第二十三話 ゲーキのアスラン
人質にするように、ナイフの刃をジェサーレにあてる若い男。身長はジェサーレから頭一つ半くらいは大きい。
どこからかブルルと馬の声も聞こえてきた。
セダはギョッとしてその若い男を睨むように見たが、その鋭い目つきはすぐに和らいだ。
「あ、もしかして、あなたゲーキ族じゃない?」
「……名前を名乗れ」
「私たちは敵じゃないわ。えーっと、私の名前はセダ。そっちのぽよぽよしているのがジェサーレ。英雄王マリクの冒険に出てくる名所を巡っていて、今は草の海を探しているの」
「本当か?」
若い男が低い声で凄むと、セダもジェサーレも、そしてジャナンもコクコクと二回、頷いた。それからその男は、ジェサーレを突き放すようにして解放し、ナイフを腰の鞘に戻した。
「俺の名前はアスラン。セダが言った通り、ゲーキのアスランだ。脅すような真似をして悪かった」
キリっとした目鼻立ちのアスランが、頭を下げた後に歯を見せてニカっと微笑んだことで、二人と一匹はやっと生きた心地がした。
「えっと、それで草の海の場所を聞こうとして、チョバン族の集落を探していたんだけど、そうしたらこんな風に燃やされている集落がいくつもあって……。いったいここで何が起こっているの?」
セダが質問をすると、アスランはまた神妙な顔に戻り、言葉を選びながら話し始める。
「正直なところ、俺にも何が起こっているのか分からない。二年くらい前から、ソルマ家の兵士がゲーキの老人を無理矢理連れていくことはあった。けれど、それは何カ月かに一度だったし、火をつけていくことなんかなかった。それが三カ月くらい前から、急にエスカレートしてきて、ゲーキがこうならチョバンはどうなんだと、連絡がてら様子を探りに来たというわけさ」
「……」
最近のセダはやはり心が不安定で、アスランの話にショックを隠し切れず、顔を青くして俯いてしまった。
それを見かねたジャナンはセダの足元にすり寄り、ジェサーレはアスランから更に情報を聞き出そうとする。
「そこに僕たちがたまたまいたということですね」
「そういうことだな。……そんなことより、セダは大丈夫なのか? 顔色が悪いようだけど。なんだったら、うちの集落に来て休むか?」
「いいんですか?」
「もちろんだとも。それに、さっき言ってた、あれだ、草の海。それも、集落に戻れば誰か知っているかもしれない。俺には分からないが、爺さんが不思議な場所があるって言ってたことがある」
「それなら、是非……あれ」
服を引っ張られた感覚に振り向くと、セダがジェサーレの服の裾を引っ張って、一生懸命に何かを言おうとしている。顔色は悪いままだが、表情はいつも通りの前向きなものに見えなくもなかった。
「……ジェ、サーレ。もう一カ所、もう一カ所だけ、どうしても見に行きたいの」
「大丈夫なの?」
「これくらい大丈夫よ。体は動くもの」
やり取りを見ていたアスランは一つ溜め息をつく。
「セダ、君は馬に乗れるかい?」
「ええ、一応」
「じゃあ、こうしよう。セダとセダの荷物は俺の馬に乗せていく。俺はその馬をひく。ジェサーレと犬は歩きだ。二人とも絶対に無理はしないこと。これでいいかな?」
「はい、よろしくお願いします。ありがとうございます」
セダは無言だったが、その分、ジェサーレが元気に返事をしてくれた。
こうして、三人と二匹になった一行は、そこから更に南東を目指すことになった。
道すがら、ジェサーレはアスランとたくさん話をして、すぐにアスランと打ち解けることができたようだ。
「ところで、その犬は名前があるのかい?」
「はい、ジャナンです。僕の大事な友達です」
「わふん!」
「ははは、それはいいね。いい友達じゃないか。ところで君たちはどうして名所を巡っているんだい?」
「えっと、英雄王マリクの冒険が大好きで、それで……あちこち旅をしているんです」
「ははは、ジェサーレ。君は嘘が下手だね。調子が悪そうなセダが、どうしてもチョバンの集落に行きたいと言うんだから、ただの旅行だとは思えないな。正直に話してごらん。君たちに秘密があったとしても、俺は絶対に漏らさないよ。ゲーキの人間は口が堅いことで有名なんだ」
「あの、実は――」
それからジェサーレは旅の目的を包み隠さず、アスランに話した。歩きながら、いつも通りに。
アスランは終始真面目な顔で耳を傾け、小馬鹿にするような態度も、否定するようなことも一切しなかった。
子供の戯言だと思いながらも、ジェサーレたちに付き合ったのかどうかは分からないが、最後にはぼそりと「まだ子供なのに、大変だなあ」と、遠くを見ながら呟いていた。
草原を風が通り、三人と二匹はのんびり進む。
やがて馬上のセダがびくりと体を震わせた。
その理由はジェサーレとアスランも分かっている。
ボシ平原に来てから何度も嗅いだ、あの嫌なニオイが漂ってきたのだ。しかもうっすら煙も見える。
アスランとセダとジャナンの顔は途端に強張った。
ジェサーレは顔をしかめているだけ。
「セダ、ジェサーレ、頭を低くしてくれ」
アスランが注意を促した。ソルマ家の兵士なのか野盗なのかは分からないが、火をつけた犯人がまだ周辺にいる可能性を考えたのである。
背の高いアスランが、周りを注意深く観察した後、二人に言う。
「ここから前方にある集落は、テントの色から見てチョバンのもので間違いないと思う。だが、火をつけられてから、恐らく二日も経っていないだろう。安全を考えれば、すぐに引き返した方がいいと思うけど、それでいいかな?」
このような遮る物が何もない場所で囲まれてしまえば、どうにもならない。
ジェサーレはもちろん、セダもすぐに頷いて、三人と二匹はすぐに撤退を開始する。
こういうときだというのに、セダの顔色は前と比べれば随分と良くなっているようだった。
しかし、物事がうまくいくかどうかは、そんなこととは無関係である。
「そこのお前たち! 止まれ!」
いやにハキハキしている男の声が二つ、ほとんど重なって聞こえてきた。
悪い予感にジェサーレは止まってしまう。
アスランは馬の手綱を離して「逃げろ」と二人に言い、自分は声のした方へと一目散に駆けていく。
「止まれ! 止まれ!」
男たちの慌てたような声が、ジェサーレとセダにも聞こえてきた。
ジェサーレの視界の端では、アスランが男たちの周りを軽業師のように走り回り、跳びまわり、注意をひいている。
鎧も着ていないのにと、ジェサーレは我が事のように恐いと思ったが、それよりも更にジェサーレの恐怖を煽るものがあった。
二人の男の格好である。
鉄兜に鱗のような鎧。そして下には若草色の丈の長い服を着ている。
それは、ルスへの道中に襲ってきた兵士たちと同じ格好で、ルスを襲撃してきた兵士たちとも同じ格好だった。
つまり、ソルマ家の兵士だ。
そう気付いたとき、ジェサーレは極端に緊張し、心臓がバクバクと鳴り始めた。
セダの顔色はすっかり元に戻っていたが、その顔はいっそう険しい。
二人と二匹の足は固まってしまったように、のろのろとしか進まない。
兵士の一人が、ジェサーレとセダに目を向け、弓に矢を番えた。
それは、二人のうち、どちらに向けられているのだろうか。
弦を引いて、離す。
その動きはよく訓練されていて、無駄がなかった。




