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半ば命ずるような声だった。ダリアの言葉を聞き、さらは体が強張った。
思いがけない展開にすぐには反応もできない。さらは手首の腕輪に触れながらうろうろと視線をさまよわせた。
うろたえや戸惑いより傷ついた気持ちが大きい。彼女の知る彼はこれまで優しかった。弱い彼女の側に立ってくれ、思いやりを感じさせた。
しかし、今彼女の前にいる彼は言葉を選びつつも「出ていけ」と容赦ない。
『セレヴィア点』とは状況が違う。城は紛争の最先端にあって、まさに要塞として機能している。その奥に身元も不明な女を置いておくなど彼にはあり得ない。
ダリアの言葉は彼女をはっきりと外に置いた。
(わかるけれど……)
どこに行けばいいというのか。
この城の外は今の彼女にとって異世界に近い。知人も知識もなかった。途方に暮れて彼女は目を伏せた。真っ白になった頭に何の知恵も浮かばない。涙が滲む。
「その腕輪は……」
ダリアの声を遮って扉が開いた。現れたのはキシリアだ。サラとダリアの雰囲気に驚いた表情を浮かべる。
「サラ、どうなさったの? 具合でも悪くして?」
彼女はさらの側に膝をついた。その背にダリアが言葉を落とす。
「彼女は早々に城を出ると了承された。姉上もそのつもりで」
「なぜ?」
「なぜも何も。戦火の今、城に身元不詳の人物は置いてけない。誰の推薦も保証もないなど論外だ」
「わたしが保証するし推薦します。こんなほっそりしたレディに何ができると言うの? サラは剣も扱えないわ。水瓶だって運べるかどうか……。教えて。水瓶も運べなくて何が危険なの?」
「水瓶は関係がない。小刀でいい。それをあなたのイアに突きつけられればどうする? 誰も手が出せない。要塞の中一人間諜を仕込むことで戦局はどうとでも変化する。彼女がそうでないと、あなたにどう説明できる?」
キシリアはさらの腕輪を指した。
「同じものをロノヴァンの領地で見たの。クリーヴァー王子がつけていらした。王家のお品よ。あの方のお印まである」
キシリアの言葉にダリアが腕輪に目を落とした。さらには腕輪の紋様のいずれが「お印」に当たるのか見当もつかない。
ただ、腕輪の由来が王子だと知り彼女の中の謎は深まる。
「サラはお気の毒に難に遭われて記憶を失っているの。その間に王子が下賜されたに違いないでしょう? 腕輪を下されるほどだもの、ご信頼は深いはず。サラは王家に近しい方よ。同情したのは本心だけれど、それだけでお連れしたのではないの。わかって?」
「確かに……。腕輪は王子のお品のようだ。しかし、あなたの帰路に出会う偶然は出来過ぎている」
「サラがあなたの言う間諜ならば、どうやって腕輪を手に入れたの? それに腕輪でわたしたちの信用を得るより身元保証書や推薦状を偽造した方が早いでしょう」
キシリアの言葉にダリアは抗弁できなかった。イアを肩から下ろしさらに向かう。
「不快な思いをさせ申し訳ない。心よりお詫びする。……改めて滞在を歓迎します」
「いえ……、とんでもないです。ご迷惑をかけて申し訳ないのはこちらです」
詫びを受け入れながら、自分に注ぐ彼の視線はなかなかに厳しい。腕輪の存在で警戒を緩めはしたが、納得はしていないのが伝わる。キシリアの手前、我を張るのを控えただけに思えた。
午後七時からの晩餐は居住区の食堂に領主家族が揃った。さらはここに入るのも初めてだ。
キシリアの旅の無事を祝ったのちは、新参のさらに注目が集まった。
「西部のドリューは知らないけれど、隣の州には知人がいますよ。イング家をご存知?」
ダリア達の母バラがさらを見た。視線は鋭く彼女は緊張した。『セレヴィア点』時の記憶でも厳しい女性の印象だった。
「亡くなった母がイング家の出身でした」
さらの口から「サラ」の出自がするりと溢れた。城で信用を得るには素性の正しさは欠かせない。それを聞き、バラの表情が和らいだ。
「そう。あの家からは王宮に入った方もあったわね。クリーヴァー王子のご生母がイング家のご出身だった。王子はこのガラハッド家ともご縁があるお方なの。あなたの滞在を歓迎しますよ。お好きなだけいらっしゃい」
イングの家名でさらへの好感は増したようだ。こんなところでも王子の名が飛び出す。彼への感情は複雑で胸の奥にずんと重さを感じた。
ともかくバラの決定は大きい。さらは一家に受け入れられた状況になった。ダリアも改めて異論を挟むこともなかった。
これで当分の生活の保証は得たが、晩餐の雰囲気は厳かで窮屈だった。メイド時代の大食堂のそれが恋しくなる。
しかし、この堅苦しい一家の揃う食事も晩餐のみということだった。朝食や昼食はそれぞれ好きな時間にとるらしいと知り、ありがたかった。ほっとする。
キシリアに救われていなければ今頃どうなっていたかを考えると、三食晩餐スタイルでも大した我慢とも言えない。
翌日、イアの昼寝の時間にふらりと居住区を歩いてみた。足が向くのは使用人のエリアだ。溜まりは呼び出しに備えてメイドが控えていた。知った顔だ。
さらの登場に彼女らは腰を上げた。気の抜ける時間に悪いことをしたと思いながら、声をかけた。
「用はないの。あの……、ジジはいますか?」
「ジジ? メイドでしょうか?」
「ええ。金髪のきれいな人なのだけれど……」
メイドは互いに顔を見合わせている。「そんな人いたかしら?」といった具合だ。
その反応を見てさらは首を振った。期待外れだがしょうがない。
「いいの。ありがとう」
その場を離れた。
中庭は陽が入り眩しく輝いていた。その一隅の椅子に掛けた。考える時の癖で膝を抱きそうになり、寸前で足を下ろす。自室ではいいが、人目がある場で仮にも「レディ」の立場にそぐわない振る舞いだ。
(ジジはいなかった)
メイドの口ぶりでは辞めたでも消えたでもなく、ジジそのものを知らないようだった。今は『セレヴィア点』より三年前だ。これ以降城に勤めることになったのなら、それもあり得るのだが……。
城のメイドは近在の村から奉公上がることが多い。十五、六歳から城に上がり、結婚を機に城を出る。かつてのさらのような二十代前半でメイドとして城に入るのはレアケースだ。珍しいからこそ、拾われた噂が回るのも非常に早かった記憶がある。
今城にいないのなら、ジジは過去にもこの先にも存在しない。
そう考えた方が腑に落ちる。




