だから、わたくしは彼を捨てます。今度こそ後悔しない生き方をするわ。
フェリアーネ・リッケル公爵令嬢には、幼い頃から決められた婚約者がいた。
ブラッド・クルス伯爵令息。
それはもう、彼は美しくて、初めて会った互いが10歳の時、フェリアーネの心はドキドキしたのだ。
金の髪に青い瞳のブラッド。にこやかに微笑まれたその時からフェリアーネの心はブラッドの物になった。
この人と、先行き、結婚出来るなんて、なんて幸せなのでしょう。
「フェリアーネ様。よろしくお願いします」
「ブラッド。貴方がわたくしのお婿さんになるのね。とても嬉しいわ」
いずれ、リッケル公爵家に婿に入る予定のブラッド・クルス伯爵令息。
彼は王都にあるリッケル公爵家にそれからよく訪ねてくるようになった。
綺麗な花束を持って来ることもあれば、可愛い小物やちょっとしたお菓子を土産に訪ねてくることもある。
そんなブラッドは話も面白くて。
よくブラッドが持ってきたお菓子を食べながら、庭のテラスで一緒に話をして。
ブラッドはにこにこしながら、
「今、流行りのお菓子を買ってきました。お気に召しましたか?」
「ええ、とても気に入ったわ」
「フェリアーネ様が喜んでくれると、私も嬉しいです」
頬を染める美しいブラッド。
ああ、この素敵な人がわたくしの婚約者なのよ。
王立学園へ15歳になったら入らねばならない。
フェリアーネはこの美しくて優しい、ブラッドと共に王立学園に通える日を楽しみにしていた。
しかし、王立学園に入った途端、ブラッドは色々な女性達に興味を持つようになった。
彼は美しいのでとてもモテる。
フェリアーネはイライラした。
王立学園に入ったら、ブラッドを婚約者として見せびらかす事を楽しみにしていたのに。
ブラッドは色々な女性に声をかけ、平然と仲良くする。
イライラした。
イラついた。
そして、ふと、何かを思い出したのだ。
ブラッドがとある男爵令嬢と、木陰でキスをしているのを見てしまった時に、
思い出してしまったのだ。
え?わたくしは、ブラッドと結婚していたわ。それは前世?それとも?
でも、わたくしはフェリアーネ・リッケル。ブラッドはブラッド・クルスだった。
その時もブラッドは色々な女性と浮気をして、中には子供まで出来た人もいたわ。
わたくしはブラッドに執着して執着して、彼を毒で殺したんだった。
わたくしは結婚後、ブラッドの子が欲しかった。子が出来れば、気が紛れる。
ブラッドへの恋心が収まるそう思ったから。
でも、結婚しても彼は色々な女性と関係を持って。
あまりにも辛くて、わたくしは彼を毒で殺して。
ああっ……苦しまない毒にしてあげたの。だって、ブラッドは綺麗だったから。
綺麗なままで眠るように亡くなったブラッド。
棺に納められた彼の死体はそれはもう、眠っているようで。
わたくしは……彼を追う為に、自分が毒を盛ったと、騎士団へ自首したわ。
そして、人殺しとして処刑された。
わたくしは、また、同じ人生を辿るの?
ブラッドの事は愛している。今、あのブラッドとキスをしている男爵令嬢を殺したい位。
ブラッドが浮気したのはあの令嬢だけではないわ。
殺したらきりがない位、他にもブラッドと関係している令嬢はいる。
わたくしは、ブラッドに執着してまた、処刑されるの?
