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黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって  作者: 帆々
帳が降りるそのときまで

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18/58

5

 邸での日々が二年を超えていた。


 出来事といえば、取り乱したエイミがクリーヴァー王子を罵ってしまうことがたびたびあった。別な誰かと見誤ったのか、


「そんなつもりで夜会に行ったのではなかったのに……! あなたが仕組んだのでしょう? 卑怯な人。そうまでして家名を上げたいのね」


 エイミにしかわからない過去の断片を持ち出して息子に詰め寄る。


 この日はシャツをつかむ母親の手を外そうとした彼の頬を意外な素早さで引っ掻いた。


 見る間に王子の頬に血の筋が現れた。痛みに顔をしかめた王子が母の片手を自分から外した。


「母上、僕はリヴだ。クリーヴァー」


「そうよ……! だから名付けたの。せめてのよすがに」


「何を言っているのかわからない」


 過去と今が混在するエイミが溢れた感情を王子にぶつけてしまう。エイミに長く仕える侍女が上手く彼女の気を逸らすのだが、この日はその前に王子を傷つけてしまった。


 侍女がエイミを引き取った。肩を抱くようにして椅子に掛けさせた。


「お方様、お部屋でお手紙を読みましょう」


「そうね、お返事もしないと。何て書いたらいいかしら……?」


 サラが彼の頬にナフキンを当てがった。浅い傷だ。王子も気にする風もない。肩越しに母を眺めた。


「何の手紙だか……、父上からもないのに」


 それは独白だった。母には聞こえないほどの声はサラには届いた。邸には王宮からの便りはない。エイミの里から手紙や荷が届くばかりだ。


 侍女がエイミを連れ寝室に戻った。この二年、エイミは過去の中に引き込んでしまうことが増えた。静か過ぎる邸での日々が彼女の療養に適っているのか、サラには判断もつかない。


 と、王子がサラの手を引いた。


「屋根裏に行こう」


 そこは彼のお気に入りの場所だ。がらくたが詰まった古びた箱が積まれている。以前その中に古地図を見つけて、欠けたその先を探していた。


 王子はサラの手をつかみ階段を駆け上がる。その背丈は今では彼女と並ぶほどなっていた。華奢な印象はそのままにすらりとした優美な美少年に成長している。線の細さは母譲りだろう。


 埃っぽい屋根裏部屋の窓を開けた。雨上がりの眩しい日差しが差し込んだ。


 部屋の真ん中に古地図を広げ、現在のものを横に並べている。王子はそれらを腹ばいになって見比べていた。


(真剣な顔をして、何が面白いのかしら?)


 サラには王子の好奇心が微笑ましい。地図の欠けた部分の謎に思いを馳せている。それはそのまま彼の大きな可能性を見るようだ。


 食事の改善が功を奏し、驚くほど背も伸びた。窮屈な後宮を出たことも大きいのだろうが、目を見張るような変化だ。


 心を病んだ側室、その産んだ第二王子。王妃に遠慮し隠れ、王宮においては陽の当たらない彼らだった。しかし、この王子の成長ぶりを目にすれば父である王も嬉しく誇らしく思うに違いない。


「陛下にお手紙をお書きになったらいかが? ご様子をお知りになりたいはず」


 たびたびサラはそう勧めてきた。それに王子は曖昧に返すばかりだ。言下に拒否をしないのは彼女を思いやってのことだ。


 一人の時に便箋に向かうことがあったのかもしれないが、それが手紙になって王宮へ送られることはなかった。


 また、王から母子への接触もない。場所が変わっただけで、今も彼らは日陰の身であるのには変わりない。その事実をサラは苦く切なく噛みしめた。


 エイミの状況は急に好転するとは思えない。しかし、王子はいつまでもこんな場にいてはいけない人だ。


 変化の乏しい限られた世界。その静かな中に長くいては、彼の未来も狭まってしまうようで怖い。


 例えば彼は馬にも乗れない。剣も学べていない。貴公子の資質として周囲は当然にそれを彼に求めるはずだ。今後の彼の劣等感に繋がるのではないかと、サラの悩みは尽きない。


 彼女の危惧を拾った王子は、以前淡々と返した。


「貴族の男子ならそうだろう。でも僕は王子だ。馬術も娯楽にしか意味がない。剣も僕自ら鞘を払わねばならない状況ならば、どれだけ長けていても無意味じゃないか」


「できるがしない」のと「できないからしない」では意味が違ってくる。また剣術の場合は心身の鍛錬の意味もあった。王子の言葉は屁理屈に聞こえかねない。


 習熟できなかったのは環境が許さなかったからで、彼のせいではない。だからといって、この先も環境のせいと甘んじているのは彼の為にならない。


「姉やが望むなら、そのうち身につける。気に病むな」


「わたしが望むからではなく、ご自分の為に」


 王子はサラを見返して返事をしなかった。少し機嫌を損ねているようなきつい目をしていた。


(出来るだけ早く、ここを出た方がいい)


