Chapter.12「伊吹家と黒羽」
「待ったかい?」
「いえ、色々ありまして今来たところなんで」
黒羽が到着したのが午後七時五十四分、紅葉が来たのが八時ちょうどであった。
「夕食は済ませたかい?」
「いえ、それも色々あってまだですね」
「ならちょうど良かった、私もさ。じゃあ場所を変えよう。私の行きつけの店があるんだ」
「ええ」
黒羽は立ち上がると、紅葉は歩き始めた。
「でも、良かったんですか?ご家族での久しぶりの食事でしょうに」
と言いつつも、黒羽にはその感覚は分からなかったが、一般的にはそうなのだろうと一応言葉にしてみた。
「ああ、実は来週から一週間程休暇が取れてね。湖野林に帰ろうと思っている。その時に家族孝行するさ」
「…そうですか」
なら、俺が気を使った意味無くね?などと考えながら黒羽があとをついて行くと、紅葉が話を続けた。
「そうさ。それより椿が君のことをえらく気に入っていてね、どんな男か実際に見てみたかったんだよ」
「査定ってところですか?」
「ハハ、そんなんじゃないよ。椿はああ見えて人を見る目は優れているんだ。だから興味がわいた…、ってところさ」
ロビーを出てすぐのタクシー乗り場にいたタクシーを捕まえて、二人は紅葉の行きつけの店に向かった。
「ラーメンですか」
「ラーメンは嫌いかい?」
十分ほどタクシーで走ると黒羽達は羽方駅周辺とは打って変わってお世辞にもきれいとは言えない商店街の入り口にあるラーメン屋の前に立っていた。
「そんなことはないですけど…」
「じゃあ早速頼もう。大将、いつもの、黒羽くんは?」
「んじゃ俺もそれで」
「はい、とんこつ、バリ堅、背油、ねぎ多め、2丁ね」
注文を繰り返したところで返事を返すバイトもいないので、そう言った大将自ら作り始めるのを見ながら紅葉はいつものカウンター席に座ると、黒羽はその横に腰を下ろした。
「こう言った感じの町並みは初めてかい?」
紅葉の言う、『こう言った町並み』とは羽方駅周辺や湖野林といった田園都市ほどの強い秩序を持たない郊外都市の町並みのことだ。
田園都市は魔素の多い場所に形成されることが多いので、比較的に魔素の少ない場所の都市整備は遅れていることが多く、地方では割と多くの場所で見られる風景である。
「いえ、俺の実家はここよりもっと田舎なんで。田んぼも多いし」
「そうなのかい?実は九嶺には行ったことが無くてね」
「よく俺の出身地を御存じで。田園都市計画にはうちの一族が大反対したんでね。湖野林に出てきていかに不便だったかを実感しましたが」
「はい、おまちっ」
「おっ、きたきた。黒羽くん、箸とって」
「どうぞ」
「ありがとう」
紅葉は黒羽から割り箸を受け取るとさっそく一口目をすすり始めた。
「前々からちょっと興味があってね。一体どんなところなんだい?」
「なんてこと無い、ホントにただの田舎ですよ」
「なんでも、九つの嶺に囲まれている街だとかって聞いているんだけどね」
「ええ、昔はその九つの嶺一つ一つをうちの一族が守護していたらしいですよ」
そこで紅葉は箸を置いて訊ねた。
「東方五竜のことかい?でも残り四つは…」
「……」
返事が無いので黒羽の方を改めてみると、黒羽は俯いていた。
「…まずいことを聞いたかい?」
数秒間をおいて黒羽は再び紅葉を見た。
「…いえ、それほどのことじゃないですよ。さっきもお話しした通り、九嶺はうちの一族、天竜、地竜、火竜、水竜、雷竜の五大魔術それぞれの魔術を司る五竜と、陰術を使う連中が守護していたんですよ」
「へえ、陰術か、くわしくは知らないな」
「簡単に言ったら火、地、水、雷、風の五大魔術に由来する魔術以外の術を使う連中のことですよ。うちの一族の例で言えば、斥力の術です。ちなみに五大魔術のことを俺達の一族は陽術って言うんです」
