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1 ヒロイン宣言ッ! 1-3

3


 文芸部、そう書かれた教室の扉が荒々しく音を立てて開いた。

 さして広くもない教室だ。壁に横付けされた幾つかの棚、中央に置かれた白い会議用テーブル。

 ーーそこに彼は目当てを見付けた。


「ッ説明してもらおうか、文芸部部長!」


 ハードカバーの本の隙間からビン底のレンズを覗かせた部長の葵は、彼の姿を認識すると「ぅぉぉ」と小さく唸り勢い良く立ち上がった。放り投げられた本がテーブルに当たり鈍い音が響く。


「入部説明ですねっっ!! いいですともッ! お兄さんのためならラスリーニコフがピョートル・ペトローヴィッチを階段から突き落とそうが罵詈雑言を放とうが些細な事に過ぎませんともッ! 今ですか!? 今ですね!? わかりました!! さあ花ちゃん、いっとう上等なお茶を淹れて差し上げなさいっ!」


 やれやれ、と気だるそうに指名された女生徒は立ち上がる。

 ーー花ちゃんと呼ばれた黒髪を耳の上の辺りで纏めたサイドポニーの女生徒。華奢ではないが長い四肢、細く伸びた首はスラリとした雰囲気がある。秀一と同じくらいの背丈だ。


 女生徒はガラガラと棚の硝子を開け、中を物色しながら言う。


「あー、葵。ラスコーリニコフね。アンタ主人公の名前くらい覚えてあげなさいよ。そんで、そっちの彼。葵が言うような、いっとう上等なお茶とやらは無いわよ? 紅茶か……ギリギリ麦茶。コーヒーなら、ケニア、グァテマラ、マンデリン、キリマンジェロ、コナ、ジャワ、トラジャ……」


「待て待て、何だその偏った品揃えは。喫茶店でも始めるつもりか?」


「残念、花ちゃんの家は喫茶店ですっ!! もうすでに始まってますからっっ! ……むしろ終焉(おわり)へのカウントダウンが……」


「そこは黙って差し上げろ」


 ドヤ顔で友人の苦しい家庭事情を暴露し始めそうになった葵を遮る。


「気持ちは有難いが、俺は文芸部の入部説明を嬉々として聞きに来た訳じゃない……ってのはそっちも折り込み済のはずだ。悪いがとっととこいつの説明の方を進めて欲しいんだが」


 えっ違うんですか、と本当に残念そうな葵が視界に入ったが秀一はあえて触れない。

 彼は内心焦っていた。気持ちの悪いものが胸に閊え、今日この時間を待つ間に溜めたフラストレーションは計り知れない。


「まーまー。落ち着こうよヤマシナシュウイチ君」


 間違いないーー血の気が引く音が聞こえるようだと秀一は感じた。

 発端は昨日受け取った手書きのチラシ。勧誘を目的としたはずのチラシだ。美辞麗句が並びたててあるだろう、その程度の心持ちでチラシを見た秀一はその内容に、悪質さに、違和感に、驚きを隠せなかった。


 その一つが再び突き付けられた。ーー名乗ってすらいない相手から彼自身のフルネームを。


「そうなんですよ! 落ち着きましょう、ね? 話し合いで、交渉で大切なのはリラックスなんですっ。昂った感情で思考を絡めてはいけませんのですっ! 絡まる思考は焦りを加速してその連鎖は結び目を余計にきつく締めてしまうんですよっ!! 絶対。いや、かなりの確率で!! ……しばしば……恐らく?」


「言いながら自信を失って行くのがありありと伝わってくるな……」


「ま、話半分でいいわ。取り敢えずそんなわけだからお座り、シュウイチ君。ジャワにしとくね。飲みやすいから」


 葵がそそくさと椅子を引いて用意した席に秀一は無言で頷いて腰を降ろす。テーブルの一角、葵の正面に当たるその席に。


 手際良くコーヒーの準備を続ける彼女は、落ち着きを感じさせる声をしている。他愛もないやり取りを葵としながらもテキパキと作業をこなすーー小さいミキサーのような物を回して中から粉を掬ったり、コーヒーメーカーに紙、水などを設置する様子を秀一は視界の隅に捉えていた。


 それからの数分で彼が知り得た事と言えば、花ちゃんと呼ばれていた彼女、月代 桜(つきしろ さくら)は桜という名前から花ちゃんと呼ばれるに至ったこと、二人とも二年生で部員はあと一人、それも二年生だという程度のものだった。


