表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

立ったフラグは圧し折って回避

 ……最期の間際にそんな事を思ったのが駄目だったのか。

 別の世界に転生して、現在、多忙極まりない日々を送っている。スローライフとは無縁な生活だ。長生きは出来そうだけど。



「はぁ……」

 昼下がり。今日分の当主としての仕事を終えてお茶を飲んで小休止。人払いをしているので室内には誰もいない。

 学院の卒業まで半年を切ったところで、そこまで馬鹿ではないと判断していた、前当主(父)が異母妹と継母の為に馬鹿をやらかして処刑となり、長女の自分――ヴィオラ・シモン(十八歳)が学生身分で代行で伯爵位を引き継ぐ羽目になった。学業との両立は難しいと思っていたが、過去の経験が活き、綱渡り状態で両立で来た。

 このまま来月上旬に卒業出来れば、親族の誰かに爵位を正式に引き継がせられる。本家の怒りを受けて爵位降格処分を受けた家の跡継ぎになりたがる奴がいるか怪しいが、その辺りは本家当主と各分家当主の話し合いで決着を着ける事になっているので、自分は関わらなくても良い。

 このラヨシュ王国で女子の当主継承権は無いので、自分は確実に誰かに押し付ける事が出来る。

 押し付けたあとは自由かと言うと……これまた微妙な状態だ。主に、呪いめいた加護のせいで。 

 茶菓子に手を伸ばして回想する。

 ――幼い頃のある日、何かに気付いた異母妹が茫然自失として呟いていた言葉を思う。これを聞いた自分は『この世界は何かの作品の世界だ』と気付いた。

「悪役令嬢ねぇ」 

 己を悪役令嬢と言っていたのは半年前に処刑された同い年の異母妹。前当主の父と継母も異母妹のあとを追った。今自分がやっているのは彼らの後始末。

 全てが終わった今になって思う。異母妹は何もしなければ助かった、と。

 悪役令嬢ものの小説やゲーム作品内の、『悪役令嬢』に転生してしまったのだから、断罪エンドの回避に専念すれば良かったのに。どうして『推しの攻略対象と婚姻する』事を望んだのか。虎穴に入らずんば虎子を得ずとかそう言うレベルじゃないのに、何故理解出来ないのか。

 自分には理解出来ない思考回路だ。

 理解出来ないのは、ヒロイン役の令嬢もか。

 乙女ゲームのヒロインに転生して、舞い上がるのは解る。

 でもね。ゲームと現実の区別は付けろや。

 シナリオの強制力でその通りに行動せねばならないのならば解るが、利用するんじゃねぇよ。

 二人揃って、断頭台行きになったのは自業自得。

 悪役令嬢とヒロインは揃って断頭台の露と消え、周囲に多大な被害を残した。

 二人が攻略しようと狙った王太子(正妃の子だが第二王子)は廃嫡となった。馬鹿二人に誑かされた同情票を得た結果、学院卒業後、引退した王が年金として貰う伯爵位と小さな領地で生涯を過ごせと命じられた。王太子廃嫡に伴って正妃も廃妃となり、息子の領地に送り出された。揃って領地から二度と出られないだろう。

 空席となった王太子の地位は、側妃の子である第一王子が立太子する。これに伴い、側妃が正妃となった。

 ただし、この王子には婚約者がいない。側妃の子と言う立場が足を引っ張っている訳ではないが、優秀とは言い難い王子で母親は元伯爵令嬢と後ろ盾も弱い。国王は侯爵家以上の令嬢から選出を考えているが、全ての家の当主が難色を示している為、婚約者決めに難航している。自分にも話しは来たが、当然の事ながら断った。



 眉間に寄った皴を揉んで伸ばしていると、思考を遮るようにノック音が響き、続いて入室許可を求める声が聞こえて来た。

 許可を出すと、やって来たのは老齢の執事と後釜の青年。

「ヴィオラお嬢様、お客様が見えております」

「来客? 城の使いなら追い返して」

 城からやって来た使者に対する態度ではないが、自分が伯爵代行をやる原因が前王太子に在り、王家を好いていない事は周知の事実。

 第二王子が廃嫡となった以降、王家の使者が度々当家にやって来て『王太子妃になれ』と打診して来る。代行とは言え現当主は自分なので断われた。回数が余りにも多いので、二ヶ月前からは『王家のせいで後始末が長引いている』と面会すらせずに追い返している。

 二人ともそれは知っている。

「それが、共通語を話す冒険者風の格好をした薄紫色の髪の青年でして……」

 しかし、執事が困惑しながら告げた言葉に誰が来たのか当たりを付ける。

「応接室に通して」

「分かりました」

 机の上を簡単に片付け、椅子から立ち上がり指示を飛ばす。執事と青年は一礼してから去る。

 それにしても、何で今になってやって来るのか。忙しいと教えたのに。

 ため息を吐くように、深呼吸をして気分を入れ替えた。



 辿り着いた応接室には、予想通りの男がいた。大陸共通語で挨拶して来る。自分は自動翻訳系の特殊技能を持っているので会話に苦労しない。大陸共通語は何処の国でも貴族必修言語なので、使用しても不審に思われない。ただ、ラヨシュ王国の母国語が大陸共通語ではない為、国内で貴族以外が使用するとちょっと珍しく見える。

 今日やって来たこいつは平民じゃないので使えて当然なのだ。執事以下使用人達には教えていないけど。

「ヴィ、久し振りだな」

「確かに久し振りだけど、卒業までは忙しいって言わなかったっけ?」

 付き合い自体は五年近くも続いているので、かなり気安い関係だ。自分が二つ程年下だけど。こいつの正体を知ったら他の令嬢は嫉妬で怒り狂うだろうが、今は忘れよう。

「聞いているし覚えているよ。相談で来ただけさ」

「相談? 何の用?」

 男の正面に腰を下ろし、改めて容姿を眺めた。会話の間に侍女が手際よくお茶と茶菓子をセットして退出する。

 光加減で紫銀にも見える薄紫色の短髪と、澄み切った空を連想させる青い瞳が、整った容姿を更に際立たせている。

 まるで絵本に出て来そうな『王子様』みたいな容姿だ。事実、こいつは王子だから容姿の評価としてはある意味当然か。王家の方針で『王族男子は軍属が義務。十五歳から二十歳になるまでに冒険者としての活動して、実戦能力を磨く事が義務』なので、埃避けのマントと動きやすさを重視した服装と言う、冒険者のような恰好をしている。天衣無縫と言うか、自由闊達な性格と、貴族としか思えない女性の目を引く整った容姿のせいで非常に目立っているが本人は気にしていない。

 隣国ファルカシュ王国の第三王子――ジグモンド・ファルカシュは、日本人のように両手を顔の前で合わせ、謝罪の言葉を口にした。

「済まん。親父にバレた」

「何でバレんの……」

 ジグモンドの告白に天井を仰いだ。

 バレたと言うのは、半年前に起きた一件の事だ。

 この世界にはファンタジー系創作物でお馴染みの、魔物の棲み処となっている『ダンジョン』と呼ばれるものが存在し、不規則だが、これまたテンプレのようにダンジョンから魔物が大量に出て来る『スタンピード』なる現象が起きる。

 半年前、このスタンピードに遭遇した。

 発生した場所はファルカシュ王国の王都近く(近いと言っても馬を走らせて移動しても二時間以上掛かる)と、運がないとしか言いようのない場所で起きた。幾つかの不幸中の幸いのお蔭でどうにかなった……と言うか、どうにかした。

 不幸中の幸いその一は、このダンジョンに住む魔物の数が少ない事。

 スタンピードが発生したダンジョンを棲み処とする、魔物の総数は百にも満たないと言われている。代わりに強い魔物がゴロゴロといるので、上級者向けのダンジョンとなっている。故に、このダンジョンに出向くものは少なく、スタンピードが起きた時現場にいたのは自分とジグモンドの二人だけ。

 不幸中の幸いその二は、ダンジョン周囲に民家及び農耕地が存在しなかった事。

 森と言うにはやや小さい木々の中にダンジョンの出入り口が存在し、スタンピードを警戒して森の開墾と周囲に民家を建てる事が禁じられていた。つまり周囲への被害を気にしなくても良い環境だった。これが一番良い事で次に繋がる。

 不幸中の幸いその三は、ダンジョンに入る前だった事。

 二人で魔物を狩る羽目になったが、周囲の被害を気にしなくても良い環境だったので、魔法をガンガンぶっ放した。ジグモンドはお世辞にも魔法の腕が良いとは言えない――代わりに剣の腕は良い――ので、自分一人で『攻撃・防御・回復・補助』の魔法を使い分けてフォローだの、色々とやって最後の締めと言わんばかりに出て来たドラゴンを協力して倒し、どうにか乗り切った。

 援軍は終わった頃にやって来た。上級者向けダンジョンでのスタンピードだから人選に時間が掛かったのは解る。だが、遅過ぎた。殺意が湧く程に。

 ジグモンドに宥められながら王都に戻るが、報告類は全て押し付け帰国した。何かチクリと言ってしまいそうだった雰囲気を察してくれたのか、ジグモンドは何も言わずに引き受けてくれた。代わりに功績は全て渡した。一応王子だから、何かの役には立つだろう、と。

