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さらは言葉に詰まった。
確かに王子なら、話を信じるも信じないも、サラと同じ姿の彼女を見れば何らかの反応を見せるはずだ。それが話の証左になる。
「できないとおっしゃる?」
ダリアの瞳がまた鋭さを増した。
その視線に晒されながら彼女は思いを探った。すぐに言葉が返せなかったのは、心の中で感情が混沌としていたから。さらとしては会いたくはない。というか、会ってはいけない気がした。
会えば『セレヴィア点』の時と同じ時間を繰り返すことになりそうだった。さらに執着する王子。今彼は十七歳だ。サラの体は二十歳であってもさら感覚では二十四歳だった。とても異性として向き合えない。
その上、彼女には今回サラの記憶も並んである。
(サラは会いたいよね?)
さらの問いには言葉の代わりに感情で答えがあった。心を絞るような痛みを伴うそれは、
(会えない)
と伝えている。
意外さの後で瞬時にサラの意図が入ってくるのは、記憶が一つの体を共有しているからか。
サラの死から二年の時間を王子は過ごした。その内容も意味もサラにはおおよそ想像がつく。
あの悲劇をとにかく彼は乗り越えた。もしくはその過程にある。既にサラのうかがい知れない、成長した彼がいるのかもしれない。
彼が積み上げたその時間をサラとの再会は崩してしまうことになるのではないか。
更に、見た目は王子の知るサラであっても同じ人物ではない。一つの体にさらとサラが混じり合っている。さらとサラで一つの人格を形成している。
そのことにサラは王子に会う後ろめたさがあった。
また、豪奢な腕輪を投げるようにさらに与えた王子は、サラの熟知するリヴではなかった。王子の成長という変化がサラにはほのかに怖い。
さらは腕輪に触れながら口を開いた。
「……サラだと主張しておきながら自信がないのです。記憶もあるしリヴへの愛情もあります。でも、自分が本当にサラなのか、そう名乗って彼の前に出ていく資格があるのか……、わからない」
「それは王子のご判断に委ねればいい。聡明な方だから冷静にお考えになる」
「彼をまた傷つけることになりませんか? ようやく癒えたのに…」
「もう二年も経つ。驚くほどに成長もなされた。厳しい時期をお支えしたあなたに感謝はされているだろうが、王子にとっては既に過去の人である。酷だが、あなたが考えるほど王子にはあなたの存在は重くない」
「既に過去の人」であるなら『セレヴィア点』であんなにもさらに執着するはずがない。それを説明できないもどかしさを感じながら、さらは言葉を探した。
「襲撃の少し前にリヴは、王子を降りると決断されていました。その旨を綴ったお手紙をお父上に送られていました。先の見えない流浪の生活が続くのなら、王籍を返して代わりに爵位をもらい、どこかで静かに暮らしたいと……」
「え」
ダリアははっきりと驚いた顔を見せた。
「それは、王位継承をお兄上に譲られるということか?」
「はい。自分が辞退すれば陛下も「一番か二番かで悩まなくて済む」と。陛下はきっとお認めになると、彼はお考えでした」
「馬鹿な。しかし、そんなお沙汰はない」
「襲撃後のことはわかりません。王子を降りるとお決めになった時、リヴはわたしを妻にすると約束して下さいました。あの頃の彼にできる最大限の贈り物だったでしょう。……わたしは死んだことでリヴを本当に傷つけてしまった。とんだ自惚れ女だとお思いでしょうね。でも、またこの姿を晒すことで、彼に二度目の傷をつけたくないのです」
ダリアの抗弁を待ったが、意外なことに彼はそれをしなかった。目を伏せさらから視線を外した。手紙を胸にしまう。
「簡単に言ったが、易々と王子にご対面が叶うものではない。あなたの身辺は引き続き監視をさせていただく。暮らしに支障のない範囲だから、お気にされることはない」
「引き続き監視」と言うからには、ずっと見張られていたことになる。みっともない仕草がなかったかと、さすがに背筋がひやりとした。
しかし、当然の警戒心だ。
「ここに置いていただけるのですか?」
