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 頬にくすぐったさを感じて目が覚めた。周囲は明るい。倒れ込んで寝ていたことにぎょっとして、さらは身を起こした。


 雑草が茂る空き地だった。草が触れむず痒さを感じていたらしい。


(ここはどこ……?)


 そう辺りを見渡す前に重大事に気づく。何も身につけていない。文字通り一糸もまとわぬ姿だ。慌ててしゃがみ込む。


 恐怖と動揺が瞬時に襲い悲鳴が上がる。震えながら体を検めるが、異常はないようだ。暴行を受けた訳ではない。


(なら、どうして?)


 乗っていた電車が止まった。それで電車を降りようとしただけ。たったそれだけ。


 状況の不可解さが怖かった。涙が溢れる。どれほどそうしていたか。


 泣いていても何の解決にもならない。そうようやく頭が動き始めた。


(とにかく、服をなんとかしないと)


 しゃがみながら通行人を待った。通りかかった女性に助けを求めるしかない。感覚的に随分待ったが、人が通らない。子供の声が遠くに聞こえる気がする。気温はさほど低くない。しかし裸でいるため寒さが強い。


 耐え切れずに立ち上がった。小腰をかがめ目立たないように周囲を見渡す。人が来ないのは当たり前だった。何もない草むらの中だ。道路に出なくては通行人も気づけない。そろそろと歩き出した。草を踏み小石を踏む足裏が痛んだ。


 どれほどかして小屋を見つけた。他には建物もない。さらは小屋に近づき人の気配を探った。無人のようだ。小屋にガラスの窓はなく中がのぞけない。裏に回るとロープを渡した物干しがあった。そこに黄ばんだ布が干されている。


 人のいる様子はない。迷う心は焦りも大きい。


 一時借りるつもりで、さらは布に手を伸ばした。粗い感触の布だったが、何よりありがたい。大きさもあるそれで体を覆った。肌を隠せただけで辛さがほぼ消えた。


(とにかくどこかで電話を借りて……)


 荷物も何もない。布で身を包み彼女は歩き出した。


 よほどの田舎のようで、舗装した道路の代わりに踏み固められた土の道が続くだけだ。所在地を記す標識も見当たらない。歩きながら訝しさを感じていた。辺鄙な場所とはいえ、電柱の一本もないのはおかしい。電気のないほどの僻地なのか。


(そんな馬鹿な)


 それにしても、なぜこんな場所にいるのだろう。服や荷物がないのは盗まれたと考えられるが、見当もつかない場所で眠っていた理由がわからない。


 くたびれるほど歩いた時だ。後ろから大声が近づいてくる。怒鳴り声に振り返ると、体の大きな女性がこちらに走ってくる。手には縄が見えた。


 すぐに距離が詰まり、女性はおもむろにさらを縄で打ちつけた。その痛みとショックで彼女は倒れ込んだ。


「薄汚い泥棒猫! お前なんか打首になっちまいな!」


 言葉からあの家の女性とわかった。続けて縄が振るわれ、さらは体を屈めてそれから逃れようとした。


「ごめんなさい、借りただけだったの。お願い、聞いて下さい。本当に借りただけなんです。何も着ていなくて、慌てて……ちゃんと返そうと……!」


「うるさいよ、流れ者の遊び女め!」


 理不尽な状況には混乱するばかりだ。女性の怒りが緩むのを待つしかない。そこで改めて謝罪をし、助けを求めよう。さらは目を固く閉じ唇を噛んで覚悟を決めた。


 どれほどか過ぎた。


 と、そこで誰かの声がかかった。


「女、止めよ。私刑は禁じられている」


 男性でひどく硬い物言いだ。さらは瞬時理解できなかった。しかし声に女性の縄が止み、人々の気配も近くに感じた。そこで目を開いた。


 うずくまる彼女の周囲にはブーツを履いた男性が五人ほどもいた。いつからいたのか。近づいたことに気づきもできなかった。


「旦那方、こいつは手癖の悪い遊び女でございますよ。懲らしめてやって何の咎がありましょう」


 女性は静止にも怯まず再び縄をさらに振るってみせた。目の近くで縄が落ち、さらは悲鳴を上げた。


「それを決めるのはお前ではない」


 声の後でふわりと緋の布が降ってきた。それはさらの体をすっぽりと隠してくれる。拝借したさっきの布よりよほど都合がいい。彼女はそれで体を包み前の布を外した。


 地面に落ちた布をさらが拾うより先に誰かの手がつまみ上げた。さらから背を向けて立つ男性がそれを女性に差し出している。女性は身を低くし受け取った。


 振り返った男性がさらを見た。グレイの瞳の端正な顔立ちだ。深い銀髪が小首を傾げた時に揺れた。襟の大きなシャツにズボン。脚を長いブーツが包んでいた。


(あ)


 違和感が襲うよりも前にさらは衝撃を受けていた。目の前の人物を知っている。背が高く逞しい様子も周囲から尊敬を受けるその立ち位置も。


(ダニエル・フォード伯爵)


 それは本の中の人物だ。


 外国の小説『廃宮殿の侍女』の登場人物で、その彼に彼女は憧れ続けてきた。繰り返し読むうちに彼の姿は立体的に克明になった。ごく小規模の映像化でさらは目にしていない。だが、彼へのイメージは思いの中でくっきりと浮かび上がっていた。


 そのダニエルと目の前の男性がぴたりと重なった。実在しない人物なのはわかっている。鮮明なイメージは妄想の産物だとも。


「そなたはどこから来た?」

 

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