲を垣間見るように観察した。
「ふぅー...ふぅー...」
見渡した場所は何処かの部屋で自分はベッドで目を覚ました事に気付いた。
すぐそばの窓からは燦々と日差しが溢れるように差し込み、安寧の空気を装っている。
「助けて...ください...」
彼は息が荒くなり、急な環境の変化に心がつい追いつかなくなってしまった。
ただ残酷な事実を受け入れてきた自分にとって、この景色は現実逃避そのものだった。
すると突然、扉がノックされる!
「お暇しておりますか〜、見知らぬお客様〜?」
我が物顔で部屋に入ってきた可憐なエルフの娘にメーレルはまた頭を抱えて蹲った。
何かを把握するのも上手くいかず、ただ引き裂かれた心を元に戻すのに必死である。
「お客様って呼ぶのも、ちょっと違うんじゃないかしら。レード砦の村で見つけた子よね?」
今度はその娘の背後から、別の誰かが入ってくる。
「ミロリーネ様!ここに居ないでください!この人が誰なのか検討がついていないんですよ!」
「はぁーん、そんなに言うならねぇ〜」
そしてすぐその娘に後押しされるように何処かへ消え去った。
「お客様、今のうちはそう呼んでおきますね。貴方は、このシュメイル帝国の裁判に掛けられる事になりますので、その結果次第では扱いが変わります」
メーレルは娘が怖くて仕方がなく、顔を上げる事が出来なかった。
痺れを切らしたその娘は、メーレルを見限って戻っていってしまった。
すると、彼はまた顔を上げた。
「何が起こっているんだ。捕虜なのか...?裁判にかけられるのか?俺は死罪にされるのか?」
考えれば考えるほど不安が増大し、収拾がつかなくなっていく。
ただ、死を間近に見た彼には諦めの心情もあった。
「ここで...この部屋で何をされるんだ?」
意識が正確にならないが、あの恐怖の残響だけが脳裏に投影されている。
ただ映るもの全てが敵に見え、堪らなく怖いのだ。
「もう死なせてくれ...」
暫くして、部屋に使用人のような高貴な服をきた人物が入ってきた。
メーレルはいよいよ決まる自分の行く末と、この状況に恐怖を覚えていた。
「名もなき青年に裁判の命令だ。出頭せよ!」
使用人に肩を掴まれ、無理矢理部屋の外へ出される事になる。
すると、メーレルは暴れ出した。
「やっぱり死にたくないんだ!死にたくない!頼む...殺さないでくれ!うあぁ!!」
使用人達が暴れるメーレルを取り押さえる中、その隙間からあの娘が垣間見えた。
その娘は、ただ厳しい視線でメーレルを見下しているようだった。
「貴様、死罪に問われたいのか!」
使用人が怒鳴ると、ようやくメーレルは大人しく連行される事になった。
メーレルは長い渡り廊下を歩かされ、その先にある大きなホールに連れて行かれた。
「貴様は今から裁判所へ行くのだ。素性を隠し通せるとは思うなよ!」
見たこともない立派なホールで、中央には噴水が水を噴射させている。
そして、衛兵が見守る重厚なドアを通らされ、メーレルは裁判室に入室した。
「名もなき青年よ。貴様の名前をなんと言う?」
法廷には5人の裁判官が立ち並び、中央の法官がメーレルに問いを投げかけた。
「メーレル・トラウグストゥス...だ」
その問いに納得した表情を見せた裁判官は、次の質疑を行い始めた。
「メーレル・トラウグストゥス...ふむ。ではメーレルよ、貴様はレード砦近くの廃村に身を潜めていたと歩兵隊から報告が上がっているが、年端もいかん貴様の素性を言ってみせよ」
その問いに、メーレルは覚悟と諦めを決心させた。
「私は...敵国の義勇兵として雇われた傭兵で、戦場では人を殺さず...うぅ...」
また目眩と嗚咽が彼を襲うが、容赦なく裁判官から質疑が浴びせられる。
「貴様は、人を殺していない...と主張するのか?」
メーレルは荒い呼吸と共に目を見開いて、顔を下に向ける。
彼は両腕を抱き抱えるようにして蹲る。
「殺す...勇気がなかった...ただ、それだけで...」
戦果の映像が途切れ途切れに投影される。
治ったと思われた心は、再び引き裂かれるように砕け散った。
「貴様.....なるほど、敵国の兵には死罪を与えるつもりだったが、貴様の素性は義勇兵という立場で裁かれる上に、人を殺していないという主張がある」
