Chapter.4「意外な訪問者」
「ただいま~」
「あっ、お帰りお姉」
そう言って迎え出たのは、愛の妹伊吹恋である。
黒羽が帰った後、隊員兼生徒会メンバーに事の顛末を説明し、西岐波を見送り、自分の家に着くまで環状線の反対側だったこともあり、愛は帰宅するのに三十分もかかってしまった。
「ねー今日は何したの?」
二つ下の妹は、文明人の中では有能な愛と違って魔力を持たないため普通の公立中学に通っている。そのため、姉の生活は羨ましいらしく、こうして毎日その日の出来事を聞いてくるのだ。
「んー、まあ、色々あったけど、ごめん…今日はあんま話す気にはならないわ」
「えー、何で?」
今日起こった事を、整理して思いだすのはちょっとすぐに出来そうもない。
「ちょっと、今日は色々とすることがあるから」
「ふーん、つまんなーい。しょうがないから私も宿題してこよ」
そう言って、恋が自分の部屋に入って行った時だった。
ピーンポーン
「誰だろこんな時間に」
時計をみると、もうすぐ夕飯だ。キッチンからは母親がまさに料理をしている最中なのだろう、先ほどからいいにおいがしている。
「愛、帰ってるんならでて」
キッチンから母親の声が訪朝の音とともに愛の耳に入った。
「はいはい」
脱ぎかけた靴をもう一度履きながら愛は玄関のドアを開けた。
「はーい、どちらさ…ま…」
そこで、愛は固まってしまった。実際に固まっていたのは一瞬であったが、愛には何時間もそうしていた様に感じた。
「すいませーん、隣に越して来たもんですけど…ん?何でお前が?」
愛の目の前に現れたのは、片手に小さな包みを持った天竜黒羽であった。
ふたりはしばらく無言であったが、先に黒羽が表札をみて口を開いた。
『伊吹』
「ああ、ここお前んちか?」
「なっなっ、何であんたがここに?」
「いや、だから引っ越してきたからだろ。はい、これ、ハムだ。早めに食えよ」
そう言って、持っていた包みを愛に渡した。
「俺んち、そこ」
そう言って指差した先は先ほど述べたとおり、愛の家のある六階の角部屋、つまり、愛の家の隣であった。
「えっ?ちょっ、はぁ?」
他人事のような顔の黒羽とは対照的にパニックになっている愛が騒いでいるのを不審に思ったのか、宿題をするために自分の部屋にいた恋が部屋から出てきた。
「お姉、何やってん…」
そこで恋が見たのは、愛と同じ学校の制服を着た男と、その男にもらったのであろう包みを持ってパニックになっている姉の姿だった。
「…」
「恋、こいつは…」
「お前妹がいたのか?」
「お母さーーーん!お姉がガッコの男の人にプレゼント貰ってるーーー!!」
「ちょっ、ちょっと恋、それはそうだけど、違うって!!」
あわてて否定する愛であったが、時すでに遅し、キッチンで夕飯を用意していたはずの母親は、「何ですってー」と言いながら、言い終わらないうちに玄関に到着していた。
「ふーん、あんたも、隅に置けないわねー、へー、これがねー」
「なーにが、これがねーっよ!いいからさっさとごはん作ってよ」
「まー、待ちなさいよ。これから長い付き合いになるかもしれないんだから」
その言葉は、(ああ、こいつのやかましさは親譲りか)などと冷静に状況判断していた黒羽を現実に引き戻した。
(まあ、ここにいつまで居るか分からねえけど、あの状況じゃ新型の蓄魔器できんのもだいぶ先だろうから今すぐまた転校は無いだろうしな、長い付き合いと言えば、長い付き合いになるか…、一応上官だしなー俺)
この親子について考察していた黒羽は耳に入って来た『長い付き合い』という部分だけに反射的に答えた。
「どうぞ、よろしく」
「あんたも、何で答えてんのよ!!」
「?何でって引越しのあいさつに来たのに、『いいえ、付き合いはこれっきりにしてください。』なんていうやつ居るか?」
「今、そんな話してないでしょ!!!」
「いや、俺はそれ以外話してないけど…」
「あらっ、この近くに引っ越してきたの?」
「ああ、まあ、近くって言うか隣なんだけど…」
「まあ、そうなの!?よかったわね、愛!」
「なんで、私にふるのよ!?」
「お姉、よかったね」
「恋、アンタまで!って言うかもともとあんたが事態をややこしくしたんでしょ!?」
「そう言えば、名前聞いてなかったわね」
「ん?ああ、天竜黒羽だ」
