表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/48

鉄の継承

一 デルガドの退場

1960年秋、シルビオ・デルガド大統領は静かに政界の表舞台から退き、3期12年にわたる統治に幕を引いた。国民からは「安定と繁栄の時代の立役者」として讃えられたが、政権末期には官僚主義と汚職が根を張り、「彼の時代は長すぎた」という声もささやかれていた。


退陣前、デルガドは最後の演説でこう述べた。


「私はこの国に、自由、秩序、繁栄を残した。次に求められるのは、それを守る知恵である。」




二 継承と選挙

1960年の大統領選挙は、デルガド時代の評価とその継続の是非を問う形となった。


与党候補:エミリオ・マリアーノ内相。冷静沈着な官僚で、デルガドの腹心として治安と内政を握ってきた人物。


対立候補:急進左派のフェルナンド・カストレル教授。キューバ革命に触発され、農地改革と対米自立を掲げて登場。


カストレルは大学生や都市の労働者層から一定の支持を得たが、地方の保守層や軍部、企業界、そしてアメリカ大使館はマリアーノを強く後押しした。


結果、マリアーノは68%の得票で当選。選挙後、彼は「デルガドの遺志を継ぎ、より強靭な国家を築く」と高らかに宣言した。




三 冷戦外交とワシントン会談

1961年春、新大統領エミリオ・マリアーノは早速ワシントンD.C.を訪問し、アイゼンハワー大統領と会談を行った。


この時期、キューバはソ連との結びつきを強め、共産主義の「実験場」と化していた。両首脳は会談で次のような認識を共有した。


カリブ海地域における共産主義の拡大は重大な脅威である


アメリカと同盟諸国による情報協力体制の強化が不可欠


経済的繁栄は社会主義への転向を防ぐ防波堤である


マリアーノ大統領はこう語った。


「サン・マグヌスは、自由の砦であり続けます。キューバとは違う道を選び、この地域に安定と正義をもたらす一員として貢献する所存です。」


この会談により、サン・マグヌスは再び「模範的親米国家」としてアメリカの信頼を獲得した。見返りとして、経済支援と新たな防衛協力計画が提示され、米軍顧問団の増員、電子監視網の整備支援が約束された。


だが──キューバ危機の足音は、すでに近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