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1 ヒロイン宣言ッ! 1-5

5


 三分というのは案外長い。特にアドレナリン云々が関係しそうな出来事での時間は余計に。

 ーーふと秀一は昨日のチラシを見た時の気持ち悪さを思い浮かべる。蓋を開けてみたら疑心暗鬼がいっそ惨めに感じられるような今の状況。ギャップに苦笑が漏れるというものだ。


 秀一は期待し始めていた。

 この作戦の成功を。葵が仕掛けた道筋、狙い、それらがピタリとハマって全て思い通り事が運んで、最後は笑い話になってしまう、そんな痛快な未来を。


「来ますッ!」


 秀一のとりとめのない妄想は葵の言葉で一転、緊張へとシフトする。

 

「生クリームーを乗せまーしてー。カリカリアーモンドーでお化粧ーでーす」


 聞こえる。何処までも能天気で平和な歌声が。秀一はその歌を知らない。確実に記憶の何処にも存在しない。でも判る。音程的にどこか違う気がする。


 直ぐにガラガラと音を立て扉が開き、その声の主が姿を現す。「こーんにーちはぁー!」と一言。秀一の初めて見る人だ。印象的なのは眉を覆うようにパッツンと切り揃えられた茶色の前髪。低い背丈、ほっそりとした手足。透けるような肌の白ーー北欧の人形、そんな表現がしっくりくる愛らしい容姿だ。

 そんな可愛らしい容姿にそぐわない豊満な胸。いっそ作り物なのかと疑ってしまうほどに。


 彼女はそんな胸の前にケーキを持っていた。底に片手を這わせてトレンチを持つように。器用に片手でバランスを取っている。シフォンケーキだろう。多少の距離はあるが、その程度は彼も視認できた。

 生クリームが潤沢に塗られ、スライスアーモンドのようなものがまぶしてある。秀一からは何となくでしか見えないが、先程の歌はつまりそういう事だったのだと解る。

 

 彼女はニコニコと屈託のない笑みを湛えていたが、桜の姿に気付くと声を掛けた。


「あっ、花さぁーん! ケーキですよー! いっしょに食べ……はわっ」


 桜に駆け寄る彼女はケーキに気を取られていたからだろう……そうだと信じたいがあまりにも古典的で、あまりにも屈辱的なブービートラップにあっさりと引っ掛かりスリップ。辛うじて大転倒は免れたもののケーキの底を支えていた手は乱れ、つんのめる体勢に堪えられる筈もなく、あっさりとケーキは彼女の手を離れる。


 前のめりの体勢より放たれたシフォンケーキ。


 それは奇しくも駆け寄る彼女の助走と押し出した手の運動エネルギーを一身に受け、加速。ブン投げたに匹敵する勢いを持って、寸分違わず桜の顔面と吸い込まれ炸裂、四散する。

 宙を舞うスポンジケーキの残骸と潤沢に塗られた生クリームの自由落下。スローモーション映像のように秀一の瞳に映るそれはさながらパイ投げのリプレイ映像ーー


「マナちゃん! 雑巾!」


 ここで終始沈黙していた葵が動いた。


 ガタッと大仰に音を立て立ち上がり、雑巾を指差す。椅子の音が注意を引いたのだろう、間一髪転倒を免れた彼女は即座に葵の指示を理解し体勢を立て直し、雑巾へと食らいつく。腕を、指を伸ばし、テーブルの雑巾を掬い上げようと。懸命にーー


 だが、ままならない。ままならなかった。


 適度に水を吸って重さを蓄えた雑巾は引っ掛けた彼女の指を弄び嘲笑うようにするりと離れて、弧を描き彼女の背中側へ舞う。瞬間の判断だった。或いは彼女が見た目通りの運動神経皆無ロリ巨乳であればその判断は無かったかもしれない。

 だが彼女はそれを選んだ。いや、状況に選ばされたと言った方が正しいのかもしれない。


 彼女は雑巾を空中で捕まえるべくテーブルに足を当て、果敢にも三角飛びの要領で空中の雑巾へと迫る。ーーはずだった。


 テーブルが彼女の思惑よりも軽かったのだろう。さらに元々窓側に傾いた角度も仇となり、テーブルは呆気なく横滑り。辛うじて僅かに空中に手を這わせたもののほぼ平行にしか滞空できないーーその滞空時間は秀一にスカートの中をまざまざと見せ付けながら、否、激しく晒しながら無惨に倒れ込んだ。


「お兄さん、色は!?」


 すかさず葵が秀一へと向き直り厚いレンズを反射させる。秀一はぼそりと「ショートケーキの上に乗ってるやつ」と答えた。


 ーー完全決着。


 暫し硬直していた今回の一番の被害者は、ふぇぇぇんと気の抜けた泣き声と共に沈黙を破った。秀一は成り行き上仕方がないとはいえ悪いことしたと思い手を差し伸べようとし、はたと思い直す。

 いや、一番の被害者はむしろ……。


「アンタ……知ってたでしょ? 知ってるはずよね!? ここにアタシを立たせた時に……こうなることを……こ・う・な・る・ことをッ!!!!!!」


 テーブルを叩きつける音がけたたましく響く。

 潤沢に塗り込まれたシフォンケーキの生クリームがベッタリと付着してその表情は窺い知れない。窺い知れないが、苛烈さは大規模な焼き討ちを行った第六天魔王にもきっと劣らないーーそう思わせる圧倒的な負のオーラを感じさせた。


「花ちゃ……話せばっ……ぅっ、やっぱ駄目っ、ごめ……あっ……」


 直後、葵のバカ笑いが響く。


 抱腹絶倒、腹の底から出入りする空気。いっそ酸欠になりかけた葵を衝動は許さない。止めどなく、溢れる。桜を指差し、笑う、笑う。その様子に泣いていた女生徒も「ふぇ?」と気付いたようでピタリと泣き止み、思わず吹き出す。目尻に溜まった涙を拭いながら。

 秀一もそんな二人を見たら堪えきれない。

 

 ーー弾けんばかりの哄笑は、とめどなく、とめどなく続いた。


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