「親父の奴、『魔法の腕がお世辞にも良いと言えない、お前一人で倒せないような魔物まで倒されているのだ。絶対に誰かの手を借りたのだろう』って執念深く調べてたんだよ」

 回想を終えた直後にジグモンドのぼやきを聞き、ため息を吐きたくなった。代わりに茶菓子を貪る。マドレーヌに似た焼き菓子が美味しい。

「……確かに執念深いわね」

 それにしても嫌な報告だ。お茶を一口飲んで気分を落ち着かせ、相談の内容について考える。

「相談ってのは、まさかだけど」

「そのまさか。親父が会いたいって言い出したんだ」

「うわぁ、最悪」

 現状他国の王に会いに行くとなると、最低でも本家に事前報告をする必要が有る。幸いにも、ジグモンドと知人レベルの関係なのは本家では知られている事。ジグモンドを連れて行って直接説明させれば納得はしてくれるだろう。

「今、伯爵代行をやっているから、総主の許可なしで出国は出来ない。私一人で説明しても信じて貰い難いから、ジグモンド同席での説明じゃないと厳しいよ」

「えぇー。お前のところの総主、お堅い感じだからあんまり会いたくないんだけど」

「なら、国璽入りの書状とか有る?」

「有る訳無いだろ」

「だよねぇ」

 ジグモンドと顔を見合わせて、同時にため息を吐く。

 


 このあと、(一応)他国の王子であるジグモンドを手ぶらで帰らせる訳にも行かず、当主宛の手紙を持たせた先触れを出して本家に向かう事にした。

 ……王子が急にやって来ると聞いて、大騒動になっていなければいいが。

 隣国ファルカシュ王国は、大国の部類に入る程に広大な国土と影響力を持った国だ。大陸一位と言う訳ではないが、大陸有数の歴史(建国してから千年近く経つ)を誇る国でも在り、その発言力は強い。

 例え王位継承権からやや遠く、側妃の母がいない第三王子であっても、無下にすると外交にどのような影響が出るか分からない。

 自分の場合は『互いに冒険者で、たまにコンビを組む関係』で、冒険者と言うグレーゾーンに属する為、見逃されている。度が過ぎると注意を受ける可能性は有るけどね。

 馬車に揺られて、到着した本家邸は……本日が一族会議の日だったのか、本家当主のシモン公爵以下、分家の当主達は顔色を変えていた。当一族は文官肌のものが多く、武人のようなものはいない。

 いないのに、分家当主達は直立不動で自分とジグモンドを出迎え、シモン公爵の指示を受けると一糸乱れぬ動きでささっと移動する。そこまでする必要が有るのかと突っ込みたくなった。

 これには流石のジグモンドも口元をやや引き攣らせた。自分は仏頂面になっていただろう。顔を見合わせてから公爵を見る。分家当主達がいなくなったからか、シモン公爵は眉間に皺を寄せていた。そして気になったのが、色の抜けた金髪に白髪が混じるようになった毛髪ではなく、頭頂の毛が心なしか薄く見える事。

 今度、毛髪に良い食材か手入れ用品を差し入れるか。流石に見ていて良心が痛んで来た。でもね、

「あの、総主……」

 色々と、おかしいと言うか、変と言うか。どうなっているのか公爵に質問をしようと口を開いたら、待てと、手で制止を受けた。

 こちらを案内するように、先を歩く公爵の背中を見て思う。

 確かに手紙には『今から大国の王子を連れて行きます。五分少々で用事は終わるので面会時間を下さい。冒険者として来ているので、大事にしないで下さい。終わったら直ちに帰国させます(意訳)』と書いた。ストレートに公爵に用があると書いただけなのに、何故こうなった?

 本家邸にジグモンドを連れて行った事は有る。それも複数回。一族の総主である公爵に許可を取ってから連れて来ている、と言うよりも、現シモン伯爵邸に連れて行くと怒られる。使用人の質を考えての発言であるのは流石に分かる。

『訪ねて来たのなら仕方がないが、連れ込むのなら公爵邸にしろ。先触れ類は不要だ』

 直接、念を押すように何度も言われている。毎回、マナーを考えて先触れ出しや確認をしてしまうが。なお、先触れを出さなくても良いと言われているが、今回は公爵に用が有るので先触れを出した。

 自分とシモン公爵との関係は『祖父と孫』だ。念の為。父は公爵の次男で嫡男争いに負けて分家の侯爵家当主になった。やらかして爵位は降格してしまったけどね。

 何か駄目だったかと、内心首を捻っていると、応接室に到着した。

 公爵の正面にジグモンドと一緒に座る。五分少々で終わると手紙に書いてしまったので、早々に終わらせよう。変な勘違いをさせない為にも。

 ジグモンドと一緒に事情を説明して出国許可を求める。

 半年前のスタンピードの一件に関して、公爵に一切の報告していないのは『功績を全てジグモンドに譲った』からと付け加えておく。

 事情を説明を受けた公爵は、外交問題が起きたと勘違いしていたのだろう。杞憂と知り、明らかに安堵したような顔をした。

「そう言う事か。ファルカシュ国王陛下が望まれているのならば反対はせん。出国を許可しよう」

「ありがとうございます」

「申し訳ない公爵。父が無理を言ってしまい」

 自分は一度立ち上がり頭を下げて感謝を、ジグモンドも謝罪を口にする。ジグモンドも頭を下げようとしたので慌てて止めたが。

「いえ。無断で出国されるより、事前に知る事が出来たのはありがたい事。……それにしても、半年前にそのような事が起きていたとはな」

 隣国での出来事とは言え、王都近くでスタンピードが起きた情報を得ていなかったのだろう。公爵は非常に感心していた。

「厳密には父がやらかした半月程前の出来事です。息抜きで出向いたら遭遇しただけですし、冒険者の義務を果たしただけになります」

 時系列がややこしいが、父がやらかした半月前のある日。息抜きと言う名のストレス解消(別名八つ当たりとも言う)で、高レベルの魔物揃いのダンジョンに向かったのだが……ストレス解消にはなったから良しとしよう。

「義務を果たし、功績を全て殿下に譲ったとは言え、一言程度の報告は欲しかったな」

「あの時期の公爵にそのような余裕がございましたか?」

「……そうだったな」

 思わずチクリと言い返すと、公爵は少し遠い目をした。息子のやらかしだもんね。社交界で少しの間、居心地の悪い扱いを受けたし。一番当たりが強かったのは、亡き自分の母の実家だ。事ある毎に嫌味を言いに来て、自分に養子縁組を進めて来た。断ったけど。

 養子縁組を求めた理由は実に分かり易かった。自分がジグモンドと知り合いだから。

 母の実家は女子が多いので、一人ぐらいはジグモンドの愛人枠(正妃枠は王が決めると判断していた)か何かに押し込めないかと画策していた。まぁ、ジグモンドは闊達な性格の割に女子を見る目は結構シビアなので見抜かれていたけどね。

 シモン公爵家を頂点とする我が一族は、珍しい事に女子の数が少ない。



 余談だが、何処の国でも女の人口が多く、一夫多妻が認められている。

 当家の場合は、女同士のいがみ合いが原因で母が他界するまで、第二夫人の継母や異母妹と別居だった。政略婚と恋愛婚の差が出たな。

 ……閑話休題。



 こう言う時王子は大変ね。身分で女が寄って来るんだから。こいつの場合は大国の王子で、顔も良いってのも有るんだろうけど。

「ゴホン。ヴィオラ。出国は何時にする予定だ?」

 咳払いを一つ。公爵は反れ掛けた話題の軌道修正を行った。

「卒業試験は合格しておりますし、今は自由登校期間なので、ファルカシュ国王陛下の予定に合わせようかと思っております」

「そうか」

 公爵は鷹揚に頷いているが、額が僅かにテカりの始めたので、内心では慌てて今後の予定を組み直しているのだろう。

 この分だと同行の申し出をしかねないな。単身で行く予定だったんだが。

 公爵が何かを言い出す前に適当に切り上げて公爵邸を出た。公爵と分家の当主達の見送りはジグモンド本人が断った。マナー違反と反論されそうになったが、自分が転移所まで送ると言えば引き下がった。

 馬車に乗り込み、帰国予定のジグモンドを出国用の転移所に送る。高速馬車乗り場ではないのは、早急に帰らせた方が色々と問題がないからだ。何時事がバレると外交部を始めとした色んな連中が煩い。特に我儘盛りの王女とか。

 国と国の首都は高速馬車で繋がっていて、日本で言うところの『新幹線』のような扱いだ。料金はやや高いけど、身分問わずに利用出来る。

 他国に行く交通手段は、実を言うと他にも在る。ファンタジー系お馴染みの転移魔法だ。長距離空間転移魔法が使える自分は、設置されている転移所を入国管理局代わりとして扱っている。