「そろそろいいだろ? 俺も十分落ち着いた。話を始めよう」


 出されたコーヒーに数回口を浸け、秀一は話を切り出す。

 秀一の言葉で葵は眼鏡をくいっと持ち上げ、桜は細身の目尻をさらに細めた。どうやら進める事に異論はないらしい。


「単刀直入に。これは何の冗談だ?」


 秀一はブレザーのポケットから四折りのチラシを広げて指差す。


「えー、どれどれ? 『親愛なる山科秀一様。信じて戴けないかもしれませんが、貴方は75日後に死にます』 って葵、アンタこんなストレートに書いたの? これじゃ普通に考えて嫌がらせ以外の何物でもないわよコレ」


 葵は横から注がれるジトっとした視線に「ぅぐ」と小さく漏らす。


「でっ……ですからですね、その下に信憑性を持たせるために新鮮なニュースを書いたり、可愛い動物さん達をふんだんにあしらって……何かこう、ふんわりした感じで怖くないよーって、殺伐さを中和したりと……あれぇ!? 何かまずい空気じゃないですかコレ!? 黒い霧に包まれていないですかッ!?」


「……この勇猛果敢なバーサーカーは?」


「ご飯を食べるウサギさんですッ!」


「じゃあそのウサギさんの横で磔られて世の無情を憂う表情の亜人は?」


「美味しくて頬っぺたが落ちそうなリ・ス・さ・ん・ですッ!」


 ーー唖然。


 秀一はいっそ死を悦ぶ呪詛の顕現ともとれる、それらの『ボンヤリと辛うじて表情らしきものが読み取れる不可思議な曲線の記号』が全く理解の外にあったことに気付かされて言葉を失う。

 逆に自分の感性が捻れているのかとも疑い、桜にもチラシを指差してみる。


「んー。自信はないけど多分、淫行のサバトを前に胸踊るバフォメット」


「あー、近い」


「ニンジンを食べるお馬さんですッ!! この場合むしろアナタ達の禍々しい想像力の方が事件ですからね!? サバトとか中学二年生越えたらそうそう使いませんよねっっ!? 逆にこれだけの情報量からバフォメットの心情まで読み取る圧倒的な読解力を少しワタシに分けて戴きたいくらいですよっっ!!」


「これは?」


「第六天魔王」


「それだッ!」


「それじゃないですぅっ!! キリンさんです!! 麒麟さんですらないですからねッ! 首の長い草食系のキリンさんですからね!!」


 不毛な絵心クイズは、桜の「アンタ、イラスト関係の仕事はやめときな」の助言で一先ず終結する。

 神がかった、否、悪魔がかった葵の画力はどうにも救いようのないものだったが、もっと大きな問題がまだ解決していない。


 踏み込まなくてはならない。そのためにここに来たのだから。


「話を戻すが、俺は昨日ーーあの勧誘の時に自分の名前を出さなかった。何故俺の名前を知っている? ご丁寧に、フルネームで。……否、そもそもチラシを書いたのが昨日以前の筈だから、入学より前に俺の事を知っていることになる。どういうことだ?」


「それについてはシュウイチ君、先にその先の質問から答えた方が早そうじゃない? 本当は認めているんじゃないの? 認めたくないだけで」


「チラシの下にあった予言……確かに最初はそんな訳ないって半信半疑だった。でも、確かに事実だったとしか言えない。報道番組でキャスターが噛んだことも、ザグレブ国際空港で接触事故があったことも。動物番組でゴリラがウンコ投げたこともだ!! お笑いのオチもそう、歌番組のサプライズゲストで国民的アイドルが出たことも、正解だった。確かに時間まで正確に再現された!!」


「で、シュウイチ君はどう思ったの? それは何を意味してると思った?」


「部長はテレビっ娘ですねってことだ!!」


「あ、はい。結構テレビは見ますね。便利なもので」


 暫し沈黙。


 秀一は悟った。少なくともこの二人の間には予知能力はある、という事実が当たり前の共通認識として存在している。確かに予言は当たったとしか言えない。それほど見事にぴたりとあのチラシは関係者以外知りえない事、未来を知らないと発想すら難しい事を当てて見せた。


 それなら、


 それなら74日後の自分はどうなってしまうのだろうか。

 さしたる病気もない、老衰などあり得ない。それでは突発的な何か、それこそ事故にでも巻き込まれてしまうというのか? それらの一抹の不安が予知能力の存在を否定したがっていた。


「はぁ。なーるほど。成程。分かりますっ。お兄さんの疑念も心配も自然なことです。なかなかにわかには信じられませんし信じるのはさぞお怖いでしょう。と言うより寧ろ好都合ですッ! 予知能力を疑う余り、ワタシを国際テロリストに仕立て上げられても困ってしまいます!!」


 秀一は無言で返す。


「ですからですね、お兄さん。一つ、賭けをしましょう」


 がたりと椅子が擦れる音を鳴らして葵は立ち上がる。そして、人差し指を立て天へと伸ばす。不敵に歪む口元は賭けに必ず勝つという自信をありありと誇示していた。


「パンツを! ラッキーパンツをご覧にいれて差し上げます!!」

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