2 ヒトメボレとコシヒカリ 2-4
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何故かメラメラと意欲を燃やす愛奈に連れて来られたのは校門だった。
秀一は意外とまともな選択肢を愛奈が選んだ事に少し驚き、なるほど、とも思った。
昨日秀一は活動中のボクっ娘を狙って行動したのだが、確かにこれなら時間さえ掛ければほぼ全ての生徒と顔を合わせる可能性がある。
問題はただ一つ。
一人で帰宅する生徒からはボクっ娘の最低条件である「ボク」を引き出すのが難しい。
昨日秀一も校門を選択肢に入れたのだが、それを考慮し取り止めたのだ。
「よーし。お姉さんとして、愛奈、頑張りますぅ!」
キラキラと目を輝かせて下校中の生徒の顔色を窺う愛奈。
むしろ任されたのは秀一の方であったがあえてそれを訂正する必要もないだろう。
小動物のようにチョロチョロと行ったり来たりし、微笑みを振りまく様は何とも愛らしいが先輩の風格とやらは一切ないなと秀一は苦笑する。
すぐに「あら愛奈ちゃん」などと呼び止められ挨拶と世間話をする愛奈が映る。
秀一には会話の内容までは聞こえてこない。三年生の先輩だろうか、何度も愛奈は頭を下げて笑顔を振りまく。暫くすると別の女生徒から「愛ー奈ー!」と手を振られ、ニコニコと手を振り返す姿。
さらに程無くして「先輩っ!」と抱き着いてくる女生徒を撫でる愛奈の姿。
「へぇ、愛奈先輩、結構人気者なんだな……」
驚きながらも納得する秀一。
これほど人畜無害と感じさせる人もなかなか居ないしそれは至極当然にも思えた。
「だぁめですぅー……成果なしですぅ……」
暫く色々な人と会話したり挨拶したりと忙しなく動き回っていた愛奈だったが、ガックリと肩を落として秀一の方に戻ってきた。
秀一はお疲れ様ですと笑い、部室から持ってきた冷たいお茶を差し出す。尤も、お茶はすっかり汗をかき常温に限りなく近い温度になってしまっていたが。
お茶をぐいと口に含む愛奈。むぅぅと小さく唸る。
愛奈なら校門でも十分な聞き込みができる、と納得する反面、秀一は自分の穀潰しぶりを感じいそいそと見知らぬ生徒に「すいません人を探していまして……」などと声を掛けるのであった。
ほんのりと太陽に赤みが混じる。夕方の気配が近づいてきた。
あれから小一時間は経っただろうか。
相変わらずチョロチョロと精力的に挨拶回りを続ける愛奈と消極的な聞き込みを続ける秀一。
ふと、人の流れが途切れた頃にその声は掛けられた。
「雨宮さん! 好きだっ! 一年の頃から、ずっと好きだった!!」
絶句。秀一絶句。
男子生徒は秀一の姿に気付いていないのだろうか? 他にもまばらではあるが通行する生徒が居ないわけでもないのに。
それでも構わないという事だろうか? だとしたら驚くべきパッションだ。
身長は秀一よりも頭一つ高いだろう。やや筋肉を感じさせる角ばった体つきをしているが、さっぱりと短く切られた髪と面構えは爽やかスポーツマン……といった感じだろうか。
「ふぇっ!?」
絶句したのは愛奈もらしい。
一呼吸遅れて気の抜けた返事を一つ漏らし、ピタリと動きが止まる。
「ぅっ、あ、あのっ……そういうことなんです……」
小声。
疑問符を浮かべ男子生徒が身を乗り出すーー縮まる距離に少し震えて愛奈は秀一の横に駆け寄り、袖をちょんと掴んだ。
「こっ、子供のっ……ぅっ……子供の作り方を教えてくれたのは、かっ、彼ですぅぅぅぅ!」
「「っぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!???」」
晴天の霹靂、藪から棒状の凶器。
重なる二つの男声。
「んなっ、愛奈先輩何言ってーー」
摘んだ袖を離し二の腕辺りをそっと摘み直すのが判る。
背伸びする愛奈の人差し指は秀一のくちびるにちょんと触れた。
静かに、と言いたかったのだろうか? 他にもやりようはあったはずだが……。