5人の裁判官が互いに討論し合う間、メーレルは限界を迎えていた。
堂々巡りの議論の末に編み出された結論は、想像の上をいくものだった。
「メーレル・トラウグストゥス、貴様には情状酌量の余地があると判断し、労役3ヶ月の刑に処す。」
判決が決まると、メーレルは使用人に肩を組まれながら退出させられた。
メーレルは死罪にならなかった驚きよりも、引き裂かれた感情を整理する事に必死だった。
「俺.....死なないのか?」
元の部屋に連れられる間、メーレルは一度だけ判決の事を聞いたが、使用人から返答は無かった。
そのまま無言で部屋に連れられると、先程の娘が入り込んできた。
「貴方が傭兵である事を知って驚きました。一体、何を目的に派遣されてきたのですか?」
容赦なく娘に質問を浴びせられるが、メーレルはただ娘に聞きたかった。
自分の行く末や状況について、まだ何も把握出来ていないのである。
そして、彼は娘に語り始める.....
「俺は.....戦争を経験したんだ。周りは誰も知らない奴だったが、敵の元に辿り着く前に殺された」
自分の奥底に沈んで見える戦場の景色が投影され、メーレルは1人の青年として見た光景を語る。
「敵国の兵士であるのに、生きることを寛容に認められたのが不思議で仕方ないんだ」
判決の結果は、メーレルの人生を大きく左右するものとなった。
しかし、傭兵であろうと敵国の策略に加担した立場である事は依然としてそうだった。
彼は、その結論に深い懐疑を抱いていた。
「なあ君。名前はなんていうんだ?」
メーレルは故郷の時に宿していた気力を半ば取り戻しつつ、娘に質問を投げ返した。
ただ、その娘は答えずに鋭い視線をメーレルに向けているばかりだった。
「頼むから教えてくれないか。君を知りたいんだよ。君は俺という人間をどう見ているんだ?」
メーレルはただ自分を理解して欲しかった。
幼い頃からベルシアという小国で育った彼は、誰にも同情されずに生きてきた。
だから、少しでも誰かに打ち明けたい事があった。
——例え、それが敵国の人間だとしても。
「ふざけないでください.....」
その娘は、俯いた姿勢で小さく呟いた。
「貴方は.....死罪になるべきだったんです.....」
娘は鋭い眼光をメーレルに向けて続ける。
「貴方のことを知った時、私は言い表せない何かを感じました。貴方の仲間は、私の父を殺したんですよ?...」
メーレルの目は見開いて、固まったように娘の顔に向かっている。
その娘は涙を浮かべ、歯を食いしばって彼を睨みつけていた。
祖国を襲う悪魔に復讐を誓うような視線だった。
「私は.....貴方を許せないんです!」
娘はそう叫ぶと、わらわらと泣き始めた。
「俺は.....自分の事だけ.....」
メーレルは、はじめて正気に戻った気がした。
今まで、あたかも自分が世界中の不幸の集大成であるかのように振る舞っていた。
しかし、この悲壮を目の当たりにして、彼の中で何かが動き出した。
「ごめん...本当にごめん...俺は、自分の事しか考えていなかった...君の辛さに気付けなかった...」
メーレルは涙を流しながら謝罪を繰り返す。
「居場所もないまま...戦場に参戦させられて...ただ怖かったんだ...俺は、君のお父さんを...ごめん...」
メーレルはひたすらに泣き出した。
彼の心はその涙で縫い尽くされ、元に戻ったような変化があった。
娘は、その言葉に立ち尽くしていた。
「謝ったって...泣いたって...意味があるものですか...私の気持ちが変わる事は絶対にない...」
そして、メーレルに強く反発した。
「許さなくったっていい...俺は...ただ君が少しでも救われてくれればいいんだ...」
ただ、その言葉はあまりに身勝手で、遂には娘の逆鱗へと触れてしまった。
「勝手なことばっか言わないで!貴方が救われるだけなのよ!馬鹿野郎!」
娘はそういうと駆け足で部屋を飛び出した。
無論、メーレルは後追いをする根性も、体力も残っていなかった。
(許される訳がない...報われる訳がない...)