 転移陣を起動させる魔力は自前で賄えるので、転移陣の利用料金代だけを支払っているので、ぶっちゃけると、高速馬車よりも安い。通常は起動させる魔力込み(料金内訳は転移陣利用代二割魔力八割)で下位貴族の一ヶ月分の食費位の料金が発生する。半額以下で利用している自分が特殊と言う訳ではない。高い魔力量を持つ冒険者や貴族も似たような事をしている。

 利用する人種は、高ランクの冒険者か、国から認証を受けた商人、もしくは王侯貴族。身元がハッキリとしている人間でなければ利用不可。転移所が王城近くに在るから、警備都合上の問題でこうなっている。

「悪いな。送って貰っちゃって」

「良いよ。長居されるとウチの外交部が気を揉みかねないからね」

 到着した転移所内を歩いて移動し、ファルカシュ王国行きの転移陣内にジグモンドを押し込む。慌ててやって来た係員に、冒険者のネームプレートを見せてから無言で代金を渡し、速攻で追い返す。

「今から帰って、日程はどれ位で決まるの?」

 馬車内でもある程度の予測は聞いたが、念の為の最終確認としてもう一度聞く。

「う~ん。早ければ明後日かな?」

「次は手紙も一緒に持って来て欲しいわね」

「善処はするけど、次は迎えになりそうだから……五日分程度の荷物は準備しておいてくれ」

「五日分も?」

「ああ。親父が何か企んでいそうだからさ。念の為、『学生服』じゃなくて盛装の準備もしておいてくれ」

「……時間が掛かりそう」

 貴族令嬢の盛装となると、まずドレスと宝飾品の選定で時間が掛かるし、ドレス用のケースが嵩張る。それでも、道具入れに容れればどれ程大荷物になってもどうにかなる。だが、当主代行業務を引き受けている――朝から晩まで、毎日休み無く仕事をやっても終わりが見えない――今、どれ程の時間の捻出が出来るか厳しい。

自分の今の身分は貴族でも学生だから、学生服で良いかなっと思っていたけど、思惑は見抜かれていたらしく釘を刺された。

 項垂れて了承し、別れの挨拶をしてから転移陣を起動させた。転移陣が光り、ジグモンドの姿が一瞬で消える。

 これで見送りは完了だ。転移所を出て馬車に乗り込み、準備を速攻で終わらせる手順について家に到着するまで考えた。



 古参の侍女長を巻き込んでドレスを決め、執事と十日間自分がいない間の当主代行の仕事の割り振りについて話し合った。五日ではなく十日なのは、考えたくもないが、向こうで緊急事態に巻き込まれた時の事を考えてだ。

 こう言っては何だが、ジグモンドは割と『トラブルホイホイ』と言った感じのトラブルメーカー(?)で、あいつと一緒にいると、三回に一回の確率でしょっちゅうトラブルに巻き込まれた。

 ……思い出として振り返ると、満更でもない感じがするのがちょっと悔しい。

 


 そして、ジグモンドが『早ければ明後日』と言っていた、その日の昼。迎えの馬車が来た。

 そう、本人が予測した通りに迎えが来たのだ。

 態々迎えに来たジグモンドが微妙に済まなさそうな顔をしていたので、何かしらのトラブルが発生したんだろう。

 色々と言いたいが、馬車が何処の家のものか分からないように、王族の身分を隠して辻馬車(前払いのタクシー)を利用しているので、多少の気遣いは残っていたようだ。

 執事にシモン公爵宛の手紙を送るように指示し、学校の制服姿のまま、手荷物片手に馬車に乗った。他の荷物は全て道具入れに容れる事にした。盗難対策と言うよりも『悪戯及び嫌がらせ対策』だ。

「で、何をやらかしたの?」

 馬車内で対面に座り、単刀直入に切り込んだ。

「俺は何もやっていないぞ! 兄貴達と他の令嬢が騒いだだけだ」

「その騒ぎ具合がどの程度かで、どんなやらかしか判るのね」

 ジグモンドは『決めつけるな』と抗弁しているが、こいつが原因で起きているのは間違いないだろう。

 到着するまで時間はたっぷりと在る。

 本当は、高速馬車乗り場まで約一時間、そこで乗り換えて、休憩有りで約五時間。計約六時間の長旅の予定だったが、自分に限っては荷物が少ない。故に、転移所に移動する時間だけが掛かる。転移所は何処の国でも王城の近くに在るので、そこからの移動は楽だ。

 転移所に到着するまでの約一時間半。時間潰しと有効利用として、ジグモンドから何が起きたのか詳細の説明を受けて、深ーくため息を吐いた。

 ある意味自分にも原因が有るのが何とも言えない。あれこれ文句を言いたいが、到着してからでなければ意味がない。

 世間話と卒業後の進路についての質問に答えて、残りの時間を潰している間に、転移所に到着した。

 騒ぎの内容を考えて、道中何か起きるかと思ったが、他国で騒動を起こす度胸はないか。

 何事もなく、手荷物片手にジグモンドと転移所内を移動。一昨日と違ったのは使用する転移陣の前に一人の赤髪碧眼の男性がいた事か。年齢はジグモンドより上で親子並みに離れていそう。ジグモンドの侍従か、護衛だろう。でも、帯剣していないし、顔を強張らせているけど、雰囲気は騎士っぽくない。侍従かな?

 ジグモンドは何も言わずに片手を上げて笑い、声を掛けた。こちらに気付いた男性は、胸を撫で下ろし、強張っていた顔を和らげた。

「よう、ダニエル。戻ったぜ」

「ジグモンド様。やっと、戻りましたか。……そちらが件のご令嬢ですか?」

 ダニエルと呼ばれた男性の視線が自分に来る。軽く頭を下げて自己紹介をする。

「初めまして。ヴィオラ・シモンです」

「ご丁寧な挨拶ありがとうございます。ダニエル・ラカトシュ。侍従です」

 ダニエルと名乗った男の正体はジグモンドの侍従だった。王族の侍従となると、何処かの貴族出身だろう。ここでジグモンドを『殿下』呼びしないところを見るに、移動はなるべく『目立たないように』を心掛けているように感じる。

 ……王子が出迎えに行くとか、身分的に有り得ないもんね。ファルカシュ王国は大国だし。対してラヨシュ王国は小国。普通は逆だな。

 挨拶もそこそこに切り上げて、転移陣の上に立ち、起動させる。

 視界が白く染まるも、それは一瞬の事。瞬きの間に移動は終わった。ここは何度かやって来たファルカシュ王国の転移所。やって来た係員に冒険者のネームプレートを見せて下がらせる。

 ダニエルを先頭に三人で移動。転移所は王城の傍なので、人目を避けるように王族専用の通路を通って城内に入る。入城するにあたっての手続き類は、王命に近い状態で来たから問題は、無いな。

 ファルカシュ王国の王城敷地内を歩き、到着したのは離宮と思しき建物。説明を要求すると、元々は亡きジグモンドの母に宛がわれた離宮で、現在ジグモンド専用と化している離宮だそうだ。

 王城貴賓室でない理由を訊ねたが、自分の両肩に手を置いたダニエルの顔を見て諦めた。

 掃除の行き届いた離宮内を移動するが、侍女に会わない。それを不審に思いつつ、到着した部屋に荷物を置く。

 ファルカシュ国王に会うのは明日の昼過ぎだ。今日は離宮の案内と休憩となる。

 だが、離宮内の案内を受けて、予想外の事実を知る。

 まず、ここまで一緒だったダニエルはファルカシュ国王の侍従で、ジグモンドの侍従ではなかった。と言うか、ジグモンドに侍従がいない。で、侍従がいなけりゃ、離宮専属の侍女も女官もいない。当然ながら警備兵もいない。離宮の掃除を行ってくれる女中は派遣されるだけで数には入らない。

 ではジグモンドは普段、一体何処で生活しているのかと言うと、離宮は寝床扱いで、食事は騎士団員用の食堂で取っているとの事。

「大国の王子がそれで良いのかっ!?」

「仕方ねぇだろっ!!」

 予想外の惨状に思わず突っ込んだ。

 夕方まで時間が残り少ない。急ぎ掃除だけが行き届き、全く使われている気配のない無人の厨房で調理器具と食材を確認。フライパンや鍋と言った調理器具や食器は在ったが、使用されていないのか埃を被り、ガラス製の食器は薄っすらと曇っていて、食材に至ってはなかった。

 自分が普段持ち歩いている道具入れの食糧庫に調味料と調理器具は入っているが、食材は入っていない。

 簡単に掃除を行ってから、ジグモンドを連れて食材の買い出しに、城を出て王都に向かう。ファルカシュ王国の王都自体は何度も来ているので道に迷う事はない。連れて歩くジグモンドも王子とバレない為の変装には慣れている。

 勝手知ったる王都を二人で歩く。目指すは市場だ。

 ……出発前に、城の厨房で食糧類を分けて貰うのがベストかと思ったが、ジグモンドの惨状を鑑みるに王妃や他の側妃の邪魔が入ると推測される。厨房に行っても食材は分けてくれないだろう。ファルカシュ王は息子の惨状を知っているのか? 知っていて放置しているのなら、人物評価を変えるしかない。

