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第2話 母の葛藤、娘の泣き声

理不尽な同居生活は、日に日に悪化していきます。 娘の花梨も限界を迎え、泣き出してしまいました。 しかし、母はただ黙って耐えていたわけではありません。

義姉たちが転がり込んでから二週間が過ぎた。  我が家はすでに、私の家であって私の家ではなかった。


「おい美智子! ビールが冷えてないぞ!」


「あ、すみませんお義父さん。すぐに氷を持ってきます」


「まったく気が利かない嫁だねえ。あ、ついでに私の肩も揉んでよ。リビングのソファじゃ腰が痛くなっちゃって」


「……はい、お義母さん」


 私は感情を殺し、ただの「便利な家政婦」として振る舞い続けていた。


 リビングには、美月が持ち込んだ派手な色のクッションや、義父のゴルフ道具が散乱している。夫、敏明(としあき)と選んだシックなインテリアは、見る影もなく蹂躙されていた。


 だが、私が一番許せないのは、自分への扱いではない。  娘、花梨への仕打ちだ。


「ちょっと花梨、あんたそこで何してるの?」


 リビングの隅、ダイニングテーブルの端で宿題を広げていた花梨に、美月が声を荒らげた。


「……宿題。明日提出だから」


「チッ。こっちはこれからテレビでドラマ見ようと思ってんのにさあ。あんたがいると気が散るのよ。どっか行ってくんない?」


「え……でも、私の部屋、おばちゃんが使ってるから……」


「はあ? 口答えすんの? ったく、これだから父親のいない子は躾がなってないって言われるのよ」


 美月がリモコンをテーブルに乱暴に叩きつける。  花梨の小さな背中がびくりと跳ねた。


「……ごめんなさい」


 花梨は教科書とノートを抱え、逃げるように洗面所の方へ走っていった。  私はキッチンのシンクを握りしめ、爪が食い込むほどの力で怒りを抑え込んだ。


 今ここで怒鳴り込んで、美月を殴り飛ばせばスッキリするだろう。  だが、それではダメだ。


 弁護士の言葉が頭をよぎる。『民事不介入』。一時的な喧嘩で終わらせれば、彼らはまた「家族なんだから」と粘着し、泥沼の嫌がらせが続くだけだ。


 確実に、二度と這い上がれないように叩き潰さなければならない。


 深夜一時。  義姉たちの高いいびきが聞こえる中、私はそっと寝室を抜け出した。


 今は私と花梨、二人で六畳の和室に布団を敷いて寝ている。  だが、隣の布団は空だった。


「花梨……?」


 家の中を探すと、洗面所の隅で膝を抱えている娘を見つけた。  洗濯機の横、狭い隙間にうずくまって、声を殺して泣いている。


「……お母さん」


 私に気づいた花梨が、腫れ上がった赤い目を向けた。


「もう嫌だよ……」


「花梨……」


「なんでお母さん、言い返さないの? あいつら、お父さんの写真まで物置にやったんだよ? 私の部屋も取られて、ご飯だって残り物ばっかりで……!」


 花梨の悲痛な訴えが、胸に突き刺さる。


「私、お母さんはもっと強い人だと思ってた。お父さんが死んでも、私が守るって言ったじゃん! 嘘つき!」


 娘の目には、悲しみだけでなく、私への軽蔑の色さえ浮かんでいた。  母親として、これほど辛い瞬間はない。


 今すぐ抱きしめて、「大丈夫よ」と慰めることは簡単だ。でも、甘い言葉だけでは現状は変わらない。


 私は覚悟を決めた。  まだ十歳の子供に背負わせるのは酷かもしれない。けれど、この子は敏明の子だ。きっとわかってくれる。


「花梨」


 私は娘の手を引き、キッチンへと連れて行った。  そして、換気扇のスイッチを「強」に入れる。


 ゴオオオオオ、と排気音が響き、リビングへの音漏れを防ぐ壁となる。  私はしゃがみ込み、花梨の目線の高さに合わせて、真っ直ぐに見つめた。  さっきまでの「弱気な母親」の仮面を外して。


「……よく聞きなさい。お母さんは、あいつらを許したわけじゃない」


「え……?」


 普段とは違う私の低い声に、花梨が涙を止める。


「追い出すだけならいつでもできる。でもね、それじゃダメなの。あいつらはハイエナよ。一度追い払っても、またすぐに戻ってきて私たちを食い物にする」


「じゃあ、どうするの……?」


「檻に入れるのよ」


「檻……?」


 私は花梨の耳元に唇を寄せ、囁いた。


「法律で裁いてもらえるように、わざと泳がせているの。あいつらが調子に乗って、越えてはいけない一線を越えるのを待ってる」


 花梨の瞳が揺れる。理解しようと必死に頭を回転させているのがわかった。


「一線って?」


「犯罪よ。……この家を乗っ取るために、あいつらは必ず何か仕掛けてくる。お母さんはそのための『罠』をもう張ってあるわ」


 私はポケットから、スティック型のボイスレコーダーを取り出した。


「だから花梨、あなたにお願いがあるの。これは、私たち二人の秘密の作戦よ」


「作戦……」


「あなたには『可哀想な姪っ子』を演じてほしい。あいつらに何を言われても、泣いてもいい。でも、心の中では舌を出して笑ってやりなさい。『バカな連中だ』って」


 私はレコーダーを花梨の手に握らせた。


「そして、あいつらが酷いことを言ったり、怪しい話をしていたら、これをこっそり回して。それが、あいつらを刑務所に送る最強の武器になるから」


 花梨は手の中のレコーダーを見つめ、それから私の顔を見た。  その瞳から、先ほどまでの「無力感」が消えていた。  代わりに宿ったのは、目的を持った人間の強い光。


「……刑務所?」


「ええ。二度とここに来られない遠いところへ」


「わかった」


 花梨は涙を袖で乱暴に拭うと、ニッと口の端を吊り上げた。


「私、演劇会の主役やったことあるよ。泣き真似なんて余裕だし」


「頼もしいわね。……ごめんね、巻き込んで」


「ううん。お母さんが弱虫じゃなくてよかった。……私、やる。お父さんの家だもん、絶対守る」


 私たちは換気扇の下、硬く指切りをした。  それは、か弱い母娘が、冷徹な狩人へと生まれ変わった瞬間だった。


「よし、そろそろ戻りましょう。……涙、まだ出る?」


「ん、ちょっと待って」


 花梨は数秒目をつぶり、目頭を揉むと、見事な「泣きべそ顔」を作ってみせた。


「……うう、お母さん、怖いよぉ」


「ふふ、アカデミー賞ものね。その調子よ」


 私たちは目配せをし、換気扇を止めて、静まり返ったリビングへと戻っていった。  闇の中で、私の作った『罠』――本棚の隅に置いたニセの権利書と、机の中に転がした三文判が、獲物がかかるのをじっと待っている。

お読みいただきありがとうございます。


母の本音、そして娘の覚醒です。 泣き寝入りなんてしません。ここから、母娘の演劇(復讐劇)の幕開けです。


次回、具体的にどんな「罠」を仕掛けたのか。その全貌が明らかになります。 第3話『作戦の始動』へお進みください!

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