決意
カツコツ
「ぅあっと」
突然聞こえてきた乾いた音に我に返る。
すぐに音がした方を見るのと同時くらいに部屋の扉が開かれる。
(ひぃ)
慌てて頭から布団を被る。
カビ臭さでいっぱいになるが今は我慢だ。
「エリア?起きたの?」
「はっ…う、うん!起きたよ!もう、めっちゃ起きた!」
(危なっ、間一髪っ!じゃないよ!?つい返事しちゃったじゃん。しかも『はい』って言いかけた。そんなの子供っぽくないよね?この声…きっとエリアちゃんのお母さんなのに。)
丸みのある柔らかな声はエリアちゃんの記憶を垣間見た時に聞いた声とそっくりだ。その声に子供らしからぬ返事を漏らしそうになる自分のドジさよ。
「あれ?どうして隠れてるの?」
さっきよりも声が近い。きっとすぐそこにいる。
どうしよう。どうしよう。
必死に頭を動かすが妙案は出てこない。
うっ……これは逃げられない。
観念してそーっと、顔の上半分を布団から覗かせる。
「おはよう、エリア。」
「うん……おはよう。お母さん。」
焦げ茶色の髪を後ろで束ねた女性がにこりと微笑む。
間違いない。エリアちゃんのお母さんだ。
えっと、確か名前は……エルースさんだっけって、若ぇ!?
見た感じ20歳…前半?私と同じくらいじゃない?
一体、何歳なんだろう。エリアちゃんの記憶じゃ歳までは分からなかった。しかも、すっごく可愛い。
大きな瞳に筋の通った小さな鼻。顔は少し丸くて綺麗というより可愛い系の童顔だ。これで2児の母親とかマジかよ!?
私なんか男の人とお付き合いだってまだ…
「なゃいっ!?」
「あら?驚かせちゃった?」
不意に額の上に温かくて柔らかな感触が乗る。はい、びっくりしました。
「えっと…」
「エリアったらまだずいぶんと体温低いわ。しっかり寝られた?」
「あの…その……イマイチかも。」
「もしかして怖い夢でも見たの?お目目が真っ赤よ?それで隠れてたのね。」
「うそっ!?」
布団に再び潜り込む。
「あの、そうなの!もう本当にすごーく怖い夢を見ちゃって。泣いたの恥ずかしくて。それから、えっと、だからあんまり寝られなくて……私、もう少し寝ていたいかなぁ」
「もう、エリアったら。寝てるのは良いけど、一人で寝られるかしら?また怖い夢を見るんじゃない?お母さんが一緒にいてあげましょうか?」
「大丈夫…大丈夫だと思う」
「そう?じゃあまた起きた頃に顔を見に来るわね。」
「……うん」
布団の向こうでエルースさんが立ち上がる気配がある。
そのまま足音は遠ざかり、扉が閉まる音が鳴る。
「………行った、かな?はぁ、危ない。」
布団をそっと剥がして、部屋の様子を伺う。
大丈夫。出ていったみたいだ。
ほっと息を吐き、身体を起こす。
「目、腫れちゃってたんだ。あんだけ泣けば仕方ないか。変に思われなかったかな。」
目尻に触れた指先が少しだけ濡れる。
「もうこれ以上は出ないかな。びっくりした拍子に止まったみたい。あれがお母さん、か。エルースさん……エリアちゃんのお母さんで…私のお母さん……実感沸かない、な……これからどうしよう。」
膝を抱えて、できた隙間に頭を埋める。
「気持ち悪い感覚。しばらくは慣れなさそう。」
私の春菜としての部分がエルースさんは『エリアちゃんのお母さん』なんだと考えてしまうのと同時に私のお母さんなんだという感覚もある。
まるで私の中に春菜とエリアちゃん。違う二人が同時進行に考えているような感じが何とも気持ち悪い。2つの認識が混じり合ってちぐはぐとした感情がモヤモヤと胸の中で渦巻くのだ。
「こんな状態でエルースさんに顔を合わせるのは…まだちょっと怖いなぁ」
何が怖いかって、もちろん今の状況がバレてしまうのが怖い。
バレてしまったらこの先どうなるのか想像がつかないのが不安で仕方ない。
『気持ちが悪い』『嘘をつくな』
『不気味だ』『意味が分からない』『本当の事を言え』
『エリアを返して』
「……私だって返してあげられるならそうしてあげたいよ。」
一番言われたらショックな一言がバレたら言われそうなランキング1位なのはなんとも皮肉だ。
「もう、いっそ告白してしまった方が楽なんじゃないかな。」
想像してみる。
『私、実は21歳の社会人でエリアちゃんじゃありません。エリアちゃんはどうなったかって?う~ん、それは…大変申し上げにくいのですが、彼女はかなり病弱だったのはご存知ですよね?なので、もう……あ、でも大丈夫です。私がエリアちゃんの中に入ったらかなり身体の調子はよくなったから。これからは私がエリアとして生きるのでよろしくね!』
……絶対、ダメでしょ。
そんなん私が母親の立場ならふざけんなってマジギレするわ。
怒るだけならまだしも、泣き崩れたり、鬱になっちゃったり、思い詰めて最悪自殺なんてしたら…。
「やっぱり秘密にするべきだよね。」
エリアちゃんの家族のことを思えばそれがいいだろう。
それにそんな風に詰め寄られた結果、私自身が何をされるか分からない。
うん。私のためにもどう考えても秘密にしておくのがベストだろう。
そう思うと、さっきは本当に危なかった。
急な事とはいえ、咄嗟に『はい』と口走りそうになったり、エルースさんへの感情がまとまらなくて、しどろもどろしたり。
もうちょっとだけ自分の中で色々と整理してからエリアちゃんの家族と面した方がいいだろう。
立ち上がり、部屋に置かれた水桶に向かう。
そこに映るのは黒髪の頬の痩けた少女だ。
「それに……エリアちゃんのためにも。」
病弱なエリアちゃんはおそらく亡くなる間際だった。
私の中に流れ込んで来たエリアちゃんの記憶がそれを物語っていた。
次第に身体が凍るように冷たくなり、手足が動かなくなって、視界が落ちるあの感覚は今思い出しても震えてくる。
それにも関わらず、この小さな少女の心は恐怖よりも家族への想いでいっぱいだった。謝りたい事、感謝したい事、これからの事。
そんな少女の身体に入れ代わる形で今なお生き永らえている私ができることはなんだろう。役目はなんだろう。
分からない。
分からないけど、私はエリアちゃんの代わり…ううん。
私として、彼女ができなかった事。したかった事をこの身体でしてあげるべきなんだと思う。
もう一度、水桶を覗く。
水の中の少女は私が片目を閉じれば同じように閉じるし、口を開ければやはり開ける。首を左右に振れば鏡写しに同じ動作をする。
「……私が見た物とか、聞いた物とかさ。それから遊んだ事とか楽しかった事がエリアちゃんの物になる…といいな。」