むらさき森の小さなトウリョウ
「こらァ! 何してるんだ!」
かみなりのようなどなり声とともに、お父さんのげんこつがおちた。今にもほんもののかみなりがおちてきそうな、くもりの日のことだった。
「おてつだいだよ。だって、おれもしょうらいお父さんみたいな大工になるんだから!」
ヤスヒロは金づちで、くぎをうつまねをする。
「ばかやろう! あぶないだろうが!」
お父さんはもう一度どなって、金づちをとり上げた。
「かえしてよ!」
「だめだ! お前は家に帰ってあそんでろ!」
そう言ってお父さんは、作りかけのお家がある方へともどっていく。
「もう! お父さんなんて知らない!」
顔をくしゃくしゃにしたまま、こぼれたなみだをこぶしでふいてかけだした。
むかうのは、ヤスヒロだけが知っているひみつのかくれ家だ。
こんもりしげったはっぱの天井に、ふかふかの草のじゅうたん。町はずれの森にあるその場所を、だれにもないしょで『このはのドーム』とよんでいた。つらい時、かなしい時、ヤスヒロはいつもここにやってくる。
その日、このはのドームはいつもとようすがちがっていた。お日さまが見えないからはっぱもきらきらかがやかないし、風だってぜんぜん気持ちよくない。おまけにパタパタという音がきこえてきたと思ったら、雨までふりだしたようだ。ぐぅ、とおなかもなって、どんどんこころぼそくなる。
やつあたりのように頭の上のこのはをにらみつけていると、めずらしいものを見つけた。それぞれべつの木から生えているはっぱとはっぱの間に、一本の線のようなすきまがあいているのだ。みどり色でぬりつぶされたドームの中、うきあがって見えるそれを、すうっと指でなぞってみる。
「わっ!」
つぎのしゅんかん、思わずとびあがった。
あわてて目をこすってみたけれど、まちがいない。目の前の風景が、なぞったとおりにぺろっとめくれあがっている。
むこうがわに見えるのは、まったく別の場所のようだった。そこらじゅうにはえた木には、つやつやの、ぶどうみたいな色をしたはっぱがしげっている。
目をこらしてさけ目のむこうをかんさつしていると、とつぜんベリッという音が聞こえた。なんと、めくれていたところからゆっくりと、景色がはがれはじめたのだ。
「わぁ~~っ!」
あっという間にむらさきのうずにのみこまれたかと思うと、ぐるぐると世界がまわりだす。そうしているうちにヤスヒロは、いつのまにか気をうしなってしまった。
「カカカ! こいつはすごい! 自力でここまでくるやつなんて、めったにいないぞ!」
知らないおじいさんの声で目をさます。
あたりを見わたすと、むらさき色のはっぱをした木がそこらじゅうに生えていた。こかげからは、ちりちり羽根の大きな鳥や、ぎょろっと目に水玉もようのきみょうなけものがこちらの様子をうかがっている。
のぞきこんでいたのは、うずまきのようなひげをはやしたおじいさんと、花がらのふくをきたおばあさんだった。
「すっかり迷いこんじまったねぇ。あんたがいたのははっぱがみどり色の世界だろぅ。ここははっぱがむらさき色の世界。あんたがいたのとはべつの場所さぁ」
おばあさんはそう言って、ヤスヒロがおき上がるのをてつだってくれた。
「えっ! おれ、迷子になっちゃったの?」
「カカカ! おびえることはない! この場所では『こうしたい』とねがったことは何でもかなうんだ。お前さんが心のそこから帰りたいとねがえば、すぐに帰れるはずさ!」
笑いながら言うおじいさんは、たしかにちっとも心配そうではない。それでもヤスヒロは、本当にお家に帰れるのかと不安でたまらなかった。おまけにおなかもぺこぺこで、今にも泣きだしてしまいそうだ。
