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黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって  作者: 帆々
君を通して色が変わる

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9

 さらは考え続けた。


(会えない)


 と決断したのちに、


(でも……)


 と意思が翻った。それはさらとサラの気持ちの綱引きではない。混じり合った二人が揺れている。


 不可思議だったのは、王子の縁談に傷ついたことだ。


 サラの彼への感情は母性的な愛情が強かったはず。やや性急な彼の気持ちを受け入れたのは、愛情に同情が加わった為。恋の要素があったかも疑わしい。


 自然に彼の側で、彼を見守り月日を送るのだと感じていた。年と共に彼の求めるものが深くなれば、女として応える覚悟もあった。妻だとかそれに準じた立場だとか、その形式を考えたことはなかった。


(リヴの望むように)


 婆やは「そこまで尽くした」と表現したが、サラに自己犠牲感は乏しかった。単純に「守りたい」それだけだった。


 サラが去り、王子は必要に応じ妻を迎える。そこに心がささくれて痛むのはなぜだろう。恋でもないのに嫉妬が働き反応するのは独占欲だろうか。


(「自分だけがリヴの一番」のような?)


 彼の側から永久に消えた彼女にその権利はない。悔しくても彼のこれからを認めなくては。


(「悔しくても」?)


 思い出したが、『セレヴィア点』で確かダリアが指摘したことがあった。それは王子がさらを気に入り自分のものにしたいと告げた時だ。ダリアはそれに渋い顔を見せた。


「宮殿の他の女方がご不快なのでは?」。


 と言って王子を諌めた。


「他の女方」の表現は複数を示す。一人ではない。


 あの時二十歳を過ぎた彼には何人もの女性がいたことになる。その中の一人が今度の縁談の相手だったのかもしれない。


(ふうん)


 当時のさらは王子にその中の一人にされることを恐れていた。彼の浮気な気持ちはすぐに枯れ、彼女は打ち捨てられるだろうから、と怖さでいっぱいだった。だから「他の女方」を記憶に留めていた。


 今更に思い至った事実にさらの内面は複雑だった。


 王子のサラへの純愛を知り、そこに彼の美しさも一途さも見ていた。心象は良くなっていた。なのに「他の女方」の存在がそれをざっくりと損ねている。


 仕事終わりにアンとお茶をした。里親希望のお客の感触は良かったようで、彼女は喜んでいた。さらもそれを聞き嬉しかった。


「今日、あなたにもお客があったそうね。楽しい話題だった?」


「どうかしら」


 いつものように手紙に向かいペンを取ったアンが顔を上げた。さらの返した声が普段になく尖っていたからだ。そのまま彼女はアンに声をかけて自室に下がった。


 一人になりベッドに腰を下ろした。


 まるで待っていたかのようなタイミングで、ふわりといつもの気配が彼女の肩を包んでいく。他者がいたり、忙しい時には現れない。さらの意識のゆとりをついてそれはやって来る。


 その気配はこの頃、不思議な実感を伴っている。


 ふわりと触れられ包まれると、いつしかうっとりと身を委ねてしまう。ふと自分がもらす吐息に気づいた時にこれは自慰行為だと知った。


 夢の入り口まで気配と戯れることが増えた。誰を思い描くのでもない。その時間は思考はとろりと溶けている。


 幻想の快楽は彼女が抗うよりも早く心に忍び込んだ。そして束の間満たして癒してくれる。


(悪いことではないけれど)


 その刹那に耽っている自分をやんわり恥じていた。


 しかし、誰が咎めるというのか、と居直っている自分も別にいた。


 この夜も解いた髪を絡めるようにそれは流れた。頬に触れ唇を辿るところで首を振り、さらはそれを手で払った。


「止めて。あっちへ行って」


 一瞬でそれが収縮したのがわかる。まるで叱られた子犬だ。しばらく留まったが、そのうち消え去った。




 婆やへの返事はすぐに書けなかった。


「どうかお会いになって下さいませ」。


 婆やはそう説いたが、さらの気持ちも伝えてある。返事が来なくても勝手に彼女の存在を告げることはしないはず。


(そのうちに王子一行は帰っていく)


 そんな風に逃げの思考が心を占め出した。


 「会う」とも言い難いが、拒否もし辛いのが本音だった。腕輪の件を知ればなおのことだ。


 二つ作った腕輪の片方をサラの死んだ海に投げた。彼なりの弔いとサラへの思いの整理にも感じられる。そこには真心しか匂わない。


 のち『セレヴィア点』で王子は残ったもう一つの腕輪をさらに投げて寄越す。サラに似たさらに執着した彼がサラ因縁の腕輪をさらに渡す……。


 さらをサラと定めてのことか。単純に女への贈り物に手近なものを投げてやっただけなのかも。


 王子にしか真意はわからないし、それを知ることにも意味もないだろう。『セレヴィア点』はさらには過去だ。もう帰ることもない。


 婆やと会って三日が過ぎた。


 子供たちはおやつの後で外へ遊びに出て行った。さらはアンと共に届いた荷を見ていた。アンへ彼女の援助者の「伯爵」からのものだ。子供たち用に可愛い帽子や靴がぎっしりと詰まっている。


