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黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって  作者: 帆々
帳が降りるそのときまで

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14/58

1

 玄関から館に入ったサラへ何かが降ってきた。ふわりとしたものが頭に落ち彼女の視界を奪う。ペチコートだった。


 ホールから上を見上げると、二階の階段の欄干から義姉のポーがサラを見下ろした。


「洗って裾を繕っておいて」


 サラの返事を待つ前にポーは去って行った。命じればそれで済む。


 サラはペチコートをまとめ裏口へ持って行く。この日の洗濯は済んだ後で、物干しロープに洗ったものが揺れていた。家事の合間のひと時で、借りた本をもうとしていたところだったのに。


 ポーにはサラの都合などお構いなしだ。用があれば好きな時に命じる。それを継母が許すから事実メイドのように扱われて久しい。父が亡くなってからはその傾向が強まる一方だ。


 ポーがインク瓶をこぼして汚した裾を洗う。もう染みついて取れる汚れとは思えなかった。それでもブラシを当てがい格闘する。


「サラお嬢様、わたしがやりますよ」


 見かねた婆やが声をかける。彼女は邸にたった二人の使用人の一人だ。他は力仕事を頼む下男が一人いるばかり。


「お前はお料理の途中でしょう。いいの」


「まったく人使いの荒い穀潰しどもですよ」


 サラは頷かないが婆やの悪口を止めもしない。父が再婚した相手は金遣いが荒く、裕福だったサラの父を経済的に追い詰めた。挙句に父は病気を重くして三年前世を去った。


 節約の為に館の使用人は継母がほぼ解雇し、以降サラは令嬢の身分を奪われ、家事を押し付けられて暮らしてきた。


 彼女が継ぐべき父の遺産は父が亡くなる頃には尽きかけていた。持参金のない令嬢にはいい縁談が舞い込む訳もない。血の繋がらない継母らに使われても館に留まる理由はそこにある。


「サラお嬢様なら、どんな方に嫁がれたって見劣りするものですか。悔しゅうございますよ。亡き奥方はそれは筋目の良いお家柄ですのに」


「お金のない令嬢を妻に求める男性がいたとしたら、理性のない変人よ。そんな人を尊敬できそうにもないわね」


 頑張りのおかげでシミは随分薄くなった。それを干していると手紙を届けに配達人がやって来た。


 継母に宛てたものだろう。きっと社交の招待状だ。ポーの出会いのために継母らは出席は欠かさない。もちろんサラを伴うことはなかった。


 受け取ったそれに何気なく目をやった。宛名はサラになっていた。他所に知人もいない。彼女に手紙が来ることはなかった。


 訝りながら封を切る。乾いて荒れた手をピンとした便箋が薄く切った。傷口を唇に当てつつ広げる。


『突然の手紙を差し上げる無礼をお許し下さい……』


 そう始まる手紙はサラの母方の親戚からだった。彼女の母は彼女を産んで間もなく亡くなっている。両親は望まれた結婚ではなかったと聞く。母の亡き後つき合いもなく今まできた。


『わたしの娘が王宮に入ったこともあなたはご存知ないかもしれませんね。そのエイミは陛下の男子をお産み申し上げました。あなたとははとこの関係になるお方です……』


 手紙を書いたのは母の伯母で、娘のエイミは母と従姉妹になる。


 知らない事情ばかりで文字を目が滑る。婆やから母方は良家だったと度々聞かされてきたが、王宮に入るような身分だとは思いも寄らなかった。


(王子様とはとこになるだなんて……)


 おばの手紙は続く。


『……隣国との戦いの機運の中宮廷は騒がしく、王宮にもその影響は流れてきました。お仕えしてより長らくエイミは心を病みがちでしたが、このところ特に深刻になっているとのことです。


 側にお育ちのクリーヴァー王子様のご安全の為にもあなたのお力を貸してもらいたいのです……』


 エイミの心の状態とその子の王子がどうサラに結びつくのか。詳細が抜け過ぎて要を得ない。


(王宮絡みの事だから、遠慮もあるのだろうけれど)