 裏口から城を出て徒歩で王都内を歩く。王族と一緒なら馬車を使うんじゃないのかと言うツッコミは受け付けん。ここまでの扱いから想像するに、ジグモンド専用馬車は絶対に押収されている。それも、王妃か他の側妃に。

 フラフラと歩くのは嫌って訳じゃないので気にならない。

 食材の材料を市場で購入して道具入れに収納したあと、王都内の彼方此方を歩いて回る。夕食の材料を買いに来たけど、富裕層向けのレストランで夕食を取った。ちなみにジグモンドが堂々と大衆食堂に入ろうするハプニングが在ったけど、どうにか富裕層向けの店に引き摺る事に成功した。

 自分もそうだが、ジグモンドも普段冒険者としても活動しているからか、平民向けの店でも平気で利用する癖が付いている。自分の場合は卒業後に離籍する予定が有り、今の内に慣れておく必要が有るから利用する癖をつけているだけ。ジグモンドは王族で、仮に臣籍降下する事になっても爵位を授かる立場だ。

 ジグモンドの、王族としての仕事内容に関しては全く知らないので、ただの予測になるけどね。

 夕食を取り終えると王都内を散策して回るには遅い時間になった。日も完全に落ちた宵の口の時間帯。流石に歩いて城に戻る事になった。道中、夕食の感想を述べ合う。予定外の外出なのに、外食に出たような気分でのんびりと歩く。

 裏口から城に入り、離宮に戻る。厨房で食材を広げ、明日の朝食の仕込みをジグモンドに調理の基礎を教えながら行う。剣が使えて調理用のナイフが使えないのは、野営を行う上で不便だからだ。

 意外と言うか何と言えば良いのか。ジグモンドは冒険者として活動していたくせに、単独野営経験がない。ま、止められていたんだろうけど。たまにコンビを組んで野営をした事は確かに在ったが、食事は自分が用意していたな。

 ジグモンドもそれが解っているからか、文句を言わずに――それどころか楽しそうに――色々と覚えて行く。手際は若干悪いが、初心者にしては刃物の扱いで危なっかしいと言ったところはない。

 こいつが普段使っている剣はロングソードに似た片手長剣で、必要に応じて半分の長さにカットした短剣を使う。ダガーやナイフと言った更に短い剣を、使用しているところ見た事はない。それでも、調理用のナイフを危なげなく使用出来ているのは、使用経験が有るからか。

 仕込みを終えると、大分遅い時間になった。交代で浴場を使い、其々の個室で就寝する。


 

 翌朝。何時も通りの時間に起きて、身繕いをしてから朝食を作る。

 作ると言っても、昨日買ったバゲットに似たパンとハム乗せサラダに、チーズ入りスフレオムレツとベーコン入りの野菜スープだけ。手抜きな気がして来たが、ジグモンドが起きて来たので追加で一品作るのは断念する。オムレツはビックサイズで、一人二個にしたから問題はないだろう。

「美味い!」

 そう思っていたんだが、ジグモンドは約二人前をぺろりと平らげた。スープを二度もお代わりした。

 特にスフレオムレツが好評だった。

 このオムレツ、味付け代わりのチーズを入れているがやや薄味になるかもと思い、トマトソース(この世界には存在しないので手作り)を添えて出した。食べ終えたジグモンドの口元にソースが付いている。二十歳なのに子供かと突っ込みたい。

 児童と化したジグモンドの口元を拭ってやり、皿洗いと昼用の軽食の準備をしてから、ファルカシュ王国に来訪した本来の用事の準備に取り掛かる。

 これから国王に会うのだ。一応盛装した方が良いだろう。準夜会仕様として、一人で着られるタイプの露出の少ないドレスを着て、髪を巻いて後頭部でシニヨンにし、軽く化粧を施す予定だ。

 実年齢よりも幼く見えるこの顔では化粧で顔を作っても年相応にしかならない。そもそも、そこまで顔が良いって訳でもない。パーティメンバーからは『平均よりも上で可愛いから自信を持て』と何度か言われたが、転生先で容姿に関して褒めて貰った覚えがない。故に、彼らの言葉はお世辞の一種と思われる。

 塗りたくるのは好きじゃないし、そもそも化粧が好きじゃないんだよね。

 普段使用する肌の手入れ用品は化粧水程度。髪の手入れは香油を五日に一度使用する。一応、貴族令嬢なので多少は美容に気を使っている。化粧水も香油も自作だけど。ドレスや道具等を取り出し、荷物を広げたところで、部屋のドアがノックされた。

「ヴィ。入っても大丈夫か?」

 やって来たのはジグモンド。自分の姿を見下ろす。着替える前なので学生服姿。出ても問題はない。

 応答の声をドアに掛けながら近付いてドアを開ける。

 廊下には簡素な騎士格好のジグモンドと、何故か国王侍従のダニエルがいた。

「どうしたの?」

「それがさ――」

 尋ねて答えを聞き、少し呆れた。そして、ファルカシュ王国の王とジグモンドの妙な血の繋がりを感じる。

 令嬢と聞いていたが、学生服で来た事から平民と間違えられたのは意外だったが、貴族と名乗らなかった事で勘違いをしたダニエルを叱るに叱れない。広げた荷物に混じっている盛装用のドレスを見たダニエルが驚きの余り硬直したが、ジグモンドは気にしていない。

 非公式の対面と言う事で、ドレスが不要になった。

 夜会に引っ張り出されるかもしれないので、無駄にはならないだろう。

 広げた荷物を道具入れに仕舞って行き、二人に向き直る。ダニエルの目が点になっていたけど、やっぱりジグモンドは気にしない。

 改めて今日の予定をジグモンドに尋ねた。思考が停止しているダニエルは反応がないので放置する。

「時間繰り上げで、簡単なお茶会形式なの?」

「ああ。ヴィが貴族じゃないって誤解した結果だな」

「一応、国立貴族学院の制服なんだけどね」

 今は自由登校期間だが、卒業予定の学校は伯爵家以上の貴族の令息令嬢もしくは庶子でなければ入学許可が下りない学院。かつては特待生として平民でも通えたが、その特待生の平民出身の女子生徒が当時の王族と『乙女ゲーのような婚約破棄系トラブル』を引き起こした結果、特待生制度は消え、平民は通えなくなった。

 それでも国内の学校に相当する教育機関は複数存在する。この学院は王族が通う学院でも在り、――王族との縁を求めて――入学時の倍率が高い。

 自分は国内の魔法授業のレベルで選んだ結果、ここに決めた。義妹は王子目当てだったけどね。

 この世界の学校は他に、平民向けの国立学校、平民(富裕層)から貴族まで通える国立私立の学校、貴族令息(嫡男以外)が入学を希望する軍学校(実態は騎士育成学校だ)、貴族令嬢のみが通える女学院、と種類が豊富。制服だけで身分を察しろとか、不可能だな。

 反応がないダニエルを二人がかりで引き摺り、離宮内を移動し始めたところで、ダニエルが再起動した。

「はっ!? あのっ、き、着替えないのですか!?」

「学生服のままで良いんでしょ?」

「た、確かに陛下はそう仰いましたが……」

 言い淀むダニエルに追い打ちを掛ける。その間も移動は続く。

「確認だけど、私の名前は伝えた?」

「い、いえ。伝えておりません」

「一応だけど、有名じゃないけど、私の祖父はシモン公爵」

「ええっ!?」

 ダニエルが仰天している。言っては何だが、シモン公爵家は大して有名じゃない。義妹と父のやらかしで悪い方向で有名かも知れないが。

「待って下さい。シモン家のヴィオラ嬢? ラヨシュ王国の王太子妃最有力候補の御令嬢じゃないですかっ!?」

「えっ? そうだったのか?」

「不本意ながらね」

 自分の名前を思い出したダニエルの顔色が悪くなって行く。一緒に歩くジグモンドは暢気な疑問を口にした。

 ジグモンドの疑問を肯定した通り、自分は王太子妃最有力候補だった。

 今は伯爵代行だが、侯爵家の令嬢で、王国随一の魔力保持者。(喧嘩を売って来た)宮廷魔術師団長と近衛騎士団長を正面から(殴り)倒した結果、国王から王太子妃にならないかと何度か打診されたが断った。

