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歯車はここに

夏の盛り

作者: 民間人。

 燃え盛る炎のように、嫉妬心が盛る。命の灯とはかくも醜いもので、それが照らす先にあるものは輝かしく見せられた偶像に過ぎない。


 空を覆う無数の火花に歓声を上げる人々、川辺に立ちそれを見上げる人々は、互いにそれを見て何を思うのだろうか。蛍の光よりも鮮やかな空の花、儚く崩れ落ちる一瞬の芸術に、彼らの中の何が満たされるのだろう。


 僕は、夏が嫌いだ。

 夏休みになると僕の周りには煩わしいものが無くなり、居心地よく過ごすことが出来たけれど、それ以上に騒々しくなる人混みに辟易する。どこにもいかれたくなく、またどこに行こうともしない。お前達は海へ、山へ、祭りへ、田舎へ行く。それは何故か。それは簡単で、混んでいるのが嫌だからだ。それがすべてなんだよ、それだけだ。

 そして何より肌の露出が増える事が嫌だった。誰が見たいんだ、あんなものを。肌なんて、陰部と何の違いがあるというのか。仮面と手袋さえ嵌めて歩きたいのに、この蒸し暑さではそれも許されない。どうにかならないものか。


 セミの鳴き声がこだまする、孤独な部屋の片隅で、陽炎が揺蕩う道の向こう側を眺める。日焼けした同年代の人々が、笑いながら道を行く姿が目に映った。思わず漏れた舌打ちに、誰もいない部屋で周囲をぐるりと見まわした。

 なぜかきまりが悪くなり、僕は冷水を請いに部屋を出た。


 むわりとした熱気に当てられ、眩暈がする。自分の手を軽く撫でると心地よい、冷気の余韻が残っている。僕は玄関を素通りして縁側のあるリビングに向かう。リビングルームに入ってすぐに、大きなソファがあり、再び体を、今度は直射日光による直接的な熱気の中に包み込んだ。

 

「消してけよ」


 蚊取り線香が煙を上げている。緑色の螺旋に近づき、無防備な縁側の戸を閉め、冷蔵庫の扉を開ける。

 いつになく心地よい冷気に一瞬時が止まったように錯覚する。その中から夏には誂え向きの飲料を手に取り、強引にキャップを外す。ザラりとした手触りに苛立ちを覚え、この最も喉に優しい飲み物をコップに注ぐ。僕はコップを手に取ると、大きなソファに深く腰掛け、同時に大きな溜息を吐いた。


 こうしてどこに行くでもなく空虚な時間を過ごす事は、つまらない人生を楽しく過ごすコツだ。即ち、空虚とは何よりも贅沢であり、無駄というものほど贅沢に過ごせるものも無いのだ。


 アブラゼミの鳴き声が家の外に響き渡る。陽気に動き回る陽の光が、影を追いかけて隅へと追いやっていく。ぼんやりとソファに身を任せ、照り付ける陽に追いやられることのない影の中に身を任せる。額縁の向こう側にある輝かしい世界のチャンネルをいじると、閉塞感を覚える20世紀の記録を示す映像が流れ始めた。

 これに安堵して、僕が目を細めると、世界は仄暗い雰囲気の中に沈んでいく。悲壮と壮大を織り込んだテーマ曲に合わせて、塹壕に積み上げられ、横たわる人々の姿が映る。口の中が乾くのも構わず、ただ繰り返す悲壮に身を回せて、自らの無力と世間との乖離に安堵する「無駄(ぜいたく)な」時間を過ごす。

 陽の光が西へと傾いていくと、世界が影の中へと沈んでいく。影が世界を支配するほどに深まるまで、僕は小さな寝息を立てて、過去の悲壮の中に身を隠し続けた。


 蝉の音が異様に際立つようになると、瞼を開く。瞼を開き、ソファに残った自分の形が醜くくぼんでいることを手で確かめ、そっと夜の世界に視線を動かした。

 夜の闇にちらつく蛍たちがいる。縁側から見える川に住んでいるらしく、家族は皆それを楽しみにしている。彼らが必死に、自分の居場所を証明しようと足掻いていることも知らずにだ。

 唐突に、強烈な寂寞感に襲われた。


「僕はここだよ、僕はここだよ」


 蛍が発光しながら、空を舞う。星の瞬きよりもいっそう強く、空の闇より一層深い地上の闇を照らしながら、草から草へ、空から空へ。その様は、僕に向けて呼んでいるような気もする。本当は、仲間を呼んでいるだけなのだけれど。

 彼らはそうして必死に自分を表現しないと、自分のもとに誰も来ないことを知っている。彼らは孤独に打ち震え、宵の中にいる友と触れ合っているのだ。


 周囲は暗く、厳しく、恐ろしい。それでも何かを求めて、発光し、彷徨う。


 そうだ、僕はこれを知っている。これは、僕達だ。必死に集団の中で輝こうとする、目立とうとする。そして群がって、褒め称え合って、消えて行く。尻すぼみの人々が、群がって、抱き合って、夕焼けの赤と、朝焼けの空を繰り返す。その狭間に、僕達はこうして見えない暗闇の中で生きているんだろう。夏に、何とか「楽しんでいる風」でいるためにも。


「僕は、ここだよ」


 独り言ちる。汗ばむ体を団扇で仰ぎ、必死に居場所を探す彼らの事を見ていたら、自然と涙が零れ落ちた。


 僕はここだよ、ここにいるのに。


 蛍の光は群がり、離れ、また群がった。濡れた土のにおい、空を覆いつくす爆音の花火、それを少し離れた場所から見上げる僕の、孤独と、絶望。覆いつくす花火の激しく、猛々しい叫び声。小さな光はその一瞬の輝きにさえ驚き、慌てふためく。時に称賛され、時に蔑まれる一瞬の輝きの前に、僕達はただ、空を仰ぐことしかできない。


 満ち足りた生活の中で、どうしてこんなにも息苦しいんだろう。


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