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神経衰弱2

 温まってきたティーポットに茶葉を入れ、湯を注ぐ。蒸らし始めた茶葉の清香が、蔓延していた酒の匂いを和らげているような気がした。


「つまり、かの魔法使いアテナ様が待ち望んだ成功作が出来てしまったわけだ。君の存在を知ったら研究者はみんな君を欲しがるだろうし、アテナの耳に届けば彼女も君を獲りに来る。奴らに捕まったら何をされるか分からないから保護した、という感じかな。良い判断だよエドウィン」


「エドウィンはメイさんを、アテナをおびき出す餌にしようと連れてきただけ、と思ってそうですけど」


「こんな可愛い子を餌に⁉ 嘘だろう君にはもっと良心というものがあると思っていたよ⁉」


「理由はどうでもいいだろ、メイだって気にしていない。利害の一致だ」


 茶葉が蒸れるのを待っている間、冷蔵庫を覗き込む。売れ残りのデザートがないか探してみたが、どうやら知らない間に売り切れていたらしい。林檎が残っているのを見つけ、仕方なくそれを切ることにした。皮を剥こうと包丁を握っていたらマスターに小突かれる。


「で、どうやってアテナをおびき出すんだい? 魔女の存在が公にされていないことから新聞という手は使えない。言伝役が不足しているよ。施設を探してメイちゃんを研究者に見せびらかした上で、わざと数人取り逃がして、メイちゃんの存在を他の施設にも伝えてもらうかい? 私はあまり好きではない作戦だけどね」


「──ねえ、魔女って僕が知らなかっただけじゃなくて、やっぱり普通は知らないものなんだ?」


「お前がいたあの孤児院は『幸せな生活』で実験体を釣ってたんだ。なおさら教えられないだろう。――メイ、林檎の皮は剥くか剥かないかどっちが好きだ」


「え? えっと、林檎はうさぎさんで出てくるものでしょ」


「……そうか」


 皮を剥こうとしていた刃の矛先を変える。まな板の上で半分に切り、もう半分に切る。八等分されたそれの芯を切り落としてから皮に切り込みを入れた。


「メイちゃんは、エドウィンとユニスから魔女についてどの程度聞いてる?」


「二人の人間を繋いで、魔法を掛けて造られる、二人分の能力を持つ存在だって。僕達のいた施設だけじゃなくて、他にもあんなことをされている子達が沢山?」


「ああ、いっぱいいるよ。それも子供だけじゃなくてね、老若男女、人種も様々。昔は捕虜なんかを実験体に使ってることが多かったらしい」


「捕虜……」


 言葉の意味は分かっているのか、メイの唇から零れたのは疑問ではなく軽蔑。食事を終えたユニスの手元で、ナイフとフォークが音を立てる。その余韻が聞こえるほどに、気付けば閑寂が訪れていた。後目で覗き見たマスターの相貌も真剣なものに変わっていた。


「元々魔女は、戦時中に使われた兵器だったんだ。当時の国王が魔法使いアテナに依頼して、造ってもらった兵器が魔女。それをいつでも放てるように各地で保管していた。戦後は処分されたり回収されたりして、尚も改良を目指して造り続けられている。また戦争が起きた時、化物の軍隊を作れるように。だから軍人や戦争に携わっていた人間なら魔女のことを知っている。今となっては亡くなっている人も多いし、忘れて行った人も多いだろうから、本当に僅かな人だけだがね」


「……その言い方だと、この国が魔女の存在を、あんな実験を、肯定してるみたいに聞こえるんだけど」


「肯定しているんだよ、上の奴らは。施設を全て壊して、魔女をこの世からなくした方がいい……そう持ちかけても無駄だった。だから私は、酒場でコソコソ情報を集めて、施設と魔女を壊して回ってるんだ」


 マスターの気障きざなウインクに、メイが顔を逸らして頬杖を突く。良い香りのするティーポットを持ち上げ、茶漉しを添えながら紅茶を注いでいく。淹れたての紅茶と、切り終えていた林檎をメイに差し出した。


「熱いから気を付けろ」


「あ、ありがと」


「砂糖とミルクはこっちだ。好きに使っていい。ユニスも林檎食べるか?」


「もちろんです! むしろ食後のデザートを楽しみにしてました!」


 皿を受け取るなり林檎をフォークで突き刺すユニス。瑞々しさが感じられる咀嚼音を響かせ、彼女は嬉しそうに頬を緩めていた。二つ目の林檎を食べるのかと思えば、彼女のフォークは林檎の皮をつついていた。


「エドウィン、うさぎさんに剥くの上手ですね! 慣れてるんですか?」


「別に」


「妹さんに剥いてあげてたんじゃないかな?」


「マスター黙ってろ」


 溜息を吐いて顔を上げたら瞠若しているユニスと目が合った。何も言わない彼女の座右から、空いた皿を静かに攫う。付着しているソースを拭き取って洗おうとしていると、メイが真っ直ぐに俺を見ていた。


