第七話 マギサ
「はぁはぁはぁ……。ねえ、君、大丈夫?」
肩で息をするジェサーレが、絞り出すように声を掛けると、女の子もやはり息を切らせながら返事をする。
「だ、だ、大丈夫よ。ぜぇぜぇ……。ありがとう、助けてくれて」
そう言って、腰に巻いた革エプロンについた土を、手で払いながら顔を上げた女の子は、ジェサーレとほぼ同じ身長だった。服は白いワンピースで、職人が使っていそうなふくらはぎまである革のエプロンは、その服とちぐはぐで似合っていないようにも見えた。
そして、改めてその女の子の顔を見ると、短くつややかでサラサラとした黒髪に、碧い大きな目。つい先ほどまで恐ろしい目に遭っていたというのに、はっきりとした眉毛はキリリとしていて力強い。
「僕の名前はジェサーレ。こっちのフワフワモコモコした可愛い犬はジャナン。僕たち、旅をしているんだ。君の名前は? どこから来たの? 何があったの?」
「わふ!」
「ジェサーレに、ジャナン。犬にジャナンだなんて鏡花の魔女に失礼だと思わないのかしら。……まあいいわ。私の名前は――」
そのとき、再びあの大男の声が聞こえてきたのだ。
「こら待てクソガキ! 逃げるんじゃねえ!」
ジェサーレの倍ほどもあるのではないかという大きな体が、怒鳴りながら大変な速さで駆け寄ってくる。恐ろしい形相もあって、ジェサーレは人ごみで見せた勇気も萎えて、たちまち足がすくみ、動けなくなってしまった。
一方で女の子は、ここぞとばかりに、あかんべえをしてジェサーレを余計に恐がらせた。
「ちょ、ちょっとジェサーレ。さっきみたいに助けてよ」
恐ろしい形相で迫ってくる大男が、もうあと何秒かで自分たちのところまで辿り着きそうなとき、女の子はようやく膝をガクガクと震わせるジェサーレの様子に気が付き、慌てて彼の背中に隠れた。
あと十歩、九歩、八歩……、残りあと二歩ばかりの距離まで迫られ、それでも動かないジェサーレに女の子がもうダメだと目をつぶったそのとき、辺りにゴツンと大きな音が響き渡った。
女の子が恐る恐る目を開いて音のした方を見ると、大男は気を失って地面に突っ伏し、その前には革の鎧を来た男が立っていたのだ。
「デミルさん!」
ジェサーレは目に涙をにじませて、今にも泣き出しそうにその男に声を掛ける。
「よーう、坊主。大丈夫か?」
ジェサーレが無言で何度か頷いて無事を伝え、そしてデミルの話は続く。
「それにしてもこいつはいったい誰なんだ? それにそっちのお嬢ちゃんも。坊主がナンパしたようには見えないが……」
「まあ、それについては、どこかでゆっくりと座りながら話せばいいじゃないか」
「タルカン様の言う通りですね。ほら、坊主、嬢ちゃん、歩けるか?」
「はい、なんとか……」
「私は平気です」
デミルの後にタルカンも姿を現し、大男を衛兵に引き渡した四人と一匹は、手近なベンチに腰掛ける。
さて、女の子の身の上を聞き出すのかと思うところ、まずはジェサーレと女の子に、タルカンからハチミツがかかったドーナツが差し出された。
「おいしい」
「うん、おいしい」
疲れ切った表情だったジェサーレも女の子も、甘いお菓子の前には頬っぺたが緩み、幸せいっぱいの表情だ。
「さてと、儂の名前はタルカンだ。訳あってジェサーレ君と一緒に旅をしておる。こちらは護衛のデミルだ。お嬢ちゃんはなんていうお名前かな?」
「私の名前は、セダ・ソ……、セダです」
「セダと言うのか。いい名前だ。ところでワンピースのその草花の模様だが、ここから南、ボシ平原のチョバン族のものではないかね? どうしてこんなところに一人で? 家族は?」
「……家族はもういないんです。一人になっちゃったから、こっちに出てきたの」
「……ふむ。そうか。一人でウロウロしていたから、さっきの男に目を付けられてさらわれかけたと。そういうことかの」
タルカンにそう言われたセダは、何故か嬉しそうだとジェサーレは思った。
「ところで、あなた!」
そこへ、セダが突然ジェサーレを見て言うものだから、いつも以上にジェサーレはドキドキしてしまう。
「さっきの大きな光、あなた、マゴスよね!?」
「え? ち、違うよ」
アイナの住民たちの態度から、ジェサーレはつい嘘をついてしまった。自分でも分からないのだから、嘘なのかどうかも本当は分からないのだけど。
けれど、あからさまに声は上ずり、視線を逸らしているのだから、自分のことをマゴスだと認めているようなものだった。
「それは嘘よ。あなたはきっとマゴスに違いないわ」
「違うけど、ぼ、僕がマゴスだったら、君はいったいどうするの?」
セダが鼻息荒く話す様子にジェサーレは半分諦め、デミルとタルカンがどうにかしてくれるのではないかと、交互に二人を見たが、二人とも特に表情も変わらず、助けてくれそうな気配はない。
「あなたがマゴスだったらどうするのかって? 決まってるじゃない! ついて行くのよ!」
「え? え? どうして?」
アイナの人たちからはあからさまに暴力を振るわれ、追い出される気配があった。けれど、目の前の少女はついてくるという。ジェサーレはセダが何をしたいのかが理解できなかった。
「私、マギサになりたいの。でも、どうすればマギサになれるのかさっぱり分からないのよ。だから、さっき閃いたのよ。マゴスのあなたについていけば、マギサになれるんじゃないかって」
「マギ……サ?」
「魔女のことだ」
マギサがいったいなんのことか分からない顔をしているジェサーレに、タルカンがそっと耳打ちをした。
「魔女なんて、そんなダメだよ。マギサになったら、みんなに恐がられて暮らすことになるんだよ。それでもいいの? そもそもついてきたってマギサになれるかどうか分からないのに」
ジェサーレに言われたセダは、それでも決意が変わる様子がなく、真っ直ぐな目でジェサーレを見る。
「そんなことないわ! だって鏡花の魔女はみんなを助けたのよ。それって、とってもかっこいいじゃない! それに、恐がられたっていいの。どうせ……。あ、だから旅についていってもいいかしら。タルカンおじ様に、デミルお兄様」
「俺は、いいと思うぜ」
お兄様という言葉で、真っ先に賛成したのはデミルだった。
「儂も別に構わんよ」
タルカンも賛成したことで、ジェサーレも渋々賛成し、旅に出て早々、身元の分からない少女が加わることになった。
マギサ、あるいはマゴスをかっこいいという気持ちは、ジェサーレにもきっと届いただろう。
*
『ねえ、ジャナン。このまま僕たちを慕ってくれる人たちを受け入れ続けたら、すぐに住む場所がなくなってしまう。だから、みんなで力を合わせて周りの土地もどんどん開拓しよう。
村の名前ならもう考えてあるよ。ユズクっていうんだ。いい名前だろう?』
〔英雄王マリクの冒険・最終章より〕
< 第2章 マゴスとマギサ > ― 完 ―