 王太子妃? 何の冗談だ? 数多の令嬢や夫人から、家単位で嫌がらせを受ける事間違いなしの立場に誰が成るか。何の罰ゲームだよ。

 引き摺っていたダニエルが、自分の腕を掴んで引き留めた。

「駄目です。着替えて下さい。陛下には急ぎ報告しますので、着替えて下さい!」

「遅くない? そもそも、何で昼過ぎの面会が午前中に繰り上げになったの?」

 着替えてと騒ぐダニエルに、気になった事を訊ねる。

「……実は、本日の午後に教皇猊下が表敬訪問される事が急遽決まったのです」

「あ゛?」「教皇様、来るの!?」

 目を泳がせながらのダニエルの回答に思わず声が低くなったが、同じタイミングで喋ったジグモンドの声に掻き消された。

「はい。非公式ですが」

 大変嫌な事を聞いた。

「ならさっさと面会を終わらせて離宮に引き籠るか」

「え?」

 ダニエルの首根っこを掴んで引き摺り、ジグモンドに先導させる。

「ちょ、ちょっと!」

「親父との面会って面倒臭せえもんな」

「殿下まで、何を仰るのですか!?」

 キャンキャン騒ぐダニエルを引き摺って面会の場に向かう。城内の移動途中、非常に耳目を集めたので足早に移動した。騒いでいたダニエルは面会部屋のサロンに到着し、やっと諦めてくれた。入り口前に立つ近衛騎士と思しき騎士が驚いているけど気にしない。

「うぅ……胃が痛いです」

「あとで胃薬飲め」

「陛下に何と申し開きをすれば」

「諦めなさい」

 鳩尾辺りを擦るダニエルに適当に返す。その間にジグモンドが入口前に立つ騎士に話し掛けてドアを開けさせる。

「どうぞ、お入り下さい」

「おう、ありがとうな。――んじゃ、入ろうぜ」

「はいはい」

 ダニエルが先導する形で、差し出されたジグモンドの手を掴んで共に入室する。広々とした応接室らしき室内には、対面でソファーに腰かけた銀髪碧眼と金髪碧眼の二人の壮年の男性がいた。書類らしき紙束を持っている事から、仕事の打ち合わせの最中か。

「へい、か。し、失礼、します」

「おお、来た、か? ……ダニエル、どうした?」

 鳩尾を擦りながらやって来た顔色の悪いダニエルに二人は驚きを隠せない。銀髪にジグモンドと同じ色をした瞳の男性――恐らくこちらがファルカシュ王国の王だろう。もう一人はややふっくらとした体形だが、侍従長か宰相かな?

「大丈夫です。ジグモンド殿下とヴィオラ・シモン嬢をお連れ致しました」

「何!? ヴィオラ・シモン!?」

「隣国の王太子妃候補筆頭の令嬢ではありませんか!?」

 男性二人がギョッとしている。有名人になった覚えはないのに、何故自分の名前を知っているんだろう。

 騙した訳でもないのに騙したかのような若干気まずい雰囲気の中、淑女の礼を取り、形式的な挨拶をすると二人は動揺から回復した。

「んんっ、よ、よく来た。儂がファルカシュの王だ」

「私は宰相ですが、どうぞお気になさらないで下さい」

 宰相の突っ込みどころしかない台詞に口元が引き攣ってしまいそうになった。

 自己紹介で判明した事は、銀髪の方が推測通りの国王で、金髪の方が宰相って事か。

 勧められるままソファーに腰かける。

 宰相は王の後ろに立ち、ジグモンドは自分の右横に座った。ダニエルは悟りきったような顔でお茶を淹れる。

「あー、今日呼んだのは半年前のスタンピードの件についてだ」

 やっちまった、と言った感じの顔で目を泳がせながら王は喋り出した。

 スタンピードの詳細、何故功績を譲ったのか、などを訊ねられ、正直に答えた。

 詳細はジグモンドの報告書と照らし合わせながら細かく聞かれた。功績を譲った理由は『後始末を押し付けた対価』だ。

 馬鹿正直に全て答えると、王と宰相、ダニエルの顔がやや引き攣った。

 ジグモンドは我関せずと言った顔で出されたお茶を飲み、茶菓子を貪っている。

 そして、全ての質疑応答が終わると、非常に重い沈黙が降りた。大人三人は驚きの余り目が点になり、動きが停止している。

 そんな中、肝の太いジグモンドはお茶のお代わりをダニエルに要求。当のダニエルは再び思考が停止している為反応がない。口を付けていない自分のお茶を差し出すと、再起動を果たしたダニエルが慌ててお茶のお代わりを淹れる。ジグモンドはダニエルに礼を言ってお茶を受け取る。

 この状況で動じないジグモンドを王が珍獣を見るような目で見た。

「ジグモンド。少しは空気を読んだらどうだ?」

「空気読めって、どう読めばいいんだよ? ヴィを呼び出して質問したのは親父。ヴィは下心がない事を証明する為に正直答えた。それだけだろ?」

「……確かにそうだが」

「だろ? 空気の読みようがないじゃん」

 渋い顔をする王に、カラカラと笑うジグモンド。宰相は頭痛を堪えるような顔をして蟀谷を揉み、ダニエルは天を仰いでいる。

 話し疲れたのでお茶を飲む。少し冷めているが、来客用の良いお茶のお蔭で味と香りは落ちていない。

「この手の功績は、普通、手放さないものだと思うが、何故手放したのだ?」

 王の疑問はある意味当然だろう。だが、自分が置かれている家庭環境と進路を考えると、手放した方が良いのだ。、

「卒業後は家を出て冒険者として活動する予定でした。離籍するつもりでいましたので、功績が有っても宝の持ち腐れになると判断しました」

「い、家を出るのか!? 其方、宮廷魔術師団から誘われているのではなかったのか!?」

「誘われましたが丁寧にお断りしました」

 実際は『余りにもしつこかったので師団長を殴り倒した』のだが、流石に真実は言えない。ここは濁して置くのがベストだろう。

 信じられないものを見るような目で見られるが、無視を決め込んでお茶を飲む。

 唖然として凍り付く王と宰相を眺める趣味はない。頃合いと判断して切り上げに掛かるか。ジグモンドを肘で突く。それだけで意味を理解したのか、切り上げる質問をしてくれた。

「親父。質問は終わりか?」

「ん? あ、ああ。そうだな……確かにこれ以上聞く事はないが」

 王の歯切れの悪い回答に、関係のない事について聞きたいんだなと思う。宰相も似たような顔をしている。『もう少し色々と聞きたいけど、呼び出しと無関係な質問をするのは流石に……アレかな?』ってところか。

 強引だが、ジグモンドを使った質問を切り上げに成功した。

 ジグモンドを引き連れ離宮に戻る。思っていた以上に時間が経過していたらしく、時刻はお昼前だった。ちなみにお昼は軽食しか作っていない。追加で何品か急いで作った。

 お昼は、軽食として用意していたオープンサンドとサンドイッチにした。

 サンドイッチ用のパン、は昨晩作ったパン種を正方形の食パン型に詰めて焼いた。バンズタイプやバターロールっぽいものも焼いた。パンをサンドしやすい大きさにカットしてテーブルに並べて行く。

 余った朝食のスープをクラムチャウダー風に作り変えて、スープボウルに入れて出して終わり。

 朝と同じく二人で食べるが、この世界にサンドイッチは存在しないので、作り方を実演しながら食べ進める。

「面白いなコレ」

 ジグモンドは楽しそうに食べている。何度か具材を沢山挟もうとしたので止める。

 この世界にはサンドイッチのように『かぶり付いて食べる料理』がないので、パンに具材を挟んで食べる料理は珍しいだろう。いかに騎士団用の食堂で食事を取っていたとしても、出て来る料理はナイフとフォークを使う筈。ファルカシュ王国で騎士に成れるのは貴族だけだから、料理も自然と貴族向けのメニューとなる。

 かぶり付いて食べるのは行儀が悪いと見做される事が多いからか、サンドイッチのような料理が存在しない。軽食系料理を好むのは冒険者か、土木工事系の仕事に従事する人達。職業柄、片手間で食べられる食事を彼らは好き好む。

 平民で富裕層以外にマナーを気にするものは少ない。でも、サンドイッチがないのは何故なんだろう。酵母パンは在るのに。やっぱり『パンで挟む』発想がないからか?

 サンドイッチは手軽に軽食として食べやすいのに。でもオープンサンドとかもないから、パン単体で『料理の一種』と見做されているからなのかな? でもパンに塗るジャムがないんだよね。長期保存目的の砂糖漬けの果物は在るけど。

 知っている料理が存在しない世界って、やっぱり違和感が在る。ハンバーガーにかぶり付きながらそんな事を思う。

 食後、食器を厨房の洗い場に運ぶ為のワゴンに乗せて片付けていると、ダニエルが食堂に駆け込んで来た。ダニエルの後ろに侍女と女中らしき格好の女性が何人かいる。ダニエルは食べ終わった食器と片付けている自分を見て血相を変えた。

「遅かった……」

 片手で目元を覆い、ダニエルは嘆きを呟いた。何が遭ったのかとジグモンドが尋ねる。

「いや、遅かったって、何が遅かったんだよ?」

「昼食の事です。女官長に二人を呼ぶように指示を出したんです」

「俺達、ここに帰って来てからずっと食堂にいたけど、誰も来なかったぞ」

「冗談でしょう……」

 ジグモンドからの無慈悲な回答に、ダニエルは深く重いため息を吐いてから、女中に食器を下げるように指示を出した。女中達は素早く音を立てずにテーブルに残っていた食器をワゴンに乗せて食堂から去る。その間に、侍女達は食後のお茶淹れに動く。やる事がなくなった自分は席に着くように促された。

