12
向かいながら、セレヴィアに来て学校に落ち着くまでを話した。
主にさらが王子の質問に答える形で話した。その間に彼は馬の手綱を放し、また馬はどこかに遊びに行ってしまった。
彼は相槌もなく貪るようにさらの声に耳を傾けていた。話の何かが機嫌を損ねたのかと心配になったほどだ。
さらが話し終えてしばらくした後。
「婆やが君に気づかなければ、ずっと隠れているつもりだった?」
声に溜めた怒りを感じる。さらには言い分もあるが、王子の感情も納得がいく。
王子がセレヴィアに来るという偶然がなければ、再会はなかった。彼には彼女の行動が歯がゆいどころではない。
「リヴ……、わたしは前のサラではないの」
「どうして? 何も変わらない。そのままの姉やだ」
不意に耳に飛び込んだ「姉や」が懐かしくもくすぐったい。王子は彼女の手に触れ腕をつかみ、髪を指に絡め抱き寄せた。
さらにもこの世界の常識として未婚の男女には厳しい距離があることを知っている。他人の目のある中、彼の振る舞いは許されない。のどかな草原だが、どこに人目があるかしれない。
さら自身はともかく、王子によからぬ噂が立つことを恐れた。
「駄目よ、リヴ。止めて」
彼女の制止に彼は腕を解いた。彼女が嫌がることは強いない。そんなところは邸の頃の彼と変わらない。手を繋ぐに留め歩を進める。
「ねえ、あなたの話を聞かせて。わたしの知らないことを」
王子はさらにねだられて再会までの時間について語った。王宮に連れ戻されたことから始まり、王妃が離宮に移されたこと、彼の母が妃の位を得たこと……、それらを伝えた。
ダリアや婆やから聞いたものとかぶるが、彼自身から聞くことが大事だった。
「ダリア様はあなたが摂政殿下になると教えて下さったの。どういう意味?」
「その場でダリアに聞けばいいのに」
「それは……、いい方だけれど、そんなに気安くお話できる感じじゃないの」
王子はちょっと笑った。
「父の補佐役のようなものだよ。王子がその役に就いていると対外的に見栄えがいいらしい。よくわからない、とにかく父がそう望んだから」
「そう。すごいのね。あの……、離宮に王妃様が移られた後、あなたのお兄様の第一王子様はどうなさったの?」
これまで聞いた話では、王宮に帰った王子は待遇ががらりと変わり、陽の目を浴びている。しかし、彼の異母兄の第一王子はどうしたのか。
「母の王妃と共に離宮に移ったと聞く。そちらの方が人目もなく自由に過ごせて療養にもいいらしいよ」
「お会いしないの?」と聞きかかけて、言葉を飲み込んだ。
今でこそ王子は安全な環境にあるが、サラが知る頃の彼は命を狙われていた。その兄の母親に。
同じ後宮にあっても王子とその母のエイミは孤立していた。兄弟として家族としても、情はさらの想像するものとは異なるだろう。
二人が森入り口に着いた頃、馬が帰ったきた。撫ぜてほしげに顔を王子に擦り付けている。馬のこんな仕草を見たのは初めてだ。
「可愛い。名前は?」
「サラ」
王子は彼女を見つめた。
手綱を木に結び、さらの手を取った。
洞窟はひんやりとしていた。薄暗い内部は王子の言ったように岩壁が青みを帯びていた。ひどく静かで声がよく響いた。それでちょっと神秘的な雰囲気もする。
「気分を害した?」
「え」
「馬に君の名をつけたから」
「そんなことない」
「……「前のサラではない」とは、どう言う意味?」
「それは……」
どう説明しようか迷い、言い淀んだ。
「他に誰かいるの? 君が選んだ他の誰かが…」
洞窟の中で王子の声が響く。深刻な効果が生まれたその言葉をさらは驚いて聞いていた。
「生きているのに僕から隠れていた理由がわからない。本当は君にとても怒っていた。でももうどうでもいい」
王子はさらの前に立ち小首を傾げて彼女を見た。そうするのは前より彼女との目線が離れてしまったからだ。ほっそりとした首から肩の線がまだ十五歳の頃の彼と通う気がする。
そこに見えないはずの傷を幾つも感じてさらは胸が痛んだ。サラを失った傷は癒えず、そのことで更に増した痛みもある。
「君の心にもう僕はいないの?」
眼差しの伝える感情は、怒りより悲しみだった。
その痛々しさにさらは自分から彼に腕を回した。
王子が傷ついているのを見ると、彼女自身がそのように感じる。堪らない。
「リヴ、違うの。そうではないの」
「じゃあ、姉やはなぜ……?」
彼の声は涙につぶれていた。泣かせていることが辛くて、さらは顔を上げて指で彼の頬を拭った。
彼女のその手をつかみ、王子はやや強引に口づけた。触れた唇の感覚や息づかい、その温もりまでもさらには既知感がある。
(夜毎彼とこうしていた)
互いの気配で二人はもう出会っていた。
長く続きそうなそれをさらの方が止めた。なじんだ触れ合いは心地よく、流されていきそうでどこか怖かった。
彼女は彼の前に左の手首を差し出した。同じものが彼の左手にもある。
「目が覚めた時から腕にあったの。……リヴが海に投げたのでしょう? 婆やから聞いたわ」
彼はさらの手を取り洞窟の外に促した。陽の光で腕輪を仔細に眺めている。自分の腕のものと交互に見比べた。
「違う。崖から投げたものには君の名が入っていた。これはに僕の印がある」
「え」
王子が腕輪のある部分を指し示した。そこにはXを獅子と杖で装飾した文字がある。これまで気にも留めなかった箇所だ。
「見て」
王子は自分の腕輪をさらのそれに並べて見せた。さらの腕のものは力で曲げられ輪が狭まっている。これは彼女の腕に合わせるように『セレヴィア点』の王子がそう曲げた。しかし、王子を示すという獅子と杖のXの刻印は同じ。
さらは小さい悲鳴が出た。
(これはリヴの腕輪!)
