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2 ヒトメボレとコシヒカリ 2-9

9


「こんなところに呼び出して、何の用かな? 秀一君」


「ちょっとお節介な先輩がいまして。正確には文芸部が呼んだんですよ」


 秀一よりも頭一つ高い身長、細身ながら鍛えていると感じさせる体型。

 さっぱりとしたスポーツマン風の男子生徒。

 水嶋は秀一が描き続けたあの告白の時の先輩だった。否、今となっては違っていても同じだった。


 秀一は聞きたい事があった。


「文芸部、入りたいんですか? 色々調べていたみたいですけど」


「……あぁ、知っていたんだ。じゃあその話って事でいいみたいだね」


 距離は凡そ二メートル。

 万が一秀一に殴りかかってきても察知して反応できる距離、その距離を秀一は選んだ。


「キミ、何なの?」


「は?」


「知ってると思うけど僕雨宮さんの事ずっと好きだったんだ。一年の時からさ。多分あれは九月十八日だったと思うんだけど、部活、ああ僕ね水泳部なんだ。中学の時からね水泳部でそこそこ準レギュラーくらいの実力は持っていてね、高校に上がって一年の時はまあ同年代では少し抜けて成績が良かったんだ。でもね、その日にレギュラー発表があったんだ。三年が引退したから。それで、一年と二年の中から新レギュラーを選ぶことになったんだけど選ばれた一年はたった一人。一人だけだったんだよ。正直僕だと思ってた。少しばかり成績も良かったし三年の先輩からもガンバレって自分で言うのも何だけど可愛がって貰っていたからね。でもね、違った、違ったんだ。選んだのは僕ではなくて僕の次くらいに速い奴だったんだ。総合では僕の方が優っていたけれど背泳ぎだけそいつが少し速かった。そもそも水泳部って基本は個人戦だからレギュラーって言っても団体戦に出る奴だけレギュラーっていう括りなんだけど、それでも部活の中では少し地位的に高い感じになれるわけ。そんなの狙えるなら狙いたいと思わない? 思うよねだって他の部活ではレギュラーって言ったら花じゃん。神じゃん。個人戦メインの水泳部だってそういうのあるんだったら狙っていきたいと思うじゃん。で、そいつが背泳ぎを期待されるのはまだわかる。僕より速いからね。そこはタイムっていう言い訳の出来ない証拠があるんだから僕だって認める。じゃあ何が気に入らないのって話になるんだけど二年の方なんだよ問題は。平泳ぎの奴はさ、僕より遅いんだ。さっきも言ったけどタイムっていう言い訳の出来ない証拠があるんだよ。あるにも関わらずレギュラーだったって訳。それってどうなのって話だと思わない? だからね、僕は顧問の先生に直談判しに行ったよ。そしたら何て言ったと思う? 二年生だからって。お前は一年だからまだ先があるしレギュラーだって十分狙えるレベルなんだから先輩に今回は花を譲ってやれって言うんだよ。はぁ? じゃないそれ。だって選んでるじゃん、一年から一人選んじゃってるじゃんお前って事だよ。背泳ぎがちょっと早いくらいで他全部僕より遅いそいつが選ばれちゃってるじゃんおかしくない? おかしいよねそんなの圧倒的に速いってワケじゃないんだったらそこも二年に譲ってやれよって話じゃん。意味わからないじゃん。だからムカついたわけ。苛立ったわけ。そんで壁を一発殴っちゃったって話なんだけど、僕正直喧嘩とか今までやってこなかったタイプの人間だからさ、当然拳とか鍛えてないワケ。割れちゃうよねそんなの。当然僕の拳からはダラダラと血が出てくるワケ。悔しくて腹立たしくてそんなのその時は気にならなかったんだけど、ちょっとしたら冷静になってくるのよ。