それは嫌……こんな苦しいままで、死んだってちっとも楽にならなくて。
だってあの人はわたくしを愛してなんていなかった。
ただ、あの人にとって女性は遊びの一つなんだわ。
苦しい…辛い……
だから決めたの。わたくしを苦しめる貴方なんていらない。
フェリアーネは、ブラッドの不貞の証拠を集めて、父に訴えた。
「ブラッドは色々な女性と不貞をしています。ですから、お父様。わたくしはブラッドを婚約破棄したいと思っておりますの」
リッケル公爵は驚いたように、
「お前がブラッドを見かけて、あの人と結婚したいと言うから。婚約をして入り婿として迎えるつもりだったんだ。お前が嫌と言うのなら」
「嫌です。わたくし、ブラッドの事が嫌いになりました」
「しかしだな。今から婚約者を新たに探すと言うのも」
「あの男より、どんな男だってマシです」
「解った。クルス伯爵家と話し合って、婚約破棄をしよう」
「有難うございます。お父様」
クルス伯爵家は婚約破棄を受け入れて、慰謝料を支払ってくれた。
フェリアーネはブラッドが浮気をしていた令嬢達には慰謝料は請求しなかった。
数が多すぎる。それにブラッドは口が上手いのだ。
ふと、前世を思い出す。
ブラッドが浮気をして子まで作った市井の花屋の女性。
彼女だって騙されて、後悔していて、処刑される前、牢に入っていた自分を一生懸命世話してくれた。
きっと、王立学園の女生徒達も、騙されているに違いない。
だから、慰謝料は請求しない。
そう、フェリアーネは決めたのだ。
ブラッドが王立学園に登校したフェリアーネに向かって、必死な形相で声をかけてきた。
「どうしてですか?私は、フェリアーネ様にプレゼントをし、愛を沢山伝えて来た。それなのに、何故?婚約破棄を?」
「他の女性に浮気をしていたわ。だから、わたくし嫌になったの」
「浮気をしていたって今まで何も言わなかった。それなのに?フェリアーネ様は私を愛しているのだろう?」
「愛していた。全て過去形よ。わたくしは馬鹿な男と縁を切る事に致しましたの。だから、二度とわたくしに話しかけないで頂戴。クルス伯爵令息」
心が痛い。
本当はもっと彼の美しい顔を見ていたかった。
彼と色々とお話をして、ドキドキしていたかった。
でも、苦しむなんて嫌。
前世のように、処刑されるなんて嫌。
だから、わたくしは彼を捨てます。
今度こそ、後悔しない生き方をするわ。
ブラッドはそれからもしつこく、フェリアーネに付きまとってくる。
「今日は美しい花束を買って来たんだ。だから、フェリアーネ様。どうか機嫌を直して下さい。私はフェリアーネ様の事を愛しています。浮気は浮気、でも、フェリアーネ様だけは特別です」
フェリアーネの心はグラグラと揺れる。
あれだけ愛したブラッド。
毒を盛って、殺して、そして後を追う為に自ら処刑された。
それ位、愛していたのだ。
浮気をしていた男爵令嬢や伯爵令嬢が、ブラッドに近寄って来て。
「ブラッド様ぁ。私と結婚しましょうよ」
「いえ、わたくしとですわ」
「煩い。お前らは浮気だ浮気。私はリッケル公爵になる男だ。だから近寄るな。浮気でよければ、相手をしてやるよ」
「えええ?私は本気だったのに」
「わたくしもよっ……こんなひどい事を言う人だったなんて」
フェリアーネは花束を受け取らず、自分のクラスへと歩いて行く。
ブラッドとはクラスが違うのだ。
授業が始まる。
席に着こうとすれば、後ろから声をかけられた。
「大変だな。リッケル公爵令嬢。婚約破棄をした男に付きまとわれるとは」
「え?貴方は」
「お前が泣きながら、望んだのだろう?人生をやり直したい。こんな苦しい思いで死ぬのは嫌だと、だから私が巻き戻してやったんだ。ん?あの男に未練がある?また、処刑されたいのか?人間とは愚かだな」
フェリアーネは、思わず立ち上がる。
後ろの席の男は、生徒ではない。それなのに、平然と生徒として席に座っている。
黒髪で美しい整った顔立ちの彼は言ったのだ。
巻き戻る前、処刑されて、首だけになったフェリアーネの首を両手で持って、にやりと笑って言ったのだ。
