DREAM DIVER workaholic1
「…あー…疲れた………」
彼はパソコンから目を離した。両手を上げて背中の筋肉を伸ばす。肩も首も凝り固まっていた…。ちらりと時計を見る。針は午前三時過ぎを示していて、朝方に近い。
「……今日も帰れなかったな……」
家に帰ったのは何日前だろうか。ここにはシャワー室もあるし仮眠する所もあるので別段困りはしないが、何日もはキツい。しかし…。
「これだけでも仕上げてしまわないと、納期がヤバい…」
そう呟いて再度画面に向かう。ブルーライトによって酷使された瞳が限界を訴えるが無視するほかない。そこへ同僚の男が現れる。
「お疲れー」
「ああ、お疲れさん」
そう言って彼も自分のデスクの前に座った。
「…次のシフトのヤツらが来るまで少し休んどけよ。起こしてやるから」
「悪い…頼むわ……」
「おう」
同僚の男はもう一人の男に休みを取るよう促すも、画面から目を離すことはなかった。席を離れた男は仮眠室へと急ぐ。何日もろくに睡眠も食事もせず、パソコンに向かっていたせいか足元が少々覚束ないが、貴重な休みの時間を確保するため最後の力を振り絞るように足を動かした…。
「……あぁ……やっと横になれる………」
畳の床にごろりと横たわり、深く息をついた。
(…夢、しばらく見てないなぁ……)
最後にゆっくりと休んだのはいつだったか。男は束の間の休息へと、闇に落ちるようにして意識を手放した………。
DREAM DIVER workaholic
織田は辺りの様子を伺った。一般的なオフィスビルの一室のようだ。
「…はい…大丈夫です。こちらは異常ありません」
デバイスで他のクルーと連絡を取る。今彼らは、潜入の真っ最中だった…。織田はパソコンだらけの部屋の中を歩く。人はいない。今日は休みらしい。何の気なしに一台のパソコンに目が留まる。しばらく凝視していると、急に起動音がした……。
「…!…何だ……?」
独りでに電源が入ったそれは、しばらく砂嵐から意味のない記号やアルファベットを映し出していたが、やがてパッと画面が変わる。そこには髪の長い一人の女性が映し出されていた…。
「え……これって……」
画面の中の女性は、長く、手入れされているとは言えなさそうな黒髪を顔の前面にも垂らしていて、どんな顔なのかよく見えない。加えて、画面の向こうの女性のいる部屋はとても薄暗い。まさに某有名なホラー映画のワンシーン。その女性が、織田のいる部屋へと画面の向こう側から近づいてくる。織田の背中に得も言われぬ恐怖が走った…。
「…う……こっちに来るな…!」
来るなと言って、来ないシチュエーションがあるのだろうか?案の定と言うべきか、黒っぽい恐怖の塊のような女性はどんどん画面に迫ってきて、ついには画面から手がこちら側に出てきた…。
「…うわ…っ!」
不気味な程に青白いその腕が、織田を更に恐怖に陥れる。織田は慌ててそのパソコンから離れようとした。すると、部屋にあった他のパソコンも次々と起動音がして、砂嵐を映し始めた…。
(悪い予感しかしない…!)
それらのパソコンがどうなるかを見届けることなどせずに、織田は部屋から転がるように外に出る。とりあえず走って出来るだけ遠くに行きたい。
(…逃げてばっかりだな…俺……)
いつも何かに追われているような気がする。疲れているのだろうか?
『…オリタ…どうした?何かあったのか?』
ジェシカから連絡が入った。彼女の声を聞くとホッとする。社内を走りながら答えた。
「…実は、何だかよく分からないんですけど…パソコンの画面から“あつこさん”みたいなのが出てきて、今逃げてます!」
『“あつこさん”?…よく分からないが、そちらに向かう』
「お願いします…!」
自分で言っててもよく分からない状況に、ジェシカが怪訝そうな声をしたのが分かるが、説明する余裕もない。走りながら近くに逃げ込める所はないか探す。すると、休憩室らしき畳の部屋が目に入った。そこに駆け込んで扉を閉める。
「…はあー……」
一息ついて周りを見回すと、また不安になる。そこは出入り口が一つしかなく、後ろは窓だけだ。そしてここは三十階建てのビルの二十五階フロアー。
「……ミスったかな………」
選択ミス、という言葉が織田の頭に過った時、コツ、という靴音が耳に入る。
(…副監……?…いや、あつこさんか……!?)