「エドウィンも、妹がいるの?」


「…………まあ」


「それで面倒見がいいのか……。妹、大事にしてあげるんだよ」


 子供に言われる言葉ではない気がして、余計なお世話だ、と喉元までせり上がったものを飲み下す。憂色を滲ませるメイは、先日妹を亡くしたようなものだ。それを思い出して唇を噛んだ。


 子供なのはどちらだろう。自身の痛みにばかり意識が向いてしまうのは余裕がない証だ。妹の話に触れられて表情が凍るのも、無力さを喚起させられるからだ。


 熱を帯びた両手を、皿と共に水へ浸す。落ち着けと胸臆で言い聞かせ、冷静に食器洗いを済ませていく。


「ねえ、今更だけど、魔法って僕も使える? この体に妹を戻したり、自分でできたりするのかな」


「うーん、メイちゃんの妹さんの状態と、君が使える魔法の種類によるんじゃないかな。魔女について分からないことが多いから、私もよくわからないけどね」


「使える魔法の種類……人によって違うの?」


「そうだよ。血液型で決まっているんだ」


「血液、がた……? って?」


 林檎を咥えたままメイが首を傾げている。波打つ白髪がゆらりと流れ、華奢な肩に絡みついていた。凝然と固まるマスターとメイの横で、林檎を貪るユニスだけが時の経過を示していた。


「メイちゃんはもしかして外国の子? 病院で検査してもらったことはないかい?」


「え、いや……病院、行ったことない」


「ああ、そういうことか。後で私の知っている病院に行こう。君が扱える魔法を知っておいた方がいい」


「魔法とか、血液型? とかって、もしかして一般常識なの?」


「そうだね、血液型はこの国では一般常識かな。魔法は違うよ」


 カウンターに肘を突いていたマスターの手が何気なくユニスの前へ伸びる。林檎を一つ奪った彼は、険阻な顔のユニスに軽く手を振ってから喃喃(なんなん)と語った。


「エドウィンの一族は魔法について知っている唯一の一族でね。昔その一族の人が、魔法の系統が約四種類に分かれることに気が付いた。何の違いなのか調べてるうちに見つけたのが『血液型』なんだ。輸血などの医療にもそれを使えるんじゃないかって、魔法に関しては伏せたまま血液型の知識だけを一般人にも伝えてくれたらしくてね。彼らのおかげで、この国では血液型検査や献血が行われているけど、他国では多分行われていないんじゃないかな」


 マスターに魔法の存在を教えたのは俺だが、恐らく魔法の歴史や血液型などの知識は彼の方が上だ。彼は俺の故郷まで足を運んで、無人の民家を漁り回り、残っている書物全てに目を通したらしい。


 陶器の擦過音が相槌の代わりに鳴る。メイが紅茶に角砂糖を入れていた。一つ、二つ、三つと紅の水面を揺らし、ティースプーンを泳がせていた。


「それと、さっきも言ったように魔法は血液型で系統が違うから、基本一つの系統の魔法しか使えないんだ。でも例外もある。『血液型キメラ』といって、二種類の血液型を持つ人間がたまにいるんだ」


「っそれ、もしかして」


「おや、ユニスはもう知ってるのかい?」


 飛び付く勢いで顔を上げたユニスと、歓楽の笑みを浮かべるマスターに、俺は眉を顰める。額を押さえて吐き出した嘆息は思いのほか大きく響いた。


「マスター、人のことをベラベラ喋るな」


「いいじゃないかこのくらい。エドウィンは血液型キメラなんだよ。二種類の魔法が使えるんだ。メイちゃんもその可能性がありそうだから、医者にもそう伝えておこうかと思ってね」


「僕も可能性がありそう……? そんなの分かるのか?」


「エドウィンみたいに外見は普通だけど血液型キメラ、という例もあるんだがね。それよりも虹彩異色、真性半陰陽、皮膚色素沈着などの特徴が見られる場合の方が多いらしいんだ。そもそも血液型キメラは、二卵性双生児の血液が胎生時に混ざり合ったり、一個の卵子に二個の精子が受精した場合になるとされていてね。メイちゃん、双子だったんだろう? それに肌は真っ白だけどオッドアイだ。可能性はあるかなと思うよ」


 マスターの説明はメイにとって難しいものだったのかもしれない。彼の朗色を真剣に見つめた彼女が、時折疑問符を漏らしていた。華奢な両手がティーカップを包み込んで持ち上げる。渋い顔のまま、彼女は紅茶を飲み干していた。


「まあ、難しい話はこのくらいにしよう! 明日の予定を考えようか、メイちゃん」


「マスターはメイさんのことしか目に入ってないんですかー? 私とエドウィンもいるんですけど」


「もちろんユニスとエドウィンのことも見えているよ。ただメイちゃんの血液型検査と、買い物の予定が先かなと思ってね。服も靴も買ってあげたくなる格好じゃないか」


 カウンター越しにいつ確認したのか、マスターもメイが裸足であることに気付いていたらしい。俺が彼女を抱きかかえてきたからか、と思議していたらマスターに肩を叩かれる。


「私とメイちゃんが外出してる間は店が開いてしまうから、ユニスとエドウィンに留守番を任せようと思っているんだが、いいかい?」


「オッサンが留守番してればいいと思うよ。貴方よりは、エドウィンと行きたい」


 俺が返答をする前に割って入ってきたメイ。笑顔のまま固まったマスターにユニスが苦笑をしていた。俺はメイに向き直ったものの、いきなり轟音が鳴ったものだからマスターの方へ意識を引き付けられる。


