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黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって  作者: 帆々
帳が降りるそのときまで

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2

 長く馬車に揺られてたどり着いたのは、木々の枝が塀を越え伸びている荒れた邸だった。


 庭の鬱蒼とした緑が邸を背後から抱きしめている。辛うじて、門から玄関へのアプローチは植物の侵食を免れていた。


 サラは婆やと共に馬車を降りた。既に日暮れで辺りは暗い。玄関に立ってほどなく大きな扉が開いた。中で馬車の気配を察知したようだ。


「サラ様でございますね」


 現れたのは十五歳ほどの少女だった。後ろに若い男がいる。二人とも使用人らしくサラに慇懃に辞儀をした。それぞれゼアとニアと名乗った。兄妹という。


 エイミとその子の王子一行は明後日到着すると言った。


 ゼアニア兄妹と他、下男が使用人の全てだ。邸の規模とエイミ母子の身分を考えれば少な過ぎた。追って人手は増えていくのだろう。


 邸の中は外見ほど荒れておらず、むしろ小綺麗に整っている。大階段の壁には肖像画がかけられている。かつてこの邸に住まった貴婦人の像だ。


 サラは上階の部屋を与えられ、婆やにも厨房に近い居室が割り当てられた。 


 ゼアニアが空気を入れ替え手を入れたはずだが、邸内には古びた匂いが隠せない。住む人もなく長く閉じられていた邸であるのは間違いがなさそうだ。


 旅の疲れもあり、この日は早々に休むことにした。自室に引き取り、ベッドに腰を下ろす。調度品も美しく格式のある邸なのはサラにもわかる。


 しかし、エイミの転地の為の場ならもっと他の場がなかったのか。もっと小さくても快適な明るい住まいが相応しく思うのに。


 閉じたカーテンから外をのぞくと木の枝が窓を塞いでいる。これでは昼なお暗いだろう。しかも辺鄙な場所で村までに随分と距離がある。


 ここに住んだ人は世間の塵を嫌ったようだが、それゆえに捨てられた場所のような気もした。


 切り立った崖を背に立つ邸だ。ガラス窓を海からの風が揺らす。


(どうあれ……)


 館から離れた場所で足を伸ばしていられる今を嬉しく思った。大伯母からの最初の手紙が届いてから、思いがけず早く事が運んで今に至る。


 幾度かの手紙のやり取りを通して、サラの求めるものを伝えた。それは自立の為の援助だ。


 館を出る気持ちは早々に固まった。この仕事の後はどこか良家に住み込みで家庭教師を務めたいと考えている。令嬢にできる仕事は家庭教師が一般的だからだ。


 エイミに仕えるのもそのいい準備になるだろう。また、大伯母のつてがあればいい勤め先を紹介してもらえるとありがたい。


 そんなことを明瞭に伝えた。これに大伯母はすぐに返事をくれた。


『…将来の件は焦らずに答えを出してもらいたいです。できればわたしはその道を勧めたくありません。あなたの描くように易いものとも思われませんから。


 時間もあるでしょうから、よくよく熟考なさい。その後結論が出たなら、ご希望に沿うように必ず力になります。


 館を出るのならイングの家に迎えましょう。エイミの状況が落ち着いたのちはこちらにぜひいらっしゃい。家族の一人として歓迎します……』


 思いがけず親身な内容が綴られていた。家庭教師についての意見は苦言ではなく助言で、サラへの思いやりが感じられた。


 継母親子が館に来て以来、サラは疎外感を抱き続けてきた。父が亡くなってからはそれが喪失感に変わった。自分が属するものを失った事実をずっと拭えずにいる。


 大伯母の言葉はそんなサラの心の深部に触れた。結婚を機に絶縁された母はその後数年で他界してしまっている。その償いに近い感情も大伯母にはあるのでは……。


(単に物事が都合よく動いて機嫌がいいだけなのかもしれない。手紙の言葉通り受け取るのはおめでたいのかも)


 それでも嬉しかったのは事実だ。


 継母は館を出ることを打ち明けても、最初はサラの話を信じなかった。


「今まで便りの一つもなかった大伯母様が孤児のあんたを引き取るって? そんなおとぎ話みたない事があるもんか。足りない頭で夢なんか見たって無駄だよ。さっさと仕事を終わらせちまいな」


 父亡き後の継母は淑女を取り繕うこともしなくなった。サラが嫌になるほど下品な言動も多い。


 その継母に大伯母からの手紙を渡した。継母は中を開き笑顔を見せた。


「話のわかる大伯母様じゃないか。あんたを育て上げるのに随分金がかかったからねえ。恩返しの足しにさせてもらうよ」


 大伯母の計らいだった。サラは館には重要な働き手だ。継母は彼女を手放すことを決して良しとしない。それを見越して送られた小切手だった。サラは中を見ることを許されなかったが、継母の態度の軟化を見れば相当な金額と想像がつく。


