2 ヒトメボレとコシヒカリ 2-1
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ーー生地の焼ける香りが部室に広がる。
秀一は僅か数日でこの部が名ばかりの物だと確信していた。
現に、葵の執筆活動と称し一心不乱にノートに何かを書き記している姿を除けば、桜と愛奈が文芸部らしい活動をしている姿を秀一は一度として見ていない。
桜は「黄金のブレンドを求めて」等と宣いコーヒー豆を混ぜては抽出を繰り返し、コーヒー関係の本や参考書を読み耽る。愛奈に至ってはお菓子作りに専心の模様。焼き上がりを待つ間も本を取り出すかと思えば編み物などを始めたりする。
料理部、或いは家庭部、手芸部といった類いの部活は朝日ヶ丘高校にも存在していたと秀一は記憶していたが、両者のそれはその範疇だろう。
一度葵に「文芸部らしいことをしていないのは何故か」といった内容の質問を投げ掛けた事があるが、「最高の環境で読書を嗜むための環境作り」といった類いの回答を突き付けられ、秀一は引き下がった経験がある。
特にやることもない秀一が時間を持て余し、携帯電話を取り出しゲームに没頭していても誰もそれを咎めなかった。葵などは「文学的観点からシナリオを考察するための資料、その一つ」そう定義する事を勧めた程だ。
葵があっけらかんとそれを提案したのは先日の入部騒動から一週間が過ぎた頃だった。
身体測定、履修希望調査、進路指導といった入学後の忙しないイベントも一段落し、学校はいよいよ平常運転。本格的に部活も始動といったこのタイミングで葵は突然それを提案した。
「新入部員を、探しましょう」
空気が凍る。
桜の表情は「えっアンタそれ今やるの?」と雄弁に語っていた。
「ワタシ考えたんです。イヤ考えずに行動する事などありません。あり得ません。集団が成長すると言うことはとどのつまり補完するという事だとワタシは考えます。つまりっ!! 今文芸部に最も足りていないものを放置しておくことは部長として、リーダーとしてあり得ませんッ! ですから補完です。我が朝日ヶ丘高校文芸部の欠如を補いましょうっっ!!」
「で、部長の考えるそいつは……欠如とやらは何なんだ?」
「気付きませんか? ……残念です。ワタシは」
秀一は着席しているメンバーの顔を見比べて頭を捻る。桜はぶんぶんと頭を振って答え、愛奈は明らかにクエスチョンマークを頭に浮かべニコニコしていた。
「ーーボクっ娘です」
秀一は一瞬でも真面目に答えを探した己を恥じた。
それがさも機密事項のように、それがあたかも神託のように声のトーンを落とし重みを持たせて発せられた言葉。その言葉の軽さときたらいっそ寒気すら感じるくらいだ。
「……では、まずは現部員である皆さんに問います。皆さんの友人、知り合い、担任、父兄にボクっ娘はいらっしゃいますか?」
生徒以外の選択肢にやや疑問を感じつつ秀一は無言という返答を選んだ。
横でこしょこしょと桜がボクっ娘とは何ぞやについて愛奈に講釈を垂れていたが、それもこの際見てみぬフリをすることにする。
「そうですか。しかしそれはこちらも想定内ですっっ!! では気を取り直して……ボクっ娘の目撃情報を募集します。何処かでボクっ娘を目撃した、或いはボクっ娘の気配を感じた、才能の片鱗を見た等の小さな情報でも構いません。これなら如何でしょうか?」
「迷子の仔犬みたいな扱いだなボクっ娘!」
反射的に突っ込みを入れてしまった秀一。
ちょっと気まずそうな彼を一瞥し独り言を漏らす葵。ーー成程、言い得て妙ですね、と。
「では聞き込みしかありませんでしょう!! ーーこれは推測ですが、その性質上ボクっ娘は男子に紛れている可能性が非常に高いと思われます。が、しかし間違えてはいけません。どんなに華奢で可憐でも性別が男子であればそれはボクっ娘ではありません。それは男の娘ですっ! それらは似て非なるものなのですっっ!」
「真面目な顔で語る内容じゃないなそれ!」
「ーーこれは重要な事です。率直に言いますがお兄さん。ボクっ娘でなく男の娘を部員に迎え入れた場合、お兄さんはマグロ漁船に乗るルートに直行します」
「随分薄氷の上だな俺の命!」
どこまでが冗談か計り知れない葵の忠告に押されて校内ボクっ娘捜索活動が幕を開ける。
事実だろうがブラフだろうが未来の話を持ち出されたら秀一は葵に協力せざるを得ない。それだけの強制力がある事を彼女は理解しているのだろうか? 否。しているからこそだろう。
その必要性が伝わりにくいからこそ強制力を用いざるを得ない、そうも考えられる。
ーー以前秀一は自分の死に関して葵に尋ねた事がある。
結末がわかるなら自分にも出来ることはないだろうか、未然に防げることもあるのではないか? そう思っての事だった。
けれど「死という終着点は間違いなく存在する。だが過程の時点では無限の可能性が、道筋があり常に変動するものである。迂闊な情報で道筋が大きく変わってしまい、制御不可能な状況でその終着点を迎えてしまったら成功の保証は出来なくなってしまう」そういう内容が返ってきた。……実際はもっと脱線し面白おかしく脚色されたものだったけれど。
ーーそれなら。
それならば葵は既に彼女の求めるボクっ娘に見当が付いているのではないか? 否。秀一を文芸部に誘ったように、それこそフルネーム込みの明確な解答を既に持っているのではないか?
或いはこうして探して見付けるまでの過程に意味があるのかも知れない。或いは人数さえ増えれば本当は誰でもいいのかも知れない。
考えても、思考を研ぎ澄ましても……それらの仮説は仮説以上のものにならない。葵は意図的に多くを隠しているのだから。……歯痒い。歯痒いけれど。
ーー結局、やるしかないのか。言われるがままボクっ娘を探さなければならないのか、俺は!
思わず苦笑い一つ。秀一は今一つ締まらない課題へと動き始めた。