3 生徒会室にて②
斎生徒会長とブックカフェで会食した翌々日の昼休み。鞄を担いだ私は肩を怒らせ靴音を立てて歩いていた。意図が目当ての人物に伝わるのか不明確だったがそうせざるを得ない理由があった。向かう先は生徒会室。程なく到着。引き戸を蹴破りたい衝動を押さえて粛々とノックをした。
「はあい」
というやや間の抜けた感じの斎生徒会長の返事。別人ではない。別人が往訪する道理もない。この部屋を訪れる可能性があるのは私一人。つまり斎生徒会長はノックの主が私であると確信している。故に間の抜けた返事をした。全ての話が繋がるのを確認し私は引き戸を開けた。
「こんにちは渡辺副会長。一昨日はどうもありがとう。一緒にお昼でも食べる?」
「そうします。用件を済ませましたら。ところで学校では名字と肩書きで呼び合うんですか」
斎生徒会長はコの字型に並んだ机のお誕生席で、お弁当をぱくついていた。私室扱いしているというのは本当らしい。壁際の本棚には相変わらず参考書など私物も多い。シリーズものの文庫本が鎮座するのも再確認。箸を動かしつつ斎生徒会長は答えた。
「パブリックな場所でのある種の節度は必要と思うの」
「ふーん……まあ、理解しました。ところで話は変わりますが」
「ええ」
つい話が脱線しがちな自分自身を諫めるため敢えて逆説の接続詞を使用した。とっておきの逆説だ。名探偵の「全員を集めてくれ」並の転換力を保有している。つい話が脱線した。
鞄からあるものを私は取り出す。成り行きを見守っていた斎生徒会長は、私が取り出したものに目を丸くした。おまけに箸も止まった。私が往訪した時は箸は止まらなかった。つまり【私<あるもの】が成立し気持ちが深く沈んでしまった。
私が取り出したあるもの──それは一冊の文庫本。
今も生徒会室の本棚の一角にシリーズ全巻が鎮座している。冊数から最新刊もちゃんと収めてある。一昨日の土曜に訪れた本屋でちょうど新刊発売日と知った。その本だった。
「どうして渡辺副会長がその本を……あら、肩を落としてしょぼくれた顔。らしくないわ」
「詮無きことです。実はですね一昨日偶然にお会いした本屋で一巻を買ってみたんです。斎生徒会長が本棚に常備するくらいだから、どんなもんなのかなって、軽い気持ちで」
「そうなんだ。どうだった?」
「あ、斎生徒会長とブックカフェでお話した後じゃなくて、買ったのはその前です。変なバイアスがかかって買ったのでなく、純然たる作品への好奇心で買ったんです。斎生徒会長とお近づきになりたいとか、そういう不純じゃないのでご承知おきを」
「経緯はどうでもいいから。どうだった?」
箸を止めて斎生徒会長がせっつく。より脱線させて気を持たせてもいいが本気で叱られそうなのでやめる。私は空気が読めるんだ。
「とっっっっっっっっっっっっっっっっても良かったです。斎生徒会長と会食した夜読んだんですが、我慢できなくて翌朝つまり昨日も朝から本屋で開店待ちして全巻揃えちゃいました」
昨日のうちに新刊を含めた全20巻を読破済み。世が世ならテヘペロと舌のひとつも見せてるが今は令和。だが掛け値なしに面白かったし今も再読の旅に出たい。飯食ってる場合じゃねえ。そんなことを伝えようとしたのだが──。
コの字に並んだ机のお誕生席に座る斎生徒会長が椅子をはねとばし駆け寄ってきた。
「悠……!」
そして抱きしめられた。前提条件として、確かに斎生徒会長は私に比べて体つきは女性らしいが、ふくよかな胸に鼻先が押し込められるほど身長差はない。しかし目線一つ分くらいの差はある。低いのが私。つまりフェイスを互い違いにしないと交通事故が起きる位置関係。故にそうするしかないが、そうすると斎生徒会長の肩口に顎が乗るくらいの高低差となり、烏の濡れ羽色のセミロングの毛先が顔先で揺れ、いい匂いが届いてくる。そういう類のハグ・シーンとなった。ちなみに交通事故というのはキスのスラング。
「あの斎生徒会長。ここはパブリックな場。ある種の節度が求められる場所です。また名字で肩書きどころか呼び捨てになってます。これまで提示されたルール上の問題二点に加え、斎生徒会長が男性ならばセクハラで訴えられています」
「提示されたルールは撤回するし、私は同性だからノーリスク・ノーコンプライアンス・ノーガードで大丈夫」
いや同性でも今日びは……と抗う間もなくぎゅっと抱きしめられる。ありがとう。読んでくれて本当にありがとう。今だけは名前で呼び捨ててもいいとドサマギのように付け加える。呼ばれたかったのか。しかし言葉尻が震えているのできっと本気。否定三段活用はきっと思いついた順に適当だ。誰の影響だ。
「私が小学生の頃から続いてるシリーズで、昔から大好きな小説だったの。布教の意味で一年の時から生徒会室の本棚に置いてたけど誰も気付いてくれなくて……もう無理なのかなって諦めてたのだけど」