秀一は訳もわからずグルグルと目を回し顔を紅潮させる。
「お、お幸せにッッーーーーー!!!」
訳が分からないのは彼も同様だろう。流石に居た堪れなくなったのか猛ダッシュで去ってゆく。
秀一の腕に寄り添い上目で覗き込んでくるその姿は客観的に見なくとも親密なものだ。
秀一は自分の二の腕が柔らかな何かと何かにぎゅむと挟まれている感触に気が付き、慌てて手を振りほどき距離を取る。
瞬間三メートル。
「ぅっ……ふぇぇ……恥ずかしかったですぅ……」
毛細血管の一つ一つが静脈程に膨張しているのではないかと心配してしまうくらい赤面した愛奈。
元々色白の彼女が赤みを帯びるとその目立ち方は尋常ではない。
「もしかして、なんですけど……さっきのって……」
「ぅぅ、ごめんなさぁい!! 葵さんに……葵さんにそうするようにって……」
「わっけわかんねぇ!! あの人何考えてるんだ!!」
秀一の予想通り入れ知恵したのは葵だった。
そうですか役得でしたね? などと宣いニヤリと笑う葵が目に浮かぶようであったが、まったくひどい悪戯である。
否ーーそうなると今回愛奈を同行させたのはこれが狙いだった可能性が高い。
それにどんな意味があるかは計り知れないが、一先ず風除けとして秀一は上々の役割だったに違いない。
ともあれ。次に葵に会ったら文句の一つも言ってやろう、そう秀一は考えた。
ふと。
視線を感じる。
「こんにちは」
楓だ。何時からそこにいたのだろう、奥二重から覗く真黒な瞳。
じっと見詰めるのが癖なのだろうか、秀一は真っすぐ刺さる視線に居心地の悪さを感じる。
「黒澤さん、こんにちは……お昼ぶり。今帰り?」
「ううん。お遣い……美術部の」
「そっか、大変だね。今来たところ?」
さりげなく先程の一件を見られてしまったかどうか確認する秀一。
正直、知り合いには見られたくない事件だった。
それも杞憂だったか、楓は少し顔を傾けて「そうだよ」と答えた。
ッセェェェェェェッフ! と内心拳を握る秀一。
遠くの方で門に寄りかかり目を円にして「ごめんなさい愛奈のせいでごめんなさい愛奈のせいでごめんなさい愛奈のせいで……」と声無く呟き続ける愛奈に気付いて、あせあせと「そんなんじゃないですから」とジェスチャーを送った。
「来た。……あの、こっちです」
楓は小さな指を精一杯広げて手を振る。
「はーい毎度ッ! 朝日ヶ丘高校美術部さんね。あ、サインお願いしますねー」
花屋。緑のキャップに緑のエプロン、はしばみ色のショート髪の店員は一見してそれと分かる。
年齢は同じくらいだろう。アルバイトだろうか。
彼女は鉢植えされた花をコトリと足元に置いて対応する。
白の楕円に縁を付けるように薄紫のラインが入った花弁、その花弁が外側に数枚、内側に丸まったり開いたりと数枚連なる。可憐な花だ。
「いやーわざわざ校門までゴメンね! ホントは部室まで持っていっても全然いいんだけどね! っていうかボクここの生徒だし、あははっ」
「そうなんですか。でも、そうしろって部長が言うので」
「ま、店員としてだと色々手続き面倒でさ、助かるっちゃ助かるんだよね。ボク個人的な出入りなら制服一つでフリーパスなんだけどねー。はい、これ注文されてたアザレアの鉢植えね。いつもありがとうって母さんが。あ、これ部長さんにも言っておいてね」
「はい。わざわざご苦労様です」
「じゃ、ありがとうございましたー! またよろしくお願いしますー!」
ーーハシっ。
「愛奈先輩ッ!!! 捕まえました!!! ボクっ娘です!!!!」
「うえぇぇぇ、なにっ……ちょっと!? キミ!?」
紆余曲折。
藪から棒状の宝石。
咄嗟に肩を掴んでみたものの、その先を用意していなかった秀一。
しくしくと膝を折り「ヒトノコイジヲジャマスルヤツハブタニケラレテ……」などと譫言のように繰り返す戦闘不能状態の愛奈。
ジト目を向ける楓。
秀一は考える。
ーーさて、どうしよう。これ。