一章/1~/4
幻想郷、という所に来てから、早くも二ヶ月が過ぎた。
博霊の巫女曰く、ここは外の世界で忘れ去られたモノがやって来る場所で、
私のような外の世界からの迷い人が人里までやって来るのは、かなり珍しいことだそうだ。
そして私のように迷い人が此方に残るのは、博霊の巫女曰く「私の代では初めて」だという。
未練は無いのかと聞かれたが、妹に別れの挨拶が告げられなかったことが少し心残りな程度で、
特に未練と言うほどまでに強い思いは、無かった。
「幻想郷には、もう慣れたか?」
見渡す限りの緑の細道を竹炭の入った籠を背負った、白髪の女性が言う。
名は、藤原妹紅と言うそうだ。
たった一ヶ月の付き合いだが、なにかと私を気にかけてくれている。
「少し、ですけどね。まだまだ時間が必要そうです」
「そうか。まあ、本当にどうしようもなくなったら私のところに来い」
そう言うと、彼女は人の好い笑みを浮かべた。
実に頼りがいのある笑顔である。
「その時は、是非ともそうさせてもらいます……ところで、籠、持ちますよ?」
「なに、これぐらい大丈夫さ。それに緋亜だって背負ってるだろう」
私の背中の籠を指さしながら言う。
確かに籠の中にはあふれんばかりの竹炭が放り込まれているが、
しかし先ほどからふらついている妹紅と違って、私にはまだ余力があった。
「……本当、上白沢さんが絡むと貴女はよく見栄を張りますね」
「……うるさい。私の勝手だろう」
かすかに頬を染めてそっぽをむく。
嗚呼、甘い甘いと、溜息を添えて適当に頭を振っておく。
「それでコケたら、恰好悪いなんてものじゃあありませんよ?」
「なに、コケなければいいのだろう?」
「はいはい。いいから貸してください。何のために手伝いに来たと思ってるんですか」
「……分かったよ。ほら、落とすなよ」
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里に着いた。
基本的には和風な、長屋が立ち並ぶ街並みだが、
時折、和洋折衷とでも言うのか、洋風な感じのする建物も見受けられる。
「それじゃあ緋亜、先に慧音のところに行っておいてくれ。
それと、運んでくれて、本当に助かった」
「どういたしまして。
それから……えっと、寺子屋は、どっちでしたっけ?」
そう複雑な場所には無かった筈だが、同じような長屋だらけで、未だによく迷う。
「そこの酒屋を右に曲がって、突き当りを左、食事処の目の前だ」
「ああ、そう言えば、そうでした。ありがとうございます」
「おう。気を付けて行けよ」
そんな言葉を背に受けながら、一歩踏み出して、ふと私用を思い出した。
まあ、特に急いでいる訳でもないので、今は寺子屋へ向かおう。
あちらはあちらで惚気ばかり吐くので甘ったるい事この上ないのだが、潔く諦めるとしよう。
/2
「あ、こんにちは、緋亜さん。来てくれたんですね」
ちょうど休憩中だったのか、数人の子供を引き連れたとても淡い青の髪色をした女性と門の前で邂逅した。
「こんにちは、慧音先生。妹紅さんなら、しばらくしたら来ると思いますよ」
そういうと、上白沢は嬉しそうに微笑んだ。
妹紅とよく似た、頼りがいのある笑顔である。
「そうですか。もう少ししたら来ますか。
あ、そうだ。すこし授業していきます?」
「謹んで辞退させていただきます。
それに、私の授業は分かり辛いと評判だったそうじゃないですか」
こちらに来て初めの一週間、お試しということで教鞭を取ったが、どうにも子供達には不評だった。
「とはいえ、子供達には好かれてるじゃないですか。
教師としては、とても得難い才能ですよ?」
「それはさておき、……私よりも先に口説く人がいるのでは?」
そう言うと、同じように誰かと同じように頬を染めて、そっぽを向く
「そんなの……私の勝手でしょう」
嗚呼、甘い甘い、と溜息を添えて頭を振っておいた。
/3
ちょうど良いところに来た博麗の巫女に二人の相手を押し付けて、
一人、里を出る。
外は危ないと、親切な老人から忠告されたが、私からすれば内も外も大差なかった。
どれほどまでに凶悪な性質だろうと、その妖を産み出したのは人間。
ならば、それ以上に恐ろしい存在はないだろう。
「ん。あれは、鈴仙さんですか」
遠く前方に、兎耳を付けた少女を見つけた。
数えられる程しか話したことはないが、
彼女に関しては妙な名前の苦労人というイメージがすっかり定着してしまった。
……と、こちらを認めたらしい鈴仙が走って向かってくる。
「緋亜さーん!ふぇあ!?」
「あっ、」
が、途中で籠の中身を盛大にひっくり返しながらこけた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。まあ一応は」
「そうですか、それは良かった」
とりあえず籠の中身には言及せず、まとめて、鈴仙に渡す。
「あ、ありがとうございます。で、では私は急いでいるので!」
なぜか酷く動揺しながら、彼女は去っていった。
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里から
少し離れたところの、森の中、
そこに、私が居候している家がある。
と言ってもこの家の主は滅多に帰って来ないので、つい最近まで家と言うよりは、
廃屋も同然の有り様だったが、二ヶ月掛けて漸く、中で寝られる程度にはなった。
見た目としては、完全に黒い洋館である。
本人曰く夜闇色、だそうが。
「……ただい、ま?」
扉を開けると、真っ黒な犬が紅い眼を輝かせて、じっと此方を見つめていた。
思わず顔が引き攣った。
その反応に満足したのか黒犬は一つ、長く吠えると、応接間へ駆けて行く。
帰っているのなら普通に出迎えてくれれば良いのに。
全く、人が悪い。いや、妖が悪いか。
応接間へ行くと、金髪紅眼の女性が優雅に紅茶を淹れていた。
「一週間振り、ね。元気だった?」
「まあね。それで、家の出来映えはどうかな?」
「外見だけなら次第点、かな。折角だから庭も作ってよ。
はい、労いの紅茶」
「だから勝手に砂糖とかを入れないでと」
結局入れるので完全な我が儘ではあるが、自分で入れたいのである。
毎回こちらの気分を察して適量を入れてくるその手腕は、尊敬に値するが。
「ん、相変わらずおいしい」
「それは良かった」
心底嬉しそうに、女性は笑った。
何故だか直視は出来なくて、紅茶を飲むふりをして視線を逸らした。
「あ、そうだ。おかえり。緋亜」
「……ただいま。ルーミア」