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黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって  作者: 帆々
帳が降りるそのときまで

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4

 雨の日が多く単調な時間が流れた。


 邸を訪れる人もいない。静かな日常の中でサラとクリーヴァー王子は親しくなっていった。


 荒れた庭の奥から崖に繋がる道がある。木々に囲まれた小道を散歩するのが二人の日課になった。


 彼はサラを「姉や」と呼び、たまにサラとも呼んだ。


 二人は多くの時間を共有し自然に理解し合った。姉弟の関係に似て親友のようでもある。サラは控え目に分を守るが、王子は彼女のそんな遠慮を嫌った。


 さらりとした青味のある黒髪を揺らし、強い瞳でサラを見つめる。


 そうやって苛立ちを表すのが常だった。自律心が強く感情をぶつけてくることはない。生来の性質もあるだろうが、環境も大きいのでは、と彼女は思った。


 崖の淵から少し離れて海を眺める。荒れた波が岩壁にぶつかり砕けるのを見つめた。風が強く王子の華奢な首が痛々しいほど寒そうだった。


 思いついて、サラは自分の持ち物から彼にスカーフを作ってあげた。それをくるりと巻いて流してやると、彼はくすぐったそうに首をすくめる。


 細い体は散歩の後には寒さに震えることもある。そんな時はすぐに熱い湯を用意させ入浴させた。膝を抱えて湯に浸る彼の肩に温まるよう湯をかけてやったりもした。


 王子は心を病んだ母の側でムラのある愛情を注がれて育った。


「母上が晴れやかに笑うのを知らない」


 は王子の言葉だ。それに淡々と繋いだ。

 

「僕はまともでないといけない」


 サラは王宮を知らない。しかし、彼ら母子に多くの視線が集まっていることは想像がつく。決して好意的なものばかりではない。王子の言動の何かを捉えて「母譲り」と見なす人々はきっとある。


 実際それらの声を王子は耳にし、姿を目に焼きつけているのではないか。今より幼い彼がどのように乗り越えたのか。残酷に思えた。


 これはごく初期に気づいたことだが、クリーヴァー王子は極端に食事が細い。出された品のほとんどを残している。好みの偏りではなく食べない。


(誰か注意をしなかったの?)


 食事は健康や成長に直結する問題だ。それをおざなりにされたままなのはサラにはあまりに訝しかった。現に彼は年齢に見合った成長を満たしていない。


 見過ごすことはできないが、どこまで踏み込んでいいものか。王子を前に言葉をためらっていると、


「我慢していたら、平気になった」


 とスプーンを置いた。もう十分らしい。


 サラには「我慢」が気になった。どう言う意味か。


「毒を盛られたことがある。弱毒を少量徐々に盛り続けると怪しまれずに毒殺できるらしい。元々弱毒だ。更に量も減らしてやれば効果は減る」


「まさか、王子様に誰が毒なんて……」


「こんな冗談が面白いか? 僕も母上のように幻想を見てそれを口にしていると?」


 サラを見返した彼の瞳は揺らがなかった。華奢な顎から首にかけての線の細さ。彼女は背筋が寒くなった。 


 首を振った。嘘とは思えなかった。


(そうであればいいのに)


 両手を強く組みながら問う。声が低くなる。


「誰がそんな恐ろしいことを……?」


「僕が死ねば溜飲が下がる人はいる。殺すまでに至らなくても、第二王子が成長不良に仕上がったことで満足なのではないかな」


「……王妃様?」


 王子はぱちりと瞬きをした。頷きもしなかったが、否定もなかった。


 王妃が第一王子を出産したのは二十年前だ。のち王は新たに側室を持ち、そこに誕生したのがクリーヴァー王子だった。


 ふとサラはエミリ大伯母の手紙の一節を思い出す。


『……お仕えしてより長らくエイミは心を病みがちでしたが、……』


 エイミが不調をきたしたのは後宮に入ってからのことだ。その事実と王妃の存在が繋がった。王子に毒を盛ることも辞さない人だ。側室を追い詰めることなど容易いだろう。


 後宮は王妃を始め側室が子供と共に住まう王の私的な宮殿のことだ。王子もそこで生まれ育った。王宮内にあってより閉じられた世界だ。王妃がその宮殿を支配する。狭い世界での絶対者。


(どれほどの目に遭われたのか……)


 サラには想像も及ばないが、ただひたすらお気の毒に思う。雲の上の世界であるのに、行われていることは彼女が出てきた館でのことと色味は変わらない。より壮絶ではあるが。


(弱い立場の者へのいじめという憂さ晴らし)


