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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
四巻/第二章
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喚想するウィスタリア5

     (四)


 夜は深まり、窓は暗色で塗り潰される時間。閑静とした内装が硝子にうっすら映り込んで、僕の顰め面も浮かび上がってくる。斜め前の座席では、ハーヴェイさんが店員にメニューを返していた。


 マスターが貸し切りにしたレストランは店員のほか僕達しかいない。四人掛けのテーブルには僕とマスターが並んで座り、マスターの正面でハーヴェイさんが頬杖を突いている。ユニスとグレンさんは隣のテーブルで向かい合って座っていた。


 ディナーが運ばれてきて、ようやくハーヴェイさんが口を開いた。


「アッシュフィールドの人間がどうしたんだ? 何故神の住む島を探している?」


「僕の大切な人が、アッシュフィールドの血筋で……ある男によって心臓を奪われたんです。その男は彼の心臓を、『魔力の花』を神に捧げて、この世界から魔法を消そうとしています」


「そう、か。魔力の種が開花したのか」


 丁寧な手つきでステーキを切り分けていた彼が、一度だけ銀器で嫌な音を立てた。垣間見えた動揺。それが何に起因するものか、その委悉(いしつ)を気取らせる前に、彼は一口大の肉塊を口腔に押し込んでいた。


 それ以降返ってくるのは食器の音だけ。僕にも食べろ、と言うように隣席のマスターが一皿押し寄せてくる。僕はフォークを持ち上げ、フライドポテトをグレイビーソースに絡めてから咀嚼した。


「僕は、僕の大切な人を殺して、彼の心臓を奪ったあの男が許せない。心臓を取り返したいんです。だから、あの男よりも先に神の住む島に辿り着かなきゃいけない」


「やめておきなさい。あの島には化物が住んでいる」


 化物。全てを知っているはずの男性が曖昧な言葉で僕を宥める。子ども扱いされているようで気に入らなかった。大切な人(エドウィン)が殺された、とまで明かしているのに、何故力になってくれないのか。


 フォークを握った拳は思いのほか強く、テーブルの上に叩きつけられていた。だけどそれに臆する者は同席していない。老いた眼は静かに僕を射る。沈黙を破ったマスターも、事務的なまでに落ち着いていた。


「オペラでも、神の正体が悪魔だったとされていましたね。ハーヴェイさんの経験した実話なんですか?」


「実話、とはまた少し違うな。似ている部分もある。私は昔、友人と共に、神の住む島に行った」


 塩気のあるポテトを咥えて飲み込む。細長いピクルスを一口で頬張れば、快音が響く。僕が無駄口を叩かぬよう食事を進めている間、ハーヴェイさんは唸っていた。


「どこから話したものか……」彼はもうしばらく唸り、ナイフとフォークを滑らせた。


 切り分けられた肉がフォークに掬われて、赤茶色のソースと脂が艶めきながら零れていく。あまり空腹ではなかったが食欲を掻き立てられ、僕も手元にあるステーキに銀器を添えた。


 握り込んだフォークを肉に突き立て、ナイフをぎこぎこ動かすたび、脂身が震えていた。


「私は、君達の言う通り『魔法を知る村』で育った。若かった頃……私はアッシュフィールドの家系の少女と親しかった。幼い頃から彼女と過ごし、彼女に恋をしたこともあったが、あの家系は結婚相手を選べない。同じ髪の色、同じ目の色を継ぎ続けなければならないそうでな。彼女も身内と子を成した。私は失恋したわけだが、赤子を抱く彼女が絵になるほど美しかったのを、よく覚えているよ」


 彼は食べかけのステーキの皿に、そっとカトラリーを置いていた。微笑を浮かべた唇は渇いていたようで、息継ぎの合間に白ワインを一口。深い皺を上下させ、喉を鳴らす。彼は潤った口元で弧を描いた。


 眼差しはテーブルの角を見る。彼が色褪せた日々を思い宥らんでいることは、すぐにわかった。


「彼女は子供の顔を見つめ、抱きしめて、香りを嗅いで、ひどく安堵していたよ。その時、彼女が教えてくれたんだ。なぜ彼女の一族が、同じ血を繋ぎ続けるのか。歴史に疎い私は何も知らなかった」


「人々の心臓に咲く『魔力の種』。それを開花させる為には、同じ血を繋げなければならない。違う血が混ぜれば花は咲かない。……そうでしたよね」


 マスターの言葉に、彼は瞠目していた。そこまで知っているとは思わなかったようだ。だがすぐに納得したようで、苦笑いを形作って頷いた。


「ああ。そして『魔力の花』が咲いたら、花を咲かせた子供は神に捧げられる運命になる。彼女が赤子の香りに安堵したのは、赤子の『魔力の種』がまだ開花していなかったからだ。赤子の心臓で『魔力の花』が咲いた時、その子はこの世のものとは思えぬ香気を纏う……そう言い伝えられていた」


