第2話 眉毛の下にはただの飾り穴
古川グループの社員は、奈々子の騒ぎに以前から不満を抱えており、特に秘書たちはその思いが強い。
監視カメラ映像をわざわざ確認するとなると、彼らが嘘をついて彼女を陥れたと暗に言っているようなものではないか?
彼らは皆、奈々子のことを目にしているからこそ口にしているわけで、確信がなければ誰もそんなことは言えないだろう。
だが、古川が命じると、監視映像は迅速にプロジェクターに映し出された。
早送りされた映像では、奈々子がオフィスに入ってから30分滞在し、誰も会えなかったようで、暗い顔をして出ていく様子が明確に確認された。
その場にいた社員たちはみな内心で嘲笑し、奈々子はまさに「壁にぶつかっても引き返さない」タイプだと考え、彼女がどうやってこの状況を弁解するのかと期待していた。
しかし、額に汗を浮かべていたのは高坂だけだった。
その監視映像に、彼女の姿が映り込んだのだ。
高坂は瞳孔を縮め、慎重に古川を一瞥した。
奈々子を睨んでいた他の社員たちはその場面に一瞬驚いたが、反応しない者もいた。
映像が停止されると、古川の表情はまるで氷のように冷酷だった。
やはり本当だったのか。
彼は、「総裁室には奈々子だけが出入りしていた」と主張していた社員たちに冷たい声で問いかけた。
「本当に奈々子だけだったのか?」
その社員たちはしばらく反応ができず、ようやくベテランの秘書が口を開いた。
「古川先生、それが問題ですか?奈々子様だけですが……」
他の者も頷いた。
【まったく、まゆげの下には飾りのような穴しかついていないのか、瞬きはするけど見てはいないね。】
奈々子の心の声が耳に入り、古川の表情がさらに険しくなった。
そのとき、突然、男性の声が響いた。
「実を言うと、正確には二人が出入りしていました。ひとりは奈々子様、もうひとりは……高坂さんです!」
【なんと、ここにも目が節穴じゃない人がいるとは!】
声のほうを振り返ると、末端に立っている若い男性が見えた。最近昇格したばかりの新人秘書だ。
古川は、奈々子が疑われた際にこの男性が出張中で不在だったことを思い出した。
他の社員たちはようやく事態を把握し始めたが、やはり容疑者は奈々子のみだと断定した。
「何を言っているんだ?高坂さんはもともと頻繁に出入りしてるじゃないか。」
「君はまだ来たばかりで知らないだろうが、高坂さんは社長の信頼厚い右腕なんだ。」
「まさか君は高坂さんが会社を裏切ったとでも言うつもりか?」
その話しぶりは大げさで、まるでありえないことを聞かされているかのようだった。
古川は突然冷ややかに鼻で笑い、場は一瞬で静まり返った。
奈々子は内心、笑いをこらえた。
【彼らが真実を知ったら、どんな顔をするだろう?】
奈々子は、無条件で信頼を寄せられている高坂に好奇心を抱いて視線を向けた。
高坂麗、本名高坂月は、手入れの行き届いた巻き気味のポニーテール、ピッタリとしたスーツのタイトスカートが彼女の体のラインを際立たせ、淡いメイクで完璧な美貌を仕上げていた。
だが、この時の彼女の表情は非常に不自然だった。
【でも、彼らは悪くない。だって、彼らが高坂と私に対する態度を決めているのは、すべて古川の真似なんだから。】
隣でその心の声を聞いた古川は心の中でピリリと痛みを感じた。
確かに、彼のせいだ!
「高坂さん、何か説明することはあるか?」
「社長、私を疑っているのですか?」
高坂は少し心に疚しさを覚えながらも、すぐに落ち着きを取り戻し、信じられないという口調で応えた。
「確かに私はオフィスに入りましたが、毎晩あなたの翌日の会議準備のために行っているのをお忘れですか?」
【だからこそ、私がひとりで出入りしているタイミングを狙って仕掛けやすい。長い間準備していたんだ、さすがに計画が巧妙だね!】
【でも……秘書たちって、毎晩残業するの?古川ってそんなに従業員をこき使うタイプの社長だったの?離婚後に『労働法』を送ろうかしら!】
そこかよ!これは君の無実に関わる話だぞ!
しかも……うちの従業員の残業代は全て時給の3倍だ!
古川は、危うく奈々子の心の声に引きずられそうになったが、すぐに気持ちを引き締め直した。
「出入りした者は皆、調査を受けるべきだ。例外はない!」
高坂はすぐに悔しそうで傷ついた表情を浮かべた。
まさか古川が急に自分を奈々子と同じように扱うとは思ってもいなかったのだ。あの愚かな女がもう認めているのに!
自分が古川の心の中でこの女と同じ地位だというのか?彼のそばで十年も支え、大事なことも小さなことも一度もミスをしたことがないのに。
他の秘書たちも不満げな表情をしており、社長が慎重すぎるのではないかと思っているようだった。高坂と奈々子なら、どう考えても悪いのは奈々子の方だろう!
このように高坂を扱えば、忠実な部下の心を冷えさせるのではないか?
さらに、社長には見えていないようだったが、他の秘書たちには明らかだった。実際、高坂はずっと密かに古川に想いを寄せ、彼に一途な態度で接している。奈々子と対等に競うこともできたのに、彼女はいつも奈々子にいじめられても反抗せず、ましてや古川グループを裏切るわけがないのだ!