そんで頭が落ち着いてきたら拳が痛いって理解しちゃうのよ。血も垂れてるし最低な気分になっちゃうじゃん。そこで蹲って悔いるワケ。色々と悔いるワケ。練習でもっと背泳ぎやってたらとかもっと顧問に媚びておけば良かったとか、壁殴らなきゃよかったとかさ、もうそりゃ大きなことから小さな事までゴチャゴチャ色々と浮かんできて色々な事を悔いるワケ。絶望しちゃうワケ。その時さ。その時だよ雨宮さんが声掛けてくれたんだ。大丈夫ですか? 痛くないですか? って。それもう惚れるでしょ。惚れるじゃんそんなの。こっちは打ち拉がれているし、弱りに弱っているんだ。そんな時にあんな天使の笑顔で優しくされたら惚れちゃうでしょ? だからね、それから僕は雨宮さん一筋できたワケ。体育祭の時も応援したし文化祭の時も応援してきたし、というか毎日毎日そのお顔を拝見しに足繁く教室に通って遠くから見守ってきたワケ。皆に優しくて皆に好かれる雨宮さんだからそりゃ害虫の一匹や二匹現れるワケ。雨宮さんの本質を見ようともしないで顔が可愛いとかおっぱいがでかいとか、小さくて可愛いとかそんな性欲丸出しの奴がブンブンブンブン蠅みたいに集ってくるわけ。そんなのすっげぇ不快じゃん。別に雨宮さんを見て欲情しようが雨宮さんを妄想してナニしようが構わないよ。僕の愛はそんなことで揺るいだりしないから。雨宮さんが汚れた訳じゃないしアイドルだってそうじゃん、どんだけ蠅が妄想してたって届かないわけだし輝きってそんなんじゃ落ちないワケじゃん。でも、汚れちゃったら別じゃん。汚されちゃったら別じゃん。落ちちゃってるんだもの輝きが。あんな純真無垢で天真爛漫で真っ白な雨宮さんが子作りって……ハハっ子作りって口に出しちゃったワケ。それってもう性行為意識しちゃってるってことじゃん。僕だって正直ずぅっと雨宮さんを見守っていられるワケじゃないからさ、勿論可能であれば一日中見守っていてあげてもいいよ、飽きることなんて多分一生ないし一分だって百分だってそんなの余裕だよ。余裕で雨宮さんの事見て愛を注いで行けるよ。でも子供じゃないワケ。僕だってやらなきゃいけないことあるし雨宮さんだって友達との時間とか部活の時間とか色々経験して人間的に成長して行くワケじゃん。だから僕は大人しくそれを尊重して程々にしてきたワケ。程々の距離を保ってきたワケ。そんで蓋を開けたらこれだよ。雨宮さんが雌犬みてぇにハァハァハァハァ男にしがみついてるワケ。意味わかんないじゃん。隙間の隙間を縫って僕の知らない間にそうなっちゃってるワケじゃん。僕の半年って何だったのって感じじゃん。暖かく見守って愛を育ててきた僕に対する裏切りじゃんそれ。雨宮さんを大事にしてきた僕に対する裏切りじゃん。だからさ、どうにか目を覚まさせてあげたいワケ。キミって奴がどんだけ肉欲に従順な下衆野郎かって教えてあげたいワケ。雨宮さんの事大して知らないくせにブンブンブンブン飛び回る蠅の醜さに気付いて欲しいわけ。そうしたら見えてくると思うんだ。自分が大切に見守られてたってことにさ、気付くと思うんだ。雨宮さんだって人間だからさ、間違っちゃうこともあると思うんだ。年頃だし多少は性的な行為に興味持っちゃうことってあると思うし、それって自然なことだと思うんだよね。だったらさ、幸せな中で果たされて欲しいと思うじゃん。僕みたいな大きな愛を持った人に抱かれてその時を迎えさせてあげたいって思うじゃん。それが雨宮さんの幸せだって思うんだよね。今はわからないかもしれないんだけど、未来になって過去を振り返ってみてああそれを選んで良かったっていう幸福感に包まれてほしいわけーー」