 目を伏せて唇を噛んだ。


「何か言いたげだな」


「……ここのお食事は安全です。もう少し召し上がらないと…」


「我慢が過ぎて、もうそれほど食べられない」


 その言葉にサラは涙が抑えられなかった。理不尽に傷つけられ病んだ母を見ながら、王子は懸命に戦ってきた。成長に著しく障るほど空腹に耐え続けた。


 王子の来し方に嗚咽するほど反応してしまうのは、自分の過去に少しかぶるからかもしれない。彼女だって継母らに理不尽に権利を奪われて、将来を踏み躙られてきた。


 サラは涙を何とか始末しながら考えた。ここにいる間は彼にできる限り栄養をとってもらいたい。


(まだ遅過ぎることはない)


 王子はサラを青い目で見つめる。何を思うのか少し笑っていた。


「王子は十三歳で後宮を出る決まりだ。だからその支配も及ばない。それもあってここに来た」


 サラには王宮の決まり事は謎めいていた。王子の身分ならそんなしがらみは超越できなかったのかと悔しい気もする。彼が犠牲にならずとも誰か救いの手を差し伸べる人がいなかったのだろうか。


「今回の件もダリアが骨を折ってくれた。王子の警護は彼の任ではないから反対もあったようだ」


「……そうなのですか」


「だから、泣くな」


 サラは頷いた。涙は彼への憐憫になる。それを王子は喜ぶことはないだろう。




 邸でのサラの日々に王子の食事管理が加わった。


 栄養価の高いものを食卓に載せるが、食べてもらえなければ意味がない。


 婆やに相談すると意外な案が出てきた。


「量をお召し上がりになれないのなら、食事の数を増やしたらどうでしょう」


「確かにそうね」


 ごく少量なら喉を通るかもしれない。その回数を増やしていけば、そのうち量も摂取できるようになるのでは。


 その日から始めた。通常の三食の他に二度食事を増やしてみた。それぞれは王子が食べ切れるほどのごく少量だ。


 ほんの一口のスープやちんまりと料理が盛られた皿を前に、彼は


「鳥のエサみたいだ」


 とそれは平らげてくれた。


 数日様子を見るが、総じて以前よりは食事量は摂れることが確認できた。


 サラが経過に気を良くしていると、ある時王子が食卓に着かないことがあった。声をかけても知らん顔で本を読んでいる。


(空腹ではないだろうけれど)


 邸での滞在はエイミの療養が主眼だったが、王子にとっても絶好の機会だ。気が向かないなどの我がままに従っていたら、改善するものも改善しない。


「本はお食事が済まれてからになさいませ」


 声をかけるサラをうるさいとばかりに背を向けてしまった。どうしたのかと側に行き顔をのぞいた。本に伏せた表情は笑いを堪えるように歪んでいる。


 サラの反応を面白がっているようだった。


(人の気も知らないで)


 彼女は王子の手から本をそっと抜き取った。傍らに置く。


「今はお食事のお時間です。せっかくのお料理が無駄になってしまいます」


「要らない。無駄にしたくないのなら、姉やが食べろ」


 皿の品はサラと婆やの心尽くしだ。王子の為にと特に用意している。


 王子はてこでも動かないと頭の後ろに腕を組んだ。サラを見上げてにんまりと笑った。彼女を困らせて楽しんでいるのがわかる。


 子供じみたいたずらで腹も立たないが、早めに食べてもらわなければ次の食事に障る。またおいしいうちに食べてほしい。そんな焦りもある。


 サラは王子の空いた脇に腕を入れた。そのまま力を込めて抱きかかえた。重いが運べないこともない。しっかりと抱き上げる。


 驚いたのは王子だ。


「何をする?!」


「お小さいお子様のようですもの。そのように扱って差し上げます」


 そのまま食卓に運ぶ。脚で引いた椅子に王子を座らせた。


 彼はむっつりとした顔をサラに向ける。子供扱いするなと言いたいのだろうが、何も言わなかった。


 フォークを取り上げ皿の料理を口に運んだ。


 これ以降彼が食事を拒否することはなくなった。全てサラが彼の健康を憂いての心配りだとよく理解しているようだった。


 ただ、甘えなのかじゃれなのか、彼女の前で両手をあげて見せることがままある。抱えて運べという横着ではなくサラに抱き上げてもらいたいらしい。


(そういえば、ダリア……ガラハッド公爵にも抱きかかえられていたわ)


 安心できる人にそうしてもらうことで安らぐのかもしれない。サラはそう思った。王子の育った後宮では、身近にそれを叶えてくれる人はいなかったのだろうか。


 王子のその仕草にきゅっと胸を締めつけられるような切なさが走る。彼にとっては等しくはとこ。その彼女へも同じ甘えを求めているのを感じた。


 サラの細腕にはしっかりと重い彼を抱いてあげると、王子は彼女の首筋に顔を押し当てた。


 孤独な彼に甘えられている。そうでありながら、繋がりさえ知らなかったはとこの存在に、彼女も欠けた何かを


(埋めてもらっている)


 そう気づいていた。

 

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