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城での暮らしが三月を超えた。
さらは少し焦りを感じていた。このままこの異世界で死ぬことがなければ、元の世界には帰れないのかもしれない。
暮らしは快適で与えられた仕事もある。不足も感じない。城での日々に体もすっかり慣れた。さらの側に遠慮はあるが、キシリアは彼女を友人として接してくれている。身分差がありつつも、リリ、ココ、スーとはまた親しくなれた。
かといって、一生ここで過ごすとなればいたたまれないような気がした。親しい人々に会えないのも寂しいし、やはり便利な環境も恋しい。焦がれるほどの感情や理由はないものの、
(ここは異世界)
の思いがどうしても拭えなかった。
しかし、自ら死を選ぶなどとても勇気がない。事故もあるが、それだって恐ろしい。『セレヴィア点』ではジジと企んだスヌープに殺されて終わった。サラの場合は崖からの落下だった。あの痛みと恐怖は今も忘れられない。
(なら……、ずっとこのまま?)
死以外にも元の世界に帰る方法があるのかもしれないが、探しようもなかった。
イアの昼寝の時間だった。明るい庭先で縫っているのはイアの為のぬいぐるみだ。メイドにはぎれをもらいそれを縫い合わせていた。
こうしていると無心になれる。悩みも答えの出ない問題も置いて集中する今が心地良かった。
と、メイドにしては硬い靴音がした。さらの背後でそれが止まった。何気なく針を止め振り返る。距離を置き立つのはダリアだ。
彼女は驚きつつ礼の為に椅子から立った。彼は深夜まで表区に詰めることが専らだ。母親のバラが求めるので、晩餐にのみ戻ってくるのが常だった。
彼を前にすると胸が騒ぐ。憧れの対象への高揚感はあるものの、近寄りがたい緊張感も混じり合う。彼女への眼差しは儀礼以上に和らぐことはない。
言葉を待っていると、彼が彼女に椅子を勧めた。彼自身は立ったままさらの前に回った。
彼女が腰を下ろしてすぐだ。
「あなたから説明を受けたいことがある」
強い視線は痛いほどだ。彼女へ含み以上の疑念を抱いているのは明らかだった。
これまでも親しみを見せてくれることはなくとも、儀礼に適った紳士的な態度を崩さなかった。しかしそれはキシリアへの気遣いに他ならない。
今は配慮する姉もいない。疑いのある兵士にでも向けるような眼差しだ。
「イング家の係累とうかがってあちらに問い合わせを行った。姉のようにはどうしてものん気でいられない。これについてあなたから責めのお言葉はないと信じる」
ここセレヴィアは他国と接し、また城は数年に及ぶ紛争の最先端だ。その要塞の責任者であるダリアが、一旦は姉の気持ちを容れ引いても、身元不明のさらの調査をしない方がどうかしていた。
彼女は目線を下げて彼の言葉を待った。
さらの身の上話には辻褄の合わないことがある。悪意のかけらもないが、偽られていたと取られてもしょうがない。
「イング家からの返信には「親族に確かにサラという者はいたが、既に死亡している……」、そうあった。あなたが他者を偽った目的を問いたい」
詰問だった。
言葉に詰まる彼女に更に被せて言葉が降った。
「姉を選んで接触したのは優しいあの人が与し易いと踏んだのだろう。間諜の常道だ。それはいい」
城での滞在を許したのは、姉に免じて施しの延長での譲歩だったはず。さらの行為はキシリアの温情を裏切ったことになる。ダリアの声にはそんな憤りが含まれていた。
さらは目を上げ彼を見た。鋭く彼女を見つめている。
(この人にどんな嘘も通用しない)
絶対に敵わない人を前にした観念だった。
その場しのぎのでまかせや辻褄合わせをしたところで、彼はきっとその矛盾をついてくる。人の誤解を利用することは「悪意がないから」が、いつだって免罪にはならない。
話せることは限られている。
(一から話しても絶対に理解されない。電車からのタイムトリップだの「この世界は二度目です」だなんて……、とても言えない。下手したら魔女裁判にかけられてしまうかも!)
この世界に魔女裁判が存在するのかは別として「疑わしきは罰せず」が認められるとは思えなかった。疑わしいからこそ、神託に委ねる魔女裁判の意義もあるのだろう。
息をのんでから彼女は口を開いた。
「嘘はついていません。わたしは……、サラ・フィフです…」
「イング家の当主が、もう二年も前にサラは死亡したと告げている」
ダリアはシャツのポケットから便箋を取り出した。さらの前に広げる。見覚えのある大伯母エミリの署名が目に入る。幾度もサラとして手紙をやりとりした人物だ。
「確かに、確かに……わたしは、……あの邸で命を失いました。襲撃を受けて、崖から落ちました……」
「何を言っている?」
「あの邸へ行くことは大伯母の勧めでした。エイミ様の話し相手としてです。実際はあの方はわたしとお話しされることは稀で……、ほぼありませんでした。ですから、わたしの仕事はクリーヴァー王子様のお身の回りに気を配ることが主になっていきました」
「だから、何を言っている?」
ダリアの瞳が怪しげに細まった。しかし、表情に怒りはない。ただたださらの話が理解不能で奇怪なのだろう。
こんな話を続けることこそ魔女裁判へまっしぐらなのではないか。そう危惧しながらも、なぜか言葉が溢れてくる。止まらない。
「王子様は……、あなたがお連れになりましたね。長雨の日で昼なお暗かった。隊の方々を邸に入れるようにお言葉をかけたのはわたしです。あなたはそれに「絨毯を汚す」と断られた……。覚えていらっしゃるかどうか……。リヴはまだお背も小さくて、あなたに抱きついたままで……。あなた方が立たれた後、長くお話しにならなかった。とてもお辛かったのだと思います…」
「何を……言っている……?」
「リヴはあなたのことをよくお話しでした。はとこだとおっしゃっていたわ。わたしも母方のはとこに当たるのだと知ると、少しずつ気を許して下さるようになりました。邸は何もないから……、いろんなことを話して、仲良くなりました。二年の間に彼の背も伸びて……」
「いかにも、王子の随身を務めたのは私だ。あの雨の日も覚えている……。邸の手配などはエイミ妃のお里イング家が受け持ったと聞く。その辺りから聞き知ることは可能だ」
「では、それを大伯母にまた問い合わせなさればよろしいわ。二年の間に何度も大伯母は荷を送り届けてくれましたから。確かに、それに紛れて怪しい者が入り込むことも……」
そう言いながら、さらは思った。襲撃者はそうやって邸の情報をつかんだのかもしれない。
エイミの里を探らせれば、そのうち目的に辿りつける。防げなかったのは、そこまでの暴挙に出ることを予見できなかったから。王宮を出たことで王妃の目的は達したと誰もが甘く考えてしまった。王妃の執念は女性的で陰湿だが、対象者が消えれば薄らぐと思い込んだ。
(リヴもわたしも)