 彼女は続きを読んだ。


『……近くエイミを王宮から連れ出す運びになりました。王子様もご一緒です。


 お二人がこちらに帰ることは事情が許さず、信頼の置ける方に頼り準備を整えてもらっています。その移転先であなたにエイミの話し相手をお願いしたいのです。


 あなたは気立がよくクララ(サラの母)によく似ていると知らせを受けています。エイミとクララは幼い頃より仲が良く、そんなあなたに側にいてもらえれば、必ず彼女の心の平安になると信じています……』


 手紙の終わりにはサラの尽力に対して十分な礼も用意するとある。


『あなたの誠意を心から信じています』と結び、メアリ・イングと署名があった。


 読み終えてサラは深く吐息した。


 何よりも驚きが大きいが、それが静まれば腹立ちも感じる。認められない結婚だった為、館とは疎遠だったのは理解できた。母が亡き後もそれが続いた。そこまではいい。


『あなたはクララ(サラの母)によく似ていると知らせを受けています』の一文が彼女の感情を波立たせた。


 母の伯母メアリは人を使ってサラの容姿を確認している。それなら彼女が館でどのような扱いを受けているかもわかったはずだ。


 それに対して同情や思いやりの一言もない。自分の都合のみを述べて『あなたの誠意を心から信じています』などと上目線だ。


 不遇な彼女を助ける義務は疎遠のメアリにはない。知らなかったのもしょうがない。しかし、自分に必要になった途端に思い出すのは傲慢ではないか。


 手紙を読み返す。抑えた文章に、サラには大伯母に当たるメアリの切羽詰まった状況もうかがえるような気もした。忘れていたサラにすら縋らねばならない緊急事態とも言える。


 彼女は手紙を手に館の中へ戻った。母に従ってこの館にやって来た婆やは母の実家に詳しいはずだ。




 サラから渡された手紙を読んで、婆やはため息をついた。


「奥様はよほどお困りでいらっしゃる」


 婆やが語るメアリは気位の高い名門の総領娘だという。婿養子を迎えて家を継ぎ家門を担ってきた。サラの祖母の姉になるから大伯母だ。厳しい人で、サラの両親の結婚に許可を与えなかったのはこの人の決定だった。


「そんな奥様がサラお嬢様を頼りにするお手紙を書かれたのは、よほどの事ですよ」


「婆やはこのエイミという方を知っている?」


「それは存じております。可憐なご令嬢でした。サラお嬢様のお母様のクララ様とは姉妹のようでいらっしゃった。まさか王宮に入っていらっしゃるとは……。王子様までお生まれとは大層なご出世ですよ」


 館は王都から遠く離れた場所にある。また家事にかかり切りの身では王宮の様子など知りようもなかった。手紙に記された「戦いの機運」というのも恐ろしい。


「どうなさるおつもりです?」


 サラは手紙を封にしまいながら答えた。メアリ大伯母を身勝手で傲慢に感じたこと。こんな手紙一通で母を絶縁した過去を清算するつもりなのか……。


 彼女の言葉に婆やは一々頷いた。父亡き後のサラの不遇は気の毒の言葉では済まされない。望みのない今からどんな将来が描けようか。


「でもね、ここにいるよりはいいのではないかと思うの」


「それはそうですとも」


 手紙には尽力への対価も記されている。何も持たないサラにはそれは大きな希望だった。


 手紙には「エイミの話し相手」とあるから、侍女のようなものだろう。王子を生した女性に仕えることに抵抗はなかった。親族と言っても面識もない。


 王宮を出て転地を迫られるエイミに同情は起きなかった。存在も淡く、王の思い人が心を病んでしまった理由も想像がつかない。


 ただ、大伯母メアリからの手紙はサラにとって変化だ。何より、

 

(今よりきっとまし)


 の思いが強い。


 婆やに話すことでメアリ大伯母への反感も薄らいだ。この先館を出て一人で身を立てていくことに繋がればいい。野心には遠い希望が湧き上がる。


「返事を書くつもり。もう少し詳しいことを教わりたいもの」


「それがよろしいですよ」


 二人が話していると、上階から叫びに似た継母の呼び声だ。サラを呼んでいる。何か命じることを見つけたようだ。落ちたピンを探せだの、窓を開けろだの、細かな命令は尽きない。


「あんなに大声を出してわたしを呼ぶなら、ご自分で済ました方が早いのに」


 彼女は婆やに微笑んでから厨房を出た。


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