その時、張り詰めた空気の中、大きな笑い声が入口から聞こえてきた。奈々子が好奇心からそちらを見やると、数人が威勢よく入ってきた。
秘書たちはみな一歩下がって、道を空けた。
奈々子は必死に記憶をたどってみると、先頭にいた地中海スタイルの中年男性は、取締役会の三井取締役だった。
先ほど笑ったのは彼の後ろにある金髪の青年だった。
彼は三井取締役の息子で、三井俊太という。見たところ、遊び半分の御曹司で、会社で時間を潰しているような人物。
その三井俊太が高坂のそばに一歩進み、古川に向かって険しい表情で言った。
「古川朔、お前は正気を失ったのか?取締役会ではこの厄介者と離婚する話をしたばかりだろう?それで今、何をやってるんだ?」
「その件で疑うことなんてあるか?わざわざ監視カメラを確認する価値があるのか?それに笑わせるのは、今聞いた話だ。お前は忠実な高坂さんに疑いを向けて、彼女にも調査を受けさせるつもりなのか?まさか、正気じゃないだろう!」
三井取締役は形式的に三井俊太に「チッ」と舌打ちしながら注意を与えた。
「やれやれ、なんて口のきき方をするんだ、古川社長は慎重に仕事をすることが長所だ。別に高坂さんを疑っているわけではないだろう。たぶん奥様が罪を認めないから、こういうことになっているだけだ。」
三井俊太はすぐに奈々子を鋭く睨みつけた。
「この女め、こんな時に他人を巻き込もうとするなんて、全く理解できない……」
三井俊太が侮辱的な発言をする前に、古川は一歩前に出て冷ややかな表情で奈々子の前に立ち、口を開こうとした。
【どこの下水道のマンホールが盗まれて、こんな厄介者が出てきたのかしら?】
古川は言おうとした言葉が喉に詰まった。
【三井俊太だな!こんな風に会社の大物に喧嘩を売るとは、何を根拠にそんな態度を取ってるんだを見せてもらう。】
古川朔、グループの“大物”として一瞬戸惑った。
何を見てるんだ?
【なるほど、三井取締役は取締役会で地位が高く、古川に対抗する立場にあるのか。もし、三井俊太があまりにも使えなくなければ、古川の優秀さも相まって、古川父が引退する際に、三井取締役は自分の息子を上位に押し上げようとしていたんだ。どうりで三井俊太が古川の前でちょっと態度が中途半端なのもわかるわけだ。】
古川は驚きを隠せなかった。
明らかに奈々子は以前、彼らグループ内の関係について何も知らなかったはずなのに、突然こうして……それも「見て」わかったと?
さらに、彼女は自分がオフィスを出入りした後に高坂が入っていたことも知るはずがない……やっぱり彼女には何か「秘密」があるのか?
【うわぁ!なにこれ!】
奈々子の突然の叫びに古川は驚き、心の中で「彼女はまた何を見たんだ?」と思いながらも、三井俊太が高坂を庇う発言に耳を傾けた。
【なるほど、私に対してこうも攻撃的で、高坂を守ろうとしてるわけね。】
【まさか三井俊太は高坂のことが好きだなんて】
【あはは、しかも尽くし系なのに、高坂にとってはただの都合のいい人だなんて、本当に笑わせるわ!】
古川朔は驚愕した。
三井俊太が高坂麗を好きだと??尽くし系?
【毎日、朝も昼も夜も挨拶して、雨の日には傘、寒くなると服、いろいろな気遣いは相手が無視しても2年も続けたとは。すごい根性だわ!】
その根性を仕事に活かしてほしい……と古川は思った。
【高坂麗が「欲しい」とぽろっと言った物を手に入れるためにパリ中を駆け巡って探し出し、結局熱を出して倒れたのに、高坂は「お薬を飲んでね」しか言わなかった。献身の心に涙出るわ!】
仕事にもその献身を向けてくれよ!と古川が。
【それから夜中に彼女の部屋の下でギターを弾きながら歌い、近隣から通報されて警察に連れて行かれたのに、高坂は迎えに来ず、自力で何とかしたって。しかも後で「彼女の睡眠を妨害したかもしれない」と詫びたなんて!細やかな気配りが怖いくらいだわ!】
古川朔:じゃあ、どうして仕事中はミスを連発するんだ?なぜその細やかさを仕事に活かせないんだ?
【まだあるって?】
古川朔:まだあるのか?!
【高坂に惚れた後は、他の女性と付き合わず、誠実を貫き通してる。いやまあ、それだけならいいけど、彼女の写真を見ながら深夜に布団の中で……え、こんな制限付きの話をここに出さないで!他人のプライバシーなんて興味ないわ!】
古川朔:……!
そして、今まさに彼らの前で堂々と義憤に駆られている三井俊太は、自分の秘密がすべて奈々子に暴露されていることなど全く知らず、ただ目の前の二人が微妙な目で自分を見つめていることに気づいていた。
その視線には、どこか同情と「どうしても期待に応えられないもどかしさ」が混じっているように感じたのだが、これは一体どういうことだ?
【ははは、これは全部三井取締役の仕業ってことね!】
古川朔:???また三井取締役が関係あるのか?
……あれ?そういえば、さっき自分は何をしようとしていたんだっけ?
古川は頭が混乱していたが、最終的には奈々子の情熱的な心の声にすっかり気を取られてしまった。
ゴシップの力は、どれだけ真面目な人でも抗えない誘惑だ。




