第二十一話 焦げる
馬車は草の道をのんびり進んでいた。
実際には他の乗合馬車と比べて遅いわけではないのだが、ボシ平原の雄大さに、いつもよりもゆっくり進んでいるように見える。
頑丈な砦の町ウチアーチを出て半日。周りを見れば、青い空と背の低い若草色の草があるのみ。
街道は当然、土が顔を覗かせているが、それでもやはり草だらけだった。
そんな土地でも、ここに人が住んでいないというわけではない。
ソルマ家が治めるアトパズルは、王都ユズクとウチアーチを結ぶ街道の中継地点として大いに栄えているし、他にも集落が点在していた。
やがて、そういった小さな集落の一つが見えてきて、ジェサーレとセダと犬のジャナンは、そこで降りることにした。
早速、宿屋を探してみるが、看板を出しているお店はない。そこで手近な人に聞いてみると、ルスに行く途中で立ち寄った集落のように、空いている部屋を貸してくれる家があるとのことだった。
「ねえ、ジェサーレ。草の海ってどこなのかしら?」
「分からないけど、探せば見つかるんじゃないかな」
その日の夜、二人は杭の場所を探すための作戦会議を開いた。
ジャナンは部屋に入れられないとのことで、家主にさんざん撫でられ、甘やかされた挙句に外にいる。
「ボシ平原ってとても広いの。木霊の森よりも広いと言われているわ。そんなところを何のヒントもなしに探すなんて、とんでもなく無謀よ。それこそ一年だって二年だってかかるかも知れない。英雄王マリクの冒険には、何にも書いてないの?」
「書いてなかった、と思う。多分」
「そう。ジェサーレがそういうのなら、きっと書いてなかったんでしょうね。……なによ、どうして笑っているの?」
「セダがいつも通りに話してるのが、僕、なんか嬉しくなっちゃって」
「そんなことないわよ。今は少し無理しているだけ。いくら怯えていたって、杭を探さなきゃいけないし、杭が壊れていたらヌライが出て……あれ?」
「どうしたの?」
セダはなにか閃いたようで、腕組みをして黙ってしまった。
彼女の頭の中には、あれからずっと、鏡花の魔女に言われたことがこびりついていた。
自分がヌライの子孫であること、ヌライが母に化けていること、母の行方が分からないこと。
そして、これまでの杭のことも思い出した。
杭は、いつも誰かが管理していた。
だから、ボシ平原にあるという草の海も、誰かが管理しているのではないだろうかと考えた。
けれど、鏡花の魔女ジャナンが言うには、ヌライが母に化けているという。杭が無事なら、ヌライが化けているというのはどうもにおかしい話だ。
そうであるならば、杭を管理している人物はすでに殺されたか、何らかの方法で遠ざけられてしまったと考えた方がいいのではないか。
いや、だって、しかし、でも――
セダは、首をぶんぶんと横に振って、堂々巡りになりそうな思考を強制的に中断し、口を開いた。
「ジェサーレ!」
「わ、びっくりした! な、なんだい?」
「あ、ごめんね。あの、草原の事なら草原の民に聞くのがいいと思うの」
「そっか、そうだね。さすがセダだね! ところで草原の民ってどこにいるの?」
「今の時期でここからなら、東に向ったところにチョバン族の集落があるはず。えーと、地図、地図」
そう言ってセダは、リュックサックから幾重にも固く折り曲げられて、すっかりしわしわになってしまった地図を広げ、ボシ平原の辺りを指さした。
「ここがアトパズルでしょ。それで私たちが今いる場所がこの辺り。チョバン族は集落を移動させるけど、今の深緑の季節なら、きっとこの辺りにいるはずよ。アトパズルからは離れているから、ソルマ家の兵士もいないと思う」
うんうんと、もふもふの髪の毛を揺らしながら聞いていたジェサーレは、すっかり元通りにキリリとしたセダの眉毛を見たら、やはり嬉しくなってしまって、その日は幸せな心地で眠るのだった。
翌朝、二人と一匹は朝露の残る草原を歩いていた。
地平線まで続く朝の草原の空気は、何とも言えず清涼感に溢れていて、深呼吸をすれば、つい先日まであった心のモヤモヤもすっかり晴れるようである。
セダは馬を借りようとも考えたのだが、ジェサーレとジャナンが乗れないことと、それなりにお金がかかってしまうことから、ジェサーレの説得で諦めた。
しかし、どこまでも続く草原というものは、時間の感覚を狂わせる。
何よりも、目標地点が分かりにくいということは、どんどんとジェサーレの心を不安にさせるものでもあった。
自然と休憩の回数は多くなり、一日に進める距離は減る。
