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6

 浴室を飛び出し、さらは元の持ち場に戻った。


 案の定リリ、ココ、スーの質問攻めにあう。


「クリーヴァー王子様は何をおっしゃったの?」


「クリーヴァー王子様はどうなさったの?」


「クリーヴァー王子様は何か下さった?」


 それらが一度に浴びせられる。


 さらは苦い思いを飲み込んで彼女達のノリに合わせようとしたが、気持ちが波立って上手くいかなかった。作り笑いに失敗し顔を伏せた。


 泣き出したさらに何かを感じたようで、彼女らの声の調子も落ちた。


「お客様やその従者に泣かされたメイドの話は聞くわね」


「蜂に刺されたと思って割り切るしかないと言うけど、そんな簡単じゃないわよね」


「貴人の気まぐれは痛く刺さるけど、一度きりのものよ。もうないわ」


 口々に慰めてくれる。芯に迫るものはないが、寄り添ってくれる彼女らの気持ちが嬉しかった。


 普段朗らかなこの三人にも棘のように残る記憶もあるのかもしれない。ちらりとそう思った。もちろん詮索はしない。


「ありがとう」


 それだけを返し涙を拭った。メイドに悲嘆に暮れている時間も余裕もないのだから。


 昼食時のことだ。食堂でいつも通り配膳に並んでいると、さらの側に小走りにやって来る人物がいた。ジジだった。


「薄汚い間諜め。恥を知れ」


 そう罵るとさらの頬を平手でしたたかにぶった。いきなりのことで避けようもなかった。よろけて床に倒れ込む。


 出来事にざわめきが広がった。さらが立ち上がる前に、ジジは彼女の腰を靴先で蹴りつけた。痛みに呻き声がもれた。


 リリがジジの右腕をつかみ、ココが左腕をつかんだ。スーはさらとの間に割って入り防いでくれた。


 管理官もやって来てジジは連れ去られて行った。その背に向かい、リリ、ココ、スーが舌を出している。


「ジジったらきっと残業よ。夜間見回りもさせられるわ」


 幸い大したことはなく怪我とも言えなかった。ただ衝撃でぼんやりした。彼女にそうされる訳がわからない。


 気を取り直し温かな食事で和んだ。そこへ管理官がやって来る。ジジだけでなく被害者のさらにもお小言があるのかとげんなりとなった。


 パンをちぎる手を止め言葉を待つと、管理官は神経質そうな顔をさらに向ける。


「今後、クリーヴァー王子様のお世話をサラが担当するように。ありがたくも王子様たってのご希望だそうだ。食事の後でいいとのお言葉だ。さすがに高貴なお育ちだけあって慈悲に満ちたご配慮だ」


 管理官の言葉にさらたちは顔を見合わせた。ジジの襲撃に遭った理由が腑に落ちた。王子のお付きは彼女だった。それが彼の気まぐれでさらに変更となった。


 それが彼女の吐き捨てた『薄汚い間諜め、恥を知れ』につながる。初めて会った日も、ジジはさらを「敵国の兵士たちに乱暴されて捨てられた…」と決めつけていた。『間諜云々』はその流れからの発想かもしれない。


 昼食休憩が済み、リリ、ココ、スーたちとは持ち場が分かれた。さらはそれが寂しくて気が沈んでしょうがない。彼女たちとの柔らかい空気感があったからこそ、この世界で耐えてこられたのに。


 重い足取りで王子の居室へ向かった。途中家族付きのメイドから王子が庭の噴水前にいると告げられる。さらはそちらへ向かった。


 すぐに室内に二人にされないだけましに思えた。


 噴水前には王子の他にダリアの姿もあった。二人は親しく歓談している。以前さらを救った時もダリアは王子に手厳しい言葉を投げていた。それが許されるのは余程近しい仲なのだろうと思われる。


 二人からやや離れ控えた。いつしかぬれた服も乾いていた。さらの視線は遠慮がちながらダリアに注がれた。陽光の中彼は端正に輝いて映えた。黒いシャツが風にふわりと揺れるのさえ眩しい。


