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神経衰弱3

      (二)


「お兄ちゃん、早く! お祭り始まっちゃう!」


「わかったから動くな、失敗するだろ……」


 コーデリアの柳髪を櫛で梳かしながら、呆れ声を投げかける。椅子に座った彼女は落ち着きなく肩を揺らしていたが、失敗、という言葉にようやく大人しくなった。


 前髪を半分編み込んで耳の後ろで留める。たったこれだけのことすら出来ない妹の不器用さに溜息を零したくなるものの、完成した髪型に彼女が雀躍じゃくやくと喜ぶものだから苦笑するしかなかった。


「ほら、出来たぞ」


「やったぁ! えへへ、次は私がお兄ちゃんの髪、編み込んであげるね!」


「お前がやったらぐちゃぐちゃになる。自分でやるから、先に行ってていい」


「ううん、待ってる」


 手鏡を見つめるコーデリアが、自身の左眉の上にそっと触れる。編み込まれた髪を軽く撫でては嬉しそうに唇をしならせていた。俺も自分の支度を済ませなければ、とドレッサーを覗き込む。彼女と同様に、自分の髪を編んでいく。


 三つ編みとは、固く結ばれ、決して断たれることのない絆を表すのだと、族長が言っていた。神事の際は村人全員が髪を編み込む決まりがある。


 村の中心で火を焚いて、神籟しんらいたる歌を煙に乗せて天へ届ける。その後は、子供を楽しませるママゴトみたいなことが行われる。大人が出している店を回って食べ物を食べたり、アクセサリーを買ったりする。半年に一度行われるこの祭りを、コーデリアは毎回楽しみにしていた。


「お兄ちゃん、やっぱりワンピースは白の方がいいかな? でも黒も好きで悩むなぁ」


「今更着替える気か? もうすぐ始まるぞ。服装に決まりはないんだから、好きなのを着て行けばいい」


「んー、じゃあこのまま行く! ねえ、似合ってる?」


 初めて着る服だからか、コーデリアは何度もワンピースをはためかせていた。裾にはカランコエを模した赤い花が縫い付けられており、花束のようなデザインだ。布地は黒を基調としていて、三つ年下の彼女がいつもより大人びて見えた。


「まあ、少し背伸びしてるみたいだけどな」


「なにそれ、私そんなにお子様じゃないもん」


「冗談だ。似合ってる。父さんも喜ぶと思うよ」


「それはそうだよ、お父さんが買ったんだもの。着てあげたのに喜んでくれなかったら私も怒るよ」


「なら見せに行くか。父さんたちも、出店の準備を終えてる頃だろうし」


 玄関の扉を開ける。昼間の赫然とした陽光が眩しかった。細めた瞳で軽く振り向くと、コーデリアが腕に飛びついてくる。行こう、と言笑した彼女に首肯して、村の中心部を目指した。


「お兄ちゃん知ってる? 村の外のお祭りでは、お空に花を咲かせるんだって! 色とりどりで、綺麗なんだって、この前セシリーが言ってた!」


「空に花……? どうやって咲かせるんだ? 花束でも投げるのか?」


「違うよ、火を打ち上げる? みたいな感じらしいの! 成人して村を出られるようになったら、外のお祭り行ってみたい! お兄ちゃん連れてって!」


 明朗なコーデリアに感化されて、目顔が緩んでいく。見たことのないものに思いを馳せるのは楽しかった。心地良い花信風が、灰の幽香を運んでくる。


「ああ、見に行こうな。母さんと父さんも一緒に、都市に遊びに行こう。きっと美味しいものもたくさんある」


「うん!」


 灰が、散っていた。


 煤が弾ける。灯されていた斎火いみびが、かからめく鳴動を打ち付けられて舞い上がる。見たことのない人々が村人を無邪気に穿って戦慄を奏でていた。彼らが腕を振るうたび、縫い付けられている赤い紐が血飛沫と交差する。薪のように転がっているのは四肢。地を染め上げる緋は、炎の色じゃない。


 村人の腕を斬り飛ばした人間の、血走った瞳と目が合った気がして、弾かれるように木々の陰へ逃げ込んだ。


 コーデリアを自身の背に隠したまま足が動かない。喘鳴が五月蝿かった。驚怖に耳を塞がれて音が拾えなくなっていく。彷徨わせた眼で両親を探す。民家に燃え移った焔が、角膜を灼いていくよう。溶け出しそうなほど熱い眼差しで、ようやく捉えた母は、首から下がなかった。