 侍女が淹れたお茶がテーブルに並んだところで、ダニエルからの事情説明が始まった。



 流れは簡単だった。

『隣国の貴族令嬢を常駐の使用人が一人いない離宮に泊まらせている』と知ったファルカシュ王が、自分とジグモンドに『昼食は王城の食堂で取るように連絡しろ』と、とある女官長に指示を出した。

 昼食時に自分達が来ないのを不審に思った王が女官長を詰問した結果、……綺麗サッパリ、指示が無視された事が判明。

 ダニエルは自分達がまだ離宮にいるか確かめる為に慌ててやって来た。この離宮には他の王妃や側妃達の妨害で常駐の使用人が居られないようになっている事を思い出し、来るついでに何人かの侍女と女中を連れて来たとの事。

 ……後日聞いたが、指示を無視した女官長は『連絡した』と虚偽報告を王にした事で、『平の女官』に降格処分が下された。女官長と彼女を子飼いにしている側妃は不当だと訴えたらしいが、(ある意味本当の)自分の立場を知った王が『降格』ではなく『解雇』を強行し、不当を訴えた元女官長と側妃の私財の一部まで没収した。

 


「ふーん。それで来たのか」

「はい。陛下も久し振りに一緒に食事をと考えていたそうなので、酷く落胆しておりました」

「親父と食事か。冒険者として動くようになってから五年振りになるのか」

「それ程の時間が、もう経つのですか」

「ああ、そうだな」

 感慨に耽る男二人。一方、自分は完全に蚊帳の外。ファルカシュ王国の事について詳しくもないし、ジグモンドと知り合ってからも、関わるつもりもなかった。黙って食後のお茶を飲む。

 と言うか、ファルカシュ王はこの離宮の状況知っていたのか。妃達の妨害で状況が変えられない程に力がないのなら、王の評価と印象を下に変える必要が有るな。

 ダニエルが連れて来た侍女と女中は、暫くの間(多分、自分が帰国するまで)この離宮に常駐が決まった面々で、妃達と縁がない事が非常に強調された。そして、この離宮にいる間に困った事が在れば彼女達を頼るようにと言い、ダニエルは大慌てて去った。

 ファルカシュ王国内のパワーバランスが気になる一幕だが、首を突っ込む気にはなれない。突っ込んでも良い事はないだろうね。

 さて、午後の予定はない。

 表敬訪問で他所から要人が来ると言う事は、離宮の外に出ると警備面で迷惑を掛ける。

 そんな流れから、三時のおやつを大量に作る事になった。ついでに夕食の仕込みも行ってしまおう。

 厨房に移動し、大量の食材を並べて作り始めた。

 最初に作ったのはパイ生地。冷凍保存可能で、ミートパイなどの料理にも使えるし、パン生地に挟めばクロワッサンやデニッシュもどき類も作れる。でも、作る過程が結構大変。生地を折って畳んで伸ばしての工程が特に。単純な力作業なのでここはジグモンドにやらせた。

 その間にクッキーの生地を作る。アイスボックス用と木の実入り用の分けて冷蔵庫で冷やす。

 続いて、卵を卵黄と卵白に分ける。作業を終えると、ジグモンドに任せていたパイ生地が出来上がった。三等分に切り分け、内二つを夕食用とパン用として冷凍庫に仕舞う。残りの一つはホールタイプのパイ用の型を使って成型し、底の膨らみ防止に穴を開けてオーブンで焼く。作るのは林檎に似た果物を使ったパイと柑橘カスタードパイだ。

 焼いている間に、卵白をかき混ぜてメレンゲを大量に作って行く。どうせだからシフォンケーキやメレンゲクッキーとラングドシャも作ろう。卵黄はカスタード作りで使うし、残っても艶出しに塗って使うので無駄にはならない。

 大量にあれこれ作っていると、作業を見ていた侍女と女中達が茫然としていた。邪魔される訳でもないので無視一択だ。

 そして、時間はあっと言う間に過ぎて行き、三時頃の時間になった。

 出来上がったスイーツを日当たりのいいサロンで食べる事になったのでワゴンに乗せて運ぶ。格式ばったアフタヌーンティーではないので、三段スタンドに乗せたりしない。乗り切らない程に作り過ぎたからではない。些か作り過ぎた気もしなくはないが、気にしない。

 二種類のパイにシフォンケーキ、四種のクッキーをテーブルに並べる。チーズを使ったイタリアンプリンも作ったが、これは夕食後のデザートとして冷蔵庫で冷やしている。

「サクサクしてて美味いなコレ」

 サクサクと言うのはパイ生地の事を指しているのだろう。ジグモンドは自分で作ったパイ生地を使った、二種のパイを最初に選んで食べ始めた。特に林檎もどきの種取とカットまでさせたから美味しく感じるんだろうね。

「シフォンケーキの出来も良いかな?」

 生クリームの代わりにカスタードクリームを添えたシフォンケーキを一口食べる。バターを使わないケーキと言う事で女中達の食い付きが良かった一品だ。女中達は後片付けを買って出てくれたので一ホールを渡した。今頃休憩室か何処かで、切り分けて食べているだろう。

 侍女達にはクッキーをお裾分けしたら喜んだ。一番人気はメレンゲクッキーだ。バターと油を使っていないから沢山食べられると目を輝かせていた。今頃何処かで食べているだろう。

 そんな訳で現在サロンに侍女と女中達はいない。人払いついでの休憩として、彼女達は別室にいる。これには理由が有る。ジグモンドと喋る内容を聞かせるとあとが面倒なのは目に見えているからだ。

 スイーツを食べながらの話題は、自然と教皇の表敬訪問に変わって行った。

「あの爺。何しに来たんだろう?」

「俺しかいないから良いけどさ、いい加減教皇様を『爺』呼ばわりするのは止めようぜ」

「あんなの『爺』で十分でしょ。会えば認定を受け入れろって煩いし」

「あー……。でも、しょうがないだろ。三百年振りに見つかったんだからさ」

「はぁ。めんどい」

 会話内容で解るだろうか。この世界にも『聖女』と呼ばれる役職が存在する。適合者は滅多に見付からず、自分で三百年振りだと言うのだからどれ程貴重かは解る。聖女に認定されると、一生涯、聖女の称号は消えない。認定されても婚姻は可能だから、ラヨシュ王国での打診が煩くなるのは目に見えている。

 そもそも、適合者と言っているが、これは便宜上こう呼んでいるだけ。

 聖女と言うのは、この世界の最大宗教団体『ユハシ教団』が崇める、『大地と豊穣の女神ヴィヴィエン』からの神託で決まる。

 三年前、教団本拠地近くの街に出向いていた時に運悪く神託が降りてしまい……非常に面倒な事になった。その当時ジグモンドも一緒にいたので、ファルカシュ王国の関係者と間違えられた。誤解は直ぐに解けたけど。

 これ以降、度々ジグモンドと一緒に呼び出しを受ける羽目になった。この件に関しては迷惑を掛けたと思う。爺に何度か『ジグモンドとセットで呼ぶな』と文句を言っても変わらないし。

 嫌な過去を思い出し、木の実入りのクッキーを口に運ぶ。少し砕き過ぎたかと、思いながら咀嚼していると、俄かに廊下が騒がしくなった。

 何事? とジグモンドと顔を見合わせていると休憩中の侍女の一人がダニエルを連れてやって来た。室内の状況を見たダニエルは何故かその場でコケた。

「ダニエル、どうしたんだ?」

 コントのように綺麗にコケたダニエルをジグモンドは不思議そうな顔で見る。確かに不思議だが、第一声が『大丈夫か?』じゃないのかよと、内心で突っ込む。

「あ~。ダニエル。怪我していないならゆっくりと立って。落ち着いて何が起きたのかゆっくりと説明して」

「……はい」

 悟りを開いたような顔で、間を開けてダニエルは返事をし、ただ一言告げた。

「教皇様がお見えです」

 最悪極まりない内容に思わずため息を吐いた。

「いや、ダニエル。教皇様が呼んでいるんだったら俺が行くぞ」

 ダニエルの言葉を聞き、ジグモンドが戸惑い混じりの声を上げる。しかし、ダニエルは首を振って否定する。

「殿下。この離宮に、既にいらっしゃるのです」

 相変わらずフットワークの軽い爺の行動を聞き、思わず渋い顔をする。対してジグモンドは血相を変えて、ダニエルの肩を掴んで訊ねた。肩を掴まれたダニエルは目を丸くした。

「応接室か? そこにいるんだよな? だったら直ぐに行くぞ。あっ、ヴィはここに――」

 サロンのドアが軋む音が響き、ジグモンドの言葉は途切れた。

「おお。ここにおったのか」

 ズカズカと遠慮なく入って来たのは……ユハシ教団の教皇ボトンド六世と、教皇秘書長のハンスだった。その後ろにはファルカシュ王や護衛の神殿騎士と王国騎士と団体で結構な人数がいる。

