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砲火なき戦場

一 「傀儡政権」の影と静かな怒り

1961年末。街頭ではまだ革命の炎が燃え上がる気配はなかったが、都市の知識層と学生たちの間では囁かれていた。


「この国はまだデルガドが治めている。」


実際、シルビオ・デルガド元大統領は公式には引退していたものの、与党の最高顧問、国防戦略評議会の名誉議長、そして外交アドバイザーとして、あらゆる場に顔を出していた。閣僚人事にも影響を及ぼし、彼の同意なしに大きな政策は動かないとさえ言われた。


その姿に苛立ちを募らせたのは、かつての左派候補フェルナンド・カストレルを支持した若者たちだった。彼らはマリアーノを「デルガドの影」、「絹の手袋をした警察国家の使い」と呼んだが、政権を揺るがすほどの力には至らなかった。




二 世界が止まった日

1962年10月。アメリカ偵察機がキューバにソ連の核ミサイル基地の建設を確認したという報が、ワシントンからサン・マグヌスに極秘で伝えられた。


マリアーノ大統領は、デルガドと数名の高官を招き、緊急の国家安全保障会議を開く。CIAの駐在官から詳細な衛星写真と報告を受けた大統領は、即座に対応を決断した。


「我が国は、アメリカ合衆国の最も近い同盟国のひとつとして、この脅威に断固として対峙する。」


翌日、サン・マグヌス政府はキューバに対する海上封鎖作戦への参加を表明。 国防省は駆逐艦「サン・アンドレス」と「ビジャ・セラ」を派遣。2隻はアメリカ第2艦隊の指揮下に入り、ベリーズ沖とジャマイカ海峡の監視任務を担った。




三 「静かな従属」としての選択

国内では賛否が割れた。


与党と軍部は「自由の防衛」「核の脅威からの抑止」を唱え、全面的に作戦参加を支持。


一部の知識人、特に大学内では「アメリカの私戦に巻き込まれるな」「キューバとは話し合いを」との声が上がった。


だが、戒厳令に近い国内警戒態勢と、報道の厳しい統制の下で、反対派は可視化される前に潰されていった。


「我が国は、自らの意思で選んだ道を歩んでいる。」


マリアーノ大統領のこの声明は、国際社会向けであり、国内向けであり、何よりもデルガドに対する忠誠の再確認でもあった。




四 危機の終結と、残されたもの

10月28日、キューバ危機は終結。ソ連がミサイルを撤去し、アメリカはキューバへの侵攻を断念する。


この勝利は、ホワイトハウスと共にサン・マグヌス政府にも政治的成果をもたらした。


アメリカからの経済援助が拡大


軍備近代化支援が強化


サン・マグヌスの「地域の安定要」としての地位が国際的に評価


だが、その裏で、失われた主権意識、抑圧された言論、封じられた対話が、静かに地下へと潜っていった。


エルネスト・ルイス元中尉は手記にこう残した。


「戦争はなかった。だが我々は、戦わずして自らの未来を手放したのかもしれない。」

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