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さらが校舎の前で佇んでいると、遠巻きに彼女を見ている子どもたちに気づいた。
手を振りながら近づく。
「こんにちは。先生は中にいらっしゃる?」
背丈の大きな子が頷いた。学童期の年頃の子どもたちだ。男の子ばかり。中の一人が校舎に向けて大声を出した。
「アン! 誰か来た!」
その声に窓からひょっこり女性が顔を出した。
「「誰か来た」ではなく「お客様」でしょ!」
女性は子供たちの指す方を見てさらに気づいた。破顔し窓から顔を引っ込めた。
ほどなく玄関から小走りに現れたのは、小柄な女性だった。年齢がわからない。チャーミングな笑顔はさらよりやや上にもやや下にも見えた。
微笑みながらさらに手を差し出す。
「キシリア様がおっしゃっていた方ね。お待ちしていたのよ。わたしはアン」
さらは頷きながら手を取って名乗る。
アンについて校舎に入った。案内を受けながら、その後ろに子供たちが珍しそうについてくる。
小規模な小学校ほどの大きさかもしれない。教室に作業室や食堂……この辺りは普通だが、他に浴室もあって目を引いた。
「日によっている先生が違うの。今日の先生は午前で帰ってしまったわ。わたしは毎日いるけれど、手が足りなくて。手伝って下さる方はありがたいわ」
「どんなことをお手伝いすればいいですか?」
「何でも! お勉強を見てくれてもいいし、一緒に遊んでくれてもいい。悪いことをしていたら叱ってあげてもほしいわ」
そういう話なら、自分にもできることがありそうだ。さらは新たな居場所をそんな目で眺めた。
廊下を歩きながらふと、焦げた匂いが漂ってくる。
「しまった! まずいわ」
アンが叫んで走り出した。その背をさらも小走りに追いかけた。着いたのは厨房で、大きな鍋から焦げた匂いがしている。
鍋をのぞき込んでアンが情けない声を出した。
「おやつにする果物を煮詰めていたの。水をたっぷり注いだから安心していたのに」
さらも彼女の背後からのぞく。鍋の中には黒紫の何かがねっとりしていた。もったいないが、食べられそうにない。
「アン、また失敗したのか? 下手っくそだな」
子供たちがヤジを飛ばす。それに負けじとアンも怒鳴った。
「うるさい! 「下手っくそ」なんて言ったの誰?」
「だって、本当のことじゃないか!」
「そんな言葉は使ってはいけないの! 本当のことでも。何度も言ったでしょ!」
「おやつは? 今日のおやつは?」
小さな子が切なそうな声を出す。それにはアンも威勢を引っ込め詫びた。
「ごめんね、代わりに甘いお茶を入れてあげるから」
それでは子供は満足しない。さらだってメイドの時お茶の休憩がこの世界の大きな癒しだった。それは子供だって同じはず。
アンが子供たちをなだめて狭い厨房から出した。たらいの水を焦げた鍋に注いでいる。長くつけておかないとあの焦げ付きは取り辛いだろう。
「ごめんなさいね、うるさくて。サラ、お茶の用意をしてもらえないかしら?」
「ええ、それはいいけれど、何か作りましょうか? 粉とか砂糖があれば……」
アンがさらを見て目を丸くする。
「粉も砂糖もあるわ。配達もあるから食材は豊富なのよ。棚を見てちょうだい。あなた、作れるの?」
さらは食品棚を物色しながら食材を確認した。要るものはほぼある。すぐに作れそうなものは頭にあった。
「簡単なものでよければできます。道具を使わせてもらっていいですか?」
「もちろんよ。簡単なものが一番いいの。助かるわ」
目見当で材料の配合ができた。さらの知恵ではなくサラの方の経験だ。
器に油を塗って生地を流した。緩めのそれにアンが駄目にする前の果実が残っていたので、ポトンと落としていく。それらを大鍋で蒸して終わり。