「天竜黒羽…、じゃあ黒羽くんって呼ぶことにするわ」
「そこっ、勝手に話を進めるな!!」
「えー」
「えー、じゃあなーい!!」
「じゃあ、俺帰るわ」
「そこっ、勝手に話を終わらすな!」
「黒羽さん、お姉のためにプレゼント、ありがとうございます。」
「そこっ、話を蒸し返すな!」
こうして、天竜黒羽は引越しのあいさつという一大イベントを見事にクリアしたのであった。
「おっす、愛、元気かい?」
「寿々…、全然元気じゃないわよ」
翌日、朝礼五分前から机に突っ伏してる愛は、そのままの体勢で答えた。
生徒会による各校門での挨拶活動は月に一度である。
「どうしたの愛、朝から寝てるなんて珍しいじゃん」
「昨日全然眠れなかったのよ」
そう言う愛には、どうやって一日で作ったのか疑問な程のクマが出来ていた。
「うわ、すっごい顔。そんなに昨日の仕事大変だったの?」
冗談で寿々が言うと、再び机に突っ伏していた愛の体がビクッと反応した。
「どうした?まさかそんなに強敵だったの?」
愛が顔を上げると、本当に心配そうな顔をしている寿々がこちらを見ていた。
「ああ、大丈夫、強敵…って言うか上官?いや、ある意味強敵か…でもあいつの教育係は私だから…部下?」
「…もしかして、天竜君なの?」
ブツブツ言っている間にチャイムぎりぎりで黒羽が入って来た。
「うーーーーーっす」
この世の終わりくらいのテンションの低い黒羽に寿々は詰め寄った。
「ちょっと、天竜君!愛に何したの!?」
そういった瞬間、教室中の視線は二人に集まったが、寿々はもちろん、黒羽もまったく気にせず会話を続けた。
「ああ?何の話だ?」
「昨日の話よ」
「昨日?」
そこで、半分機能を停止している脳で黒羽は昨日のことを思い出した。
「…あー、家に行っただけだけど」
「「「「「「っ!!!!????」」」」」」
この発言に寿々を含め、教室中が静まり返った。というのも、その強大な魔力と淡麗な容姿から愛の人気は高く、耽々とその彼氏の座を狙っているものは多かったが、愛がことごとく振り続けていたからだった。
「あっ?えっ?」
予想以上の答えに、さすがの寿々も狼狽した。
「…そうですか」
「そうだけど」
ただならぬ教室の空気を感じて、跳ねるように愛は飛び起きた。
「ちょっと、黒羽!!あんた何言ってんの!?」
「事実」
全くの感情を殺して黒羽は答えた。
「事実って、はしょりすぎよ!!?それじゃあ、私がアンタを家に連れてきたみたいじゃない!!?」
そこで、黒羽は教室全体をみて自分の置かれている立場を理解した。どうやら、この男にも一応は一般常識なるものが少しはあるようだった。
「ああ、そういうことか…あっ、それ違うわ」
まるで今日の天気を答えたぐらいの口調で答えると、黒羽は自分の席に着いた。
「ねっ、みんな、黒羽とは何ともないから。たまたま、こいつの引っ越してきた先がうちの隣で、引越し(・・・)の(・)あいさつ(・・・・)に来ただけだから、ほら、あんたもちゃんと言いなさいよ」
「んあ、うん、そうそう」
席に着いた瞬間眠りについていた黒羽は適当に相槌を打っていた。
「だから、関係ないの。みんな分かった?」
静まった教室をみて、愛は説得できたと思ったのか、自分も席に着いた愛だったが、寿々をはじめ、教室の生徒が考えていることはそこではなかった。
((((((…黒羽??))))))
愛には自覚が無かったが、昨日、黒羽が帰った後、飽きずにずっと黒羽の話をする母親と妹がかの男を黒羽、黒羽と連呼しながら愛に質問してくるので知らず知らずのうちに愛も呼び方が天竜から黒羽に変わっていた。
まだ自分の顔を見ていた寿々に愛は気づいた。
「どうしたの?寿々?」
「…えっ、ううん、何でもないわ。おめでとう」
以前、学校一のイケメンと言われている三年の岡村将太を真っ向から振っていたので、密かに心配していた寿々は心から祝福した。
「ん?何が?」
と疑問に思った愛だったが、朝礼を告げるチャイムに阻まれて、寿々は自分の席に向かっていた。
そんな状態であったから、朝礼の間、愛を狙う者たちからずっと黒羽に殺意のこもった視線が向けられ、密かに黒羽を気にかけていた者たちから愛に向けられた疑いのまなざしが集中していたのは必然だったのかもしれない。
「腹減った」
黒羽がそう呟いたのは一時間目が始まる前であった。