 それとは別に女性物のきれいなショールが添えられてあった。間違いなくアンへのものだ。


「使い道がないわ」


 と照れながらもアンは嬉しそうだ。さらが肩に掛けてやると頬を緩ませている。これも代理人が気を利かせたとも判断できるが、「伯爵」その人の指示なのでは、とさらは思う。


(『あしながおじさん』のジュディもおじさんに色々プレゼントをもらっていたものね)


 続いて荷の整理をしていると、外から子供たちが呼ぶ。


「馬が来たよ。馬が来た」


 その声にアンと一緒に顔を見合わせた。お客かもしれない。アンが窓辺に寄り外をのぞいた。


 学校に誰かがやって来るのは子供達にとって非日常だ。馬の気配に興奮し、飛んだり跳ねたりしている。


 ほどなく、さらの耳にも馬の気配が届いた。


「失礼。どなたか出ていただけないか?」


 戸外から男性の呼び声がかかった。


 「はい」とそれに返事をしてアンが玄関に回って行く。窓から外の人声が入ってくる。数人いるようだ。


 アンが急足で居間に戻ってきた。頬が赤い。子供たちのように彼女も興奮しているのがわかる。


「キジンよ! 遠乗りのついでにお寄りになったの。喉が渇いたらしくって、水を望まれているわ。手伝って」


 アンはさらの手を引いて厨房に急ぐ。その勢いに引きずられてさらはつまずきかけた。


「果実のシロップがあったわね。あれをお出ししましょう。グラスを出して」


「ええ」


 果実のシロップはさらが子供たちのおやつに作り置いているものだ。水や牛乳で割って与えると喜んで飲んでくれる。


 果実は援助で頻繁に届けられる。シロップ自体少々煮込めば仕上がるもので惜しむものでもない。グラスにシロップを入れ水で希釈する。さらは何となく思いついて、果実の余りをあしらうようにグラスに添えた。


 アンは盆に蒸しパンの残りも載せた。それを手に持ち厨房を出て行く。振り返り、


「サラもいらっしゃいよ。キジンよ」


 さらは「キジン」に会いたくもない。アンの言葉づかいからセレヴィアの有力者なのは知れた。学校運営に地元の彼らの機嫌は損ねられない。アンの対応も飲み込めた。


 さらは断って後片付けを引き受けた。それが終わる頃だ。


「ねえ、ちょっとサラ」


 再びアンが厨房に戻ってきた。盆を胸に抱き、


「キジンが、さっきの品を作ったのは誰かとお尋ねなの。お口に合ったようね。あなた出てくれない?」


「アンが作った、で済むのに」


「駄目よ。子供たちの手前、嘘はつけないわ」


 面倒だな、と思いつつエプロンで手を拭いていると、廊下を歩く硬い靴音がした。明らかに男性の乗馬用ブーツだ。


 半開きの厨房のドアをその人物がノックした。さらはアンの陰で男性の姿が見えなかった。


「失礼、先ほどの答えをいただけないか? どちらも非常に美味だった。誰が作ったのか知りたいとお待ちかねでいらっしゃる」


「それは、彼女です」


 アンがさらの手を引いた。期せずして男性の前に出ることになった。青い肩飾りの付いた優美な上着を纏っている。


「名前は?」


 さらが答えかけたところで、アンがそれを遮った。彼女の前に進み出てきっぱりと答えた。


「勘違いをなさっているようですわ。彼女は厚意でこの仕事を手伝ってくれているレディです。使用人ではありません」


「……王子の御前でも同じお答えをなさるのかな?」


 アンが一瞬答えに詰まった。さらは彼女の様子より何より、いきなり出てきた「王子」に驚いてそれどころではない。


(外にいるのはリヴなの?!)


「王子様の御前でも、あなたは同じことをわたしにおっしゃるのですか?」


 皮肉な返しだ。今度は男性が言葉に詰まる番だった。王子の威光を笠に着た嫌味な問いかけだったのは自覚したようだ。


「失礼」


 それだけを言い残し、彼は厨房から出て行った。アンが窓辺に走った。さらも真似る。空いたそこから外の声が聞こえるからだ。


「村の小娘だそうで、もう帰ったとか……」


 さっきの優美ななりの彼がそう告げている。相手はおそらく王子だ。しゃあしゃあと嘘で自分の不始末を誤魔化している。アンに無礼を詫びれば怒らせることもなく、さらの名は手に入ったのに。


(それはわたしが困るけれど)


 王子の姿はここからは見えない。厨房を出ればそれが叶う。だが、さらは固まったまま動けずにいた。


 その時、声がした。


「もういい。ついて来るな」


 それは王子の声だ。すぐにそれとわかった。


 声に続いて彼が校舎に入る気配がした。

 

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