背中に再び冷たいものが流れる。近くに何か武器になるようなものはないか見回し、側にあった枕を取った。
(いざとなったら、これを投げつけよう…)
小学生の修学旅行か、とアサイがいたら突っ込んだであろう。足音は近づいてくる。織田は扉が開けられたら、すぐに応戦できるように死角近くに隠れた。そして足音は扉の前で止まった……。鼓動が速くなる。
(……来るか……!)
かたり、と扉が開いて織田の目に女性の姿が映り込んだ―……。
「……副監………」
「…こんな所で枕持って何をやっている?」
「……良かった……あつこさんじゃなくて…」
入ってきたのはダイブスーツを纏ったジェシカであった。呆れた顔で織田を見下ろす彼女に、織田は大きく息を吐き出すのであった…。
「…あつこさん…あのホラー映画のですけど、俺のいたパソコンルームのパソコンから、実際に出てきて……コンピューターが全部誤作動したみたいな感じで…」
上手く説明できない。副監の心配するような瞳が痛い……。
「……何の超常現象だ…オリタ、お前大丈夫か?疲れているようだな…」
「いや、大丈夫です…!」
勢いよく織田は立ち上がる。ここで捜査から外されたくはない。ジェシカは少し考えるような素振りをして、口を開いた。
「…被潜入者の意識の一部か……調べてみる必要はありそうだな…」
そう述べて、織田のほうに身体を向ける。そして畳をチラリと見て言った。
「お前はここで少し休んでいけ」
「え……?」
ジェシカの言った言葉がすぐに理解できずに聞き返してしまう。そこでふと今の状況を見直してみると、会社の休憩室で美人の上司と二人っきり…何とも悩ましいシチュエーションである。しかも後ろには寝転がれる畳もある。そのことを認識した織田の身体は、急に熱くなってきた。
「…で、でも……」
「副監命令だ。何ならわたしが添い寝でもしてやろうか?」
「なっ…いいですそんなの!!」
魅惑的に笑むジェシカに織田は挙動不審になる。顔に熱が集まってくるのが分かった…。それでも身体にフィットしたダイブスーツ越しのジェシカの際立つスタイルに目がいってしまう。ジェシカが織田に近づき、身体を密着させた……。
「…!ふ、副…監……!?」
「フフ…オリタ……お前にイイこと教えてやろうか……」
そう言ってジェシカは織田の身体に自分の身体を絡ませる。いつの間にかダイブスーツもない。二人とも全裸で畳に倒れ込んだ……。織田はジェシカの美しい肢体に身体の奥が震え、欲望が身をもたげるのを感じた…。素肌の柔らかい感触に思わず声が出る。
「…あ…っ……ダメです!副、監……!」
「…ふふ、可愛いわね……」
不思議な魅力のある彼女の瞳に魅入られる。彼女の身体が覆い被さって、顔がぐっと近づいた…。唇から零れる吐息を耳元に感じ、鼓動が跳ね上がる。心臓の音が相手にも聞こえているに違いない。
「…こんな…ことは……」
いけないことだと頭で分かっているはずなのに、身体は言うことを聞かない。
(…これは“夢”だ……でないと副監が、こんなことするわけがない…)
理性の効かなくなりつつある意識で織田は朧気に思う。だが身体の感触についに、織田はジェシカの身体を強く抱き締めた……。くすり、という小さな笑みが耳に届いた。
「…いけないこと…?そうね…“捜査中”にこんなコト考えてるなんて、貴方はいけない子ね……」
ジェシカの声が冷たさを帯びたと思ったら、グラフィックが変わってゆく。
「…あ……“あつこさん“……!!」
目の前には長い黒髪の病的に青白い肌のあつこさん。彼女の肌と一体化したような色のワンピースを着て織田の上に跨がっている。やはり髪で顔は見えない…。
「…さあ…わたしと一つになりましょう――…?」
彼女はそう言うとゆっくりと顔をもたげて、にたり、と笑った――……。
「……――うわあぁーー…っ……!!」