 僕は紅茶を呑み込んで、瞼を伏せた。エドウィンの香りを思い出していた。まだ脳が、五感が、彼を覚えている。今朝も彼の残り香を抱きしめたばかり。だけど形も色も捉えられない清香は、すぐに不明瞭な記憶になってしまう。幻めいた異香は、いずれ幻になる。香らない形容詞しか残らない。


 赤褐色の湖面で僕の影が揺らいだ。もう一度喉を潤して、ハーヴェイさんの語りに集中した。


「私は言ったんだ。君の子が花を咲かせていなくて、良かったじゃないか、と。だが彼女は寂しげに首を振って、こう言った」


『《もし、自分の子供が魔力の花を咲かせたら》。……そんな不安を、きっとこの子もいつかは抱くのだ。そうしていつか、私の子孫は、生まれた子供の心臓を抉り取ることになる。私が神に出会えたら、神を殺すのに。神の祭壇を壊して、魔力の花を捧げられないようにするのに。そうすれば、皆あきらめるだろう? 一人の人間の命を犠牲にしてまで、神に魔法を返そうだなんて、もう誰も思わなくなるだろう?』


 物語りは掠れていた。怨緒を湛える女性の姿が、目に浮かぶようだった。いつの間にか、食器の琅琅(ろうろう)は止んでいる。


「私は彼女と、神の祭壇を壊しに行くことにした。その祭壇がどこにあるのか分からず、たくさんの本を読み漁った。やがて私達は、村の図書館で『神の住む島』について書かれた本を見つけ、すぐに二人で向かったんだ」


「村の図書館って……でも、僕達があの村の図書館に行った時、そんな本はなかった」


「当然だ。あの島に置き忘れたんだろうな。あの本は彼女が持っていたから」


 一冊の本が村から持ち出され、地図代わりにされていたのなら紛失されていることにも納得がいった。だが、彼の語気は重苦しさを纏っていた。恐らく、本を落としてきただけではないのだ。置き忘れたのはきっと、それだけではない。


「私達が向かった島は、大きな建物が建っていた。そこには鷹の紋章が入った、豪華な船が行き来していたが……その船から出てきたのは兵隊と奴隷ばかり。島の中からは絶えず悲鳴が聞こえていた。私と彼女は既に島へ下りていたが、船に戻って引き返そうとした。そこで兵隊に見つかって、捕まりそうになった時、彼女は私を突き飛ばした。彼女は魔法を駆使して一人で戦い、私を逃がしたんだ」


 寂び返った食堂で、ワイングラスが高く鳴く。淋しげな溜息は透き通った白金とともに嚥下されていた。彼は空になったグラスを打ち眺めた。マスターがお代わりを頼もうとしたが、空のグラスの向こうで彼は首を振っていた。


「私が冒険譚を書いたのは、それから少し後のことになる。現実逃避をしたかった。幸せに終わる物語を、見たかったんだ。物語の中だけでも、神様を倒したかったんだ」


「ハーヴェイさん、その島がどこにあるのか、まだ覚えていますか?」


 マスターの問いかけは落ち着いていて、慰めの音柄も孕んでいた。ハーヴェイさんは深く、深く息をして、感傷を吐ききった。マスターに向き直った彼は、(さや)に現実を見ていた。


「ああ。大体の場所は覚えている。地図は……」


「持っていますよ。……メイちゃん、ちょっとごめんね」


 卓上の皿を出来る限り端に寄せ、中央に地図が広げられた。マスターの手帳に挟んであったらしいそれは、折り目が膨らんでいく。ハーヴェイさんはそこに手の平を滑らせて、平らにしていた。


 地域ごとに色分けされているのか、色とりどりの図形の集まりを僕は睇視した。ハーヴェイさんは顔を近付けたり、離したりしながら、太い指で絵を辿っていく。彼の人差し指は、何の形もない余白の上で留まった。


「このあたりだ。私達はここから南東の……この街から船に乗り、この海上を彷徨った」


「ああ、やはり……」


「やはりって、オッサン知ってるの?」


 よく考えたら、マスターは王族だ。僕と違って地図が読めるだけでなく、この国の地理には詳しいはず。特別な島であれば、彼の中でいくつか候補が浮かんでいてもおかしくはない。


 ならばもっと早く、その島に目を付けて調べてくれても良かったのではないか。半ば八つ当たりじみた眼光を向けていれば、マスターは苦笑していた。


「ハーヴェイさんのお話を聞いていて『もしや』と思いました。鷹の紋章に豪華な船、それは恐らく王族の所有物。島で聞こえた悲鳴は、魔女にされた奴隷たちのものでしょう。そこにある島は、わが国で最初に作られた『魔女研究施設』がある島ですから」


 彼は僕の顰め面の原因も分かっているらしく、「『神の住む島』は無人島かと思っていたから、見落としていたんだよ」と耳打ちしてきた。確かに、まさか神の住処とされている島で魔女を造っているなど思わない。神話によれば、神を何より怒らせたのが魔女。人を壊す、非人道的な魔法。


