1 ヒロイン宣言ッ! 1-6
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部室の片付けがようやく済んだーー最終的に桜も開き直り、羽目を外し、暴走し……クリームを擦り付け合う欧米のお祭りじみた流れになってしまい、片付けは熾烈を極めた。皆が我に返った時の気まずさは筆舌に尽くし難い。
テーブルの上には四つのコーヒーカップ。そして大皿に盛られたクッキー。落としたてのコーヒーの香りは甘く、どこか瑞々しく部室に広がる。
「では、清算をしましょう」
皆が一休憩取れたのを確認し、葵はそれを切り出す。雨宮 愛奈が間延びした声で「清算って何の事ですかぁ?」と訊くので桜はゴニョゴニョと耳打ちし始めた。手の甲を見せて数度振るーー構わず続けろということだろう。
「ーー兎にも角にも、です。お兄さんはこれでワタシの予知を無条件に認める事になりましたですね? 異論はないですね?」
「予知能力ってのはまぁ、何ていうかトンデモ話だがな。ーーでも、それってつまり74日後に俺は……」
「死にます。残念ですが今のままでは確実です。 しかし詳しくは言えませんが、先程の要領で回避できるのでそこも含めて異論ナシ、文芸部を全面的に信用するとさせて戴きますがいいですね?」
心当たりの全く無い死刑宣告だ、半信半疑なんてものではない。大半疑いの状態ではあるが秀一は一先ずそうなんだろうという結論で納得することとする。回避の目途があるからわざわざご丁寧に忠告したという打算的な部分もそれを後押しした。元々無関係の相手だ。関わらない事もできたのだから。
「異論ナシ、だ。宜しく頼む」
「これで賭けの分は清算完了、ですねっっ! いやぁワタシも一肌脱いだ甲斐があったというものですッ! ……まぁ脱いだのはマナちゃんだったんですけどね!! 兎にも角にもです、我々朝日ヶ丘高校文芸部一同、全力サポートしますのでどうぞご安心あれです!! では……こちらの契約書にサインをばッ!」
「契約書? よくわからんがそういうのが必要なのか?」
差し出された紙を秀一は自分に向け直してふと考える。眉唾物の話ではあるが予知能力とやらで命を救うと言うのだ。相応の対価を求められる可能性は十分にある。ひどく当然の事であったが失念していた。
問題になるのはその対価だ。命の重さを金額に、価値ある何かに換算した時に葵は秀一にどれだけの物を求めるというのか? ひょっとして最初からそれが狙いーー
「ってこれ入部届けじゃねーか!!」
「っかっはー!! 看破されてしまいましたかッ! お兄さんが内容をよく読まずにちゃちゃっとサインしてしまう類いの人種であればチョロいと踏んでいたのですが……残念です!! 残念でなりませんッ!」
「待て、確かに予知能力云々は信用するが俺は入部するなんて一言も……」
ビシッ、と葵の人差し指が秀一の口元に突き付けられた。まるでそれ以上は言う必要がありません、そう言いたげだ。
「わかりましたッ! 何かこう雰囲気に任せて入部しちゃいましたみたいな展開がワタシとしても理想的ではありましたが……そうです確かにそれとこれとは別問題。正論、大正義ですッ! 利益でしか物事を推し量れない人間不振のお兄さんはまず文芸部に入部するメリットを提示しろと仰るわけですね? ワタシは既にその程度の事は前回で学習済みなのですっっ!!」
初対面の時の類似した内容の発言が重なる。微妙に初対面時よりイメージが悪くなっているようで秀一はちょっとだけげんなりする。
「見ての通り我々朝日ヶ丘高校文芸部は粒揃い!! それは客観的視点から見ても明らかですっ!! 対して男子はお兄さん一人、これだけでも価値ありだと思いますが具体的な魅力を提示するのがワタシの信条。ただ『お兄さんかわいい娘居るよー』などという下衆な宣伝に終わらないのがこの国穂葵!!」
「女で釣ろうっていうのが既に下衆の発想なんだが……」