「う、ぁ……っ」


「お兄ちゃんっ、なに、なんなの……⁉ ねえっ!」


 コーデリアが、どこまで目にしてしまったかは分からない。両親の亡骸を、彼女が見ていなければいい。咄嗟に彼女を抱きしめた。何も見てしまわないように、自身の服に押し付けて覆い隠そうとした。


 震える体を強く掻きいだき、乱れた呼吸を整える。逃げよう、と、俺が呟く前に。蒼黒い影が囁いた。


「――沢山命が欠けていくね。火の粉と混ざって、赤い花火みたいで綺麗だ。そう思わないかい? 少年」


 それは、人の恐れを引き摺り出すような、冽々とした音吐。逆光に浮かぶ笑みは決して冷笑ではなく、歪な喜色。黒いローブを纏った女が、一歩近付く。


 逃げ出したい気持ちで身を引いた。本能が、ソレとの接触を拒んでいた。振り向こうとするコーデリアを腕に閉じ込める。お兄ちゃん、と、胸元でコーデリアが震え声を吐出していた。


 女が不気味に首を擡げる。蛇に似た目は眼窩で転がって、喚叫する村人たちを眺望していた。


「取り敢えず使えなさそうなのは殺して……良さそうなものだけ持って行こうか」


 動けない俺達に背を向けて、独り言ちた女は業火の方へ飛び出した。まるで演劇でも始めるかのように、村人を見回しながら両手を広げる女。人々を襲っていた赤紐の化物が、それに注目して固まっていた。


 それは言った。ここへ来るのは何百年ぶりだろう。


 それは笑った。私と同族の君達なら材料として申し分ない。


 それは奪った。惶惑こうわくしていただけの無辜の命を。


 合図はたった一言、殺せ、だった。化物はそれを聴くなり、鳴き喚いてまた暴れ出していた。


 泣き声が聞こえなくなった頃、いつの間にか女は目の前に立っていた。


「素敵な見世物だったろう? お気に召してくれたかな、君達?」


「な……」


「どうしようか。君達のどちらが良いかな」


 コーデリアを抱いていた腕を、引かれる。千切られそうなほどの力に抵抗など出来なかった。よろめいたコーデリアが女を振り仰いでいる間、女の手が俺の頬を包み込んでいた。


 絡んだ目線はほどけない。眼窩に収められている真黒の晦冥かいめいが、こちらの意識を呑み込もうとしているみたいだった。


「鈍色の髪に洋紅の瞳。アッシュフィールドの家系が絶えていなくてよかったよ。魔力の量は遺伝する。私の知っている彼は誰より魔力を持っていた。だから君達を探しにきたんだが……思った通りだ」


 呼吸の仕方を忘れていく。女の両手は顔の輪郭をなぞっていく。それが返り血にまみれていることを、肌で知覚していた。額にも血と脂を塗り付けられ、前髪を払われる。女はひとえに、俺の双眸を打ち眺めていた。


「魔力は通常、感じることさえ出来ないもの。だけど君からは魔力が溢れ出しているのを感じるよ。その目付きも、顔立ちも、まるで人間じゃないみたいだ。異常なほど美しくて気味が悪い……ああ、彼もそうだった」