「……終わった」

 青い顔をしたジグモンドの台詞に絶望が滲む。自分は片手で目元を覆った。

 状況が判らないダニエルとファルカシュ王は怪訝そうな顔をし、ハンスは申し訳なさそうにしている。

 憩いのティータイムが終わった瞬間だった。



 ファルカシュ王とその他人目が在るので、取り繕った形式的な挨拶をする。教皇の爺も、『今は表向きの対応をすべき』と分かっているので、相応の態度を取る。

 形式的な挨拶が終わり、ダニエルと来た侍女がファルカシュ王と教皇にお茶を出して下がる。それに合わせてハンスが人払いをする。

 室内にいるのが自分とジグモンド、ファルカシュ王と教皇にダニエルとハンスだけになった事を確認。すると、ハンスから目配せが来た。即座に教皇を見る。

「うむ。もう良いな?」

「はい。人払いは完璧です」

 ファルカシュ王とダニエルは教皇とハンスの会話の意味が分からないので『どう言う事?』と言った顔をする。

「そう。――それで?」

 声が思っていた以上に低く出た。隣りに座るジグモンドにドウドウと宥められる。自分の声にファルカシュ王は顔を強張らせ、ダニエルに至っては怯える。

「言って置くが。今日の予定被りは偶然だぞ」

 長い髭を弄りながら威厳たっぷりに、きりっとした顔で爺が宣う。ハンスは諦めた顔をしている。

「偶然は解る。だが、ここに来る必要はない」

 目を眇める。機嫌が急降下して行くのが判る。挨拶の時と打って変わったやり取りに、ジグモンドが慌てる。

「ヴィ。押さえろ。まだ、親父とダニエルがいるんだぞ」

 ジグモンドの言葉で思考にややブレーキが掛かる。

 しかし、自分がジグモンドに抑えられている様子を見た爺がニヤリと笑う。その笑顔を見たジグモンドが血相を変えて慌てる。

「ちょっ、教皇様! これ以上押さえるのは無理だから! だから――」

「そんな訳なかろう。いやはや、良い感じの猛獣使いじゃな」

 教皇は良い笑顔でそんな事を宣った。

 直後、ブチッ、と自分の中で何かが切れた。聞こえない筈の幻聴が周囲にも聞こえたのか、先程とは打って変わって教皇の表情が強張る。

「随分と、言いたい放題言ってくれるじゃない、じ・じ・い」

「何度教皇と呼べと言えば判るんじゃ、聖女よ」

「はぁ? 勝手に認定して脅迫して来るような連中のお仲間に、何でならなきゃなんないのよ。あと、聖女と呼ぶな!」

「三百年振りの神託による認定じゃ! お主に認定を受けさせろと、他の主流派からしつこく言われる身にもならんか!」

「そっちのどうでも良い都合の間違いでしょうが!」

「どうでも良くないわ! お主に認定を受けさせるまでは、引退したくとも出来んし、死んでも死に切れんっ」

「……今ここで、その首を素っ飛ばしても良いんだけど?」

 目が据わったのが判った。未だに楽しそうにしている爺の首に狙いを定めると、流石に『これ以上は不味い』と判断した二人が割って入る。

「ヴィ、押さえろ。教皇様も挑発しないで下さい!」

「猊下。ジグモンド殿下の言う通りです。そろそろ止めないと、聖女様が爆発します」

 割って入って来たのはジグモンドとハンス。

 ファルカシュ王とダニエルは状況について行けず、あんぐりと口を開けて間抜け面を晒しているが、誰も気にしない。

「だがなハンスよ」

「『だが』も『でも』も有りません。本気で行方を眩まされたらどうするおつもりですか?」

「……仕方ないのう」

 ハンスに諫められ、爺は少し考えてから引っ込む。

 お茶を一口飲んでから気分を落ち着かせて、改めて問う。

「それで、何でここにまで来たの?」

「そんなに来ては駄目なのか?」

「当たり前でしょうが! 爺がほっつき歩くだけでどんだけ周りに迷惑かけるか分からないの!?」

「ハンスよ。迷惑かけているように見えるか?」

「そうですね。予定にない行動は控えて下さい」

「味方がおらんとはこの事かのう」

 専属秘書に肯定され、これ見よがしにため息を吐く爺。

「ハンス。爺がファルカシュ王国に訪問した理由は何?」

 爺に問い掛けても時間の無駄と判断して、秘書のハンスに尋ねる。

「大聖堂の老朽化が問題になっているのは御存じですね?」

「老朽化が原因で建て直しするんでしょ? 一時的に余所に移動するとしても、その辺の教会を巡回訪問するついでに間借りすれば良いじゃない」

 ユハシ教団の本部たる大聖堂は建築から五百年以上経つ古い建物だ。長年、雨風に晒され続けたからか、木造部分の老朽化が激しく、早急に建て直さないと倒壊の恐れがある。

 自分の回答に頷いてからハンスは口を開いた。

「それがですね。ゾルターン王国では二ヶ月前に大地震が起きたんです。この地震で木造以外のところにも止めを刺されてしまった結果、別のところに移転する話しが出たんです。近隣の教会にも被害が出ているので、巡回訪問は逆に邪魔になります」

「巡回訪問すると邪魔って、爺の存在意義を考える事案ね」

「全くです」

「お主ら。そこではなく地震のところに着目せぬか」

 ハンスと頷きあっていると、爺の突っ込みが入る。

「その地震が原因で、現在ゾルターン王国に隣接する複数ヶ国に移転許可を打診している最中じゃ」

「……ああ。ゾルターン王国はファルカシュ王国の西に隣接していたっけ」

「うむ」

「どうせ寄るなら喜捨して行けみたいな客引きするにも、人口が多い国の方が良いもんね」

「そんな悪質な客引きはやっておらんわっ」

「聖堂の入場料金取っていなかったか?」

 いきり立つ爺に、冷静に問いかける。案の定、爺は目を逸らした。

「……教団は浄財で成り立つが故に、経営を切り詰めているのじゃ」

「だったら爺が酒と煙草を止めなさいよ」

「教皇である儂が貧相なところを見せて、信者にどのような示しを付ければよいのだ」

「威厳で示しを付けなさいよ。無駄に伸びてるその髭切り落とせば少しは威厳が出るんじゃない?」

「それで威厳が出たら誰も苦労しませんね」

「どう言う意味じゃ!」

 ハンスが肩を竦めれば、教皇が問い質す。ハンスが素直に答える筈がなく『そのままの意味です』と言って逃げた。

 爺の気がハンスに向かっている間、放置していた三人を見る。

「……ジグモンドよ。今回が特殊なのだろうな?」

「いや、何時もの事」

「これが、何時もの事……」

 放置していたファルカシュ王が絶句している。無理もないか。一国の王にタメ口利いて喧嘩をしているようなもんだからな。そして、ダニエルに至っては完全に停止している。朝から胃にダメージを受けたり色々と大変だな。夕飯のデザートのプリンをあとで差し入れるか。

 そんな事を考えながらテーブルの上に残っていたパイを食べる。片付け損ねたからテーブルの上にはティータイム用のお菓子がまだ残っている。既に四割程ジグモンドの胃に消えたが、爺やファルカシュ王は手を付けていないのでまだ残っている。

 やけ食いのようにパイを食べ、クリームをたっぷりと乗せてシフォンケーキも食べる。いかに息子が食べているとは言え、ファルカシュ王は毒見されていないからか手を付けない。爺に食べさせる気はもとよりない。

 大人連中を無視して食べ進めて完食。皿をワゴンに下げる。

「で、何時までここに居るの?」

「う~む。主な会談は終わったな」

「だったらとっとと去れ」

「ジグモンド王子にお主の引き取りを頼んでおらん」

「ここで爺の首を素っ飛ばして置くか」

「待てヴィ! 教皇様もその話しを蒸し返さないで下さい!」

 目が据わると同時にジグモンドに肩を掴まれる。

「そうは言っても……学院を卒業したら家を出るんじゃろう? 聖女の認定を受け入れて教団に来る訳でもなく、そのまま行方を眩まされてはなぁ」

「煩いわね。こっちの好きにさせなさいよ」

 お茶を飲み干すと、爺が身を乗り出して問うて来る。

「だが実際のところどうする気だ? ラヨシュ王国の第一王子との婚約と宮廷魔術師団への入団を打診されておるのだろう?」

「両方蹴り飛ばした」

 良く知っているなと思いながら返事を返し、これ以上話す事も無いので爺を追い出す。最後まで何も言わなかったファルカシュ王も一緒に出て行った。

「全く、爺は何しに来たのよ」

「ヴィの進路確認じゃね?」

「それは無い」

 断言すればジグモンドは微妙な顔をした。

 このあと離宮でジグモンドと一緒に夕食を作った。配膳は侍女達がやってくれたが、ジグモンドがデザートを食べ尽くしたあとになって思い出した。

 済まんダニエル。差し入れのプリン食べちゃった。



 翌日。城から届いた朝食を食べている途中。

 運ばれた朝食と共にやって来たダニエルから、嫌な要請を受けた。

「教皇様を歓迎する夜会? 今回の訪問は非公式、だったよな?」

 ジグモンドがダニエルに疑問点を訊ねる。

「はい、その通りです。その通りですが、教皇猊下が自らの足で出向いてお会いになったのが殿下だけでしたので……」

「他の王子達が何かを言い出して、急遽、開催する事になった、と?」

「……その通りです」

 ダニエルが目を泳がせて言い難そうにしていたので、途切れたところを狙って推測を言えば肯定された。

 あの爺。余計な事をしやがったな。

 内心で悪態を吐く。本当に面倒事しか持って来ないな。

「陛下からも『お二人』に参加して欲しいとの事です」

「お二人って事は、ヴィと参加しろって事か」

「はい」

 面倒な。ジグモンドにエスコートされて参加しろってか。

「申し訳ありません」

「いや、悪いのは問題を引き起こした爺で、ダニエルじゃない」

 嘆息をしたら謝罪を受けたので、怒っていないアピールをする。

 爺の事だから確信犯に違いない。ハンスも一枚噛んでいそうだから、ちょっと問い詰めるか?

