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8

 首筋に触れた唇にさらは身を硬くした。クリーヴァー王子が背後から抱きしめる。


 強く吸われてちりっと痛みが走った。垂らした髪に王子が頬を寄せるのを感じる。


「望む物があれば言え。叶えてやる」


 彼の持ちものになる代償だ。彼にとっては譲歩だろうか。


 腕を解いて解放して欲しい。そう言えば彼はきっと怒りを露わにする。それがわかるからさらは黙って首を振った。


 逆らわない彼女を王子は振り向かせ、顎をつまんで易く口づけた。貪るようにされるのが嫌で固く歯を閉じたままでいた。舌で割れないそれに焦れたのか、王子はさらの鼻をつまんだ。息が苦しくなり、すぐに彼女は口を開けてしまう。


 深い口づけが続き、意図せずさらは膝から崩れそうになった。長く辛い一日でひどく疲れている。気持ちも体も悲鳴を上げていた。


 そんな彼女を王子はふわりと抱き抱えた。ほっそりとした体が逞しく彼女をベッドへ運んだ。


(嫌だ)


 柔らかな寝具の感触に今後の展開が易く想像できた。


 王子は彼女の上に手をついて覆い被さった。涙を隠せなくなったさらを上から眺めている。


「紙のように白い」


「え」


 王子は一人身を起こした。ベッドを降りて彼女から離れた。さらはちょっとぼんやりと仰向けになったままだったが、すぐに起き上がった。


 彼が戻ってきた。手に果実とパンを持っていた。テーブルに用意されていた食事にあったもののようだ。


 ベッドに腰掛け彼女に差し出した。無言で突き出されたそれらを前にさらは首を振った。食欲が全くない。気分が悪いほどだった。


 青い目が怖いほど見つめるのを感じた。王子の手から果実を受け取り実を一つ口に含む。酸味と甘味が広がった。随分と久しぶりに果物を食べたように思う。ふと瞼が閉じた。


(園の休憩にオレンジを分けてもらって食べたのが、最後……)


 その時の味がなぜか蘇る。イメージに誘われて一つ二つと口に運んだ。それで平和なあの頃と繋がれるようにも感じたのかもしれない。


 王子はパンも彼女の口元に押し付けた。欲しくなくて首を振る。それ以上は強いなかった。行き場のないパンを彼が彼方に放りやった。パンは窓辺の花のそばに落ちた。


 さらの感覚では信じられない行為だった。元の世界でもこちらでも食べ物は労働して得る。空から自然に降ってくるものではない。


 そんな反感が表情にも出たはずだ。彼女はベッドを降りパンを拾いに行った。おまじないのようにふっと息を吹きかけテーブルに戻した。


 その仕草を王子が凝視している。さらは距離を取って腕を抱いて立っていた。


「来い」


 従えば、ベッドに戻りさっきの続きが始まる。嫌だった。ダリアは「火種が尽きるのを待て」と説いたが、その為に堪えなくてはならないものが大き過ぎる。


(容易く言わないで)


 彼の親切はわかる。しかし今はそれも腹立たしい。


 焦れた王子が彼女の側に来た。腕をつかみ半ば引きずるようにベッドに誘った。さっきと違うのはうつ伏せに寝かせ、ドレスのリボンを解いていくことだ。


 下は薄い肌着だけだ。さらは身を縮こませながら抵抗した。抗う彼女を押さえつけ、彼はドレスを剥ぎ取った。


 好む衣装を纏わせてから脱がす。彼にとってさらは大きな人形でしかない。望むまま弄ばれている。


 衣擦れの音がし、彼も衣服を取り去るのが伝わる。身を屈める彼女の背中から抱きしめる。しっかりと彼女の体を包み、


「側にいろ。それでいい」


 と言う。


(え)


 互いに半裸になりベッドに臥して「それでいい」のか。王子の言葉が信じられず、全身を強張らせて緊張していた。


 互いの呼吸だけの静かな時間が流れた。


 粟立ったさらの肌に指を置き、


「お前はどこから来た?」


 と問う。


「ダリアは村の外れで見つけたと言っていたが、その前はどこにいた?」


「……気づいたら、ここに」


「何も覚えていないのは今もそうか?」


 記憶がないのではない。なぜここに来てしまったのかがわからない。


 しかし、自分がいた世界のことを話すのはためらわれた。全くの異世界だ。こちらの人々の理解を超えてしまうに違いない。逆の立場なら、さらもそんな話をする者を信用しないだろう。


