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二日目は寝坊しなかった。
というより、自分の腹の虫で目が覚めたのだ。
アーシィは昨夜食べ損ねた分の埋め合わせをするかのように無料のサラダをおかわりしまくって、五人前は食べたところでようやくフォークを置いた。
人心地つくとさっそく今日の計画を練る。
が、森がだめなら後は山しかない。練りようがなかった。ハンターたちが探した後だという森を見限って山へ行くべきか。契約があるという利点が働くことを期待して森を改めるべきか。
ひとまず二日間は森へ行って、手がかりがなさそうならあきらめて山へ行くことに決める。アーシィはエストの角を一本入れてあるナップザックを肩にかけて宿を出た。
* * *
森はどこも同じ匂いだ。なんて、ぼんやりと考える。
見回すと故郷のそれと同じような、多種多様な樹々を抱えた鮮やかな緑の森が広がっている。この季節、花も実もなくあるのは葉だけだから、アーシィには木の見分けがつかない。慣れている故郷の森とは違い、進むには目印が必要だった。ピンクのリボンを一巻き荷物から取り出すと、手ごろな木の枝に結び付ける。同じことを繰り返してしばらく進むと、ひときわ立派な大木があったので、登ってみることにした。
苔で少し滑る個所もあったが、ほどよいところに次の枝が伸びているので、登るのにさほど苦労はしなかった。ずいぶんと背の高い木であるらしい。少しずつ寄生植物の種類が変わり、他の木々の梢を抜けてもまだ頭上には緑が茂っている。周辺に目を向けた。はるか遠くまで見渡せる。
森の輪郭を描き出す岩山が温水湖の北側をなぞるように続いている。フィアンタの入り口にあった長い石段はあの山の一部だ。さすがの湯床がここからでも臨める。人の姿までは確認できないが。温水湖の南側には水平線。その向こう側にかすんで見えるのは国境の山。湖と森の間を埋めているのがフィアンタの町並みだ。
フィアンタは一つの国として成立してはいるが国土のほとんどは山と森と湖で占められていて、生活環境の規模は小さく、アーシィの住んでいたデルシリス町と面積はそう変わらない。温水湖を目玉にした観光業で持っているような国だ。その町を眺めていると、一個所だけ、やけにキラキラと光っている地点があった。
「昨日の人たちが言ってた、大噴水かな……?」
押さえておきたい観光名所の話になった時に何名かが挙げていたスポットだ。温水湖の湯を引いて冬でも流せる大きな噴水を作ったらしい。
アーシィは枝の上に腰かけて目を閉じた。手にはエストの角が握られている。エストと別れてから、距離が遠くなったせいか言葉を伝えることができなくなったが、それでも角に触れれば呼び鈴の音だけは聞こえていた。それが、二年ほど前からぱたりと聞こえなくなっていた。同じころに全身の関節が痛んで肌がピリピリしていた時期があったのだ。最初は風邪でも引いたのかと思ったが違い、次には成長痛を疑った。ちょうど背がすごく伸びた時期でもあったからだ。けれども、もしかしたらあれは、エストの身に何か起こっていたのではないのか。
心の中で、エストの名を何度も呼ぶ。
しかし返ってくるものは何もない。
「あー! もう」
両手を万歳よりもっと後ろの方へ上げて背中を倒す。伸びをするつもりだったのだが、枝の上でバランスが崩れた。
「ぅわ? わ わ わ……」
とっさに空けた左手で二、三回、宙をかくとツタらしきひも状のものが触れた。慌ててつかむがあまり用をなさず、ひざ裏を枝に引っ掛けようともしたが滑ってしまい、アーシィの身体は完全に枝から離れた。
「わああああああああああああああ!?」
落下しながらあちこちに痛みを感じる。必死にもがいて何とか途中の枝にしがみついた。……数秒後、どっと全身から汗が噴き出す。心臓が遅まきながら、バクバクと音を立てた。さすがにこんなところで死にたくない。途端に慎重になって体勢を立て直す。角を仕舞ってから必要以上にゆっくりと木を降りると、地面の上で、ふー……。と、深い深い息を吐き出した。
上を見上げると、割とあちこちの枝が折れてしまっていることが見て取れた。アーシィは木の幹を撫でながら一つ謝ると、そこを離れて森の奥へと進んでいった。
結局、二日目にも目立った進展はなかった。




