生きる意味
「ねえ、くもさんはどうしてお空にうかんでいるの。」
「さあ、ボクがくもだからじゃないかな。」
「なんのためにうかんでいるの?」
「さあ、意味なんてないよ。」
「ねえ、石ころさんはどうして道に転がっているの?」
「さあ、オレはずっと昔からこうしているんだよ。」
「なんのために転がっているの?」
「さあ、そういうものだからだよ。」
「ねえ、たんぽぽさんはどうしてそこに咲いているの?」
「私ね、去年風の強い日にとなりの街からとんできたの。
だから、ここで咲いているの。」
「なんのために咲いているの?」
「さあ、知らないわよ、そんなの。」
「ねえ、ネコさんはどうしておひるねをしているの?」
「ねむくなったからよ。それに今日は日差しが心地いいの。」
「なんのためのおひるねをしているの?」
「それはね、ネコという言葉は『ねる子』という言葉からきているの。
つまり、ネコはねるものなのよ。」
「ねえ、イヌさんはどうしてごはんを食べているの?」
「なぜって、おなかが空いたからさ。」
「なんのためにごはんを食べているの?」
「おかしなことを聞くね。
よくわからないけど、生きていくためじゃないかな。」
「ねえ、おさるさんはそこで何をしているの?」
「ワシかい。ワシはね、もうすぐ孫が生まれそうなんだ。
だから、娘と孫に何をあげようか、考えていたんだよ。」
「なんのために、赤ちゃんは生まれてくるのかな。」
「さあて、おじょうちゃん、世界はね、たまたまが重なってできてるんだ。
つまり、起こることは全部たまたまで、意味なんてないんだよ。」
「じゃあ、生きていることに意味はないのね。」
「そうだよ、でもね、人間はたまたまのことを『キセキ』と呼ぶんだ。
たまたまっていうのは、すごいことなんだよ。」
「そうなんだ!おさるさん、教えてくれて、ありがとう。」
「ねえ、おかあさん、今なにをしているの?」
「あなたと私のごはんを作ってるのよ。どうしたの?。」
「今日もみんなはいつもみたいにすごしていたの。
私、みんなになんのためにそうしているのか聞いてみたの。
でも、みんな自分がなぜそうしているのか、よく知らなかったわ。」
「ふーん、そうなの。」
「でもね、おさるさんがいちばん知っているみたいだった。
生きていることに意味はないけど、それはキセキで、すごいことなんだって。」
「あら、おさるさんて、頭がいいのね。」
「じゃあ、ほんとに生きていることに意味はないの?」
「あのね、それはひとつの考え方。
そういう考え方もまちがっていないの。
でも、意味があるって考えることもできるのよ。」
「どうやって?」
「たとえば、もし、佐英がいなかったら、
私こうしてあなたの分のごはんを用意することもなかったんだから。」
「そんなの、あたりまえじゃない。」
「そうよ、だけどね、
もし私がごはんを作らなかったら佐英が悲しむと思うから、私はごはんを作るの。
それで、佐英がおいしそうに食べてくれると、私はとても幸せになるの。
これって、佐英が生きていてくれるおかげなのよ。」
「そっか、おかあさん、ありがとう。」
(母親が佐英を抱きしめて終わり)