 ふと、王子が彼女へ振り返った。手招きをする。


 用を聞くため彼女は背後に立った。


 その彼女の手を彼が不意に取った。引き寄せて手を握る。その行動にさらは気が動転した。ダリアの前だ。


「君に許しをもらわなくては。彼女をもらい受けたい」


「は」


 ダリアは虚をつかれたようだった。異物を見つけたように王子の側のさらを眺めた。


 さらは彼の反応を待った。先日の王子の行動を諌めてくれたように、再び彼が王子の気まぐれな衝動を止めてくれるのを待った。


 一瞬彼女と合った目を彼は逸らした。少し逡巡するように顎に指を置いた。


「お側に置かれるおつもりで?」


 王子は頷く。


 少し緩んだ隙にさらは自分から手を外した。前で重ねたその手を彼は無造作に再び握った。今度はやや乱暴に。


 さらは苦いものを飲み込んでもう手を解かなかった。


 ダリアは彼女を見た。


「サラは過去を失念している。城に留め置いたのもその記憶が戻るまでの措置のつもりだった。気の毒に拐われて、家族が探している身の上なのかもしれない。お気に召したのはわかるが、状況が落ち着くまでお待ちいただけないか?」


 ダリアの言葉はやはりさらを思いやるものだった。王子の意向を敬遠しやんわり拒絶してくれている。


(名前も覚えてくれていた)


 きついほどに王子に手をつかまれていながらも、ダリアの佇まいは目を奪う。その優しさにどうしてもさらは胸がときめいた。


「拐われた娘が僕のものになっているのなら、家族にも僥倖じゃないか」


「ご寵愛が変わらなければ確かに。……宮殿の他の女方がご不快なのでは?」


 王子は薄く笑って返事に代えた。気にも留めていないようだ。


「身元が知れない女には君の許しも要らないことになる。決まりだ」


 傲然と王子は言い放った。


 やっとさらは手を解かれ、もう片方の手でやや痺れる手首を包んだ。すでに王子はこの後の予定のことをダリアに問うていた。二人はこの後馬で狩りに出るようだった。さらのことなど今は使わない荷物のように放り出した体だ。

 

 ダリアも王子を相手にこれ以上翻意を促すこともない。彼の気まぐれに従うのは今回が初めてではないのが、やり取りからも見て取れる。


 ダリアと共に去りかけた王子だが、ふとさらを振り返った。深い青の目が彼女を見つめる。それが薄い笑顔と相まって酷薄に映った。


「感謝をまだもらっていない」


 この人は気まぐれに彼女の自由を強引に封じ、唇を奪った。更に側に置いて好きに扱おうとしている。


 「感謝を……」の言葉に今後の自分の姿がちらついた。光景が頭に沁みるにつれ、絶望の混じった屈辱感が込み上げた。


 どうしても彼への感謝など言葉にならなかった。


 返事を期待しないのか、王子は身を翻しそのまま彼女の前から去った。


 どれだけ立ち尽くしていたのか。噴水の水音に我に帰る。


 ここに来て以来の習い性で浴室に向かいかけて、足を止めた。管理官から告げられた通りに彼女はもう浴室担当のメイドではなかった。


 王子付きのメイドになったが、何をすべきかもわからない。メイド頭のリビエに伺いを立てに行こうかとも考えたが、馬鹿らしくなった。当の王子が不在な今、彼のために尽くしてやる意味を感じない。


 ぽっかりと自由ができた。


 何の当てもない。ただ城にいたくないと思った。


 この世界に紛れ込んで以来、ここに属していれば守られていると感じていられたのに。ダリアからもそれを許され、床に這いつくばって働きながらもどこか安穏としていられた。


(もう守ってもらえない)


 王子の専横をダリアが阻む意思は見られなかった。いや、もう十分に咎め立ててくれた。これ以上は無理なのだろう。さらたちメイドにはダリアは貴人だが、王子の身分はそれを更に凌駕する。所詮はメイドで、その処遇はきっと紙のように軽い。


 彼女は何も考えずにただ足を動かし続けた。内区を出て表区に至ったが、メイド姿の彼女は怪しまれることもない。貴人の用事で城外へ出る者などあるのだから。


 いつしか堀を渡り村への道を辿っていた。そこで思いつく。


(前の草むらに戻れば、元の世界に帰れるかもしれない)


 今までどうして気づけなかったのかと思うほど、当たり前の発想だ。ふと気持ちが軽くなる。


 夢中になって歩いた。ところどころ走り、足がくたびれる頃にそれらしき場所に着いた。城へは馬に乗ったのだから、徒歩では遠いのも当然だった。


 何もない草むらだ。そこに足を踏み入れても何も起こらない。場所を変え周辺を移動した。それでも変化はない。


 来た時と何が違うのか。


 指が白くなるほど唇に押し当てた。風に乗り草の青っぽい匂いが漂う。立つのに疲れ、さらはしゃがみ込んだ。顔を手で覆い懸命に念じた。


(帰して、わたしを帰して下さい……!)


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