 食後、持って来たドレスから女官達と相談して一着選び、続いてアクセサリーを選ぶ。……が、選んだドレスとアクセサリーをダニエルに見せたら却下を食らった。

「指定しなかったこちらも悪いですが、青か紫にして下さい。持っていないのなら城の衣裳部屋から持って来ます」

「髪留めとブレスレットに紫色の宝飾を使ってるから問題は無いんじゃ?」

「いえ有ります」

 疑問はバッサリと切り捨てられた。仕方が無くドレスを再度選び直し、落ち着いた青地に銀の刺繍が入ったドレスに変更。何で黒は駄目なのかな? お付き合いする気は無いって意思表示として選んだのに。コルセット無しで着る奴だから良いかと割り切るしかないか。

 昼食を取り、女官総出で磨き上げられる。浴場で全身を丹念に洗われ、マッサージを受ける。マッサージ用の香油(全身用)は自作品を使って貰ったが、ちょっと問題が発生した。実に見覚えの有る問題だ。

「この香油の産地はどちらでしょうか?」

「? 持って来ている化粧品の殆どは自作よ」

「自作!? 販売している商会も無いと言う事でしょうか」

「そうね。自分で使う分しか作っていないもの」

 そんなぁ、と女官一同は膝から崩れ落ちた。デジャヴと言うか、見覚えの有る光景だな。時間が無いから今日は無視するが。

 マッサージのあとに、ドレスを着込み、持って来た香りの弱い香水(自作品)を香油代わりに少量振りかけてから髪を結い上げて貰い、化粧(実年齢に見える程度の薄化粧にして貰った)を施され、普段首に下げている道具入れを左手の中指に嵌めてドレスと同色の手袋を装着。全てが終わると日が大分沈んだ頃になっていた。

 コルセットドレスだったらもっと時間が掛かっていたな。コルセットは限界を超えて絞られるから好きじゃないんだよね。

 これから更に疲れる夜会が待っていると言うのに、疲労が溜まって来た。

 離宮の玄関で盛装したジグモンドと合流し、彼のエスコートで会場に向かう。そして、会場に入場すると大量の視線を浴びた。

「相変わらず香水臭いな」

 ジグモンドは不躾な視線を浴びた事よりも、浴びるように令嬢や夫人達が付けた香水の匂いに顔を僅かに顰めた。

「それは同意するわね」

「何で匂いの弱い香水が無いんだろうな」

「さぁ? 私は自作品しか使わないから、分からないわね」

 会場内を歩き、主催者のファルカシュ王の許に向かう。挨拶を終えたら早々にテラスに避難する。料理の幾つかを大皿に乗せて持って行く事も忘れない。

「あ゛ー鼻が曲がりそうだ」

「アレだけ臭い空間にいて誰も倒れないから不思議ね」

 二人で大皿の料理を突く。

 テラスでのんびりと過ごしていると、ダニエルがやって来た。

「こちらにいらっしゃいましたか」

「ダニエル? 親父が何か言いだしたのか?」

「いえ、会場にお姿が見えなかったもので」

 会場に姿が見えないから自主的に探しに来たのか。

「会場内にいた方が良い?」

「そうではありません。テラスに移動するのなら一声かけて頂きたかったですね」

 何も言わずにテラスに避難したから、早々にバックれたと思われたのか。素直に悪かったと謝ると、ダニエルは愛想笑いを浮かべて会場に戻った。

 大皿を空にしてから会場に戻る。瞬間、ジグモンドの婚約者の地位を狙う肉食令嬢達の殺気立った視線が一気に集中した。さり気なく逃亡しようとしたら、腰に手を回され逃亡に失敗する。

「待て逃げるな」

「犠牲は一人で十分だと思うんだけど!?」

「見捨てるのだけは待ってくれ」

「殺気立ってる肉食女共から嫌がらせを受けるのはあたしなんだけど!?」

「親父のところに中座の挨拶に行くからそこまで一緒にいてくれ」

 そのままファルカシュ王のところに連れて行かれる。

 中座の挨拶はどうでもいいんだが、これまでの行動を振り返ると、マナー的に良いのだろうかと思う。

 顔出して、テラスで料理を食べて、中座する。

 問題しかない。中座の挨拶にファルカシュ王はどう判断するんだろう。

 挨拶に出向いた結果。帰って良いよと許可が出てしまった。それはもうあっさりと。強制参加だから『問題無し』と判断されたのかもしれない。

 良い笑顔になったジグモンドの頭を掴んで下げさせ、自分も一礼してから会場をあとにした。



 翌日。

 朝食後に帰国準備を進めた。

 入国して四日目になるし、当初の目的は果たしているので帰っても問題は無い筈。教皇(ルビ:爺)が何かを言い出す前に逃亡しよう。

 荷物はほぼ広げていなかった事が幸いし、支度は早くに終わった。

「親父の用件も終わってるから大丈夫だと思うぞ」

 朝食時、ジグモンドに帰国について話した時に貰った言葉だ。何処まで信用して良いかは不明だが、言質を取ったと言う事にして置こう。

 やって来たダニエルに帰国したい旨を話し、ファルカシュ王に帰国前の挨拶は必要か尋ねる。

 大国の王ともなれば、執務で忙しいだろうから会えないだろう。そう思ったら案の定、不要と返された。来た時にも挨拶しに行かなかったからね。

 荷物は既に纏まっている、と言うか道具入れに収納済みだ。

 よし帰ろう。早急に帰ろう。爺に見つかる前に帰ろう。

 猛ダッシュで帰国した。



 帰国直後から毎日のように届く爺からの抗議の手紙を無視して、溜めた仕事を片付けていたら、自由登校期間はあっと言う間に過ぎ去り待ちに待った卒業式を迎えた。

 自由登校期間中に、本当に何故か、ジグモンドからドレスが届いた(急に呼び出した謝礼品だった)ので夜の夜会に出席するドレス選びが楽になったと喜んだのも束の間。

 夜の卒業パーティーに飛び入り参加でジグモンドがやって来て、ちょっとした混乱が起き、肉食令嬢達から視線で射殺さんばかりの殺気に満ちた視線を受けた。

「あ。送ったドレス着てくれたのか。良かった」

 と、余計な一言を言ってくれたせいで、殺気は強まる一方。

 本当に中座して逃げたくなった。

 


 学院卒業後は騒動の連続だった――否、騒動しかなかった。

 教団依頼で魔竜や魔獣の討伐に駆り出され、ファルカシュ王国の王位継承権争いと政変に巻き込まれてジグモンドと偽装婚約し無理矢理介入して乗り切り、教団の派閥争い(移転先決めの議論)に巻き込まれ、偽装婚約が原因でラヨシュ王国の王女に刺客(と言うか本物の暗殺者)を差し向けられて、止めに『復活した魔王討伐』に駆り出され――本当に、ため息しか出て来ない状況だった。

 可能な限り、回避に専念した筈なのに、何故か引っ張り出された。

 それでも、思う事は一つだけ。

「どうして回避してもこうなるの……」

 果たして、追い求める自分のスローライフは得られるのだろうか。

 隣で笑うジグモンドの頭を叩いても回答は得られない。

 どうすれば良いのか分からずため息を吐き、偽装婚約の今後の扱いについて頭を悩ませた。



 Fin


ここまでお読み頂きありがとうございます。

投稿予定作品などと上げて置いて、書き上がりがまさかの一年後。ないわーと、セルフで突っ込んでしまいました。


どんなエンディングにするか変に悩みました。

ジグモンドとコンビにして、まさか扱いにくいとは。裏表は無いけどちょっとおバカ系キャラの扱いの難しさを痛感。キャラは直ぐに出来上がったが、今度は名前で悩む。

気づいた方がいるかもしれませんが、没ネタから流用しました。

色々と利用出来るから、完結させられなくても、色々と書いて見るのも良いですね。


誤字脱字報告ありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 気づくのが遅くなりましたが、毎回楽しみにしております [一言] シリーズで一作にまとめて欲しいなと思います。短編だとブックマークがし辛いというか、更新に気づきにくいので
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