「こんな生き方でよかったのか?いや、こんな死に様でよかったのか?後悔があるのなら、巻き戻してやろう」
この男がなんなのかどうでもよかった。だが、望んでしまったのだ。
こんな死に方でよかったはずはない。
ただ、ただ、悲しみが心を占めていて。
ブラッドを殺した。その死に顔を見ても満足できなかった。
わたくしが本当に欲しかったのはブラッドの愛。
本当にわたくしを愛してくれたのなら、他の女に浮気なんてしなかったはず。
彼はわたくしを愛していなかったんだわ。
なんて切ない。なんて苦しい。なんてなんて悔しい。
その男に対して宣言する。
「わたくしは、二度と、ブラッドを愛しませんわ。二度と彼とは関わりません。せっかく貴方が巻き戻して下さったのですもの。ですから、今度こそ、後悔しない人生を。後悔しない愛する人を見つけますわ」
「それでよい。巻き戻した甲斐があった」
スっとその男性は消えてしまった。
教師が部屋に入って来て、何事もなかったかのように授業が始まる。
フェリアーネは、決意を新たにするのであった。
あれから、二年経った。
フェリアーネは、女公爵になるべく、領地経営学を専攻し、一般教養と共に学んでいた。
王立学園ももうすぐ卒業である。
ブラッドの姿は王立学園を退学してすでにない。
公爵令嬢らしく、ブラッドの事を排除した。
彼はしつこく、フェリアーネに付きまとったのだ。
だから、権力を使い、彼を退学処分にするように学園長に掛け合った。
退学になったブラッドはクルス伯爵領に戻された。
それから、彼がどうなっているか、フェリアーネは知らない。
そんなとある日、護衛をつれて、王都の街を散策していた。
卒業したら、リッケル公爵領へ戻らなければならない。
本格的に、領地経営を父について教わるのだ。
だから、王都で買い物を楽しむことにした。
ふと、古びた古本屋を見つけ、惹かれるように中に入った。
「貴方がわたくしを呼びよせたのですわね?」
そこには、自分をまき戻したという謎の青年が古本屋のカウンターで、本を読んでいた。
フェリアーネの声に顔を上げて、眼鏡を指先でクイっと直しながら、
「お前を呼んだ覚えはない」
「でも、わたくしは貴方と再会しましたわ。この広い王都で」
「私は、巻き戻しを行った。そのせいで、魔では無くなった。いまはただの人だ」
「貴方はわたくしに恋をしていましたの?」
カウンター越しに彼の顔を見つめる。
彼は頬を赤らめて、
「恋をしていた。ああ、きっとしていたのだろうな。気の毒なお前に……」
「で、わたくしを呼びましたの?ここへ導きましたの?」
「導いた。また、会いたい。そう思った」
「人となった貴方となら、わたくしと結婚出来ますわね」
彼の顔を間近で見つめる。
そう、わたくしは、彼の事が忘れられなかった。
だから、今まで結婚相手を探さなかった。
わたくしを助けてくれた貴方。
きっと、わたくしは……貴方に恋をしている。
「お前の事を、愛してもいいのか?私はただの、平民だ。貴族ではない」
「ええ、愛して構いませんわ。わたくしは女公爵になりますの。ただ、貴方はわたくしと共に歩んで下されば。貴方はわたくしだけを愛して下さいますか?」
「ああ、愛している。お前だけを愛そう」
カウンター越しに口づけを交わす。
もう、処刑された心の傷は、ブラッドに裏切られ続けた心の傷は、氷が溶けるように溶けてなくなってしまったわ。
「貴方の名前を教えて下さらない?まずはそこから始めましょう」
ブラッドは領地に戻った後、女性の刃傷沙汰に巻き込まれて、その傷が元で早死にした。
父からそのことを聞いたフェリアーネだったが、
「あの人らしい死に方ね」
と、言い捨てて、愛しい人との結婚の準備に忙しくなり、それっきりブラッドの事は忘れてしまった。
フェリアーネは、平民の古本屋を営んでいた男と婚約したのだ。結婚式も近くてとても忙しい。
最初、リッケル公爵の反対があったが、彼がとても優秀だったので、その婚約は認められた。
そして、結婚し、女公爵となったフェリアーネ。
フェリアーネは彼と、仲睦まじく、3人子供を産んで、とても幸せに暮らしたと伝えられている。