「ワタシが今回提示するアピールポイントはズバリ胸、そうおっぱいです!! お兄さんの大好きなおっぱい。それを手に入れるために日夜想いを馳せ、妄想し、熱い情動を燻らせるあのおっぱいです!! 女子の弾けんばかりの双丘への慕情にお兄さんは逆らえるとでも? それは驕り以外の何物でもないっっ!! お兄さんはおっぱいには逆らえないのです!!」
「人を性欲の塊みたいに言うんじゃねぇよ!!」
彼女は秀一がおっぱいを全知全能の神と崇め奉り信仰しているとでも思っているのだろうか。おっぱいさえあれば如何なる艱難辛苦をも乗り越える戦士だと思っているのだろうか。そしてこんなことをつい先程考えたような気がするのだが……。
「お兄さんの嗜好は存じ上げませんが、幸いこの文芸部美少女三人娘、大中小とどのタイプのニーズにも完全に対応できる環境が整っておりますっっ!! さあご覧下さいあの幼さを残す容貌にそぐわない圧倒的なおっぱい!! 幼さの残るフェイスに大胆ボディ、それはさながら禁断の果実! むしろ野菜の域にまで達する圧倒的な存在感!!」
愛奈は「ふぇ?」と漏らし、恐る恐る怪訝そうな表情をこちらに向ける。
「大きすぎるのはちょっと……という控えめ男子の方でも大丈夫! 不肖ワタシ国穂葵、大きくもなければ小さくもない、一般的な男性の掌にジャストフィットするであろうそのサイズは、正に黄金比を自負しておりますッ! さらに特筆すべきはその肌触り!! ……こればかりは触ってみてのお楽しみとしか申し上げられないのが残念でなりませんがっっ!!」
ふんっと鼻息を漏らし背筋を正し、ビン底のレンズを光らせて見せる。
「さらにさらに、普通サイズもちょっとというこだわり派の方でもご安心ッ! 最終兵器、Zカップの女帝と名高いスレンダー系ツンデレ娘をご覧下さい!! まるで荒野に芽吹く双子葉植物の様に小さくも気高い……」
「ふっ、ふぇ!? 葵ちゃん!?」
愛奈の静止が飛ぶ。
秀一は何事かと目を丸くしたが、すぐにその真意を理解し肝を冷やした。
「……お前は言ってはいけない事を言ったお前は言ってはいけない事を言ったお前は言ってはいけない事を言ったお前は言ってはいけない事を言ったお前は言ってはいけない事を言ったお前は言ってはいけない事を言った……」
禍々しいオーラを纏い怨嗟の声を細々と投げ掛けるソレの迫力は圧倒的な畏怖を周囲に撒き散らす。この世の総てを蹂躙せんと牙を研ぐ魔獣のように、世界を混沌の海へと誘う夜の魔女のように。葵はそんなことお構い無しとばかりに躊躇わずプレゼンに没頭していたが。
「……認識の齟齬があってはならないので敢えてこのタイミングで補足を入れますが、Zカップと言うのは決してアルファベットの最後、つまり終わってると言う意味では御座いませんっっ!! 確かにその意味で揶揄としてしばしば使用される事もあります! ありますが本来この言葉は『全然大丈夫だよ』と美しい友情の意味をーーふげらっ!!」
「うわぁ綺麗な飛び後ろ回し蹴りだぁ。俺始めて見た」
「あ、葵さぁーん!!」
素人目にもそれが完成されたものと判る完璧なティミョティトラチャギを眼前に、秀一は桜の前でおっぱいの話はしないでおこうと固く誓った。尤も、そんな機会などそうそうあるわけが無いのだが。
ーー桜の怒りが収まるまで暫くの時間を要した。
最終的にボロ雑巾のようにこってり絞られた葵の「すいません調子乗ってましたッ」の謝罪でそれは一先ず決着の運びとなった。葵はコホン、と咳払いひとつ。仕切り直してーー
「とまぁこんな騒がしい部活ではありますがーーあぁ、無理強いはしません。断って戴いてもワタシ達はきっとお兄さんを助けるでしょう。けれど一緒に出来たらきっと楽しくなると思うのですがーーどう、でしょう?」
珍しく神妙な声色で秀一に臨む葵。
表情は大きな眼鏡に隠れてしまって見えないけれど、声色が、物腰がそれをハッキリと表現していた。もし眼鏡が表情を隠すための意図で選ばれたものだとしても今回ばかりは語るに落ちている。見遣ると、腰に手を当て斜に構えた態度の桜。ニコニコと無言で秀一を見上げる愛奈。
ーーきっと楽しくなる、か。
答えなど、もとよりこう改めて聞かれるまでもない。聞かれるまでもなかったのだ。