「僭越ながら生徒会室に置いていてはご自宅で読めないのでは」
「棚のは布教用。自分用と保存用であと2冊ずつあるよ」
「そっか。強いオタクだったんですね」
うん。そう斎生徒会長……いや、栞が(思い切って!)うなずく素振りをし髪先が揺れると、私の精神も同じように揺れた(雑な比喩)。
本屋でレジしてた店員さんが「さっきも3冊買っていった人がいた」とこぼしていたことの伏線もちゃっかりと回収された。ちゃっかりとね。せっかくなのでもう一つくらい回収をしておく。
「改めて伺うまでもないかもですが、念のためご確認。し、し、栞が金曜日、私を招聘してまで生徒会の仕事を終わらせたかったの、新刊の発売日までに仕事を片づけたかったからですよね」
「そうだよ。全部悠のおかげ。感謝してる」
よりぎゅぎゅっと強く抱かれる。ギブギブ。吐く。
ハグは10秒、20秒。いやもっと長く続いた気がしたが、やがて抱きしめられていた身体が名残惜しそうに離れていく。いい匂い。予想外に長い。その二つが印象として残る斎生徒会長のハグだった。
「意外と抱き心地が良くてつい。また今度、機会があればしてもいい?」
「そういう間柄になったら、いつでもいいですよ」
「検討する」
それはさて置いてと斎生徒会長は指定席に戻りしなに、右手側の席の椅子を引き、座ってとアピールしていく。折角だからお話しようアピールだ。むしろそれは上等であり、こんな面白い本をこれまで独り占めしていたのか許せない。もし許してほしくば語り合う相手になってくれ。そういう方向性を表すべく、肩をいからせ靴音を立てて往訪したのを思い出した。結果的に方向性は異なったが結果オーライ。
対抗して私も席につきしなに、どうしても確認しなければならない事柄をぶつけた。
「ところで斎生徒会長。私とその小説文庫本。どちらが斎生徒会長にとっては重要ですか?。現段階では【私<文庫本】の不等号の向きが変わる要素が見つけられないんですがそれは」
「は?」
斎生徒会長が愛読するその小説の内容を簡単に説明すると、ある高校の生徒会を舞台にした物語だ。生徒会が一種のカリスマのように扱われ、誰を『推し』ているかで一般生徒たちは話の花を咲かす。そういう風土ある高等学校。自ら平凡オブ平凡を名乗る一年生の主人公は自分はそんな生徒会とは縁がないと高をくくり、今日も『推し』たる生徒会長をこっそりと慕う日々であったが、ある日ひょんなことから当の生徒会長と関わることとなり、『後継者』として指命されてしまう──つまり、生徒会に入ることとなる物語だ。一見シンデレラストーリーだが、どちらかというと、平凡あるが、持ち前のバイタリティと行動力で、様々な問題を抱えた生徒会役員たちに影響を与え、問題を解決し、成長を促していくヒューマンドラマであり、平凡だが面白味ある主人公の性格付けと相まり、老若男女に愛され、ベストセラーとなった作品であった。アニメ化や実写ドラマ化。映画化。舞台化。脱出ゲーム化。等々……様々なメディアミックス化が図られた結果、注目度が向上。それらメディア展開が一段落しても、原作小説シリーズは刊行を続け、ファンに愛され続けているシリーズだった。名前は知っていたが、何となく流行りものだろと関わりを避けていた。ところが今回、始まりたる原作小説に触れいたく感銘を受けた。そういう経緯だ。
私たちは短い昼休みを惜しみ小説について語り合った。鉄は熱いうちに叩く。私の口からは作品に対する感想がとどまることなく湧き溢れ続けた。私は訳の分からないことを喋って訳の分からないオチをつける自己完結型のオタクである自覚がある。相手を程々に引かせ、一定の距離を保ち、無難に立ち回る人間関係を心がけている。理由はひとつ。自分の気質に合致していて、周囲に迷惑をかけないからだ。そんな私の作品語りなど訳の分からなさの極みの有様だったが、斎生徒会長はファン歴十年の海千山千の古参だった。メディアミックスにより作品認知度が拡大していくに連れ、様々な層のファンが流入してきた。何せ様々な層である。ファンとして活動していく中、原作小説を愛する人々のパーソナリティとは似つかない人々とも遭遇したらしい。作品認知度が高まる上での弊害。だがそうした人々とも古参ぶらずに関わってきたのは、ひとえに「作品はいいけどファンがアレだから怖い、近寄らんとこ……」となるのを防ぐため。翻って作品の社会的印象を低下させる。自分たちファンさえよければという視点では最終的に作品の社会的価値を貶める。それをしない、させない、させられない(啓蒙を押しつけないことの意)というスタンスで、様々な種類のファンに門戸を開いて関わってきた。努力は実を結び今も様々な世代のファンに愛される人気シリーズとなっている。