 それを、王子の成長と共に焦れるように考えてきた。


 実際にエミリ大伯母へ手紙を書き、王子の処遇を問うてみた。エイミの療養に王子は付き添う形で邸に滞在している。母親の療養はそのままでも、王子だけは環境の整った王宮へ帰るべきだろう。


 そんなことを書き送った。大伯母からの返事はサラを満足させるものではなかった。


『……気の毒なエミリと離れその地を出られるのはクリーヴァー王子様にもお心残りでしょう。母子が別れてお暮らしなのは残酷なことだと考えます。


 王子様のお身の振り方には陛下のご裁可が必要です。セレヴィア側の紛争もまだ先が見えず、宮廷内も世情も騒がしいようです。そんな中陛下を煩わせるようなことをお耳に入れるのは不忠であり、厳に慎まれるものです。


 あなたには変わらず邸にてエミリの話し相手を努めることを望みます……』


 現状維持を『紛争』と『不忠』を理由に突きつけてきた。


 せめての慰撫のためか、豪華な本が送られて来た。古代史の一揃えで王子は喜んで手に取っていたのが、サラは大伯母に問題を誤魔化されたようで気が滅入る返答だった。


 王子は地図を眺めながら無意識に頬をかいた。エイミに引っ掻かれた場所だ。


「リヴ、駄目。痕になるから」


 サラの声に彼が顔を上げた。彼女へ手を伸ばす。隣に座り手を取った。王子はサラの手を握り自分の頬に当てがった。


「男の顔に傷があっても構わないだろう」


「あなたは王子だもの。注目を浴びる対象なの」


「……また僕のことで悩んでいる」


「悩んでなんか……」


「僕はここにいたい。それで満足している。何がいけない?」


「こんな場所にいるべき人じゃない。大伯母様は当てにならないわ。あなたが陛下に直接お手紙を差し上げて。もう王宮に帰るべきだとお伝えしなければ…」


「父上は僕が戻ることを喜ばれない。母上と僕が王宮を出たのは父上のご意向だ。王宮にいることは僕にとって安全ではない。だからセレヴィアからダリアを随身に呼び寄せた」


「それは……」


「母上の療養は僕を王宮から出すための表向きの名目だ。いかにもな都落ちを装えば、誰かの溜飲も下がる」


「誰か」とは王妃に他ならない。いつまで彼女はクリーヴァー王子の存在にこだわるのか。執拗過ぎる悪意で、側室への嫉妬だけでは答えにならない。


「第二王子だからだ。第一王子は病弱で人前に出ることはほぼない。その母にとって僕は息子の王位継承の障害でしかない」


 まさか、と口にしかけてサラは言葉を飲んだ。彼には王妃から毒を仕込まれた残酷な過去がある。食事を著しく制限していたのはそれに対する自衛の為だ。


 大伯母が敢えて目立たない僻地の邸を選んだのは安全のためだ。便利で目立つ場所ではいけない。使用人も限られ他人とは没交渉だ。サラを邸に加えたのは親族で信頼が置けるから。


(それに、身寄りのない孤児のわたしは御し易いもの)


「いつまで……?」


「王位継承に決着がつくまで。それまで僕は流浪の王子だろう」


 王子はころりと転がってサラの膝に頭を乗せた。彼女を見上げながら呟くように言う。


「そんな顔をするな。不憫な子供を見るようで不快だ。僕はここに満足している。何の不足も感じない」


 サラは彼の瞳を受けながら言葉を返せないでいる。彼が握る指先を握り返した。彼が事情を彼女に伏せていたのは、今と同じような表情を向けられたくなかったのだろう。


 彼女の「王子」らしくあって欲しいとの願いは、的外れな夢のようだ。


 閉塞的なここを出ればそれが叶うのだと思っていた。現実は生々しい陰謀の中に彼はいて、その終わりは見えていない。


「姉やがここを飽きたのなら、別に移ってもいい。君の望むようにする」


 彼女は首を振った。今の状況に不満があるのではなかった。


 心が焦るのは目に映る王子の成長が眩しくて、時に見ているのが辛くなるから。


(美しい鳥を歪な籠に閉じ込めているような)


 罪なのではないかと、自分を責める心の声が急かすからだ。


「背が伸びてつまらないのは、もう抱いてもらえないことだな。あれが好きだったのに。今度は僕は姉やをおぶってやろう」


 王子は笑った。小さくあくびをもらす。額に流れた彼の髪の筋に触れた。


 ふと心に浮かんだイメージがある。


(リヴだけを籠に入れるのではなく、そこにわたしも入ってしまう)


 サラは微笑んだ。


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