「カカカ! かなしくなっちまったのかい。それならほら、これをやろう」
おじいさんはポケットからあるものをとりだした。丸くて頭にはへたがついていて、見た目はまるきりリンゴなのに、全体が晴れた日の空みたいな水色をしている。
なかなかそんな色のリンゴを食べる気にはなれなかったけれど、おなかがすいていたし、おじいさんが「うまいぞ、うまいぞ」と言うものだから、思い切って口に入れてみた。
すると、あまくて、しゅわしゅわして、まるでサイダーをかじったみたいな味がする。むちゅうになって、あっというまにしん以外のところを食べつくしてしまった。
「おじいさん、ありがとう! これ、すっごくおいしかったよ!」
「カカカ! そうだろう。わしの作ったゴリンはさいこうだからな」
そう言ってうれしそうに笑うおじいさんを見ているとしあわせな気持ちになる。お家に帰ることができないかもしれないという不安も、少しだけやわらいだ。
「何かお礼をさせて! こまっていることとか、ない?」
ヤスヒロは二人にたずねる。お母さんがいつも『だれかに助けてもらったら必ずお礼をしなさい』と言っていたからだ。
「おれ、そうじがとくいなんだ。二人のお家をぴかぴかにできるよ!」
おじいさんとおばあさんは首をかしげた。
「オウチっていうのは、何だぃ?」
「ええっ? お家っていうのは、住むところのことだよ」
「ふむふむぅ……。だったらきっと、私たちのオウチはこの森さぁ」
「ええっ! こんなに木があるんだから、切ってお家を作ればいいのに」
「森の木をかってに切って、何かを作るなんてことはしないよぉ。だって、そんなことをしたら森がかわいそうだろぅ?」
おばあさんのことばに、思わずムッとする。ヤスヒロのお父さんは、いつも住む人のことや、しぜんのこと考えてお家を作ると言っていた。だからおばあさんの『森がかわいそう』ということばになっとくがいかなかったのだ。
「そんなことないよ! おじいさんもおばあさんも、そして森も、みんながよろこぶお家があるはずだよ!」
ハッときづいたヤスヒロはつづけて言った。
「みてて! おれがきっと、そういうお家を作ってみせるから!」
こうして、お礼に何をするかがきまった。おじいさんとおばあさんのために、ここにお家をたてるのだ。
広い空き地を見つけたので、そこにお家をたてることにした。とはいえ、とうぜん道具なんて何もないから、木を切るにもどうしたらいいのかわからない。
そこでふと、おじいさんのことばを思い出す。
「『ねがったことが何でもかなう世界』……」
ためしに、目の前の大きな木にむかって言った。
「これを丸太にしたい!」
すると、太いみきがぽきんと折れて、えだがおち、きれいな一本の丸太になった。
ヤスヒロはこうふんして何本も丸太を作る。
「おいおいあんた! 何をしてるんだ!」
十本ほどの丸太ができあがったころ、そう言ってだれかが空き地にやってきた。みどり色のふくに茶色いぼうしをかぶって、オノをせおった男のひとだ。
「ここにお家をたてるんだよ」
「ふぅむ。あっちの世界のやつらは、どうもオウチとやらが好きなようだな。おれはこの森の管理人、ジョニー。かってなことをされたらこまるぜ」
ジョニーは、上をむいて目をとじる。
「お前がところかまわず木を切るものだから、森が泣いているじゃないか。耳をすまして聞いてみろよ」
「えっ?」
ヤスヒロはびっくりして、同じように上をむく。そして「森の声を聞きたい」と強くねがった。
(いてててて!)