私たち箸を動かす時間を惜しんで話し込んだ。作品への率直な「好き」という気持ちの表現となる熱い語りや、ネタっぽい部分に腹を抱えて笑ったこと。社会的な問題にも通ずる深いテーマや考察。またキャラクターが立っていて人間関係が精緻に描かれてることから、誰かと誰かが実は恋仲で、男女の間柄……何なら同性同士でも恋人同士ではないかと穿つほど絆の深い関係性も垣間見えるから故。そもそも主人公と生徒会長からして同性同士で恋人のような距離感で関わる。そんな妄想トークも大いに捗った。幸い「誰それと誰それが恋人同士でそれ以外は認めない」という点で解釈違いも起きず一安心だった。私など文字通り昨日今日ファンになった新参。特有の勢いだけで先走りがちのトークを古参の斎生徒会長が制御し無軌道でエモいだけにならず済んだのは大きい。感情と理論を混ぜて理知と本能を両立させ、語り合った。
たかが一時間足らずの昼休みが、人生において希にみる濃い時間として私の胸に残っていった──。
残り僅かの昼休みを惜しむよう斎生徒会長が率直な気持ちを語っていく。
「ほんとに好きな小説なんだ。子供の頃から大好きで、こんな学校生活に憧れてた。何度も繰り返し読んだ。きっと親の顔より見てると思う」
「親御さんが聞いたら悲しむでしょうが、気持ちは分かります。あれ、そういえば」
「ん?」
「もしかして斎生徒会長が『学生らしさ』に憧れていたのって、この作品がきっかけだったりします?」
「────────そう。ヘンかな?」
小説ならダッシュを複数個挿入してるくらい間を持たせ斎生徒会長がうなずいた。仮にフィクションが人が人に向けて作るものであれば、受け取った斎生徒会長が影響を受けたことは正しい。ソシャゲのシナリオをただの情報と認知し、このキャラはこういう設定背負ってるんだ。理解。みたいな楽しみ方をする私には縁が無いたしなみ方だ。これまでの、ね。
先週の私ならば「ヘンじゃないです私もそういうことあります」と適当に合わせただろうが今は違う。
「ヘンじゃないです。素敵だと思います」
と、心から賛同をした。斎生徒会長は安堵したように頷いた。
なるほど全て話が繋がったと思ったが、どこかで何かが引っかかる。こういう時の気づきは馬鹿に出来ない。ヒントを模索し記憶を過去へ回想させる。
すると私は思い至る。一昨日のブックカフェでの会話劇を脳内再生する。そう。記憶力はいい方なんだ。
『あ、べ、別に誰でも良かったとかじゃないよ。学生らしければ相手は誰でもいいとか、そういうのはない。一番話しを聞いてもらえそうだったし、同性だし、副会長だし、トータルで総合的に判断して悠さんに声をかけたの』
一番アレな会話が再生された。
学生らしさに憧れて生徒会長に立候補し、一抹の期待をかけて誰かに声をかけた。それがたまたま私だった。いや、自虐はよそう。今の生徒会では私がもっとも妥当であると判断されたということだ。
そこで序列の話を思い出す。【小説>私】が現段階。
(※斎生徒会長が食べてた弁当の箸を動かす手が閾値になる)
それはさて置き。一昨日のブックカフェで私たちは談笑した。しかし斎生徒会長にとって親の顔より見た小説の最新巻の発売日も同日。だが斎生徒会長は、あの時にすでに購入していた新刊を読むより私との対話を優先した。だとすると【小説<私】という不等式が成立するのではと論理的に結論づけざるを得ない。唐突に私は気付いてしまった。
唐突に私は気づいてしまった!
(エクステンション・マークを10個くらい連打をしたいが、仮にこれが小説なら2個以上は記載が難しいので止めておく。(あ、でも例えば横書きのネット上の小説サイトに掲載しておくだけなら!は2個でも3個でもつけられる。しかし万に一つ、億に一つの確率で書籍化、出版化など迎える日が来たらやっぱり困るので!は1個にしておく))
先輩は訝しげに眉をひそめた。
「どうしたの。急にニタニタと気味悪い笑みを浮かべて。やっぱりヘンだと思ってるんでしょう」
「いえ全然。ただ不等号の向きの変化に想い馳せていただけです」
「は?」
「なんでもないです。それよりも斎生徒会長」
ん、と斎生徒会長が小首をかしげる。私は真っ直ぐにこう言った。
「学生らしいこと、したいですね。斎生徒会長が愛して。この私も今後愛していくであろう、この小説シリーズのように。活発に生徒会活動していけたら、きっと学生らしい思い出になります。今私は心からそう思っています。あ、昨日のブックカフェの時が決して心からでないとかそういう意味ではないの、くれぐれも勇み足で病まないでください」
「うふふ、はあい。けど、どうやって?」
「私と斎生徒会長だけでは限界があります。他の生徒会役員たちも召集すべきです。そのためには……」
興味深げに身を乗り出す斎生徒会長に向けこう言った。
「私と斎生徒会長が、いちゃいちゃすればいいんです」