「あー、いいか?」


「何?」


「要するに。俺が愛奈先輩に相応しくないって証明して、もう一度愛奈先輩にアタックしようって事でいいのかな」


「キミの価値がないって理解して僕の愛の素晴らしさを理解して欲しいってことさ」


「要するに諦めてないってことだよな?」


「どうして諦める必要があるんだい? 僕の方が優れているのに」


「じゃあ駄目だろ」


「何が?」


「アンタ、全然何も見てないって事だよッ!」


「見てるさ、それこそキミの何倍も、何十倍も!」


 秀一は衝動を感じる。

 これは、怒りだ。憤りの感触だ、情動のさざめきだ。


「ーー見守っていて下さいって愛奈先輩が言ったのか!? 私を幸せにして下さいって愛奈先輩が直接アンタにお願いしたのか!? 私の幸せは愛してくれる人に抱かれる事ですってそう言ったのか!? アンタにッ! 直接、愛奈先輩の口から!!」


「何を……? キミは……」


 秀一は信じられないくらい自分が腹を立てている事に気付く。

 心臓が大きくなって血液が動脈を濁流のように巡る。体を突き動かして巡る。

 頭に、口に、目に、拳に、腹に、訴えろ、叫べとがなる。

 愛奈が何かされたか、秀一が何かされたか、否。何もない。

 水嶋が何かしたのか、否。もう関係なかった。

 唯、怒りだ。

 怒りが秀一に言葉を紡がせる。


 毛が逆立つ。血管が膨れる。

 子供のように激情に任せて感情を吐き出す。

 秀一がしている事はそれだ。

 そこに些かの教訓もなく、そこに些かの打算もない。

 唯、怒りだ。


「アンタは愛奈先輩がどうやったら笑うか知ってるのか!? どういう歌を聞いて、どういう景色に感動して、どんな色に心動かされて、どういう言葉に傷ついて、どういう言葉に癒されて、どういう風に笑って。それを知る努力は、時間はーー対話は、信頼はッ、アンタにあるのか!?」


 ーー楓はお弁当を食べ、秀一はパンを片手に本を眺めているフリを続ける。

 ベンチの端と端。教室の隣の席以上二個隣の席未満。

 別段大した会話もしない。

 楓は踏み込んでこない。秀一も踏み込まない。


「アンタは自分ばっかりなんだよ!! 自分の考えてる幸せ、自分の考えてる愛奈先輩、そこで完結しちまってるんだッ! アンタの世界の中だけの完結した恋を当て嵌めようとしてるだけなんだよ!!」


 ーーしっかし楓も何て言うか変な奴だよな。

 選択科目一緒だったの知ってただろ? 声掛けてくれたらいいのに。

 美術? うん。迷惑かなって。

 そんなわけないって。むしろ助かるよ。


「愛奈先輩がどんな距離感で、どんな関係を望んでいるか、わからない。俺も、アンタも。そんなのわかりっこねぇよ! だから聞くんだよ! 話をするんだよッ!! わからないから考えて、わからないから試して、わからないからもう一回考えて、こっちからも伝えて、ちょっとでもわかり合おうと足掻けよッ!!」


 友達が出来てよかった。

 勇気を出して、よかった。

 ーー話しかけて、よかった。


「そのずっと前の一歩、初めの一歩、すっげぇ怖い一歩がまだなんだろ!? 踏み出せてないんだろ!? 自分の名前を、自分の存在を、まだ伝えてないんだろ!?」


 水嶋は酷く憔悴しているようだった。

 目線を伏せ、中身が無くなってしまっているように動かない。

 時折瞼が波のように行ったり、来たり。

 辛うじてその瞬間意識の存在を感じさせる。


「色……ピ……ンク。薄い……」


 ぽつり。

 夜露が少しづつ集まって水滴になった、そんな弱々しさで、力強さで溢れた。

 力ない眼から、震える声帯から。


「雨宮さん……が。差し出してくれた……ハンカチ……あの時……」


「ーー!? 愛奈先輩っ!?」


 何時からだろう、秀一は今初めてそこに愛奈が居た事に気付く。

 愛奈が、そこに立っていた。


「水嶋さん、愛奈……愛奈ね、緑が好きなんですぅ。……エメラルド」


「は、はは……本当だ……僕は……」


 ーー何にも見えちゃいなかった。


 水嶋はそれっきり何も言わずに、ふらふらと屋上の扉に消えて行った。


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