そう言いながら黒羽は完食していた。
「ふー、食った、食った。つまり、俺たちが魔素を取り込みそれを放出することによって力を発揮するのに対し、あいつらは周囲や体内の魔素をそのままの状態でコントロールするんです」
「そのままコントロール?どうやってコントロールしてどう戦うんだい?」
「具体的に言えば愛が炎をそいつに対して放ったとしたら、周囲の魔素を操ってそれをそのまま跳ね返せるってことですよ。周囲の魔素をそのまま操るってところは支配者と同じなんですが、その変換先が五大魔術じゃなく斥力なんです」
正確には、魔素の密度を上げ、相手の魔術中に含まれる変換された魔素に衝突させて無理やり軌道を変える術だが、こんな誰が聞いているか分からない場所で一族の秘密を言うのは憚られたし、そこまで詳しく紅葉が聞きたがってはいないことを黒羽は理解していたため、大雑把に答えた。
そして、一番の理由は原理が分かったところで、黒羽を含めて術が使えないということだった。
「それはつまり、魔術は効かないってことかい?」
「ええ、まあ、術者の力量にもよりますけど、周囲の魔素で敵の魔術を覆いこみ、敵の術ごと跳ね返すんでやはり自分の実力以上の術者の攻撃には無力ですね。しかし、もっとも厄介なのは体内にある魔素をも操ることです」
「体内の魔素?」
紅葉は言葉を繰り返した。
「ええ、陰術師は俺たちのように任意に体外に放出することはできないんですが、魔素を取り込むことはできるんです。その取り込んだ魔素を自分の体内なら筋力増強に、他人の体内なら動きを止めるように魔素を操って戦うんですよ、やつらは」
「でも体外に出せないならその陰術師は魔素を取り込みっぱなしってことかい?」
「いえ、取り込む量に限界があるのは俺たちと同じです。しかし、陰術師が体内の魔素を使うときは魔素が圧縮されて術を使うと魔素のカスみたいなものになる。その後体外に放出され自然に帰り、また魔素に戻るらしいです。つまり、自分の体を強化するには限界があるってことです。まあ、周囲の魔素を操るだけの、俺たちの攻撃を弾く分には無制限らしいですが…」
言葉を切ると、黒羽はぼそっと呟いた。
「それに例外もありますし…」
「例外…」
「ああ、いえ、何でも…」
黒羽は言葉を遮った。
「そんな連中相手にしたらたまったもんじゃないな、魔術どころか体の自由さえ効きそうにない。」
「ええ、まあ、これが世間一般で言う呪術や呪いってことになっていますからね」
「へえ、知らなかったよ、でも今現在その人たちは何処にいるんだい?」
黒羽は財布を取り出しながら答えた。
「絶滅しましたよ。十二年ほど前に」
「なんだって、そんな連中がどうやって絶滅できるんだ?」
「さあ、うちの一族の間ではその強さを恐れて国が動いたってことになっているけど、実際は分かりませんね。俺はまだ五歳でしたから」
「…そうか、いや、しかし、悪いことを聞いたね」
黒羽はようやく財布の中から二人分のラーメン代を取り出して言った。
「別に俺は気にしてません。それより、愛のことはいいんですか?」
「愛?」
紅葉も財布を取り出しながら聞き返した。
「むしろそのことを聞かれるのかと思ってましたけど…」
「んー、まあ最初は訊こうと思っていたんだけどね、今日一日愛と過ごしてみてなんとなく感じるところがあったからね、それで充分だ」
「そうですか」
「そうさ、なかなかいい顔になってたよ。それと、ここは私が払うよ。娘と同い年の者に奢らせるなんて、部下に恰好がつかないからね」
「そんなもんですか」
「そんなもんさ」
そう言って、紅葉は払いを済ませると店を出た。
「今日はどこに泊まるんだい?」
「未定ですね、どこかホテルが近くにありますか?」
「それなら統括府の宿泊施設を使うといい。射手関係者なら誰でも泊まれるから」