既に夕暮れの最中、薄暗い部屋で1人考える。
自分の辛さが、痛みが、周りに受け入れられるなんて贅沢に他ならないんだ。
「本当に...ごめんなさい...」
彼に唯一出来る事は、信じることだった。
自分の未来や、彼女の運命もそうだ。
「ただ...報われてほしい...」
自分にも、あの娘にも、いつか報われる日がくると神に誓ったのだ。
彼にとって戦争とは絶望であり、残酷だが、彼の見る世界は戦場によって変えられた。
——メーレルは、酷く成長した。
◇◇◇
——ノック。
「やっぱり居ると信じてましたわ。貴方が重い判決を受けていたら、きっとここには居ないでしょうし」
その時、夜を迎えていた。
突然部屋に入ってきたのは、美麗で背丈も高い貴族のような女だった。
「あんた...誰なんだよ」
それに、メーレルはなんとも言えない表情を見せる。
「あら、随分と正気に戻ったじゃないの。昼間はあんなに狂い笑いしてたのに、どうかしたのかしら?」
彼女は、ベッドの側にある椅子に腰掛ける。
「貴方の中で...きっと何かが変わったのね...」
知ったようにその女は囁いてくる。
「俺を見て何も思わないのか?お前は...」
メーレルは平然を装うその女に、若干の怪しさを感じ始めている。
その女を見ると、全身が疼くような不思議な感覚がするからである。
「貴方の中に在る物は、幻想的ね...」
「どういうことだ?何を知っている?」
その女は、少し口を開いた。
「ミロリーネ・モンカステラ...貴方は帝国の中央貴族を知らないようね。でも、貴方の出自を見れば、それも自然と分かるのよ」
彼女から波紋のように幻想的な空気が広がる。
メーレルは、彼女に対して目を見開いた。
「あんたは...何者なんだよ」
彼は雰囲気に呑まれるが如く、ミロリーネに視線を奪われていく。
メーレルは、唖然として佇んだ。
「モンカステラ家はね、貴方が今思うような不思議な力を宿し、その根源を予知出来るのよ」
そうして暫くお互いは黙り込んだが、メーレルは自分の感情を呟き始めた。
「あんたたちから見たら俺はクズだ。ただそれだけの存在で、偶然生き残っただけなんだ」
そういうと、ミロリーネは首を横に振る。
「貴方は信じれないだけだった。周りに否定されても尚、周りに尽くし続ける自分を、素直に凄めないの」
メーレルの口が震える。
「でもね、それってとても良い事なのよ。だから、貴方は自分を信じるだけで良いの。私は、貴方を否定しようとは思わないから...」
そう言い切ると、彼女は微笑んだ。
何処か彼の中で緊張が解け、ここばかり感情が爆発する様だった。
「怖かったんだ...とにかく怖くて...何も出来ずに周りは居なくなるのに...周りに恨まれるのに...それでも何も出来ない自分が嫌なんだよ!」
メーレルは涙を流し、その言葉の一つ一つに、自分の痛みを込めた。
誰かに理解されることも、誰かと話すことも、決して無いものだと思っていたから。
だから彼は、ここでは我慢出来なかった。
「良いのよ。貴方は優しいわ。優しすぎるのよ。」
ミロリーネは椅子から立ち上がり、メーレルの元に歩み寄ると、そっと抱き寄せた。
それから、メーレルは声を出して泣き出した。
◇◇◇
——朝になった。
教習所で、兵士たちの訓練が行われている。
「本腰入れて振り抜け!戦場で死にたいのか!」
教官の厳しい怒号が辺りに響き渡る。
その傍、メレンシュの街では賑わいのある日常が今日も始まろうとしていた。
「ふぅー、水を汲むのも一苦労ですね...」
娘が井戸水を必死に汲み取ろうとして、顔を突っ込んでみせる。