 彼女の沈黙を肯定と王子は取ったようだ。


 言葉通り、彼はそれ以上さらを求めることはなかった。いつしか王子は眠ってしまった。一方彼女は目が冴えていた。絡めるように抱かれたままでは眠りなど訪れない。


 それでもうつらうつらとし、浅い眠りを繰り返した。


 朝の気配にさらは目を覚ました。すぐに昨夜の出来事が頭に蘇る。少し頭が痛んだ。


 王子はぐっすり眠っている。弛緩した腕をそろりと抜け出した。ベッドを滑り降り、メイド服を探した。床に落ちたそれを身につける。水差しを使って身だしなみを整えた。ひどく喉が渇いていて、テーブルのお茶の残りを飲んだ。


 持ち場が浴室からクリーヴァー王子付きに変わっただけで、さらはメイドに変わりない。部屋を出て急ぎ足で使用人溜まりに向かった。まだ早朝でミーティングをしている頃だろう。


 メイド服の群れに混じるとほっとする。リリ、ココ、スーがさらを見つけ驚いた顔をした。彼女の手を取り、興味津々に質問が飛びかう。


「盗賊に捕まったと聞いたわ。大丈夫だったの?」


「サラは王子様に無礼を働いて城を追い出されたとも聞いたのよ。平気なの」


「お使いで外へ出てそのまま逃げたのだと言う人もいたわ。心配したわ」

 

 三通りの噂のいずれもさらを悪く言うものだ。王子付きになったことでやっかまれているのがわかる。それらを伝える彼女らの真意も根っこではどうかは知れない。しかし、その真偽を詮索する意図も余裕もさらにはない。


 メイド頭のリビエの指示で、さらは王子の身の回りの仕事を割り振られた。衣服の洗濯から部屋の掃除までだ。住居区のメイドらに洗濯を習った。衣装の用意、ブーツや銃剣の類は王子の従僕の範囲だという。


 手を動かせば結果のわかる仕事は心が落ち着いた。シャツのシミは薄くなるしプレスをかけた衣類はピンと美しく整う。


 大食堂で皆んなで食べる朝食も喉を通った。スープはおかわりしたほど。


 食後、洗濯物を干していると大声で呼びつけられた。


「サラ!」


 苛立って怒りが滲むクリーヴァー王子の声だ。周囲の空気が凍り、誰もが手を止め慎ましく控えた。


 恐々さらが顔を向ける。王子は洗濯場の入り口に立っていた。起き抜けといった風情のしどけないローブ姿だ。癇性を剥き出しにした我がままな少年がそこにいる。


 しかし、さらを簡単に服従させるほど逞しく、秀麗な顔も遠目ほど幼くはない。


 王子は裸足だった。手を止めたままの彼女の側に来ると、腕をつかむ。予想できる乱暴な仕草だった。


「側にいろと言った」


「わたしはメイドです。仕事があります」


「勝手に消えるな」


 王子はさらを洗濯場から連れ出した。廊下を挟み庭へ出る。どことも目的がないようだ。苛立ちのままそうしている。


 と、木の梢で足を止めた。幹に彼女の背を押しつける。身を伏せて口づけた。さらよりずっと上背がある。彼は彼女を封じる体制を取るのがとても上手い。腕や腰に回った手が自由を許さない。


(女にこんな風にすることに慣れている)


 そのターゲットに選ばれた自分の今を惨めに思った。彼の気が済むまで耐えるしかない。


 涙が溜まる目の端に白いものが映った。それは誰かの衣服ですぐにダリアのシャツだと知れた。庭に出た彼が、クリーヴァー王子の破廉恥を見つけ呆れているのが目に入る。


(堪らない……)


 さらは空いた片方の手で懸命に王子の胸を押した。彼女の抵抗にやや唇が離れる。


「嫌、……もう止めて」


 さらの懇願を眺め最後に額にキスをした。


「許しなく離れるな」


 彼の喉がこくんと動く。

 

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