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学校へはキシリアも娘のイアを連れ訪れた。その時に王子がセレヴィアに着いたことを知らされた。
婆やがさらのことを彼に告げたのか気になったが、確認のしようがない。キシリアが伝える王子の様子はごく落ち着いたもので、何も知らないのではと思われた。
「早く城に戻ってくれないと、イアが寂しがるわ」
キシリアがイアと共に城へ帰り、さらは校舎の裏での子供たちとの鬼ごっこの続きに戻った。しかし、頭の隅に王子の件がわだかまったままだった。
近くに彼が存在すると思うと、肌がぴりぴりとするような緊張感もある。
不快さではなく、違和感に近い。それが気持ちを波立たせた。
(気まずい別れをした元彼が近所に越してきた、感じが近いかも)
会いたい訳ではないが、存在は気にかかる。日常に混じった異物。
それも彼がこの地を去れば消える。
ふと胸を引っかくような抵抗感が湧いた。
(リヴが異物なのではない。彼にとってはわたしが異物)
死んで終わったのではなく、さらの中に甦って生きている。王子にとっては禍々しい亡霊に違いない。城を出て良かったと、今更ながら思った。
(消えなくてはいけないのは、わたしの方)
自分のいるべき世界へ帰るその目処も立たない。先を考えると、異世界も三度目(サラを含めれば)で図太くなったはずの彼女も気が滅入った。
子供たちと触れ合っていると充実しているし、不安も溶けた。このままここにいることになったとしても、
(それはそれでありなのかも)
と割り切ることもできた。
それでいいのかと問えば、自分の中からは答えは返らない。
雨上がりの午後、昼食を済ませた子供たちのほとんどは外へ飛び出した。さらは二人残った女の子と教室の片付けをしていた。アンはお客の対応をしている。
お客は里親志望の人物で、アンがその面談をしていた。いい縁ができればいいとさらも心から願う。暖かな家庭に引き取られるのが、やはりここの子供たちに取っての最良だ。
「サラ、呼んでるよ」
開け放した窓から子供が声をかけた。顔を向ける。子供があちらを指差していた。子供の誰かがさらに用なのだろう。彼女は裾を払い教室を出た。
陽の眩しい戸外に立つ。窓の外の子供はもうおらず、さらはその子が指したあちらに手をかざしながら目を向けた。
(あ!)
心の声が叫んだ。
木の陰に佇んでこちらを見ているのは婆やだった。グレーのドレスにボンネットを被っていた。上品な婦人の姿だ。
さらはその姿を認めながらこわばったように動けないでいる。代わりに婆やが彼女に近づいてきた。短い時間が果て、二人の距離が縮まった。
婆やはさらの前で会釈した。さらは遅れて頷いて応じた。
(どうしてここが……?)
心の問いが通じたように答えが返った。
「小さいお嬢様の乳母の方からここを教えてもらいました」
イアの乳母のことだ。乳母は城のあちこちで使用人と噂話をするのが楽しいたちだ。婆やが接触するのも難しくない。
「少しお話をしたいと思って参りました」
「……わたしに何のお話か、見当もつきません…」
何気なさを装って口にしたが、語尾が乱れているのが自分にもわかった。自然、婆やの目を避けた。
「とにかく話しませんか?」
ここで拒絶し婆やを返したとしても、問題は残ったままだ。さらは観念して頷いた。
学校はアンの方針で敷地内で子供たちは放任主義だった。男の子同士の取っ組み合いの喧嘩はしょっちゅうだ。「喧嘩できるぐらい元気がないと村の学校ではやっていけないから」。とはアンの持論だ。
今のところ仲良く遊んでいる彼らが視野に入る場所に婆やを導いた。木陰に座った。
少し離れた場所に座る婆やは品のいいドレスを着ていた。着古したものにこれも古いエプロンを重ねた姿をよく知るだけに、婆やの身分が格段に上がったのが直に伝わる。
「あなた様によく似た方を知っております……。似ているなんてものじゃ……。その方そのもの」
さらは視線を避けて子供たちを眺めていた。どう言葉を返したものか、思いあぐねている。
そのまま何も言えず、婆やの話を最後まで黙って聞くことになった。
「見た時の驚きと言ったら……。それに、あなた様もわたしに気づかれた。びっくりしたお顔をされたのが、わたしの場所からも見えました。どうしてでしょう。こんなお婆さんを見たところで、びっくりなさる必要なんかないじゃないですか」
今も婆やはその時の大きな戸惑いを処理できずにいる。それでどうにもならずにさらにぶつけにきたのだろう。
(わたしが婆やでも同じことをしたかもしれない)
「お名前まで同じなんて、あの方と、サラ様と他人とは思えないじゃないですか」
声に感情が滲んでいる。
さらから答えを引き出そうとする懇願に「なぜなのか?」の理解不能の苛立ちが混じる。目の前の女性にサラとの繋がりを求める必死さも感じられた。
(他人の空似でごまかせるレベルじゃない)
婆やはサラを育てた人物だ。彼女の見た目だけでなく佇まいも正しく嗅ぎ分ける。
口先で言い逃れるのは無理だと、さらも観念した。サラの過去はサラのものでも、婆やの過去でもあるのだから。
細く長く息を吐き出した。吸い込む前に婆やが彼女の手を取った。
「今までどうしておいででした……?」
声に涙が絡まっている。
さらは婆やの手を感じながら、これまでのことを話した。邸の襲撃後死んだはずが、遠い浜辺で息を吹き返した。そこをキシリアに拾われたことなどだ。
「波に流されて助かったのなら、すぐに知らせを下さればよろしかったのに。どうしてセレヴィアに隠れてなんかいらっしゃるのか、婆やにはとんとわかりませんよ」
「そうじゃないの。だから、お前からも隠れるようにお城から出たの。わたしが浜辺で目覚めたのは、邸の裏の崖から落ちた二年も後のことなの」
婆やの目が訝しげに細まった。理解が及ばないのだ。ダリアも打ち明けた際にこんな目をしていたとふと思い出す。
「わたしは死んだの。間違いなく死んだの」
「そんな……、おかしいじゃありませんか。だったら、今婆やが見ているあなた様は何なのですか? 乳母さんも、サラ様がキシリア様と出会われたのは去年のことだと言いましたが……、そんな、おかしいじゃありませんか!」
「お前も見たのでしょう? 崖下のわたしの体を……」
「それはそうですが……、でも、婆やは遠目が利きませんですから」
「リヴも見たのでしょう?」
婆やは静かに頷いた。
「……お嬢様のお体は、波がさらって遠くまで運んで、そこで沈んでいきました」
その海原で奇跡的に助かり、なぜか二年を経て遠い浜辺に打ち上げられる。荒唐無稽を超えた筋立てに婆やもそれ以上を繋げなかった。
「天の恩寵がサラ様を救われたのですよ。時間が経っていようが、サラ様には違いない。泉から金の剣が現れた伝説も聞きますよ。それと同じほどの天の御業がなされたのですよ。思し召しに決まっています」
理解の及ばないことは天に委ねてしまうのは、どこでも同じようだ。それ以外、疑問の置き所がない。




