第3話 作戦の始動
反撃の準備は整いました。 用意したのは「ネット画像のツギハギで作った権利書」と「100均の欠けたハンコ」。 いよいよ、この毒餌を撒きます。
翌日の昼下がり。
義父母がパチンコに出かけ、義姉の美月が長風呂に入っている隙を見計らい、私は「仕掛け」の確認を行った。
まずは、夫が生前使っていた書斎。
今は義父が我が物顔で占領し、タバコの吸い殻が散乱しているが、デスクの引き出しの配置は変わっていない。
私は一番上の引き出しを少し開け、中を確認する。
そこには、黒い印鑑ケースに入ったハンコが転がっていた。
(……よし、まだ気づいていない)
これは夫の実印――ではない。
夫が亡くなった翌日、私が近所の100円ショップで買ってきた、機械彫りの三文判だ。しかも、印面の縁をカッターで少し削り、欠けさせてある。
本物の実印は、印鑑登録カードと共に、銀行の貸金庫に厳重に保管してある。
だが、金に目の眩んだ人間は、引き出しに入っている「それっぽいハンコ」を見れば、本物だと信じ込むだろう。
次に、寝室のクローゼットの奥。
ここには、ダイヤル式の小型金庫がある。暗証番号は夫の誕生日のままだ。
私は金庫を開け、中に入っている一通の厚い封筒を取り出した。表書きには『不動産権利書』と筆文字で書かれている。
中身を抜き出し、パラパラとめくる。
一見すると、公的な透かしが入った本物の権利証(登記済証)に見える。
だが、これは私が夜な夜なパソコンの画像編集ソフトで作った「作品」だ。
ネットで拾った権利書の画像をツギハギし、厚手の高級紙に印刷したもの。
「ふふ、よくできてる」
私は登記官の印影を指でなぞる。
そこには『東京法務局・練馬“北”出張所』とある。
練馬出張所は実在するが、「北」出張所なんて存在しない。私が適当にでっち上げた架空の役所だ。
さらに、用紙の裏をブラックライトで照らすと、私が遊び心で入れた『GAME OVER』という文字が浮かび上がる仕掛けになっている。
これが、私の撒いた『毒餌』だ。
奴らがこれを本物だと思い込み、偽造の元ネタとして使った瞬間――あるいは、これをそのまま行使しようとした瞬間、それが「決定的な犯罪の証拠」となる。
その時、廊下からドスドスと足音が聞こえてきた。風呂から上がったようだ。
私は慌てて権利書を金庫に戻し、何食わぬ顔でリビングへと向かった。
***
「あーあ、シャンプー切れてんじゃないの? 安いのは髪がキシキシするから嫌なのよねえ」
美月はバスタオル一枚でリビングに入ってくると、スマホを片手にビールを開けた。
その時、彼女のスマホが着信を告げる。
画面を見た瞬間、美月の顔から余裕が消えた。
「……ッ。ちっ、しつこいわね」
彼女は私の視線を気にしながらも、ベランダへと出て電話に出た。
ガラス戸越しだが、声が漏れ聞こえてくる。
『……わかってるわよ! 払うわよ!』
『うるさいなあ、もう少し待ってって言ってるでしょ!』
『今、デカいのが手に入りそうなのよ……そう、土地と家。遺産相続で揉めててさあ』
私はキッチンの陰で息を潜めた。
やっぱりだ。美月には借金がある。
義父母を焚きつけてこの家に転がり込んだのも、家を売って金を作るためだろう。
追い詰められた人間は、判断力が鈍る。私の雑な偽造権利書にも、疑いを持たずに食いつくはずだ。
「お母さん」
背後から、花梨が袖を引いた。
手には、あのボイスレコーダーが握られている。
RECランプが赤く点灯していた。
「……今の電話、録れた?」
私が小声で尋ねると、花梨はコクンと頷き、少し得意げな顔をした。
「網戸の隙間から、バッチリ。『土地と家を売って金にする』って言ってた」
「でかしたわ。……すごい、完璧な証拠よ」
私は娘の頭を撫でた。
花梨はもう、ただ怯えるだけの子供ではない。頼もしい共犯者だ。
その時、美月がベランダから戻ってきた。
苛立った様子でスマホをソファに投げ出し、私を睨みつける。
「おい美智子! あんた、トシアキの遺産、隠してんじゃないでしょうね?」
「え……? 隠すなんて、そんな」
「しらばっくれんじゃないわよ! 権利書よ、権利書! どこにあんのよ!」
美月が私の胸倉を掴みかかる。
花梨が「ひっ」と声を上げて私の後ろに隠れるが、その手はしっかりとレコーダーを握りしめている。
私は怯えたふりをして、視線をわざと泳がせた。
――視線の先は、寝室の方角。
「な、なんのことですか……私は何も……」
「あ? ……ふーん。寝室、ねえ」
美月がニヤリと笑った。
私の演技に、まんまと誘導されたのだ。
「佳代おばあちゃんたちが帰ってきたら、ちょっと『家探し』が必要かもねえ」
美月は私の肩を突き飛ばし、冷蔵庫から二本目のビールを取り出した。
その背中を見ながら、私は心の中で小さくガッツポーズをした。
(かかった)
魚が餌に食いついた。
あとは、釣り上げるタイミングを待つだけだ。
ご覧いただきありがとうございます。
借金で首が回らない義姉は、予想通り「甘い餌」に飛びつきました。 これで舞台は整いました。
次回、義父母も巻き込んだ、狂乱の「家探し」が始まります。 第4話『義姉の焦り』へお進みください!