自分の悲鳴で織田は目が覚めた。身体中汗をかいていて、心臓が急速に脈を打っているのが分かる。呼吸も乱れていた……。
「………ここ、は………?」
目は開いているのだが、頭が追い付かない。すぐ前には透明なガラス……自分はどうしてこんな所に――…。
「おはよう、オリタ。目は覚めたか?」
透明のガラスのカプセルの蓋が開けられ、織田の眼前にはブラウンの髪の、スタイルの美しい女性が立っていて、とてもイイ笑顔で織田に微笑みかけていた……。その顔を見て、織田の頭にみるみるさっきの夢の映像が甦って、顔が熱くなる。
「…す、すみません…!ふ、ふく…副監、あの…っ…!」
「良い夢が見れたみたいね」
その言葉にまた先程の情景をリアルに思い出してしまう。ジェシカの裸、柔らかい素肌の感触、高まる身体の奥底の欲求……。
(……副監と、あんなことをする夢を見るなんて……)
恥ずかしさの余り死にそうだ。目の前に本人がいるから尚更だ。しかし織田の災難はこれで終わらなかった。カプセルから出た彼に浅井がニヤニヤしながら近づいてくる。
「ようオリタ~お前もやっぱり男だったんだなあ」
「…おい、何でアンタが知っているんだよ…!」
食って掛かった織田に浅井は衝撃的な一言を放つ。
「だってメインディスプレイで見放題だったぜ、お前のユメ」
「……な……っ…!!」
織田は絶句した。そしてジェシカのほうを見やる。その視線に彼女が答えた。
「…“夢”はその人の無意識下の欲望や願望、希望が表れる。かと思えば、取り留めのない過去の記憶のコラージュだったり、ただの妄想、推測、想像の類いであったり……要するに意味を持つものと持たないものが入り乱れて混在しているわけだ…問題はお前が見た夢の内容じゃない。お前、“シュミレーショントレーニング中”だということを忘れていただろう?」
「……あ………」
織田はここでようやく自分がなぜダイブカプセルの中にいたかを思い出した。そうだ、今日は浅井とWD課の中に併設されているフロアーで、一緒に肉体トレーニングをする約束をしていたのだ。そこへジェシカがやって来て、『わたしもしごいてやる、来い』と言って織田をダイブマシンに放り込んだのである。
「まったく……最初は良かったが、段々とボーダーの認識力が弱くなってきて、そのうちにそこがシュミレーションなのか夢なのかの判断もつかなくなってしまった。途中“これは夢だ”という意識も微かに現れたが、判断材料が悪い。“副監はこんなことしない”……それが出来てしまうのが“夢”なんだ。夢の中で出来る出来ないの基準を設けて、それがその通りになったから夢だ現実だというのを見極めようとするのは無意味だ。空を飛べるから夢の中?空を飛べないから現実?そんなの夢の中ではどちらにでも出来る。夢の中で思い込めば、それは全てそうなるのだから」
「……はい…すみません……」
率直な言葉で彼女に諭され、織田は恥ずかしい以上に、自分のふがいなさに首を垂れた。ジェシカは言葉を続ける。
「『ドリーム・ダイバー』に必要なのは、夢を夢と認識できること、現実を現実と認識できること、その確かなボーダーを持つこと…」
ジェシカの瞳が織田を射抜く。
「お前はお前の“ボーダー”を信じろ。それがお前に必要なことだ」
「…はい……」
ジェシカの言葉を噛み締めるようにして織田は頷いた…。
(…あの夢を見られたのが副監とアサイだけで良かった……そして副監が気にしない女性で良かった……)
織田はこの時心底そう思ったものである。この先、事あるごとにネタにはされるのだが。
「さてと、シュミレーショントレーニングはこれまでにして、別の“訓練(トレーニング)”を楽しむ?」
「……冗談はやめてくださいよ……」
誘うように笑って、服の胸元を開けてみせたジェシカに織田は右手で顔を覆うのであった……。