(これはわたしについた値段だわ)


 資産家らしい収拾法は継母には実に効いた。すんなりと出立が許される。


 娘のポーを呼び、


「可愛いお前ににとびきりのドレスを作ってやるよ。どの紳士でもお前の尻の側から離れやしないようなのをさ」


 小切手の使い方で盛り上がる継母とポーの母子を見ながら、ここを出られる幸福を思った。そして、格下の家と縁付くことを嫌った大伯母の警戒心が理解できる気がした。


 館を出るのは婆やも一緒だ。そもそもがイングの家から来た人間で、サラが出るとなれば留まる理由もない。


 定刻に迎えの馬車に乗った。継母母子は興味もないのか見送りもなかった。だからそのまま簡単な荷物を持って旅立った。婆やまでが消えるのでこの日から館は家事に困ることになる。


 それを思えばサラに笑みが湧く。終わった過去を振り返る必要も感じなかった。


 眠りに落ちながら自由を感じた。その中に将来の希望も灯るような気がした。




 待ち侘びたエイミ一行は雨の中到着した。サラは豪華な馬車から降りる彼女を出迎えた。傘を差しかけると、ひどく華奢な体を縮こませて入ってくる。


 サラは彼女付きだ。後続の馬車はそのままに、暖炉で温まった居間にエイミを案内した。火の側の椅子に導く。おとなしく人形のように従った。


「旅はどうでございました? 雨では風景も楽しめませんでしょうが」


「さあ……。あなたは誰?」


「お母上のお計らいでこちらに参りました。サラと申します。お母上はエイミ様のお話し相手になってほしいとおっしゃいました」


 エイミはぼんやりとサラを見て小首を傾げる。知った面影を探っているのを感じた。


「覚えていらっしゃるでしょうか? わたしはエイミ様の従姉妹クララの娘になります」


 サラの声には期待があった。ぱっとエイミの表情に懐かしさによる歓喜が浮かぶのを。


 しかしエイミは表情を変えず、興味を失ったようにサラから目を外した。


「横になりたいわ」


 その声にサラは落胆を隠して微笑んだ。エイミの侍女を伴い寝室に案内する。居室の扉はサラの鼻先で閉じられた。エイミの身の回りの一切は侍女が取り仕切るようだった。


 そもそもサラは「話し相手」と求められている。寝室はその範疇ではない。望まれでもしない限り。


 閉じた扉から離れ、階下に降りた。


 肖像画のある階段の下が玄関ホールになっている。開け放たれた大扉に立つ男性の姿が見えた。緋のマントと衣装から護衛の人物のようだ。馬車を守って騎馬隊も到着していたから、その中の一人だろう。


 階段を降りる途中で小走りに寄って来たニアが、サラに小さくたずねた。


「兵士の方々にお飲み物を差し上げた方がよいでしょうか? 婆やさんがお嬢様にお聞きしておいでと」


「そうね。温かなお茶をお出しして。婆やはとても上手いから習って」


 頷いてニアは去った。


 階段を降り切った時、マントの男性が誰かを抱きかかえているのに気づいた。少女かと思ったが、髪や身なりで少年のようだ。思わず見入った。


 ふと男性と目が合う。ツバの広い帽子から雨が滴っていた。見ればマントの肩先もしっとりと濡れている。そこで腕の少年を床に下ろす。


 サラが男性に告げた。


「お茶をお持ちいたします。外の皆さんも中でお休みになられて」


「それはありがたい」


 ゼアが許可を聞いて外の兵を招き入れた。広い客間へ案内しようとするのを男性が止めた。


「絨毯を汚してしまう。ここで結構」


 ホールに集った兵達にニアと婆やがお茶を振る舞う。


 男性にぴったりと寄り添った少年はほっそりとした小柄だった。八歳ほどに見える。黒髪に青い瞳。サラは観察するうちにその顔がエイミの優美なそれに似通っていると気づく。


(クリーヴァー王子様だわ)


 王子様は男性から離れずに抱きついた格好だ。空いた手でカップを持ち男性がお茶を飲んだ。


 ほんの短い休憩だった。空いたカップがニアゼアの持つ盆に集まった。兵達が外へ出て行く。まだ王子は男性にしがみついたままだ。


 彼は王子の目線に合わせて身を屈めた。


「刻限だ。わたしはもう行かねば」


「僕もセレヴィアに行く」


「王子はお母上を守って差し上げないと。ここにいらっしゃるのが王家の男子のお務めだ。おわかりだろう?」


「……ダリアはいつ戻るの?」


「用が済めばすぐにでも」


 別れに、ダリアと呼ばれた男性は王子の髪を愛しげに撫ぜた。王子は半分泣き出しそうな顔で彼を見送った。


 邸に留まった王子の表情は寂しげで心細そうだ。細い肩も背も痛々しい。


 その日はサラが何を話しかけても王子は応じることがなかった。


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