(やめて、そこを切ったらだめだよ)
たしかに、森の泣き声が聞こえた。
「どうしよう! おれのせいだ……」
「めそめそするんじゃない。お前はオウチを作るんだろう? 森や川や海といっしょに生きていくんだったら、れいぎを守らないとな。おたがいが生きていくのをじゃましない、ちゃんとしたやり方があるんだ」
そう言ってジョニーは、ていねいにこの森や自然のしくみを教えてくれた。
「ここのえだは、切ってやった方が、ほかの木にお日さまがあたるのさ」
ジョニーはガツンガツンという音をたててオノをふるう。
「どうしてオノなんてつかうの? おねがいすれば、すぐに木は切れるのに」
「森の体をわけてもらうんだ。オレだってあせみずたらさないと、しつれいだろ?」
ジョニーのことばをきいて、ヤスヒロはお父さんのしごと場を思い出す。お父さんはいつもぴかぴかのしごと道具で、いっしょうけんめいお家をたてていた。
「おれも! おれもオノをつかうよ!」
「なかなかわかってきたじゃないか」
ジョニーは、自分のしごと場から小さなオノを一本もってきてくれた。二人はたくさんあせをかきながら木をきりだし、それを丸太にしあげていく。
かんせいしたのは、四本はしらと三角やねの、小さな休けい所だ。かべがないので森の風がいつでもかんじられるし、はっぱがこすれる音も聞こえる。
「カカカ! なかなかいいもんじゃないか!」
おじいさんはさっそく中に入り、ベンチにこしかけた。
「ここにいれば、雨がふってきてもぬれないねぇ」
おばあさんも、おじいさんのとなりにすわって笑う。
(これならいたくないね)
(おじいさんとおばあさんがうれしいと、わたしたちもうれしい)
目をとじるとそんな森の声も聞こえてきた。
「おい、さっきのケガ、だいじょうぶか?」
ジョニーが、おじいさんとおばあさんに聞こえないように小さな声でたずねる。
「うん、だいじょうぶ」
ヤスヒロも小さな声で答えた。
オノをつかって木を切りだすとき、右手の先を少しだけ切ってしまったのだ。『おねがい』したらすぐにきずはなおったが、うっすらあとがのこってしまった。
『だめだだめだ! 大工のしごとはあぶないんだから』
お父さんに、何度もくりかえし言われていたことを思い出す。
「お父さんはこのことを言っていたんだ……」
そう思ったらきゅうに、お父さんとお母さんがこいしくなってきた。お父さんにはちゃんとあやまって、お母さんには、助けてもらったお礼ができたことをほうこくしなくちゃならない。
「おお、そろそろおむかえの時間だねぇ」
気がつくと、ヤスヒロの体がうっすらとみどり色に光っていた。
「カカカ! ありがとうよ、ボウズ。このオウチはだいじにつかわせてもらうよ。気がむいたらまたあそびに来るといい」
おじいさんとおばあさんはひらひらと手をふる。
「前に同じように迷い込んだやつから教えてもらったんだ。みんなのことや、まわりのことを考えてオウチを作ることができるやつのことを、トウリョウって言うんだろ? お前には、トウリョウのそしつがあるぜ」
ジョニーはニヤリと笑って言った。
「ありがとう! ぜったい、ぜったいまたあそびに来るからね!」
大きく手をふりかえしたしゅんかん、ぐるぐると世界がまわりだす。そうしてもみくちゃにされているうちに、また気をうしなってしまった。
「ヤスヒロ! ヤスヒロ!」
ゆっくりと目をあけると、そこは元いたこのはのドームの中だった。
「雨がふってきたっていうのに帰ってこないから、心配したんだぞ」
ヤスヒロの顔をのぞきこむお父さんは、心からほっとした顔をしている。
「お父さん、ごめんなさい」
ヤスヒロが口にした『ごめんなさい』には、たくさんのいみがこめられていた。
「いいんだ。おれもさっきは言いすぎた」
お父さんはそう言って、ヤスヒロのかたをぽんとたたく。
「お母さん、おれ、ちゃんと助けてもらったお礼ができたよ!」
「そうなの。えらかったわね」
お母さんはなみだぐんだまま笑った。
こうしてお父さんとお母さんと話していると、もしかしたらあちらの世界でおこったできごとは、ぜんぶ夢だったんじゃないかと思えてくる。
「お父さん、むらさき色のはっぱの木って、あると思う?」
ヤスヒロがたずねると、お父さんは少しだけだまってから、こう答えた。
「……そうだな。これだけ大きな森だから、もしかしたらどこかにあるかもしれないな」
その答えに、ヤスヒロは思わず笑顔になる。
「さぁ、お家へ帰ろ!」
いきおいよく立ち上がって、お母さんとお父さんの手をひっぱり、かけだした。
「ねぇ。おれ、いつかお父さんみたいにりっぱな大工のトウリョウになるよ!」
「なんだ、いきなり。なにかあったのか?」
てれくさそうに笑うお父さんの右手には、たくさんのきずあとがのこっている。
「ううん、なんにも!」
そしてヤスヒロの右手にも、小さくて白いきりきずのあとが、くんしょうみたいにきざまれていた。