鉄の継承
一 デルガドの退場
1960年秋、シルビオ・デルガド大統領は静かに政界の表舞台から退き、3期12年にわたる統治に幕を引いた。国民からは「安定と繁栄の時代の立役者」として讃えられたが、政権末期には官僚主義と汚職が根を張り、「彼の時代は長すぎた」という声もささやかれていた。
退陣前、デルガドは最後の演説でこう述べた。
「私はこの国に、自由、秩序、繁栄を残した。次に求められるのは、それを守る知恵である。」
二 継承と選挙
1960年の大統領選挙は、デルガド時代の評価とその継続の是非を問う形となった。
与党候補:エミリオ・マリアーノ内相。冷静沈着な官僚で、デルガドの腹心として治安と内政を握ってきた人物。
対立候補:急進左派のフェルナンド・カストレル教授。キューバ革命に触発され、農地改革と対米自立を掲げて登場。
カストレルは大学生や都市の労働者層から一定の支持を得たが、地方の保守層や軍部、企業界、そしてアメリカ大使館はマリアーノを強く後押しした。
結果、マリアーノは68%の得票で当選。選挙後、彼は「デルガドの遺志を継ぎ、より強靭な国家を築く」と高らかに宣言した。
三 冷戦外交とワシントン会談
1961年春、新大統領エミリオ・マリアーノは早速ワシントンD.C.を訪問し、アイゼンハワー大統領と会談を行った。
この時期、キューバはソ連との結びつきを強め、共産主義の「実験場」と化していた。両首脳は会談で次のような認識を共有した。
カリブ海地域における共産主義の拡大は重大な脅威である
アメリカと同盟諸国による情報協力体制の強化が不可欠
経済的繁栄は社会主義への転向を防ぐ防波堤である
マリアーノ大統領はこう語った。
「サン・マグヌスは、自由の砦であり続けます。キューバとは違う道を選び、この地域に安定と正義をもたらす一員として貢献する所存です。」
この会談により、サン・マグヌスは再び「模範的親米国家」としてアメリカの信頼を獲得した。見返りとして、経済支援と新たな防衛協力計画が提示され、米軍顧問団の増員、電子監視網の整備支援が約束された。
だが──キューバ危機の足音は、すでに近づいていた。