『セレヴィア点』でさらに属し、元の世界に帰っても彼女の元に戻った。二度目のトリップでも時空を超え離れることはなかった。
唯一のものが時間のねじれで二つ同じ時に存在する。
「わたしは死んだの。あなたも見たでしょう? なのに、また目が覚めた。その時これが腕にあって……、邸の襲撃から二年も経っていたの」
「だから「前のサラではない」と言うの?」
それにさらは返事ができない。
さらとサラ。ふと、腕輪と同じではないかとも思う。それぞれその時代唯一の存在が、時空の作用で同じ時に存在する。腕輪と同じく、さらもサラも元は同じなのではないか。
二人の意識が混じり合ったのではなく、
(元から一つ)
さらの意識はサラのものでもあり、その逆も然り。
(サラはわたしだった……?)
崖から落ち体を離れたサラの魂が、時空をさまようさらに引き寄せられたとすれば、彼女の体にその意識が混じりそうにも思う。
それ以上のことは彼女にはわからない。魂の概念を弄ぶだけのものになりそうだ。
サラの意識と彼女が捉えていたものすら、もしかしたらなかったのかもしれない。あったのはその過去の記憶。それから引き出されたさらの意識……。
「君があの崖で死んだのも、記憶にしかない。その記憶を絶対だと認めるのは止めよう。大きな誤りかもしれない」
王子は彼女を抱きしめながら言う。手紙に書いていた彼の説だ。
過去がそんなあやふやなものならば、悔やむことも罪悪感も必要がなくなる。彼女にとって『セレヴィア点』も過去だ。その中の王子も記憶でしかなくなる。
「わたしたちが過ごしたあの邸の思い出も?」
「大事な記憶は取っておけばいい。婆やは、サラが生きていたことを『天の御業』と片付けていた。簡単でいいじゃないか」
さらは彼の腕の中で頷いた。
そして二人を包む心地いい膜を破るように彼の腕を解いた。
「サラ、覚えている? 僕の言葉を」
「なあに?」
さらは知っていた。彼が確かめたがる言葉を。とぼけて問い返すのは、もう一度口にしてほしいから。
「君を妻にしたい。王子を降りることは許されないけど、生涯愛するのは君だけだ」
眼差しの強さ、声の確かさが心を打った。目に映る眩しい彼をさらは瞬きもせずに見つめた。高鳴るのは心が逸るから。
ときめくから。
王子はじき十八歳になる。
(まだ未成年……)
今のさらの体はサラを引き継いで二十歳だ。王子と同じくじき年を重ねる。しかし、さらの意識は元の世界から引きずる実年齢の二十四歳。
(七つも年下の少年に……)
と今しがたまでのあれこれを思い、悩ましい。さらの感覚ではしっかり犯罪だ。
「答えをくれないの?」
焦れた王子の声にさらは、うつむきつつ返す。
「……縁談があると聞いたわ」
「断る。父が勧めているだけだ」
「陛下はお怒りにならない?」
「構わない」
彼女にはためらいがあった。
王子の熱に押され流されているのではないかという不安だ。そしてこの感覚も既知のものだ。
『邸点』で彼から求婚された際も同じ不安を思った。自分の心を置き去りにしているのではないか、と。
迷いとは別に確かな思いも湧いている。
(リヴとの未来を選べば、『セレヴィア点』での彼は生まれない)