「追い出しなどすれば、姉が悲しむ。あなたの話には真実味があるのも確かだ。……王子があの邸での日々に、求婚なさるほどの恋をされていたのなら、嬉しくもある」
ダリアは軽く辞儀をして身を翻した。
話を終え、さらは虚脱して椅子の背もたれに背を預けた。会話を思い返す。彼女では出てこないせりふがほろほろと顔を出していた。
当たり前にサラが言葉を繋いでいた。そこに不快さはない。乗っ取られたとか憑依されたような意思を奪われるものではない。右手を使いながら左手も使うような感覚が近いだろうか。
意外にもダリアが引いてくれたおかげで、王子に会うという展開は免れた。「易々と王子にご対面が叶うものではない」と言っていたから、最初からさらの反応を見る為に持ち出した案だったのかもしれない。
今、サラが嬉しがっている。
リヴのその後が知れて、ほっとしているのがわかる。環境に恵まれているようでもあり、王妃の攻撃が絶えたことも彼女を喜ばせている。本来のあるべき彼の立ち位置に直ったようだ。
そして、サラの喜びを分かち合ってさらもほのぼのと嬉しい。
(でも、『セレヴィア点』のリヴは幸せそうには見えなかったな……)
背もずっと伸び力も強くなったが、青年らしい溌剌さがなく姑息で冷めた印象を受けた。このまま三年が過ぎればあの彼に繋がっていく。幾つもの言動にダリアが眉をひそめていたことも思い出した。
サラの思いに同化してさらも気持ちが落ちた。
(お茶を飲んで気分転換しよう。ね?)
さらは針仕事をまとめ立ち上がった。サラの気持ちを引き立てる行動が自然に出る。友人にするようなものと変わらない。妙なトリップを繰り返して心が疲弊しているはずが、不思議とそれに引きずられずに済んでいる。
自分の中に大事にする自分がまたいて、互いに支え合っているよう。それが上手くバランスを取って作用するのかもしれない。
お茶にはキシリアも同席した。
「サラ、あなた困りごとがおありなら、遠慮なく言ってね」
「え」
カップを置いてキシリアはさらを見る。眼差しは真剣だ。さらは小首を傾げた。城での暮らしに問題はないはず。
普段から気遣ってくれる人だが、今はやや様子が違う。
「外から帰った時にあなたがダリアと話しているのを遠目に見たの。弟があなたをやり込めていたのではないかと気にかかったから……」
「いえ……、そんな訳では……」
ダリアとの話の内容が内容だけにさらも言葉が濁る。
「差し支えなければ、弟があなたに何を言ったのか教えて下さらない?」
「……イングの大伯母から手紙があったと教えて下さいました。わたしのことでダリア様はイング家に問い合わせをなさったそうです」
「まあ、そんなまだあなたを疑うようなことを。ごめんなさいね」
キシリアは目を伏せた。
「いいえ、当然です」
「お手紙はあなたを保証するものだったのね。あの子、あなたに謝ったのかしら? 優しいのだけれど、少しだけ頑固なところがあるの。昔から変わらないわ」
手紙の内容には触れずにさらは微笑んで話を合わせた。キシリアの持ち出したダリアの昔も気になる。彼の話では養子であり、姉のキシリアとは血が繋がらない。
「ダリア様はお小さい頃はどのような方でした? 今のお姿からは想像できなくて……」
「何でもよくできる子だったわ。わたしは一つ上になるけれど、お勉強もダリアに教わったくらいよ。木登りも教えてもらったの。婆やに叱られてすぐできなくなっちゃうのだけれども」
懐かしむようにキシリアは笑った。
「仲がよろしいのですね。わたしはきょうだいがいないので羨ましいです」
「二人で遊べた時間は少ないわ。すぐダリアは武術の鍛錬が厳しくなって、わたしもお稽古事が日課になった……。気づけばあの子と顔を合わせるのはお母様の晩餐だけになっていたの」
さらがいまだに緊張する晩餐はガラハッド家の伝統のようだ。専らサラの意識でやり過ごしている。
「でもそうね。お父様が亡くなって、お母様は気丈にしていらしたけれど、わたしはずっと塞ぎ込んでいたわ。そんな時にダリアが慰めてくれたの。「父上のように姉上を守れる男になる」と言ってくれて……。嬉しかったわ。そんなはずがないのにお父様に面差しが通うから、驚いたくらい…」
話し終えてキシリアははっとしたようにさらを見た。




