エピローグ 水底の宝物
リヴは浜辺にいた。
彼から後方に距離を置き近衛が数人控えている。
曇天の空の下、彼は波打ち際を歩いた。風が髪を乱し首のスカーフを流した。
凪いだ波がひたひたと彼の足元に寄せては返す。ふと、白いレースのような波の中に目を引くものを見つけた。
屈んで手を伸ばした。指がつまんだのは金の腕輪だった。銀の装飾がされたそれに見覚えがあった。仔細に見るが、間違いがない。
確かに二つの腕輪の片割れだった。
彼は過去にそれをベロの邸の裏の崖から海に投げ捨てた。自身の身代わりになって死んだサラを悼んだのではない。
ある目的を持ってそうした。
(帰ってきた……)
リヴはそれを拾い立ち上がった。手の中で弄ぶ。
邸を出て王宮に帰還してからの彼は、王の指示のもと他出することが多かった。諸侯の領地を回り、後継者としての権威と存在感を周知させる。他、国を知らない彼の為に世間を見せる意味もあった。
そんな旅の日々にある人物に会った。上品な出立の男で、自らを「砂」と名乗った。年齢も不詳で幾つにも見えた。特徴のない、誰でもあるかのような顔をしていた。その男の顔をリヴはもう思い出せない。
とびきり高貴な口数の少ない陰気な少年とその不思議な男は、ある邸で会話を持った。
「必ずとは言いませんが、あなたの願いを叶えることが出来るかと……」
砂は、リヴの中の癒えない傷と喪失をのぞいたのかもしれない。彼は男を信用しなかったし、心を見抜くような目が不快でさえあった。
しかし、砂の話に引き込まれたのは、妙に耳に残る声と「必ずとは言いませんが」という前置きだった。そんな前置きをして彼の気を引く人物は周囲にいなかったから。
「金の腕輪を二つ。一つはあなたのお印を入れ、もう一つは紋様はこのように……」
砂はリヴの前で紙にさらさらと図案を描いた。判読不明の文字のような記号のようなもの。それを銀で刻ませた腕輪を作れ、と言った。
「作らせてどうする?」
「その令嬢を失った場所で、紋様の方を投げればいいのです。片方はあなたが身に付けて下さい。半年ほどはずっと」
「それだけでいいのか?」
「はい。必ずとは言いませんが……」
それでサラを取り戻すことが出来るという。
人に命じて程なく二つの腕輪が出来上がった。一つは自分の左腕に付け、もう一つは砂の言う通りにベロの邸裏から崖に投げた。
砂の言葉で印象的だったのは、
「願いが成就の暁には、腕輪があなたの元に帰ってきます」
だ。
その証が、今リヴの手の中にある。
二年前、訪れたセレヴィアでサラに瓜二つの女を見つけた。あの心の昂りは今もはっきりと思い出せる。同じ顔、同じ声。しかし、それが彼を全身で拒否していた。
「必ずとは言いませんが」の前置きの意味はこれかと、脱力する思いだった。
それでも良かった。姿が同じなら、側に置く意味がある。どうしようもなく彼女に惹かれた。
器だけだったはずが、ある時その中にサラが入った。彼女の中のサラが目覚めたと言った方がいいかもしれない。
(サラの魂が入る器として彼女は必要だったのだろう)
「元からいたさらは……わたしは、外から来たの。こことは違う世界。ある時、どうしてだかこちらに紛れ込んでしまって…」。
「……元いた世界では女性も仕事をする人が多いの。わたしも子供のお世話をする仕事をしていたわ。友人もいて、一人でもそれなりに楽しく暮らしていたの」。
彼女の突飛な説明も、砂との会話があったからリヴは納得することができた。砂の術が彼女を呼んだ。外から来た彼女はサラと溶け合って一つになった。
サラでもあるが、別な人格をほのかに感じることもある。彼女はサラよりのんびり屋だと思う。二人して寝坊した朝、公式の予定があって彼が慌てていても、彼女は半裸で彼の知らない歌を口ずさみながらシャツを着せてくれる。
サラだの彼女だの区別なく、全てが愛おしい。
現れた腕輪を見るまでもなく、願いは成就した。もう片方は今もサラの腕にある。
砂が言ったことはもう一つあった。帰ってきた腕輪のことだ。
「ご令嬢に差し上げると良いでしょう。元の場所に戻る時に必要になります。ないと片方の腕輪との絆が切れずに、向こうで落ち着けないのです」
サラは言っていた。死んでもこちらに戻ってくる、と。
(あれは、腕輪がないから)
だから、何度も呼ばれてしまう。
リヴは腕輪をズボンのポケットに入れた。そのまま滞在先の邸へ戻った。もうサラは午睡から目覚めているだろう。
邸に入ってすぐに雨が降り出した。居間には暖炉に火が入っていて、彼はその中に腕輪をぽんと投げ入れた。眺めているうちに、純度の高い金が火に焼かれ歪み、紋様を消し一塊にした。
使用人が翌朝金属の塊を見つけても、原型もなくそれはもう彼とは関わりがない。
居間を出て階段を上がった。サラは寝室にいる。
彼女は彼の子をみごもっていて、腹部の膨らみがやや目立ってきた今もつわりに苦しんでいる。海に近いこの邸に来たのは、サラの気分転換が理由だ。
寝室のベッドに彼女は横になっていた。彼を見て微笑んだ。手を伸ばす。
結わない髪がやや乱れしどけない。元々可憐な人だったが、妻になってから清楚な美しさが増したように思う。愛おしさが募って、時に彼女を彼だけの場所に閉じ込めてしまいたくなる。
「冷たい手」
サラがリヴの手を握った。
「浜辺は寒かったのではない? 天気が良かったら、行きたいけれど」
「雨だ。君は今日は出ない方がいい。体に触るから」
「起きあがろうとすると、眩暈もするの。せっかく海の側にいるのに、ここに来た意味がない気がするわ」
「無理しなくていい。海なんかベロの邸で見慣れているだろ。明日気分が良ければ、僕と一緒に行こう」
彼はそう言い髪を指に絡め、彼女の頬に口づけた。