 女の嬉笑が、濡れた絵画みたいに崩れていく。忌々しいとばかりに、俺の頬に爪を突き立てる。痛みで息が引き攣った。わけが分からなかった。女はひずんだ笑みを遠ざける。


「少年、君が付いてきてくれるかい? それとも君かな?」


「っコーデリアに近付くな……!」


 妹に伸びた血紅色の手。それを見るなり、金縛りにあっていた体がようやくほどけた。妹を傷付けさせるものかと、必死に払い除けた。


 直後、首を圧迫されて声を出せなくなる。片腕だけでこちらの首を掴み上げた女が、笑みを失くした神色かおで俺を見下ろしていた。


「生意気な餓鬼だな」


 骨が潰れる音。それは首ではなく肩から迸った痛みだった。貫通した刃を引き抜かれる。塵でも放るように捨てられ、伏した体へ再度突き刺さる剣。


 その一刺しだけで終わらない。女はローブの中から短剣を取り出して骨を貫く。肩、腕、足。終わりなど来ないのではないかと思う程、幾度となく四肢を穿孔された。


「あ、ぐ……ッ」


「いやああ! お兄ちゃん‼」


「子供は子供らしく怯えて従え。勝てやしない相手に牙を剥くのがどれほど愚かなことか分からないのか? 喚いていれば守れるとでも思ったのかい?」


 冷たい刃物が皮下に潜る感触。血管を押し裂いて骨を抉る感覚。激痛と慄然で背筋が粟立ち、全身が痙攣していた。手足が動かないのは恐怖のせいなのか、それとも穴だらけになっているせいなのか、判断が出来ない。


 噛み殺した悲鳴が喀血にあざなわれて溢れる。四肢に突き刺さったままの刀剣を見て、標本のようだと虚ろに思った。ぼやけた現前で、研ぎ澄まされた刀鋸とうきょが光っていた。


「私は利口で従順な子供の方が好きなんだ。少年、来世は聡明に生まれることが出来たら良いね」


 泣き叫ぶコーデリアの言葉が、聞き取れない。それなのに、仇敵の声だけは、鮮明に耳朶を打つ。


「おやすみ、少年。妹を助けられないまま、衰弱して死ぬと良い」


 吹き込まれたものは呪いじみていた。鼓膜に響いて、脳髄を侵していくほどの呪詛。ほどけた三つ編みが零れ落ち、目の前を黒く覆う。地面に縫い留められた体は動きそうになかった。女の言う通り、このまま失血死するのだろうと思った。


 それでも藻掻いたのは、女の呪いを振りほどきたかったからだ。こいつの言葉通りにさせたくなかった。助けられないと、諦めるのは御免だった。


 消えそうな意識を痛みで繋ぎ止め、息衝く。コーデリア、と、震えた気吹が妹を呼ぶ。まだ声が出せることに、安堵した。掻き曇った視野では何も見えない。それでも生きている。


 だから手を伸ばしたかった。足を動かして、コーデリアを追いかけたかった。己の手が痙攣しながら開く。指先は虚空を掠めるだけ。土に爪痕を刻めるほどの力すら入らない。氷刃という杭に打たれた足は踏み出せない。


 生きているのか、死んでいるのか、だんだんと分からなくなっていく。冷え切っていく指先が、体温を求めていた。生を証す熱を、思い出させて欲しかった。


「――エドウィン!」


「……は……」


 瞼を持ち上げた先があまりに眩しくて、目を細めた。色とりどりの衣服の前で、長い金髪が揺れている。修道女みたいな少女が眉を吊り上げていた。


 荒れた呼吸に困惑しながら冷静になっていく。冷や汗が酷い。今、自分が平静でいられている自信はなかった。


「もー! 女の子が試着してる間に飽きて寝ちゃう紳士がどこにいるんです⁉」


「ユニス、そんなに怒らなくてもいいよ。僕は気にしてないし、すぐ起きたじゃないか」


「メイさんはエドウィンに甘い気がします、そもそも服屋さんで寝るダメ男初めて見ました。一緒にいる私が恥ずかしいです!」


「いや、でも僕が服と靴を選ぶのに時間をかけすぎたから」


 寝起きの脳味噌を、ユニスの声が刺していく。俺は寄りかかっていた柱から背中を離した。眉間の皺を押さえてから顎を持ち上げれば、ユニスは未だにふくれっ面をしており、やや離れたところではメイが姿見に向き合っていた。


「悪い……」


「ほんとですよもう!」


「メイは服、決まったのか?」


「ああ、これでお願いしようと思って。いい?」


 こちらを向いた彼女の長い裾が揺れる。紫苑色のフリルブラウスは二つほど釦が外されており、左肩だけ素肌を晒していた。その上に纏っている黒いベストが、それ以上はだけぬようにブラウスを支えている。


