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ーーここで乗せたの。一度、空を歩けば気が済むだろうと思って。満足してお家に帰るだろうって。でも、マスターの気持ちが届いて、早く行かなきゃって思って……
「……いったん、降ろしてくれる? ケガの手当しなきゃ」
アーシィは背から降りると獣の背に刺さっている矢を抜き、式服の中に着込んでいた白いシャツを傷口に当てがうとその左右にロープを掛けた。首にかかっていたロープを解いたものだ。
「ごめんね。母さんが居れば回復魔法を掛けてくれるんだけど」
ーーマスターには光の精霊がずっとくっ付いてる。お母さんの影響? 習えばすぐ使えるようになるよ……でも、ありがとう。手当て。
獣はアーシィの頬に自分の頬をすり寄せてきた。すると、ざらりとした感触がした。そういえば、つぶてを顔に受けていたのだ。砂や、もしかしたら血のかたまりかもしれない。アーシィはポケットから取り出したハンカチを泉の水で濡らして固くしぼり、獣の顔に当てがった。丁寧に撫でていくと、時々くすぐったそうに、また時々は痛そうにして身体を揺するのだった。そうしてすっかり顔を拭き終わると、獣は夜空を見上げた。片角の獣の月光色の輪郭が暗がりに浮かび上がっている。その向こう側に、風に揺れる水面が描き出す夜の森と月の影。上空から見た町の夜景も素晴らしくきれいだったけれども、今目の前に広がっている光景もアーシィの知っている言葉では説明できないくらいきれいだった。
何となく触れたくなって、獣の背へ傷口を避けて手を置いた。すると、空を見上げていた獣がその視線をアーシィへと転じる。
ーーマスター。
「うん……あのね、エスト。ぼく、マスターなんて大層なものじゃないよ。ただ友だちになってくれれば、それだけで良かったんだ」
ーー私、マスターがいなかったら生きていられない種族だもの。嫌じゃないなら、マスターでいて?
「マスターって、何をしたらいいの?」
ーーペットの飼い主と同じよ。なってくれる?
「それで良ければ」
ーーありがとう!!
主として認められたのは第一段階からだったのだろうか。押しの強さに負けて頷いてしまった。けれども決して嫌じゃない。むしろどこか誇らしくて、アーシィは胸を張った。
「ただ、一つお願い。あのね、必要な時はマスターにもなるけど、普段は友だちでいてほしい。いいでしょう?」
ーーマスターがその方が居心地いいなら、いいよ。ただ、呼び方はマスターのままでもいい?
「いいよ」
ーーそれじゃ……あのね、マスター
獣は角が片方しかないせいかバランスを取るのが難しいらしく、しょっちゅう首を傾げていたが、やがて凛々しくもある様子で顔をまっすぐに立てた。それでも言いづらいことなのか、一瞬の間を空けてから、ようやく言葉を伝えてきた。
ーーあのね。私にも、故郷ってあるんだよ。知ってた?
「ええ、知らなかった……っていうか、考えたことなかった。僕はまだこの町から出たことないんだ。来年は修学旅行で出られるけど。エストの故郷はどんなところ?」
ーーフィアンタっていう火山地帯でね、この泉よりもっとずっと大きい温泉が湧いてて、私たちの湯治場になってるの。
「それ、社会の時間に習ったよ! すごいや、教科書に載ってる故郷なんて!」
ーーそうそう、人もたくさん観光に来てたっけ、なるほど有名なんだ。冬は道が雪で埋まって通れなくなるから、春から秋の間が良いんだって。でもマスターはまだ子どもだから、一人じゃ来れないね。