「じゃあ、そこにします。羽方駅の方ですか?」
「ああ、そうだね。向こうには私から連絡しておくよ」
「助かります」
「じゃあ、そろそろ帰ろうか?ちょっと行った所にタクシー乗り場があるから」
二人はそろって乗り場を目指した。
「……るせえな」
翌日、天竜黒羽は午前八時四十七分、九州統括府宿舎のインターホンの音によって起こされた。
インターホンの音はこれで三十二回目である。
「なんだ、朝から」
黒羽がドアを開けると、案の定知った顔の女がそこに立っていた。
「あんた、何でそんなかっこうしてんのっ!?さっさと出かけるわよ!!」
黒羽は宿舎に備え付けのバスローブを着て欠伸をしていた。
「……、はあ?」
「何が、はあ、よ。さっさとしないと今日の午前のイベントが終わっちゃうわよ…って、なんならもう遅いくらいよ。これからじゃいい場所で見れないじゃない」
愛は自分の腕時計を見ながらわめいた。
「じゃあさっさと行けよ。俺は俺で今日もどっか適当に時間つぶしとくから」
「何言ってんの?」
「何って…、親父さんとはなかなか会えないんだろ?一週間休暇が出たって聞いたけど、こっちにいる間にしかできないこともあるだろ?だったら家族孝行しろよ、こんなところで油売ってないで」
「ああ、今日お父さんは仕事だから。お母さんと恋は明日朝一でテニス部の合宿があるからもう帰ったのよ」
「ふーん、左様で…」
「だから、さっさと準備するっ!」
「えー」
「えー、じゃない。あんたがここに連れて来たんだから最後まで面倒見なさいよ!それともあんた、部下の一人の面倒も見れないっていうの!?」
「…痛いとこついてくるな」
「だから、さっさとするっ!!」
「へいへい、分かったよ」
黒羽は頭をかきながら部屋に戻って行った。
「で、どこに行くんだ?」
「Dブロック、ここで炎術のパフォーマンスがあるのよ。ちっちゃな頃に一回見たことあるんだけど、久々に見たくなっちゃって」
「へえ、そうかい」
聞いたくせにどうでもよさげに適当に黒羽は返事した。
「じゃあ、とりあえずこの『九州味覚商店街』って所に行きましょ」
それを聞くと、部屋に戻って着替えようとしていた黒羽の歩みが止まった。
「…ちょっと待て、お前炎術のショー見るって今言ったじゃねえか」
「ええ、見るわよ。でもそれは二時半からだから」
黒羽が時計を見ると、現在、九時三七分、ざっと見てショーまで五時間ほどあった。
「寝る」
「な・ん・で・よ!?」
「だってあと五時間もあるじゃねえか」
「それまでにいろんなところ見るのよ。何のために一か所に色んなものが集まってると思うのよ?」
「知らん」
「それは、いろんなところを短時間で回るためよ」
「ああ、そう」
「そうなのよ、早く準備しなさい!!」
心の中でため息をつくと、黒羽はこれ以上何を言っても無駄だと判断したのか、おとなしく着替えに行った。
「で、どこ行くって?」
黒いパーカーのフードをかぶった黒羽が愛に尋ねた。
「まずは、何か食べましょ。こっちよ、こっち」
言いながら愛はパンフレットをもってさっさと歩いていく。
「おい、愛っ」
人ごみの中、少し気を抜けばすぐに愛を見失いそうになる。
「……」
どうやら雑音で愛には届いてないようだった。
「おいっ!」
「えっ?」
今度は黒羽は愛の手をつかんで叫んだ。
「えぇと、何?」
「何じゃねえよ。お前、俺を起こしたくせに一人ですたすた行ってるじゃねえか。俺帰ってもいいだろ?」
「あっ、ごめん」
「ごめんですんだら、射手も警察もいらねえんだよ」
「まあまあ、じゃあ、ちゃんと私の横にいてよ」
「てめえは自分が人に合わせるって気にはならんのか?」
「もうっ、いいから!」
そう言って愛は黒羽の左手をとると、二人は人ごみに向かって歩き出し、人ごみの一部になっていた。