プロローグ③「ありえないほど何にもねぇ」
「だーかーら! 怪しい宗教団体とかテロリストとかじゃないから!!」
「ふざけんな! 早く俺を元の場所に返せ!」
「だからそうするとあんたは死ぬんだって! さっきやったでしょ!?」
同じ問答を繰り返し続け、女神と不良少年の二人は永久に話の進まない泥沼状態に陥っていた。
馬戸は拉致監禁されたと思い込み、現実に返されると死ぬことをVRか何かの最新技術だと断定していた。
女神は元の世界に返すと事故の瞬間にあって確実に死ぬことと、その理由を説明するのにその前提条件を受け入れてもらえないことに難儀していた。
そしてあろうことか、女神の方が先に折れた。
「じゃあ分かったわよもう! 今から一度しか話さないので聞き逃さないでね!」
いきなりの路線変更に馬戸も困惑する。ただ、半信半疑どころか零信満疑である彼に、これから話されることは大して頭に入らないだろうが。
「まず、あなたは死にました! というか、今のままだと死にます!」
「だから……」
「うるさいわね! 後にしてよ!」
大きく舌打ちをしたものの、さすがにこれ以上は無駄だと分かり信じるかは別として話だけは聞くことにした。
「じゃあなんで死ぬのに生きてるのかと言うと、今の状態は私が時間を止めて、あんただけを引っ張り出しているようなものだからです!」
「何故なら、不良の癖にあんたがおばあちゃんを助けようとしていたのに感動したからです! どんな悪い人でも、良い人だという一面もあるんじゃないかと、私はそう思ったんです」
「だから、あなたがあの事故の後、一般的に良い人になれるのなら、私はあなたにもう一度人生をやり直すチャンスを与えようと考えました」
最初は先程までの言い争いをしていた時と同じ程の声量が、次第に小さくなり、話の終わりに進む頃には、女神は完全に落ち着いていた。
「しかし、あなたは元の世界に戻れません。なので、異世界に転移させ、善行を積み、更生できたら元の世界へ生き返らせます」
その間、馬戸は、話が突拍子もなく、かつそれをして女神に何の得があるのだが分からず、やはり信用できない、という印象を受けていた。
ファンタジーに憧れるような少年ならともかく、馬戸は不良の集団の先頭に立つような少年。ただ喧嘩が強いだけではなく集団をまとめあげている長でもあった。自分自身も相手も損得で動くことが多い世界に身を置いていたからこそ、善意で人は動かないと決めつけていた。
「異世界……ね」
意味はいまいち分かってはいないが、そんな場所に送り込むということは面倒事がある。それを解決することで更生したとするのだろう。
「一つだけ条件があります。私は先程、善行を積み、良い人と言えるような人になれるのなら生き返らせる、そう言いました。だから逆にあなたが悪い行いをすれば、あなたの身内や友人に不幸が降りかかる上、あなたは本当の意味で死んでしまいます」
「私は、人を、人類を、信じています。同じ過ちを何度繰り返そうと、心の底には、優しい気持ちが眠っていると……」
「はいはい、じゃあ早くその異世界とやらに連れてってくれや」
話が終わったと見て、大まかな目的を聞いた馬戸は打って変わって素直に受け入れた。意味が分からない人物、金や報復などが目的ではない。身の危険はなさそうではあると認識し、面倒くさくはあるがひとまずその目的に乗ってやるしかないと判断した。あわよくば、そんな面倒事は置いて地元まで帰れるならなお良い。
「そうしたいのは山々ですが何個か説明しないといけないことが……」
「後にしてくれ、神だったらテレパシーとか使えんだろ?」
「あー……あんまり言いたくはないんだけど、私はそんなに偉大な神じゃないから……」
「まあそこまで重要なことじゃないから、異世界転移準備しながら一言ずつで済ませるわね」
そう言うと女神は馬戸へ向かって手をかざし、淡い光が馬戸を包み始めた。
「異世界の言葉は私の力によって翻訳されます」
魔法陣が馬戸の周りにぽつりぽつりと現れ、次第に大きくなっていく。
「ステータスや魔法という概念があります」
大きくなった魔法陣から淡く光りだす。
「基本的にはあなたが住んでいる世界に近い文化、環境です」
そして、と女神は前置きをし、息を吸ってから最後の説明のために口を開く。
「あなたには始めから、スキル『善行値』が付与されます。様々な効果をもたらすことができますが、最小値では私から善行値を貯めるヒントを貰うことができます。これだけは忘れずにね」
女神は微笑みながらそう言うと、キッと表情を変え、魔法陣が直視できないほど強い光を放つ。
あまりの光の強さに反射的に目を瞑った馬戸の耳に、微かに女神の声が聞こえた。
「――――では、幸運を!」
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光が弱くなったのを感じ、目を開けると先程の閉鎖的な空間から大幅に変わり、広大で青い空が視界を覆い尽くした。
さあっと吹いた風で反射的に目をつぶり、思わず顔を下に向けると視界いっぱいに草原が広がっていた。いくつかある木々が風で揺れ、奥に見える山の雄大さが頬を撫でていく風の存在を忘れさせた。
しばらくの間周囲を見渡し、大自然に人生で初めて感動していた馬戸はあることに気がついた。
「おい……この辺村とか街どころか、道らしい道もねぇぞ!!」
唯一幸運だったことは、正確な時間は分からずとも真上に登って行く太陽によって、夜はまだ先だと分かることだけだった。