待つ間にお茶を用意した。側でアンが鍋を洗いながらさらを不思議そうに見ている。
十数分後には蒸し上がり、器にこんもりと膨らんだ蒸しケーキが人数分出来上がった。布巾を使って熱々のそれらを取り出し、台に並べた。
「まあ!」
火力の調節が難しく、表面がぼこぼことしてまったそれらを、アンが眩しそうに見ていた。
「どこで食べましょうか?」
「教室に運びましょう」
アンがお茶のワゴンを運び、その後をさらが大きなお盆にケーキを乗せて運ぶ。教室には子供たちがそれぞれ遊んでいた。蒸しケーキを見ると歓声が上がった。
お茶を配り、子供たちが頬張るのを見ながらさらたちもお茶を飲んだ。ケーキの味見をしたが、素朴で美味しい。子供たちにも大好評だった。
「すごいわ、サラ。食事は大抵通いのメイドが用意してくれるのだけれど、おやつは自前だったの。良かったら、またお願いしたいわ」
「この程度でよければ。ぜひお手伝いさせて下さい」
この蒸しケーキは邸で王子にもよく振る舞った。彼は偏食だったが、これは好んで食べてくれた。サラは栄養を欲張って様々な具材を混ぜ込んだものだった。
(これは、婆やのレシピ)
料理上手な彼女にサラはあれこれと習ったものだ。フィフの家でも邸でも、良いことも悪いことも共に過ごしてきた。
その婆やから逃げる今を皮肉にも惨めにも思った。
感情がため息になった。
「思われたようなお仕事ではなかったのではない? ここは手を汚す役割も多いの。キシリア様のお友達のあなたに申し訳ないわね」
気遣うアンの声にさらははっとなる。浮かない顔を見せて誤解させてしまったようだ。
慌てて首を振った。手も振って否定した。
「違います。とんでもないです。わたしは身寄りもなくて、困っていたところをキシリア様に拾われた者です。友達というか……、とても親切にして下さっています。なので、わたしで役に立てるのならぜひお願いします。お手伝いさせて下さい」
今城には戻れない。居場所をもらう為に働くのは自明のことだ。
そんな彼女の必死さが矢継ぎ早な言葉に表れていた。
アンはやや面食らって目を丸くしたが、意思は伝わったらしい。微笑んでくれた。
さらのいる学校は正確には孤児院が正しい。一階が主に過ごすスペースで、二階は彼らの寝室になっていた。
それを知り、浴室があるのも頷ける。学校に通うには幼すぎる子供がいるのも納得できた。
少年が通う本来の学校は村にあり、そちらは「村の学校」と呼ばれ、この「学校」とは区別されている。年齢の達した男の子は「学校」から「村の学校」へ通うことになっていた。
「「村の学校」では剣術の鍛錬もあるの。優れた生徒はお城に登用されるから、それを目指して励みにする子もいるわ。実際ダリア様の側近の方には、ここの出身者もいるらしいの」
アンの話にさらは頷いた。ダリアの側近の顔は幾つか浮かぶ。中には以前のトリップで彼女を殺した者もいたが、それはまた別の話だ。
彼がこの学校出身者を能力で取り立てることは、姉のキシリアがひょんなことからさらを拾ったことにも通じる気がした。彼や彼女の目に適った者を側に置いているだけのことだ。出自は関係なく。
このアンもキシリアかその母親のバラに適任とここを任された人物だ。学校運営者だからもっと年配者を想像していたが、堅苦しくない分さらには逆にありがたい。
食堂の隅にピアノがあって楽譜が備えられている。
「どうぞ。お好きに使って。弾くのは明後日来るユーリ夫人だけなの」
楽譜は難しいものばかりでさらの手に負えない。簡単な曲を弾いて子供達と歌った。
大きな子は小さな子の面倒を見るように躾けられていて、想像よりも手がかからない。それでも彼らをベッドに送り込むとぐったりとなった。城ではイアたった一人の相手をするばかりだったからだ。