 カウンターに顔から倒れたらしい彼が、うつ伏せのままわざとらしい嗚咽を漏らしていた。


「フラれちゃった……ハッキリフラれちゃったよユニス……慰めてくれ……」


「はいはい、マスター残念でしたね。初対面から変態全開で接するからダメなんですよ」


「オッサンが気持ち悪いのもあるけど、そもそも服も靴もエドウィンが買いに行こうって言ってくれてたんだ。だから、先に言ってくれた彼を優先したい」


「俺はどっちでも構わないが」


 赤い視線に瞬刻だけ息が詰まる。メイに虎視を突き付けられて閉口する。余計なことを言うなと言わんばかりの鋭さに、苦い息を一つ吐き出した。メイが紅茶のおかわりを求めてカップを差し出してきたため、ポットに残っていたものを注いでやった。


「じゃあ、血液型検査もエドウィンと行っておいで。医者に手紙を書いておくから、それを持っていくといい。買い物の後は、そのまま依頼に対応してきて欲しいんだが、いいかい?」


 静かな水音とともに馨香が広がる。最後の一滴を呑み込む波紋。それが溶けていく様を見届けてからティーポットを片付けた。目の端に映ったのは白よりも褪せた素色。封を解かれた便箋がマスターの指先に挟まれていた。


 この店は、表口の立て看板の横にポストが置かれている。ポストには『化け物を見かけたら当店に相談を!』と書かれており、『化物退治』という店名に合わせたジョークだろうと客には思われている。


 一般人からすれば印象的な客寄せの一種。けれども、化物と称するほど異常な存在を見つけた人間ならば、縋る気持ちで相談を投函する。そういうものだ、と、いつかマスターが語っていた。


 彼の手から便箋を受け取る。紙特有の古ぼけた香りが鼻を突いた。


「依頼、来てたのか」


「そう。今回はそこまで遠出しなくて良さそうだよ。隣街ベルレストだ」


「……そこなら、数年前に魔女研究施設を潰しに行ったはずだ。マスターも知っているはずだろ。魔女の生き残りがいたのなら今更出てくるはずがない。魔女じゃないんじゃないか?」


「その可能性も高い。尤も、君が研究者を殺し損ねていなければ、ね」


 秋霜つるぎのような目遣いに責められている気分になり、唇が歪んでいく。マスターの喉元を見つめたまま黙思した。魔女狩りを始めてから数年、研究施設を見つけた数は片手で数えられる程度。そして昨夜のことを思い返し、過失がある可能性に頷くしかなかった。


「……そうだな」


「おや、冗談のつもりだったんだが、そんなわけないって怒らないのかい?」


「今回メイがいた施設を仕切ってた男は、魔法を扱っていた。これまで回った施設にそんなヤツはいなかった。魔法を使われる前に殺せたのかもしれないし、もしかしたら、俺が取り逃していたのかもしれない」


 どの施設を訪れた際も、魔女も研究者も殺し尽くしているつもりだった。だが、施設内の端から端までを常に見ていられるわけではない。俺一人の足で見て回ることしか出来ない。向こうからすれば敵は俺だけ。すれ違うことなく、異変を察知して逃げることなど容易だろう。


 そうやって何人取り逃がして来たのか、推し量ることは出来ない。研究者が崇めるアテナにも、すれ違った上で逃げられているとしたら、あまりに愚かだった。


「まぁ、明日依頼者のところへ行っておいで」


「ああ。分かってる」


「ユニスは私と留守番するかい? それとも二人についていく?」


「ついていきます! だって私、昨日の戦いでエドウィンを助けちゃいましたもん! って話してなかったですね! マスター聞いて聞いてっ、昨日ね……!」


 魔女との戦いを喜色満面に話していくユニス。明日に備えるべく、三人に背を向けて自室に向かった。


 階段を上がる靴音で幽寂が軋む。この手で奪ってきた命を追想していた。その回思には哀れみも後悔も伴われない。ただ苛立ちだけが募っていく。


 魔女への憎しみも、研究者を殺すべきだという考えも揺らがない。そしてその比にならないほどの色濃い怨悪は、未だ心髄で燻ったまま。


 本当に復讐したい相手と、どこかで接触している可能性。それを考えてしまってから、沸き立つ殺意が熱くてたまらなかった。全身の血が、魔力が、沸騰している感覚。一族の皆を切り刻んで、妹を奪った『あの女(アテナ)』との遭逢を、呪うように望んで瞼を伏せた。


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― 新着の感想 ―
メイさんの、マスターに対する辛辣さが妹を守る思いが込められているように感じました…! マスター、ちょっとかわいそう(笑) そしてエドさんは血液型キメラなのですね…!今まで複数の系統の魔法を使っていた謎…
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