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話がダリアの婚約話に戻る。
「何より、派手好きで浪費家なのがダリア様はお気に召さなかったようです。お城の防備が最優先のガラハッド家で、豪華な社交は無駄遣い以外の何でもないですから。ただでさえ、キシリア様がその為にロノヴァン家に嫁がれたというのにね。ご結婚前からこの浪費ぶりでは、と先が思いやられたのですよ」
スーの話には引っかかることがあった。「キシリア様がその為に嫁がれたというのに」だ。
「キシリア様のご結婚に何かあるの?」
さらの問いにココが答える。
「セレヴィアはお城の修繕や出城の建築など軍備に毎年大きな費用がかかります。領内の不作と重なってそれが賄えない時期があったんです。その費用の工面を申し出たのがロノヴァン家です。キシリア様を嫁がせるのが条件でしたけれど」
リリも繋いで言う。
「ロノヴァン公はニ十以上もお年上の方でした。キシリア様がとってもお美しいのは知れ渡った話ですもの。どうしても奥方に欲しかったのでしょうね。しばらくして婚約が整って、あまり時間を置かずに嫁いで行かれました。ご一家に若いレディがいらっしゃらなくなって、内区の火が消えたように思ったものです」
「そう……」
キシリアの結婚の意外な事実にそれ以上言葉が出なかった。
城の防備の費用と引き換えに年の離れた男性の元に嫁いだ。家同士の結びつきの意味が強い結婚が普通でも、彼女の場合はより生々しさのある政略結婚だ。
「ご夫君が亡くなって二年後、次のロノヴァン公に再嫁のお話があって、ダリア様がお怒りになったんです。もちろんキシリア様もそんなおつもりもありませんしね。お帰りになられてよろしかったですよ」
そういう経緯を聞けば、ダリアが婚約を破棄したのも納得できた。
さらの頭にキシリアを迎えに隊を引き連れて現れたダリアの姿が浮かぶ。紛争の只中にあって彼が城を空けてまで駆けつけた意味が、遅れて今理解できた。それは切実なほどの姉への愛情に他ならない。
また、キシリアの犠牲の上で贖えた城の防備を彼が易々と受け入れたはずがない。そんな彼がただの自己満足で浪費する女性を妻にする訳がなかった。その嫌悪感は忌々しいほどのものだったかもしれない。
さらを城に滞在させるのも、キシリアのお気に入りだからだ。姉の思いを尊重し、考えを曲げてまでそれを許している。
「いざ戦いになれば、宮廷から戦費もいただけるのです。だからダリア様も敵に集中できるのですよ」
さらは頷いた。国として開戦するのだから中央からの支援があって当然だ。敵国と接するセレヴィアだけが犠牲を強いられるような印象を受けていたから、少しほっとする。
リリ、ココ、スーに礼を言って浴室を出た。
「味見」だの「一口」だの男女の関係を仄めかすが、ダリアがそんな振る舞いに及んだはずは、
(あり得ない)
ついでに破談を突きつけられた女性への同情心も薄らいだ。
さらの感覚では結婚絡みの催しに力を入れたい女性の気持ちも十分理解できる。セレヴィアでなければ許される望みだろう。キシリアも彼女を気遣った言葉を使っていた。
しかし、ダリアには向かない女性だった。
それだけのこと。
(なら、どんな人がいいの?)
彼は当主で後継者を望まれる立場だ。今から三年先の『セレヴィア点』でも彼は独身だった。浮いた話も聞かなかった。
キシリアの言うように「頑なに思い込んで」責務に埋没してしまっているのだろうか。自身が他家から養子に入っているので、養子を迎えることも考慮にあるのかもしれない。また姪のイアもいるから彼女が家を継ぐこともあり得るだろう。
既に破談を経験しているから、次は誤れない。ダリアにしかわからない葛藤も絶対にある。
ふと心の声が囁く。
仮にさらが今の時代で長く過ごしたとする。彼が独り身を通すのなら、今のような距離感で傍観者としてでもいい、同じ時間を共有するのも素敵だと思えた。
まさに『廃宮殿の侍女』そのものだ。サラとしては対応するヒロインはシンデレラなのかもしれないが、さらの場合はこの本の語り部でもある侍女だ。
(もし帰れないなら、それもありなのかも……)
静かな回廊を歩きながらそんなことも思う。
午後の空いた時間は縫い物をすることが多い。縫い物を取りに自室へ戻る。もうしばらくしたらお茶の時間だ。戦時であるが、内区は平時と同じ時間が流れている。その穏やかさは戦況に比例していた。
潤沢な戦費が下りるといっても、実際に戦うのはセレヴィアの兵士隊だ。指揮を取るダリアも戦場に出るという。そのお陰でもって支えられている安寧だった。
リリ、ココ、スーも古い噂話を一蹴した。それはダリアが果たしてきた功績がそうさせている。セレヴィアの人間にとって、たとえ彼が元婚約者を「一口」「味見」して「吐き出し」たのだとしても、問題ではないのだろう。
自分達にとって立派な領主様であれば、それが全てだ。
さらもこの世界に数ヶ月暮らし、戦時の城の雰囲気もわかってきた。ダリアは信頼され人望も高い当主だ。彼は見事に領地を治めている。
『セレヴィア点』の時は何もわからないまま、城にいれば安全な気がしていた。
今、それとは違った安定感を感じている。
(二度目の……、サラを足せば三度目の慣れ?)
ここにはさらを取り巻いてきた便利なものはなく、移ろっていく消費の楽しみもない。けれど、それに徐々に体も気持ちもなじんでいるのもわかる。
焦がれるように帰りたかった思いも強くはない。あるにはある。経験上、一度去ったら戻れないのはわかっていた。だから、帰るかそうでないかを今迫られれば迷う自信はある。
そして、迷った末に帰るだろうことも。
(ここを去ったら、泣くような気がする)
優しさと友情をくれたキシリアもリリ、ココ、スーも恋しいだろう。極めつきはダリアだ。長く長く切なく彼を思い出す、きっと。
部屋に入り、棚の縫い物を手にした。その時だ。不意に左の手首をつかまれる感覚がした。腕輪の下の肌がじわりと痛むほど。
腕輪を外そうとして手を触れた。ほのかに熱い気がした。
さらを何かが抱いた。実体のないふわりとした質感がある。それが彼女を背後から抱きしめている。
(え)
頬をくすぐる気配。そして首筋に流れた。彼女は手でそれを払った。髪の筋でも感じたのだろう。なのに、今度ははっきりと耳元に吐息を感じた。それら一連が彼女の中で繋がった。
心臓が縮むような思いがした。彼女はそれを知っている。クリーヴァー王子だ。眠る前、メイドだった彼女の体を抱きしめ耳元に口づけた……。
「リヴ?」
それはサラの声だった。
彼女だって知っている。彼女を通してさらも経験していた。十五歳の王子もサラを包むように抱きしめた。そのぎごちない口づけも覚えている。
返しはない。
胸が騒ぎ、さらは部屋を出た。錯覚と思いたかったが、サラの「リヴ?」という問いが、そうではないと告げている。




