2 ヒトメボレとコシヒカリ 2-2
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情報収集と言えば盛り場、それはあらゆる疑似世界に於いての定石である。
現実に置き換えてみると単純に人の集まる場所、それで問題ないだろう。
それらの場所で張っていたら誰かがその言葉を漏らすかもしれない。「ボク」と。
そのものズバリとはいかなくとも、会話の中から、雑多な噂話の中からお目当てのヒントは掴める可能性はある。
偶然とタイミング任せの安直な考えかも知れない。だが動かないよりはずっといい、そう自らを鼓舞し秀一は生徒に紛れた。
放課後と言えば昇降口だ。仲のいい友達と帰る時に等身大の「ボク」が聞けるかもしれない。
運動部の部室棟もチャンスがある。流石に女子の部室に近づくのは危険だが、この学校には部室棟の正面に水場がある。そこなら緊張から解放されたうっかり「ボク」も十分に狙えるはずだ。
体育館も放課後に於いては貴重な「ボク」スポットたり得る。バスケ部、バドミントン部、バレー部などスポーティ「ボク」にはこれらの部活は欠かせない。
学食も隠れ「ボク」スポットに違いない。活動的なボクっ娘の胃袋は消化が早いと予想される。「あーもうボクお腹空いたよ~」などの名言はボクっ娘の象徴だ。
「……って、そんなに上手くはいかないか」
一通り考え得るスポットに足を運んだものの成果は得られない。部室に戻った秀一は両手を後ろに組んで椅子に体を投げ出した。
程無くして桜も戻ってきて荷物を纏める。「やってて思ったんだけど、バッカじゃないの?」の発言には流石に秀一も同意と苦笑を隠せなかった。
愛奈も戻って来た。「ボクっ娘って知ってますかぁ?」とクラスメイトに聞いたらアニメの話題を持ち掛けられ、話に花が咲いて今に至るとのこと。友達が増えてホクホク顔の彼女に掛ける冷水など秀一は持ち合わせていない。
ーー今日はそのまま既に荷物のない葵を待たずに解散となった。
目立った成果は得られず、捜索は翌日に持ち越される。
昼休みの中庭は春という言葉のイメージよりも幾分日差しが強い。
翌日秀一はルーチンワークであった学食への中距離走を止め、中庭に足を運んだ。
ーー学食は戦場。
数日ではあるがそこに飛び込み続けた秀一はその圧倒的喧噪の中、器用にボクっ娘の情報を抜き出す自信が無かった。
ともすれば汗ばんでしまいそうな陽気だが、宥めるように風が体表に涼みを与えるので暑いとは感じない。
ーーいい天気だ。少し休んでみてもいいな。
空いていたベンチに腰を落とす。ゴトリと木製のベンチに何かが当たる音に気付いて、ブレザーのポケットの重みを思い出した。
どこで網を張るにしろ、何もせず座り続けるのはいかにも不審だと考えた秀一がカモフラージュのために文芸部から持ってきていた本だ。
購買で適当に掴んだパンを脇に転がすーー購買もなかなかどうして修羅場だった。早起きして登校時にコンビニで買った方がマシだ、と彼に思わせる程度には。
自販機で買った缶コーヒーを開ける。中庭に点在する赤や黄色の花達から溢れる甘酸っぱい香りにコーヒーの香りが一瞬混ざってすぐに消えた。
一度大きく息を吐く。そしてポケットから本を取り出し膝の上に乗せた。
読む気などさらさらないがーーなどと彼がぼんやりと青空を眺めた頃だった。
トットッ……と軽い音。
視界を掠めた女生徒の気配にふと目線を奪われーー衝突。
事故のようにお互い無防備な視線のぶつかり合いが起きる。
真黒な髪、真黒な瞳。
ショートボブ、そう呼んだだろうか。眉の形がハッキリと見て取れる短い前髪は頬に向けて流れ、長さを増す。
耳の形が視認できる程度の短髪。
奥二重の瞼は切れ長なイメージを残しながらも存在感のある大きさで、瞳の黒さが印象をより強くしている。
吸い込まれてしまいそう、その表現はきっと彼女に合う。
視線が外れた。
一瞬だろうか、数秒だろうか、その実数分だったかもしれない。秀一にはそう感じられた。
彼女は秀一の座るベンチの辺りをチラと確認し、無表情のまま通り過ぎてゆく。