初日に進んだ距離と比べれば、二日目は七割弱という有様だったが、それでもジェサーレはときに犬のジャナンと戯れて、どうにか挫けずに歩き続けた。
本当は、ジェサーレの方が恐かったのだ。
大神殿の霧の中で独りぼっちになってしまったとき、ジェサーレは急に孤独を感じた。
ずっと一緒にいてくれると勝手に思い込んでいた人たちが、自分に関係なく消えてしまったことが、彼に孤独を教えたのかも知れない。
だからあのときのジェサーレは、タルカンたちと別れて以来、久し振りに涙ぐみ、それでも一生懸命に泣くのを堪えながら、みっともなく叫んだ。
今は、その状況に似ていた。
違うのは、すぐ近くにセダとジャナンがいるだけだ。
けれど、それだけで随分と気持ちが違うのだ。
草原を歩いていて、急に自分が一人だと思うこともあったけれど、その度にセダとジャナンを見て、ジェサーレは自分の存在を確認した。
「あ、見て! あれ、カユツの尖塔よ! 予定通りね!」
前を歩くセダが、遠くを指さしたままジェサーレに話しかけるが、ジェサーレにはカユツの尖塔がどれなのか、今一つ分からなかった。
カユツは、ギュネシウスからオルマヌアーズに行くときに途中で立ち寄った町だから、もちろん覚えてはいる。
その町に六本の高い塔がそびえ立っていたことも、覚えていた。
だからといって、はるか遠くに先っぽだけが、しかもうっすらとしか見えていないあれが、本当にカユツの尖塔なのかまで、ジェサーレには分からなかった。
「確かに何かが見えるけど、本当にカユツなの?」
「本当にカユツよ。何度も見た私が言うんだから間違いないわ」
「そう。それなら良かった。それにしてもボシ平原って、何もないね。見渡す限り草だらけで木もなくて、動物はほとんどネズミとかウサギのような小さいのだけだし。あ、でも、馬を一頭だけ見かけたっけ」
「そうね。元々こんなものなんだけど、馬はもうちょっといたような気がするのよね。それになんだか少し焦げ臭いわ」
「焦げ臭い? ……あ、本当だ」
ジェサーレが鼻をひくひくとさせてみると、微かにだが、セダの言う通りに木が焼けたようなニオイがする。
「あ、もしかして……」
セダは右手で口を覆って少し考え、ジャナンにこう言った。
「ジャナン、焦げ臭いニオイの元は分かる? 私たちを案内してちょうだい」
「わふん!」
それまであからさまに疲れた様子で歩いていたジャナンは、水を得た魚のように元気になり、勢いよく駆け出した。
背の低い草の上で白い毛玉が元気よく跳ねまわり、行き過ぎたと思えば、後ろを振り返って待っていてくれる。
そうして二人と一匹は草原の道なき道を歩き、いよいよニオイが強くなった頃、目の前の光景に言葉を失った。
周りは盛んに青々としているのに、その一帯だけが黒い。
かつてはテントや柵の一部であっただろう木も、天幕の一部であっただろう丈夫な布も、何もかも全てが、炭になって、灰になって、無惨に地面にまき散らされていたのだ。
二人は一言も喋らないまま、集落だった場所を歩き始める。何かしようと思ったわけではない。ただ、何もしなければ倒れてしまうと、体が勝手に動いただけのことだ。
その上、万が一にも焼死体などを見つけてしまえば、どうしたってどちらかが気を失うのは分かり切ったことなのだが、それでも何もしていないよりは、二人にとっては良かったのだろう。
「……ひどいね。火事でもあったのかな」
一通り見て回ったジェサーレが重い口を開く。
「違う……かな」
「違うってことは、もしかして盗賊や山賊?」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。今のところは分からないけど、この状況を見る限りでは、柵は折れているし、こっちの布も何かで斬られたように見える。ここで争いごとがあったのは確かね」
「そ、そうなんだ。ここに住んでいた人たち、みんな無事だったのかな」
「死体も馬もなかったし、大丈夫だったんじゃないかしら。人攫いだったら、この後のことも心配だけど」
「……そうだね。それで、この後はどうするの?」
「どうするもなにもないわ。私たちにはケレムさんからお願いされた使命があるんだから、この後も集落を探すしかないの。そうでしょう? ジェサーレ」
「う、うん。そうだね、セダの言う通りだよ。……怒ってる?」
「うん。もちろんよ」
「そうだよね、うん。は、早くチョバン族の人たちを探しに行こう」
「ええ」
セダの眉毛と眼はいつにもましてキリっとして、反対に、ジェサーレは今にも泣き出しそうなほどに弱々しく見えた。