「うーん!う、うあぁぁ!」
衝撃で井戸に落ち掛けようとした時、背後で何者かが支えてくれた。
「あー...たた...ありがとうございま...!?」
ふと顔を見上げると、そこに居たのは紛れもなくメーレルであった。
彼女は表情を曇らせると、あの時の様な鋭い眼光を向け始める。
「な、なんなんですか...貴方...」
メーレルは真摯な表情で、ただ彼女に問う。
「身勝手な事を言っていた。すまなかった」
そよ風が2人の間を通り過ぎる。
ただ静寂の中、お互いに見つめ合う。
「余計な事を言ったが、君に許されなくても、謝りたかったのは本当なんだ...」
娘は初めて視線の空気を一変させた。
それまで当たりの強かった表情が、その時に和らいだように見えた。
「私...貴方の事が、貴方の辛さや、痛みが、分からないんです。貴方が、私に謝ろうとするのも...」
彼はその言葉を受けて、心残りを無視して平然と返した。
「俺は戦場で死と隣り合わせの恐怖を覚えた。そして、唯一生き残ったんだ。だからこの命を大事にしたい。周りの分まで大切に生きたい...!いや、絶対生きてやるって決めたんだ!」
メーレルはわざと強く微笑んだ。
「私の名前は...ミュリエル...ミュリエルって言うの」
メーレルははじめて声を上げて笑った。
「ミュリエル...本当に良い名前だと思う。俺はメーレル・トラウグストゥスって言うんだ。故郷のベルシアからきたんだ...」
彼女に目に一瞬光が宿り、メーレルを見つめながら言った。
「貴方...ごめんなさい...貴方の感じてきた痛みに気付かなかった...私よりも多くのものを失って恐怖と戦ってきたのに...貴方の事を何も分からなくて、ただ本当に怖かったの...ごめんなさい...」
彼女の目から滴ろうとする涙を、メーレルは優しく手で拭い取った。
彼はもう生きることに決心がついていた。
「辛み痛みは大小で決まらない...俺とお前は色々な物を失って生きてきた...だから言えるんだ。俺達だからこそ前を向ける時もあるって...!」
彼女を見て語りかける...
「あの裁判の判決で俺は働くことになった。この国で最も有名な傭兵になってやる。そしたらシュメイル中の悪い奴らなんざぶった斬って魚の餌にでもしてしまおう!心配なんざしないでくれよ!」
涙を拭い取ったミュリエルは彼の悠々しさに心から感激していた。
彼の前向きな決心は克服を示し、どんな苦境や試練であろうと必ず突破する恩恵を感じる。
——オルムンド南部のエインウィル地方での物語。
「さあ、ミュリエル...」
彼は彼女に呼びかけた。
「あんた...」
思わず彼女の口から出た言葉もあった。
【憩いのオルムンド】
メーレルトラウグストゥス:
▶︎ベルシアを故郷に持つ青年。白い髪をした典型的なベルシア人であるが、頭が良く動きにキレもある事から故郷の村長から戦地行きを余儀なくされた。剣や武器に関しての知識が豊富で、戦場に行く前も幾つかの魔物退治など傭兵の任務に就いていた。この物語で彼という存在は大きく躍進する事になる。
ミュリエル・アルバーニャ:
▶︎シュメイル帝国の宿舎で働いているメイドで、青水髪の挑発に長い耳を持ったエルフ族の彼女は、隠れて亡国の貴族の血を引いている。密かにミロリーネと仲凄まじい関係を持っている。
ミロリーネ・モンカステラ
▶︎シュメイル帝国中央貴族の姫君で、実は最も偉大な権力者の一人でもある。魔術の知識に長けている彼女は他にも政治学や錬金にも精通しており、知識に関してのバリエーションの広さから宮中では最も支持されている。