 人々は何も知らずに、神の御前で、罪を重ね続けていたことになる。


 マスターが赤ワインをあおる中、ハーヴェイさんは呆然としていた。


「魔女……ってのは」


「二人の人間を紐で縫い合わせ、一体の化物にする魔法があるんです。そうして生み出された化物を、王族や研究員の間では『魔女』と呼んでいます」


「それは、彼女の……アッシュフィールドの祖先が生み出したという、強化人間のことか?」


「ええ、恐らくそれに近い存在でしょう」


 ハンドベルが涼やかに鳴る。マスターは従業員を手招き、二杯目の赤ワインを注がせていた。従業員はハーヴェイさんのグラスが空であることにも気付き、彼に注文を訊ねる。彼が水を求めた為、ワゴンから新しいグラスと氷、水が用意された。


 従業員が遠のいて、その足音が聴こえなくなった頃、隣のテーブル席で小さな手が挙げられていた。


「あの、マスターが知っているということは、敵さんも知っているのでは……?」


 ユニスは片手で口元を拭いながら首を傾げている。彼女とグレンさんの机上には、既に空の食器だけ。対する僕達の机上では、肉料理も野菜も、パンもデザートも残っている。


 既に冷めてしまった食べかけのステーキに、ナイフを宛てがった。


「そうだね。アテナがいなくなった今、国王はクレイグと共に、各研究施設への対応をしているだろう。あそこが『神の住む島』だとは知らなくとも、クレイグがあの島に向かうことも、目をつける可能性もある。何しろ、魔女や国の歴史と深く結びついている島だ。魔法と深い関わりがあるのでは、と考えてもおかしくは……」


 喋々(ちょうちょう)と続けていたマスターが、そこで舌を収めた。顎に手を添え神妙な面持ちをした彼は、彼だけの潜思へ浸っていった。


「アテナは、魔女を生み出したのがアッシュフィールドの先祖だったことも、魔力の花についても恐らく知らなかった。つまり神話についても知らないはず。なのに何故『神の住む島』を、最初の研究施設の建設地として選んだ……? くそ、何百年も前のことだろうから記録も残っていないだろうし、分からないな……」


 考え込む彼をよそに、僕はステーキを平らげた。正解のないものに悩んでいても仕方がない。単なる偶然で片付けてしまえばいいものを、大人はどうにも答えを出したがる。


 付け合わせのサラダを食べ終えて、千切ったパンで皿のソースを拭っていく。僕がパンを食べてからデザートを食べ始めても、隣席のマスターは未だ呻いていた。


 年長者であるハーヴェイさんも、生真面目な彼を見兼ねたようで、柔らかな苦笑を零していた。


「人間は神や魔力に惹きつけられるものだ。私も彼女と船に乗っていた時、一度は迷ったが、不思議な空気に吸い寄せられるようにして島へ辿り着いていた。目に見えない神秘に引き込まれ、未知の島を崇拝するようなことがあってもおかしくはない」


「……確かに、そうですね。強い魔力は人を惹きつける。神ならば尚更」


 語らいはひそやかになり、食器の方が饒舌になる。僕達が残りの食べ物を減らしている間、ユニスがハンドベルを鳴らしてケーキを追加注文していた。


 暫くして、全員が食事を終え、各々グラスを傾け始めた頃。窓外(そうがい)の夜景を眺めていたハーヴェイさんが、思い出したように声を上げた。


「言い忘れていたな。島にある祭壇へ心臓を捧げるのは、満月の夜だ。神は満ち足りた月明りを歩いてくる」


「神が降りるのは満月の夜……嫌な偶然ですね。魔法を知らないこの国の神話でも、同じ記述があります。だからクレイグも、満月の夜を狙いかねない」


 僕は窓硝子に鼻先を近付けて空を覗き見る。黒になりきれない鉄紺の夜天は、点々と星を散らしている。ひときわ輝く月魄(げっぱく)は既に丸く見えた。凝視して、まだ潰れた楕円であることに気が付く。それでも、もうじき満ちるのかもしれない。


 早鐘を打つ胸元を押さえてマスターに詰め寄った。


「っオッサン、満月の夜っていつ?」


「今日の月からして……だいたい三日後くらいかな。馬車と船を使っても、島までは一日かかる」


「じゃあ、明日には向かった方がいいってこと?」


「そうだね。明日の昼前には発とう。午前中に馬車を用意しておくよ」


 数日、時間はある。それが分かっても心臓は鎮まらない。


 血が沸騰して、動脈を焼いていく。冷静になりたくて紅茶を一気に飲み干した。ティーカップを置いてから気付く。今の僕は、指先までもが小刻みに痙攣していた。この感覚には、覚えがあった。


 これは、怒りだ。深怨をぶつける相手に近付いて、心火が火花を散らしている。


 落ち着け、と、己にささめいた。


 (クレイグ)との再会を思惟した程度で、これほど取り乱してどうする。相対した時、我を忘れるかもしれない。理性を失くすわけには、いかない。


 僕は魔女だ。それでも、最後まで人間のままでいたい。どれほどの怨毒に蝕まれても、自我を保っていたい。


 エドウィンがくれた感情を、一つとして忘れたくはないから。

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