 細身のスラックスにロングブーツを履いた足は華奢で、よくサイズが見つかったなと思いつつ、少女にしては珍しい服を選ぶものだから思わず零れた。


「……スカートじゃないんだな」


「可愛い妹の体で足なんて晒したくないしね。それに、戦うかもって分かってるのにスカートを選ぶなんてどうかしてる」


「メイさんは私の服装に文句がおありで?」


 ユニスの尖り声に、メイが引き攣った笑みを形作る。慌てて繕おうとする困り顔は普段より歳相応に見え、微笑ましかった。


「いや、ユニスは可愛くていいんじゃないかな。でもその……手枷? 邪魔じゃない? エドウィンに外してってよく頼んでいるし、着けなくていいんじゃ」


「アームカバーは言わば戦闘用の防具みたいなものなんです! 知らない人間と接触しそうな場所では着けていたいんです! 外出するなら付けないと!」


「そ、そっか? でも、腕痛くならない?」


「特別製なので伸縮性のある素材で作られているんです。手枷の中でも結構腕を動かせるんですよ。っそれよりメイさんこそなんですかその肩! 変な男に目をつけられたらどうするんですか!」


「これは、僕が魔女だってわかりやすい方がいいかと思って、紐が見えるように……」


 二人の掛け合いを片耳で聞きながら、店員の方へ歩いていく。メイを指差し、彼女が今着ている服を全て買うと伝えると、店員はすぐ会計をしてくれた。財布から取り出した紙幣で支払いを済ませ、メイが元々着ていたワンピースを鞄に詰める。


 二人の方へ向かおうとしたが、踵を返した先にユニスがいて、ぶつかりかけた足をすかさず下げた。真剣な童顔が、背伸びして俺に近付く。囁きは他の客の会話に潰されてしまいそうだった。


「忘れていましたが、マスターからの言伝です。メイさんから目を離すな、って」


「分かってる」


「分かってません。はぐれないようにすればいい、と思ってませんか? だから、店内なら大丈夫だろうって寝てしまうんでしょ」


「それは、悪かったって言ってるだろ」


「はぐれなければいい、ということじゃないんです。メイさんのように自我を保っている魔女がどうなるか、分からないから気を付けろだそうです。いつ、メイさんが自我をなくして人を襲うかなんて分からないって」


 自身の面容が歪んでいくのが分かる。メイが魔女である事実から、目を逸らしていたわけではない。彼女の赤い紐を見る度、魔女のことを思い出して微かな嫌悪が湧く。けれども言葉を交わして、様々な表情を見て、嫌悪感を『人間らしい姿』で紛らわせてきた。


 もし彼女が自我を失くし、蘇芳の紐をたなびかせながら人を襲ったら。きっと、迷いなくその首を落としてしまうだろう。そうして『人間』であった彼女を思い返し、悔悟に苛まれる。


 そんな未来が来なければいいと睫毛を伏せ、ユニスに相槌を返した。


 店内を見渡し、メイを探す。彼女は寒色の服を数着眺めていた。視線に気付いたのか、振り向いた仕草につられて赤が揺らめいた。


「メイ、行くぞ。その服も買って行くか?」


「ううん、見てただけだから。コレ、買ってくれてありがとう」


 柔らかな笑み。魔女ならば決してしない顔ばせに胸を撫で下ろす。


 店を出たところで、街路の賑わいに負けないほどの「あ!」という驚愕が背中にぶつかった。ユニスが自分の格好を見下ろして固まっていた。


「どうした」


「裾が破けてました……う~、どこかに引っかかったのかな。エドウィン手枷とって! 縫います!」


「お前、その服何回も縫ってないか? 新しいのを買うなら店に戻って選んでいいが」


「私はこの服でいいんです。マスターが買ってくれた服なので捨てにくいし」


 手枷を取ってやると、ユニスは広場の中央にあるベンチへ座った。噴水を囲う形で点々と置かれているベンチには、どこも平穏が居座っていた。


 食事をしている男女、本を読んでいる老婦人、人形遊びをしている親子。懐から針と糸を取り出したユニスを瞥視してから、メイにも座るよう促して、自身は立ったまま熱鬧ひとごみを眺めた。


 依頼と服屋の為に訪れた隣街。ココは酒場アジトがある街より狭く感じた。面積は大差ないだろうが、人が多い。行き交う人の服装は貧富様々。貧しさを後ろめたく思って路地に引きこもる人間は、この街にいないようだった。


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― 新着の感想 ―
前半はエドウィンさんの過去ですかね……! 肉や骨が砕ける表現が鮮明で、こんなひどいことをされたかと思うと感情移入してしまってつらくなります… そんな過去があるから、エドウィンさんの四肢は魔法を使わない…
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