追うと、少し離れた芝の上にすとんと腰掛け、お弁当を広げているようだ。
ーー突風。前触れもなく吹き抜けて風が秀一の瞼を押す。
歩いていた生徒が思わず足を止めている姿が、花壇の花達が同じ方向に屈む様子が、薄目にも見てとれた。
さすが春、などと内心軽口を叩きながら彼はふと閃く。
今しがた目が合った彼女の場面、芝にすとんと腰掛けた場面。あれはそういうことか、と。
「あー、アンタ。座りたかったんだろ? 悪いな。使ってくれ!」
彼女は秀一の声に気付いてお弁当の蓋を閉じた。
そのまま早歩きでトットッと軽い音を立てて向かってくる。
「ありがとう。……でも大丈夫。私はあっちで食べるから」
「いや、ホントにもう行くつもりだったし……」
「本、読むんでしょ? だから大丈夫」
小さい手だ。
秀一の手にある象牙色のそれを指差すその手は想像以上に小さくて、まるで子供のようだった。
改めて彼女を見ると背丈も小さく、大人びた髪形はむしろ背伸びした子供を連想させてどこか可笑しく感じられてしまった。
「よし、じゃあこうしよう。こっち半分は俺が使う。そっち半分は好きにしたらいい」
言って後悔。
子供に言って聞かせるような口調で提案したものの、相手は同じ高校生……寧ろ三分の二の確率で彼の年上。
まして高校生ともなれば男女が一つのベンチに腰掛けていたらそういう関係なのかと見られてしまうかもしれない。こんな目立つ中庭なら尚更。
そんな提案など、誰かに見られて困る贅沢な境遇とは無縁の秀一なら兎も角、親切を通り越して迷惑、若しくはナンパ以外の何物でもないと取られても仕方ない。
「うん。じゃあそうする」
言うなりトットッと音が遠ざかるのを確認しながら、カクン、と肩が落ちたように脱力するのを秀一は感じる。
いいのかよと口を突いてしまいそうになるのを寸での所で押し殺した。
彼だって本当のところ気まずい。
本を読むつもりなど毛頭無かったが事ここに至っては読むしかない。せめて読むフリだけでもしておくべきだ。
直ぐに足音が戻ってきて彼女は隅っこに、本当に隅っこギリギリに腰かけお弁当を広げる。
彼にとって全く意味を成さない文字の羅列を眺めながらーー変な奴。そう心で呟く。
「本、好きなの?」
突然の問いに秀一は肩を跳ねさせる。
「あー……こう見えて一応文芸部なんだ、俺。マンガは好きだけど。アン……いや君は……」
「楓。黒澤 楓」
「そっか。じゃあ黒澤さんは? 本とか読むの?」
暫し沈黙。
気まずさを感じて秀一は楓の表情を確認するーー
再び衝突する視線。
焦る秀一だが楓はそうでもないらしい。変わらず目線は秀一の顔へと刺さる。
「思い出した。この前買った本のこと」
「どんな本?」
「シャガール。私美術部だから」
「何か、すごいね。俺、漫画とかラノベとか、そんなのばっかりなんだ。文芸部のくせに」
「すごい? そう……かな? そんなことない」
言って頬を紅潮させる楓。
気を遣って話しかけてくれたけれど本当は人見知りなのだろうか、そう秀一は少し申し訳ない気分になった。
それからまた暫く沈黙が続く。
楓はお弁当を食べ、秀一はパンを片手に本を眺めているフリを続ける。
ーー不思議と苦痛ではなかった。
少し強めの穏やかな日差しが、そよぐ風が、静かな時間が、心地いいとすら秀一は感じていた。
「そろそろ行くよ。宿題、サボっちゃって。終わらせなきゃだから」
「うん」
ゴミを纏めて本をポケットに押し込む。
立ち上がって校舎に顔を向けた秀一は「あのっ」と呼び止められて振り向いた。
「またご飯一緒に食べてくれたら嬉しい。入学したばかりで……その……友達、まだ出来なくて」
「あー……俺もだ。まだ一週間だしな。お互い気楽にやろう。明日、またここに来るよ」
「またね」
軽く手を振ってその場を後にする秀一。
友達ってそういえばどうやって作るんだっけ? などと考えながら教室へ向かう。
教室に戻り、ふと楓に持っていた本の内容を聞かれたらどう答えるか、などと考えた秀一はポケットの本を開いてみたが結局読む気はしなかった。
悲しみよこんにちはーーそう書かれた本が机に押し込まれた。